5ちゃんねる ★スマホ版★ ■掲示板に戻る■ 全部 1- 最新50  

■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています

日中戦争(支那事変) 被害担当艦@サドンデス!

1 :イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2005/11/24(木) 23:32:48 ID:5D0fj1Cx
満州事変、盧溝橋事件、通州事件、第二次上海事変、南京陥落、徐州作戦、
武漢攻略作戦、重慶空襲、トラウトマン工作、拉孟の玉砕、大陸打通作戦等……。
日中戦争を軍事的に語るスレッド。帝国陸海軍の内情も可。

前スレは「容量オーバー」のため、848でお亡くなりになりました。合掌w。
まだまだ語るべきことは尽きません。引き続きマイペースで進行していきます。


2 :名無し三等兵:2005/11/24(木) 23:33:47 ID:CynedKB1


3 :イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2005/11/24(木) 23:36:39 ID:5D0fj1Cx
本スレの次ぐらいから、コテハンの後ろに「参謀本部第二部支那課長」を加えて
名乗っていもいいかな、と言ってみるテスト(核藁)。

引き続きお付き合い頂ける奇特な方は、前スレを保存しておいてくらさい。

4 :イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2005/11/24(木) 23:39:21 ID:???
あ、「パート2」を付けるの忘れてました…orz. まあ、いいかw。

5 :名無し三等兵:2005/11/24(木) 23:44:32 ID:???
前スレ>845

 やはり数千〜一万(老人兵、子供兵、女性などの解放が行なわれなかった
という説)のものが殺到してきたらその威力は絶大ですからね。

 機関銃の展開が終わったとして考えられるのは、予め先行して不測の事態に
備えてたののが一番矛盾が生じませんね。好条件の場所に占位、連続射撃を
可能とするために弾薬手の配置と弾薬の用意といった準備を終えることが
出来るので。最初から殲滅を企図していたなら中国兵捕虜の死者は1000人
では済まなかったでしょう。そして護送兵は100人程度では無理でしょうから。


 小銃の話ですが、日中戦争当時の38式歩兵銃や使用弾薬は外国で良い評価を
受けていたようですね。帝政ロシアの25発装弾のフェデロフ自動小銃の弾薬に
採用されていたり、冬戦争で輸出されたりと。

 ただ最初に機関銃の話をしましたが、この当時の日本軍の火器は
小銃の38式、重機関銃の92式は使えるとしても、11年式はどうしようも
ないですね(弾薬生産などの事情でこの給弾方式にしたのかも知れませんが)。

 日中戦争初期の日本軍:小銃と重機関銃(重くて追随出来ない時もある)、
            困った11年式軽機関銃
        中国軍:小銃と軽機関銃(ZB)と重機関銃

こうして見ると重機関銃が追随できなければ、まるで明治維新の時の小銃隊の
ような形にならざるをえないですね。だから取っておきの隠しだまとして、時に
突撃で相手を無理矢理突き崩していたのか・・。



6 :名無し三等兵:2005/11/24(木) 23:47:50 ID:???
>>5 誤解を与えそうなので
>日中戦争当時の38式歩兵銃や使用弾薬

 日中戦争の時に使用されていた38式歩兵銃と使用弾薬。


7 :イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2005/11/24(木) 23:53:00 ID:5IyM/eKW
前スレ792
>>支那の知識人や上流階級には軍人蔑視の思想があると岡本綺堂がいっておる。

そして近代文明に対してもです。

第二次奉直戦争(1924年)が起こる前に、南北の妥協が何とか出来ないものか、当時
洛陽に拠点を構えていた「直隷派」の呉佩孚のもとを、鈴木貞一大尉と土肥原賢二が
訪れています。

ちなみに、この場合の「南」は孫文の国民党、「北」は北方軍閥を指します。

3人で食事をしながら四日間ほど話し合うのですが、鈴木が呉にこう切り出しました。

8 :イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2005/11/24(木) 23:56:14 ID:???
念のため、貼って置きます。前スレです↓

http://hobby7.2ch.net/test/read.cgi/army/1121259666/l50

9 :イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2005/11/25(金) 00:14:04 ID:jYfa6M8a
>>7 の続き。
鈴木貞一が「軍を近代化したほうがいいだろう? よその国は多くの飛行機もある」と
呉佩孚に問います。ところが呉は話に乗ってきません。呉が言うことには、

「飛行機なんかいらない。戦車もいらない。支那には昔からそういうものがある」。

不審に思った鈴木が「どこにあるんだ?」と聞くと、「いや、言葉の上にある。
『天馬空をかける』という言葉を知らんか?」と言って字を書き始めます。『天馬駆空』と。

さらに呉は「戦車というのは、昔から支那にあった。牛を引いてやっているのは戦車だ。
だから支那には、何にも新しいものを頼むことはない」と続けるのです。

性質の悪い冗談かと思いますが、しかし呉は真面目に答えています。

このような思想は、毛沢東にもある程度ありました。毛がアメリカの軍事力を「張子の虎」
だと述べる思想の背景には、『近代科学』に対する一種の蔑視のような思想があるのです。

10 :名無し三等兵:2005/11/25(金) 00:14:15 ID:???
晋南作戦・西方作戦・中原作戦・晋察邊区粛清作戦・博西作戦・沁河作戦・
鄭州作戦・魯南掃討作戦・五原作戦・オルドス作戦・
陸水作戦・予南作戦・蘇北作戦・錦江作戦・太湖作戦・江北作戦・清郷工作・
新四軍掃蕩戦・宜昌西方及び潜江南方作戦・江南反撃作戦・長沙作戦・
雷州ルート遮断作戦・福建作戦・東江作戦・北江西江作戦・

11 :名無し三等兵:2005/11/25(金) 00:17:27 ID:???
何かインドのナショナリストが「古代インドには自動車も飛行機も存在した!ただ古代インド人は
そんなものは無価値だと思ったから放棄しただけだ!!」」とか主張していたのを思い出した。

12 :名無し三等兵:2005/11/25(金) 00:21:51 ID:???
え、日中戦争スレなくなったの?残念!

13 :イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2005/11/25(金) 00:22:28 ID:jYfa6M8a
結局、呉佩孚は、

「新しいものは排除するし、国民革命の政党である国民党は、国の反逆者で
 天人ともに戴くものではない。国民党との妥協を説くなら帰ってもらいたい」

と鈴木と土肥原を突っぱねます。最終的に、張作霖・段祺瑞・孫文、そして
寝返った馮玉祥が連合し、洛陽の呉佩孚を潰すことになりました。

これが、いわゆる「第二次奉直戦争」です。

14 :イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2005/11/25(金) 00:34:39 ID:jYfa6M8a
>>10 にプラスして…

平津地方掃蕩作戦・チャハル作戦・河北作戦・太原攻略作戦・台児庄の戦い・
広東攻略作戦・南昌攻略作戦・南寧攻略作戦・翁英作戦・賓陽作戦・宜昌作戦・
第一期晋中作戦・第二期晋中作戦・博西作戦・第二次魯南作戦・騰越の玉砕・
常徳殲滅作戦・洛陽攻略戦・衡陽の戦い・桂柳攻略戦・老河口作戦・?江作戦・

いちいち細かく取り上げていたら、死にますw

15 :前スレ32:2005/11/25(金) 00:41:10 ID:C67bcAZK
>>1
スレ立て、おつかれさま。
いつもありがとうございます。

16 :イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2005/11/25(金) 00:56:08 ID:jYfa6M8a
前スレ764

>>:日本が動く⇒恨まれてトラブルの種が出来る(史実)
>> 日本が動かない⇒軽侮されたりしてやっぱりトラブルの種が
>> 出来る(南京事件後の経緯)ということでしょう。

>>根本的に日本が満州も含めて撤退しないといけなかったでしょう。
>>そこまで譲歩して初めてトラブルの種が消えるわけで、それは現実には
>>どうしようもない状況ですから

自分も同意見で、非常に分かりやすいまとめだと思います。

>>15
こちらこそ、どうもでございます。お暇がありましたら、またお付き合い下さいませ。

17 :イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2005/11/25(金) 01:35:03 ID:jYfa6M8a
前スレ700
>>インセクト級砲艦の15cm砲で決まった範囲に一時間未満砲撃を行った
>>だけなら普通に考えたら千単位もの打撃を与えることは出来ない。

海上戦闘の話も出て気になっていましたので、支那の海軍にも触れておきましょう。
基本的に『海軍』を持ってたのは、国民党軍だけです。共産党も地方軍閥もまったく
保持していませんでした。国民党の海軍戦力は、以下の通り(1937年当時)。

●軽巡洋艦「寧海」級、2隻   ●小型駆逐艦・砲艦、29隻
●河川砲艦・武装輸送艦、53隻 ●魚雷艇、8隻

以上、総排水量7万トンです。また海軍の兵員は1万2千人、その他に陸戦隊員が
3800人いました。この僅かな海軍を、以下のように分けていたのです。

●第一艦隊(上海沿岸)司令部・上海   ●第二艦隊(揚子江)司令部・上海
●第三艦隊(東北部沿岸)司令部・威海衛 ●第四艦隊(広東沿岸)司令部・広東

18 :イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2005/11/25(金) 01:55:27 ID:jYfa6M8a
支那海軍は、全戦力の7割を上海と揚子江に集中していました。

艦艇の内、わずかに脅威となったのが軽巡「寧海」級の2隻です(寧海・平海)。
共に1930年代の進水ですから、比較的新しい艦と言えます。

排水量2500トン、6インチ砲6門、速力22ノットで鈍足なのが
気になりますが、日本海軍の軽巡洋艦と駆逐艦の中間に当たります。
排水量に比べて重武装ですね。

しかし、第二次上海事変(1937年9月23日)に日本海軍機の攻撃によって
あっさり揚子江で撃沈されてしまいましたw。

19 :名無し三等兵:2005/11/25(金) 02:32:54 ID:???
イナゾウ中佐のシナ事変講義楽しみ

20 :傍観者:2005/11/25(金) 02:46:39 ID:???
>>19
んだ、んだW

>>1
スレ立てお疲れさまーッス。前スレの影響で「日本はなぜ戦争を始めたのか・著-益井康一」を図書館で借りてきて読み始めるとこです。
いつも楽しみに傍観してますWW

21 :イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2005/11/25(金) 02:52:12 ID:Q79ZY/W3
この2艦は沈んだ場所の水深が浅かったため、日本海軍によって引き揚げられます。
撃沈された時の写真が手元にありますが、沈んだというより座礁に近いですね。

艦の後ろ半分は水面下にありますが、残り前半分と艦橋・煙突までは水面上に
確認できます。

引き揚げられた2艦はそれぞれ、寧海が「五百島(いおじま)」、平海が「八十島」と
改名されて、日本海軍の輸送艦・海防艦として戦力化されています。そして太平洋戦争
末期まで稼動し続け、米軍に再撃沈されてその最後を迎えました。

第二次上海事変勃発後、あっという間に撃沈されて、むしろ日本のために役に立った期間の方が
長かったと思える2艦です。当然、揚子江における抑止力の発揮という点でも落第でしたw。

22 :イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2005/11/25(金) 03:07:14 ID:Q79ZY/W3
どうもでございます。

>>前スレの影響で「日本はなぜ戦争を始めたのか・著-益井康一」を
>>図書館で借りてきて読み始めるとこです。

ついにバレましたか…。今日か明日かとヒヤヒヤしていたのですが。

その本は、自分の『シード』(種本)の中でも最強クラスで、読み始めたら
前スレで自分がほとんど引用している場所がたくさんあることに気付くでしょうw。

はっきり言ってといか、正直言ってというか、益井康一氏の本を読めば
このスレを見る必要はまったくございません。自分のやっていることは多少
他の本と総合して、自分の意見をつけて焼き直しているに過ぎないのです。

そのぐらい強力な『シード』です。「ストライク・フリーダム」または
「インフィニット・ジャスティス」に匹敵しますw。

23 :イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2005/11/25(金) 03:17:02 ID:Q79ZY/W3
自分は本当に猜疑心が強いので、>>20 様が既にその本を読んでいて
スレの元ネタを確認するために、カマをかけて書き込みをされている
のではないかと疑っています。

しかし貴官が本当に偶然、図書館でその本を見つけて、これから読もう
としているのであれば、一言申しておきましょう。

あなたは本当に運がいい。

24 :20:2005/11/25(金) 03:30:58 ID:/K4j7l3K
>>23
うへぇ(焦)まったく偶然であります。
数冊あった関連本でフト手に取りましたW
今年の運は使い果たしましたね…。

25 :イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2005/11/25(金) 03:36:37 ID:???
あの丹念な書き込み様、日付から師団長名まで、すべて網羅しているにも関わらず、
読みやすい事この上ない。まったく信じがたい並列であり、調和です。

自分は学生時代、弁論をやっていましたので理解できますが、人様に分かりやすく
話す(書く)というのは大変な苦労がいるものです。本人も理解していないような
難しい専門用語を連発して「煙に巻く」というのはアホにでも出来ますがw。

益井氏の文体は、自分のお手本であり、目標でもあるのです。

26 :イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2005/11/25(金) 03:38:50 ID:???
>>今年の運は使い果たしましたね…。

もう今年も、あと一ヵ月だ。気にするなw。

27 :名無し三等兵:2005/11/25(金) 07:24:59 ID:???
>>16
そういう考えで現地軍がやってしまって中国人民と決定的な対立を生み、日本の敗戦への道を開く。
軍中央ではそれを危惧し、なるべく中国との協調を進めたかったのだが。
ま、他民族支配の経験がろくに無い日本民族には想像を絶する話だっただろう。



三方を河に囲まれた川岸で機関銃掃射が始まったら河に逃げ込むのが人情。
そうなると河原に連れて行ったのが放逐目的か殺戮目的かはわからないが。

28 :名無し三等兵:2005/11/25(金) 11:48:57 ID:???
>>21

 ついでに言うとその二艦は日本製だった。そして撃沈した写真を
中国は「日本の艦艇撃沈」と新聞に載せていた。中国のプロパガンダが
凄いのが分かる。

29 :名無し三等兵:2005/11/25(金) 12:03:05 ID:???
>>27

 スカスカの阻止線に突っ込んでくるのが人情。

30 :名無し三等兵:2005/11/25(金) 14:02:11 ID:???
>>27
国民党や共産党なんかのシナ側からすれば侵略者たる日本と協調なんかできんのでは?
共産党はバリバリの反日で、国民党だって日本よりも共産党優先だっただけで、
日本と仲が良かったわけではまったくない。

31 :名無し三等兵:2005/11/25(金) 14:38:41 ID:???
>>30
大陸における日本軍の最大の課題は対ソ戦備。
故に満州の対ソ戦備の背後にあたるシナは抑えておく必要がある。
抑えるには、強権、協調のどちらかの方法がある。
日本の最大の失敗は強権でなんかなると考えた点だろう。
もっとも、陸軍の内部でも現地軍と省部は強権、参謀本部は協調とばらばらであったが。


32 :名無し三等兵:2005/11/25(金) 14:47:13 ID:???
史実では協調でやったら舐められてテロ増やして、
強権でやったら泥沼戦に巻き込まれてますが、
こういう場合はどーすりゃいんですか?
撤退は不可として。

33 :名無し三等兵:2005/11/25(金) 14:51:39 ID:???
>>32
対ソ戦備のための実現可能なシナ方面への抑制が必要なわけで。
だから、実現可能なら協調でも強権でも何でも良し。
強権でも協調でも無理ならその時点で当時の対ソ戦備は破綻。
まあ、対ソ戦備は兵力差からして破綻をしてたが。

34 :イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2005/11/25(金) 23:45:43 ID:qjYAbqKd
>>28 >>ついでに言うとその二艦は日本製だった。そして撃沈した写真を中国は
>>「日本の艦艇撃沈」と新聞に載せていた。中国のプロパガンダが凄いのが分かる。

そのプロパガンダは凄すぎますねw。大本営発表も目ではありません(藁)。

ちなみに国民党軍は、ドイツから小型の潜水艦を4隻購入していますが、ほとんど
出撃できないままに終わっています。

第二次上海事変から2ヵ月余りの間に、空母「加賀」「鳳翔」から飛び立った日本海軍機は
上海周辺、揚子江の支那艦艇28隻を撃沈します。その中には有力な砲艦が18隻含まれて
いましたから、ほぼ全滅に近い損害です。

以後の国民党海軍は、揚子江の各所に機雷を敷設し、日本艦艇の遡上を阻止するように
なります。あるいは、数十隻の爆薬を積んだ小型船を鎖で繋ぎ、航行を妨害しました。

35 :イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2005/11/26(土) 00:19:08 ID:JY70yS1o
>>30
>>国民党や共産党なんかのシナ側からすれば侵略者たる日本と協調なんかできんのでは?
>>共産党はバリバリの反日で、国民党だって日本よりも共産党優先だっただけで、
>>日本と仲が良かったわけではまったくない。

ちょっとちょっと、電波飛ばさないでw。日本と蒋介石は「共産党を排除する」
という点では一致していますよ。

例えば、1927年11月5日午後1時30分、東京・青山にある田中義一首相の私邸で
田中首相と蒋介石の会談が行なわれています。通訳は、退役陸軍少将の佐藤安之助と
蒋介石の腹心である張群(のちの国民政府行政委員長)です。延々2時間に渡りました。

この会談で「共産党を排除する」という点では両者の意見が一致しましたが、
最終的にはまとまりませんでした。

36 :名無し三等兵:2005/11/26(土) 00:31:35 ID:tPXgXxAv
日本側の対支政策にまとまりが無かったのと同様に、国府の対日政策も
上から下まで一貫してたわけではありません。融和派もいれば排日派もいました。
そんな中、日本がどんどん北支や内蒙に手を突っ込みかき回すもんだから、
国府内の知日派はどんどん力を失い、そして”最後の関頭”に至るのです。

37 :イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2005/11/26(土) 00:31:46 ID:JY70yS1o
この会談のあとで蒋介石は、以下のように発表しています。

「日本は、腐敗軍閥を相手とせず、国民党を相手に誠意をもって中日合作して
 もらいたい。そして、北伐を援助してほしいと申し入れたが、田中には誠意がなく、
 中日合作の可能性はない。日本は国民革命の成功を許さず、北伐を妨害し、中国の
 統一を阻止するであろう」

しかし、通訳を務めた退役少将・佐藤安之助が残したメモによると、こうあります。

「北伐については、田中首相が『中国は分裂状態にあるので北伐を焦らず、
 まず長江以南をかためることに専念してはどうか?』と提案した。蒋介石は
 『しかし北伐をしなければ、南方に動乱が起こる可能性がある』と答えた」

結局、両者は不信感をつのらせ、会談は物別れに終わったとされます。『表向き』はです。

38 :イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2005/11/26(土) 00:44:13 ID:JY70yS1o
その後、日本の陸軍省内には、この会談で結ばれた『密約』として
以下のような情報が流れました。

「蒋介石の提案は、北伐の最終目的は北京に居座る張作霖を奉天に追い払う
 ことだが、張の背後には日本陸軍が付いている。日本軍に妨害されると、
 北伐が完成できない。また、国民政府は中国共産党に手を焼いている。
 そこで日本は、同じ反共の立場から国民革命に協力してもらいたい。

 その条件として、国民政府は中国内の排日運動を取り締まり、また東北
 (満州)での日本の特殊地位を認めるから、日本は北伐を妨害せず、
 張作霖を東北へ引き揚げさせてもらいたい、と提案した。田中首相は
 それを承諾した」

こんな内容の密約は、蒋介石からすればとても表沙汰にできるものではなく、
張作霖を東北に引き揚げさせるという点については、田中首相も同様に
公言できないでしょう。

39 :名無し三等兵:2005/11/26(土) 00:47:00 ID:???
>>36
日本が何もしなくて国府内の知日派が力を持ってたとしたら歴史は変わってましたか?
というか、当時のシナで親日・知日派って力をもてるんですか?

40 :名無し三等兵:2005/11/26(土) 00:49:21 ID:???
>>35
その会談は昭和二年の話で満州事変勃発(昭和六年)の四年前。
その頃は蒋介石もまだ日本に対してそれほど敵愾心を持っていない。

満州事変の後に蒋介石は中共討伐をし、息の根を止める寸前まで進んだ。
しかし、日本の北支工作の成功で北支分断を恐れ、討伐を中断している。
そして、シナ事変が勃発する前に中共と手を結ぶ事となる。

41 :名無し三等兵:2005/11/26(土) 00:53:08 ID:???
>>39
蒋介石自身知日派だよ。
しかし、満州事変、日本の北支工作等で回りが排日となり、自身も排日で行かざるをえなくなる。

42 :名無し三等兵:2005/11/26(土) 00:56:41 ID:???
>>39
>日本が何もしなくて国府内の知日派が力を持ってたとしたら歴史は変わってましたか?

孫文も知日派の代表格だしな。
そもそも日本は東洋でいち早く近代化を歩み始め、中国からも大勢学びに来ている。
日本が中国に何もしなければ、そのまま日本経由の近代化が中国に持ち込まれ、状況はかなり違っただろう。

43 :イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2005/11/26(土) 00:57:38 ID:JY70yS1o
結局、上記の密約も(事実だとして)、その後に起きた済南事件や張作霖爆殺事件、
満州事変などによって、前提それ自体がケシ飛んでしまうのですがw。

>>国府の対日政策も上から下まで一貫してたわけではありません。融和派もいれば
>>排日派もいました

当時の田中首相の「対支政策」は、長閥の総帥・山県有朋の考えを踏襲し、
以下のようなものでした。

「日清、日露両戦争で、多くの日本人が尊い血を流して獲得した満州および
 支那の各種権益は当然永久に確保されなければならない。相手の支那は
 『国民革命』と『共産革命』に分かれて、大動乱の様相を呈している。

 どの革命勢力が天下を制しても、革命である以上、すべてをブチ壊して
 日本の権益も失われるに違いない。そのような危険な勢力に力を貸すよりも
 むしろ旧軍閥を助けて既得権益を確保するのが安全である」

44 :前スレ32:2005/11/26(土) 01:07:57 ID:???
>>42
1920年ごろまでの国策について考えると、
問題になるのは満州でロシアと対峙することを放棄できない日英同盟の縛りです。
だから、大陸を放棄するという島帝国論も抑圧されるわけで。
ただ、孫文が満州についていいかげんなことをいいすぎたのも誤解を招いたと思うな。

45 :名無し三等兵:2005/11/26(土) 01:12:57 ID:???
>問題になるのは満州でロシアと対峙することを放棄できない日英同盟の縛りです。

満州でロシアと対峙するのは日本の政策じゃないのか?
ロシアと日本の間に有力な緩衝地帯になるような国家があれば別だが。

46 :イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2005/11/26(土) 01:20:06 ID:JY70yS1o
>>40
>>その会談は昭和二年の話で満州事変勃発(昭和六年)の四年前。

蒋介石の来日による「最大の収穫」は、田中首相との会談よりも、宋美齢への
プロポーズを成功させたことでしょう。

1927年9月29日、長崎に上陸した蒋介石は、雲仙のホテルに泊まります。それから
神戸に出て、有馬温泉の有馬ホテルに腰を落ち着かせます。そして、そこで療養中の
宋美齢の母、倪桂珍未亡人に合い、宋美齢との結婚の許しを得ます。

田中首相との会談を終えた蒋介石は、11月7日に神戸から上海航路船に乗り、11月10日に
上海に帰ります。そして12月1日に、宋美齢とキリスト教式の結婚式を挙げました。

このとき蒋介石は41歳、宋美齢は27歳でした。ちなみに蒋介石をキリスト教に入信
させたのは宋美齢です。

47 :名無し三等兵:2005/11/26(土) 01:31:50 ID:???
>>34

 さしずめ呉空襲で大破着底した日本艦船の写真を新聞に載せて
「米艦船を一網打尽」と報道するようなものだった。このように中国のマスコミ
は誇張や隠蔽(ここまでは日本もしていたが)どころか捏造をしていた。

 だからこの一事をもってしても中国の当時の情報の信用度が分かる。だが
悲しいことに戦後生まれで、あまり大陸戦線や「中国と情報戦」がどんなものか
知らない人間は簡単に中国のプロパガンダにダマされるし、この当時の捏造記事
のようなものをもってきて「新資料発掘」とかする。

48 :名無し三等兵:2005/11/26(土) 01:35:42 ID:???
そういえば前スレへのリンクは貼った方がいいような。

49 :名無し三等兵:2005/11/26(土) 01:38:10 ID:???
>>48
張ってくれ。

50 :イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2005/11/26(土) 01:41:58 ID:JY70yS1o
蒋介石は、長男・経国(のちの中華民国政府総統)、次男・緯国(国家安全会議秘書長)を生んだ
1人目の妻と離婚し、さらに2番目の妻とも別れていますから、宋美齢は3番目の妻となります。

ちなみに倪桂珍の亡き夫、宋耀如は海南島生まれの華僑です。米国に渡り成功した後、
孫文の国民革命に資金援助をしています。遺児6人の内、3人が娘で、長女の宋藹齢が
孔祥熙(のちの国民政府行政院長)の妻、次女の慶齢は孫文の妻、そして三女が蒋介石の
妻となった美齢です。

映画にもなった、いわゆる『宋家の三姉妹』ですね。

また長男の宋子文は、蒋介石の義兄となった孔祥熙とともに、浙江財閥の
中心人物であり、彼もまた後に国民政府の財政部長や行政院長となります。

抜け目のない蒋介石は、孫文の未亡人である宋慶齢の妹、美齢と結婚することで
社会的には孫文の後継者と認められると同時に、宋ファミリーの仲間入りをすることで
浙江財閥に深い繋がりをもつことが出来ました。深謀遠慮という他ありません。

51 :名無し三等兵:2005/11/26(土) 01:42:45 ID:???
前スレ
「 日  中  戦  争  ( 支 那 事 変 ) 」
http://hobby7.2ch.net/test/read.cgi/army/1121259666/

52 :イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2005/11/26(土) 01:57:45 ID:JY70yS1o
浙江財閥は、アメリカとの関係が深い金融資本ですから、後年は蒋介石政権の
米国化が進むことになります。蒋介石が「排日傾向」を強めていくのも、
この点が大きいかもしれません。

ちなみに、クリスチャンとなった蒋介石の信仰心は、どの程度のものだったのか?
大陸打通作戦中の「衡陽の戦い」で、蒋介石は日記に以下のように綴っています。

「主よ。何とぞ私に衡陽の戦役における勝利をお与えください。南岳山頂に
 大きな鉄の十字架を建立して主の恩に報いますから」

神の審判は、もちろん『NO』でしたw。

53 :名無し三等兵:2005/11/26(土) 02:07:19 ID:???
>>52
えーと、それはぶっちゃけ、苦しい時の神頼みであって「藁をもすがる心情」ではないでしょうか。

キリスト教の信仰心って、社会福祉への貢献や寄付で支配階級は試されるものですけど、
蒋介石って私財ばかりこしらえていて、キリスト教的な精神が晩年になるまで感じられないのですが。

ま、軍事にはまったく関係の無い話ですけど。

54 :イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2005/11/26(土) 02:09:44 ID:JY70yS1o
>>40 >>満州事変の後に蒋介石は中共討伐をし、息の根を止める寸前まで進んだ。
>>しかし、日本の北支工作の成功で北支分断を恐れ、討伐を中断している。

前スレ639 で以下のように述べました。

>満州事変後のわずかな期間ですが、日支関係が好転した時期があります。1934〜1935年辺りです。
>蒋介石が『安内攘外』(外敵に立ち向かうために、まず国内を安定させる)のスローガンを唱え、
>「共産党の殲滅」を優先させるよう政策転換したためです。

>同時に汪兆銘との合作も実現し、支那は満州国の存在を不問にしたまま、日本との関係改善に
>動き始めます。

>これを受けて日本も、広田外相が「日華親善」を呼びかけ、1934年に満州国と支那を結ぶ鉄道運行、
>郵便、通商を扱う実務協定が締結されました。支那側も排日運動を取り締まり始め、1935年には
>日本が「在華公使館」を「大使館」に格上げすることで関係改善はピークを迎えます。

55 :イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2005/11/26(土) 02:11:19 ID:???
>>53 もちろん皮肉と嫌味で書いていますw。

56 :イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2005/11/26(土) 02:13:55 ID:???
>>54 の続き。

そう考えると、全く同時期に進んでいた「北支工作」が問題だったのかな?
という気がしてきました。

57 :名無し三等兵:2005/11/26(土) 02:20:24 ID:???
蒋介石なんかノブレス・オブリージなどあるはずが無いw
秀才には違いないが、7つの大罪のうち、強欲ではあったしw

58 :名無し三等兵:2005/11/26(土) 02:22:13 ID:???
汪兆銘といえば、特に漢族から漢肝と呼ばれ、死後に至るまで
国賊とされていますけど、中国、台湾共に今でも評価は変わらないのでしょうか?

59 :名無し三等兵:2005/11/26(土) 02:24:49 ID:???
>>56
気がするとかそんな呑気なものでなく、ずばり北支工作が国共合作の原動力。
そもそも蒋介石の対日宥和政策は国内統一の為に一旦日本側と休戦しようという趣旨。
だから日本の工作で北支分断が現実的になると、当然北支に力を廻すことになる。

60 :名無し三等兵:2005/11/26(土) 02:29:43 ID:???
>>59
でも日中戦争が起こると蒋介石は日本軍から逃げ回っているばかりだけど、
もし対米戦が無かった場合どうするつもりだったんだろう?
蒋介石が何を考えていたのかもうひとつみえてこないが、ソ連に子息の
蒋経国を派遣したのは、対米戦以前はソ連を頼んだ対日戦略を考えていた
可能性ってありえる?

61 :名無し三等兵:2005/11/26(土) 02:39:18 ID:???
>>60
逃げ回るのは勝てないからではないかと。


昭和十年七月に開催された第7回コミンテルン大会で当面の敵を日独ファシズムだけに絞って、それ以外の
一切の勢力を積極的に共同の戦線に抱き込み、社会主義革命の問題を一時棚上げして、さしあたり日独ファ
シズムの打倒に専念しようとする事を明らかにした。
中国共産党もこの方針にならい八月一日、「八・一救国宣言」発して、国共合作し全国的な抗日運動を遂行し
ようと呼びかけている。
なので、国共合作がそもそも共産主義側の意図なので、ソ連が軍事介入する事は十分ありえる。


62 :名無し三等兵:2005/11/26(土) 02:42:32 ID:???
見方によっては、敵である国民党を抱き込み、これまた敵である日本軍と戦わせ消耗させるという高等政策でもある。

63 :名無し三等兵:2005/11/26(土) 02:49:00 ID:???
蒋介石は国共合作破棄、毛沢東は西安事件とそれぞれ相手を殺す気満々だったが、
さしあたっての脅威である日本軍をさておいて行動が終始一貫してない印象を両軍首脳
の方針は 端的にいえばすごく場当たり的に感じる。 

64 :名無し三等兵:2005/11/26(土) 11:53:39 ID:???
>>58
そういえば汪兆銘って形式的には孫文と国民党の後継者らしいな。
文人だったため実権を握り続けることができず、蒋介石に取って代わられたが。

65 :名無し三等兵:2005/11/26(土) 12:02:05 ID:???
>>42
知日=親日じゃないと思いますが。

66 :名無し三等兵:2005/11/26(土) 13:04:40 ID:???
蒋介石が日本で受けた教育は、ほとんど軍事教育だけ。
あとは1兵卒としての訓練。
綱紀粛正、訓示大好きなところは影響を受けたようだが…。

67 :名無し三等兵:2005/11/26(土) 17:48:36 ID:???
http://tanakanews.com/a0410taiwan.htm

1万4千人を殺した日本軍

 日本は台北に総督府を置いた後、南部に向かって西海岸を進軍したが、日本軍は規律の面でも台湾人の反感を
かった。

 たとえば、日本軍が台湾中部の大甫林(甫にはクサカンムリがつく)という町を占領したときのこと。地元の有力者は
日本軍の幹部たちのために豚を屠殺して料理を作り、もてなしたが、軍幹部たちは兵士の性欲のために女性200人
を用意せよと町の有力者に要求し、断られると有力者の妻子を拉致して暴行した。その行為に有力者は怒り、抗日
部隊を組織するに至ったと伝えられている。

 「民軍」は各地で個別に組織された。女性たちも戦闘に加わり、日本の参謀本部の記録には「台湾人のほとんど
全員が兵隊になったように見える」という趣旨の記述がある。こうした民軍の一つが、蜂起に際して自分の息子を
殺して食べた呉得福の組織だった。

 だが彼らは武装組織とはいえ、銃器の多くは猟銃などで、近代装備を持つ日本軍にかなうはずがなかった。
日本軍が台湾全土を制圧したのは、最初に上陸してから5カ月後の1895年(明治28年)10月だったが、
それまでの戦闘で1万4000人の台湾人が殺された。一方、日本軍の戦死者は300人弱だった。

 日本の敗戦後、国民党が独裁政治を始めるにあたって行った1947年の大弾圧「228事件」は、台湾人が今も
恨みに思っている事件だが、その時に殺された人は5千−1万人と言われている。日本軍は「善政」といわれる
台湾統治を始めるにあたって、それより多い人数を殺していることになる。

 このような経緯を見れば、「日本は台湾で善政をした」という主張は、日本人どうしの会話の中では許されるとしても、
日本人が台湾人に向かって言うべき言葉としては、失礼にあたる。真の「愛国者」とは、思想の右左にかかわらず、自
分の国を愛するだけでなく、他の国の人の愛国心も尊重できる人であろう。



68 :名無し三等兵:2005/11/26(土) 17:50:19 ID:???
▼後藤新平の善政は何のため?

 台湾の人々の独立心は、日本統治が始まってかなり経ってからも続いていた。
その象徴は、日本の統治開始から35年後の1930年(昭和5年)に起きた「霧社事件」である。
台湾中央部の山岳地帯の村、霧社で開かれた地域の運動会の会場を、先住民族(アタイヤル族)の武装組織が襲撃し、日本人だけを選び出して100人あまりを殺害した。

 台湾総督府は先住民に対する同化政策を続けており、霧社はそのモデル地区であったが、先住民の人々は
表向きは同化政策を受け入れるように見せて、実は総督府に対する憎しみを持ち続けていたことが、
この事件からうかがえる。

 そもそも、台湾総督府で「善政」を行ったとされる後藤新平の政策も、台湾人のために行ったのではなく、
台湾で日本がより多くの収益を挙げるために行ったことである。


台湾の「独立宣言」は、17世紀の鄭成功の時が最初で、2回目が1895年の日本占領時の
「台湾民主国」、そして3回目は1947年に「228事件」が起きた直後に台湾各地で発せられ
た自治要求である。いずれも、前の外来為政者が去った後に独立要求が出され、新しい外
来為政者によって弾圧されて終わっている。

69 :名無し三等兵:2005/11/26(土) 17:59:23 ID:???
日本侵略の歴史

1854年  蝦夷地を北海道と改称
1968年  函館共和国を滅ぼす。
1879年  沖縄王国を滅ぼす。
1885年  台湾民主国を滅ぼす。
1910年  韓国を併合。


70 :名無し三等兵:2005/11/26(土) 19:24:03 ID:???
スレが伸びないな。
そもそもスレタイが悪い。
被害担当艦なんて書くから誰もよってこない。
あやまれ。
>>1

71 :名無し三等兵:2005/11/26(土) 21:02:35 ID:???
イナゾウVSベンゼン

72 :イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2005/11/26(土) 22:42:09 ID:6HohtO0y
>>47 >>この当時の捏造記事のようなものをもってきて「新資料発掘」とかする。

それは勉強不足ですね。かという自分も文字ばかり読んでいて、当時の写真なんて
ろくすっぽ目を通していない訳です。これでは捏造写真に騙される可能性大ですw。

しかし、当時を題材にした「写真集」なんて値段がバカ高いので容易に手が出せません。
それを考えると、河出が出している「ふくろうの本」の図説シリーズは、内容が左翼な点を
除けば、1500円前後であれだけの数の写真が見れますから、お徳なのかもしれません。

ただ写真が小さすぎて、しかも1ページに幾つも詰め込みすぎで、半凸や全凸だったら本来
『ド迫力』の貴重写真が死んでいますw。

自分の場合、揃えるだけ揃えて未読ですが、毎日新聞社が昔に出していた
『一億人の昭和史』(日中戦争1〜4)などが手元にあります。これは未見の
写真も豊富で、一枚一枚のサイズも大きいのでお勧めです。キャプションが信用
ならないのと、版型が大きすぎて移動時に読めないこと、カビ臭いのが難点ですがw。

73 :名無し三等兵:2005/11/26(土) 23:02:34 ID:???
ところで汪兆銘の南京政府軍について何かご存知?
装備的には国民党軍系と日本軍系がゴッチャになってたのだろうか? とか気になることは多々あるんだけども。

74 :名無し三等兵:2005/11/26(土) 23:05:59 ID:???
http://www.ne.jp/asahi/tyuukiren/web-site/text/kajimura_kinyobi/kajimura_kinyobi.htm
人間に戻った元将兵たちの声を聴け
http://www.ne.jp/asahi/tyuukiren/web-site/backnumber/04/huruya_oni.htm
東洋鬼

日本軍将兵たちは、中国全土で「奪い尽くし、焼きつくし、殺し尽くす」三光作戦を展開した。
敗戦後、その将兵たちが拘束された撫順日本人戦犯管理所のなかで、殺人鬼から元の人
間へと奇跡の回復を果たした中国帰還者がいまに伝えるものはなにか

中国の人たちになんて酷い事を・・・・・・


75 :イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2005/11/26(土) 23:12:14 ID:6HohtO0y
>>72 は、神保町で買いましたが1000円前後で入手できました。
写真の量を考えると、安いのではないかと思います。ただ、「日中戦争3」
だけが2000円ほどして高いと感じた覚えがありますw。

あと「不許可写真史」も1000円以下でした。不許可の理由を追っていくと、
当時の日本軍の思考が分かって面白いですね。日中戦争の写真が非常に多いですが、
やはり当時、撮られた写真の数が段違いに多かったためでしょう。当たり前と言えば
当たり前ですが。

前スレ397で、第二次上海事変(1937年)の「呉淞上陸」を記述して、

>>とは言っても、上陸地点はオマハのような砂浜のビーチではなく「岸壁」です。

と書きました。実は、資料を読んで「岸壁」と書いただけで、当時まだ写真を見た
訳ではありませんでした。最近になってようやく、呉淞付近の現場写真を確認した
のですが、以下のような感じです。

76 :名無し三等兵:2005/11/26(土) 23:20:56 ID:???
>>74
ここは割に地道な事項について知識を蓄積するスレなので、
露骨な政治的宣伝・コピペはご遠慮くださいませ。
左翼でも、識見・知識のあるひとはたぶん歓迎されると思います。

あと左右どちらの立場にしろ、
事実を知るためには撫順の人たちはあてにならないですよ。
あれも一種の政治プロパガンダですので。

77 :イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2005/11/26(土) 23:25:47 ID:6HohtO0y
>>75 の続き。「呉淞上陸地点」の地形。

「岸壁」といっても、もちろん「断崖絶壁」ではありません。上陸して
1〜2メートルは普通に歩けますが、すぐに傾斜角20〜30度ぐらいの
急な坂が始まります。

走って登れないことはないですが、少しバランスを崩すとふらついて
転げ落ちそうです。重装備ならなお更でしょう。

坂は20〜30メートル程で、上陸地点から見ると丘のように感じるでしょう。
地面は全て、30〜40センチの石ないし岩がゴツゴツ敷き詰められた印象です。
足元をよく見ないと、石と石の間に足を突っ込んで捻挫しそうです。

おそらく、ちょうど岸壁(岩肌)を登り切ったあたりで、トーチカ陣地にこもる
支那兵より機銃掃射を受けて、第3師団は死体の山を築いたものと思われます。
やはり可能な限り、写真を見るようにした方がいいですね。

78 :イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2005/11/26(土) 23:32:22 ID:???
>>ここは割に地道な事項について知識を蓄積するスレなので、
>>露骨な政治的宣伝・コピペはご遠慮くださいませ。

読んで多少はためになり、面白ければ何でもいいんですよ。

従って、コピペには「糞を拭く紙」の価値もありません。

79 :イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2005/11/26(土) 23:51:13 ID:6HohtO0y
>>73 >>ところで汪兆銘の南京政府軍について何かご存知?
>>装備的には国民党軍系と日本軍系がゴッチャになってたのだろうか?

どこかで汪兆銘も詳しく取り上げないといかんな、と思いつつ……。

結論からいうと、日本軍から兵器を供与されています。1940年3月30日に
汪兆銘(政府主席)の「新国民政府」が誕生します。これは、北京の
「中華民国臨時政府」と、南京の「中華民国維新政府」が合体したものです。

日本が汪兆銘政権を熱心に支援したのは周知の事実ですが、1940年11月30日に
正式に「新国民政府」を承認しました。そして、兵員数20万人の「国民軍」
を設立します。

日本から兵器を供与され、軍事教練を施された「国民軍」は1942年から支那戦線に
登場し始めるのです。

80 :イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2005/11/27(日) 00:11:02 ID:ZfNONB+V
1943年1月9日、汪兆銘の国民政府はアメリカ、イギリスに対して宣戦布告します。

とくに1943年初頭の「蘇淮進攻作戦」では、4万人以上の「国民軍」が帝国陸軍と
共に戦いました。この時の相手は「新四軍」(共産党)です。

ここで釘を刺しておきたいと思います。

西安事件、盧溝橋事件、第二次国共合作、そして支那事変が始まってからは、
国民党軍と共産党軍が手を取り合って「抗日戦線」を闘ったと思い込んでいる人が
いまだに多くいます。あるいは、そういう事にしておきたい人たちがいます。

常識で考えて、そんな訳ないでしょうw。

1941年から1942年には、蒋介石の「国民党軍」と共産党の「新四軍」の戦闘も
勃発していました。そこに「国民軍」が加わることで、三つ巴の戦いになるのです。

81 :イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2005/11/27(日) 00:27:28 ID:ZfNONB+V
ここまで読んで頂いた方は感じたかもしれませんが、蒋介石の「国民党軍」と
汪兆銘の「国民軍」は、非常に名称が紛らわしいです。

蒋介石と汪兆銘、どちらも「国民政府」を名乗っているせいです。しかも
両軍ともに「国府軍」と呼ばれるケースがありますので、注意が必要です。

さらに蒋介石の「国民党軍」と汪兆銘の「国民軍」は協力して、共産軍と戦う
ケースがありました。分かりにくい前線の状況に、現地の日本軍も戸惑っています。

追い討ちをかけるように、1943年2月の戦闘では「国民軍」が『共産軍と協力して』(!)
「国民党軍」の師長(師団長)2名を捕虜にしていますが、当時の日本軍の前線部隊は
事態が把握できなかったようです。

書いている自分も訳が分からなくなってきますw。現地の日本軍将兵は大変だったこと
でしょう。このように「支那戦線は複雑怪奇」なのです。

82 :名無し三等兵:2005/11/27(日) 06:01:26 ID:???
中国人まとめて攻撃すれば良かった。

83 :イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2005/11/27(日) 18:06:32 ID:VqMoVQwF
>>58 >>汪兆銘といえば、特に漢族から漢肝と呼ばれ、死後に至るまで
>>国賊とされていますけど、中国、台湾共に今でも評価は変わらないのでしょうか?

結論から言いますと、今でも「漢奸」です。支那本土では、共産政権が潰れて
数十年は経たないと、名誉回復する可能性はないと思います。

ちなみに汪兆銘は、日本の名古屋病院で客死しています(多発性骨髄腫)。夫人の
陳璧君は、飛行機で汪の遺体を南京の梅花山に運び埋葬します。将来、夫の墓が暴かれて
遺体が辱められることを恐れた夫人は、墓に5トンの「鉄鋼粉」を混ぜたコンクリートを
流し込んで「分厚いシェル」を造り保護しました。

言うまでもない事ですが、太平洋戦争後、蒋介石は汪兆銘の墓を「爆破」しましたw。

1994年、現在の支那共産政府は例の『愛国教育』の一環として、南京の墓があった
場所に、汪兆銘の像を作りました。像は北を向き、孫文の中山陵を向いていますが、
これが恐るべき「トンデモ像」なのですw。

84 :イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2005/11/27(日) 18:29:38 ID:VqMoVQwF
その像は「汪兆銘夫妻」がペアになったものですが、2人が正座して跪き
「後ろ手」に縛られて、周りを石の柵で囲まれています。この柵は、支那人が
唾や痰を2人の像に吐きかけるためのものです。

以前に海南省のホテルが、ヒデキが跪き支那人に謝罪する銅像を造りましたが、
同様のものと考えればよいでしょう。

実は、支那事変中にも同様の「汪兆銘夫妻の像」はありました。前述の『不許可
写真史』に掲載されていますが、1941年4月19日、東シナ海沿岸の海門鎮に上陸した
日本軍は、汪兆銘夫妻が『全裸』で跪き、後ろ手に縛られている等身大の像を
発見しました。

南京に建てられた像と同様に、周囲を石の柵で囲っていますが、写真からはおおよそ
4メートル四方の柵と見受けられます。もちろん壊してはいけないが、唾や痰を
吐きかけるのは良い、ていうか吐きかけろ! という為政者側と民衆の「あうんの呼吸」
が想像できます。

85 :イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2005/11/27(日) 18:45:12 ID:VqMoVQwF
1994年に『愛国教育』で南京に建てられた2人の像が、全裸かどうかは知りません。
支那事変中の像は、汪兆銘の腹のシワ(約7本)まで彫ってある、単純ですが
妙にリアルなものです。それともシュールリアリズムと言うべきか……w。

また近年になって(2003年前後?)、南京の像は撤去されたそうですが、これをもって
汪兆銘に対する共産政府の攻撃性が弱まった(再評価する向きが強まった)とするのは
早計ではないでしょうか? 自分は、諸外国に対して外聞を気にした程度だと思います。

台湾の汪兆銘に対する評価は、分かりません。前スレの異人さんが再登場されましたら
聞いてみるのがピッタリではないでしょうか?

86 :名無し三等兵:2005/11/27(日) 18:53:51 ID:OtySzO9A
汪精衛はハンサムだし、人間性でいえば
汪夫妻>>>>>>>蒋夫妻>>超えられない壁>>毛夫妻
なんですけどね。
政府をつくっちゃったのが間違いだったね。まあもっと言えば、重慶を出たのが間違い。
汪を介した重慶との和解というのが、この工作のそもそもの目的だったはずなのに、
新政府なんてつくっちゃったら、どうしたって蒋介石とは対立せざるを得ない。
殷汝耕、王克敏、梁鴻志なんかとは較べものにならん大駒だっただけに、
勿体無い使い方をしたものです。

ちなみに参本の堀場一雄は、上京してきた汪に対していきなり、
「これからすぐに重慶に帰っていただいて、改めて国民政府の全権として来ていただきたい」
と言って周りを驚かせたが、これはさすがは硬骨漢堀場といったところか。

87 :イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2005/11/27(日) 18:58:57 ID:VqMoVQwF
>>65
>>知日=親日じゃないと思いますが。

それは自分も「ツッコミ」を入れようと思っていたのですが、先を越されましたw。

おそらく自分は「知支派」にあたるのでしょうが、間違っても「親支派」では
ありませんよね。土人用語を乱発していますからw。

戦前の「支那通」も、確かに「知支派」ではあったのでしょうが、「親支派」だった
かどうかは大いに疑問です。むしろ時が経つにつれ、真逆になっていった訳です。

88 :イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2005/11/27(日) 19:15:14 ID:VqMoVQwF
>>86
全面的に大同意です。

>>汪を介した重慶との和解というのが、この工作のそもそもの目的だったはずなのに、
>>新政府なんてつくっちゃったら、どうしたって蒋介石とは対立せざるを得ない。

結局、蒋介石の重慶政府からは「日本が南京に傀儡政権をつくるために、汪兆銘を
重慶から脱出された」と宣伝に使われることにもなります。

>>「これからすぐに重慶に帰っていただいて、改めて国民政府の全権として来ていただきたい」

さすが堀場さんという所ですね。上海で汪兆銘を迎えた今井武夫大佐(参謀本部支那課長)も、
汪から南京に政府をつくる意図を聞かされて、翻意を促しますが、

「重慶を和平に転向させるためで、重慶と和平政府が合流すれば、自分は下野する」
と言って汪は聞きませんでした。

89 :イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2005/11/27(日) 19:19:49 ID:???
>>汪夫妻>>>>>>>蒋夫妻>>超えられない壁>>毛夫妻

毛夫妻としているところが、少し面白かったですw。

写真で見ると、汪兆銘は一番ハンサムです。

90 :名無し三等兵:2005/11/27(日) 20:33:33 ID:OtySzO9A
影佐大佐は、汪から中央政権樹立の決意を打ち明けられ、強い衝撃を受けますが、
汪の「崇高なる人格」に感銘を受けて、以後、この方針を推し進めます。
当初は日本が未だ占領してない四川あたりで政権をつくる計画でしたが、竜雲らが
ついてこなかった為ボツ。汪を中心に呉佩孚や白崇禧、李済深らと連携して新政府を
つくるという構想もありましたがこれもボツ。結局日本占領下の南京での政権発足と
なってしまいました。ちなみに李済深は、松本重治氏によれば
「両李(もう一人は李宗仁)は蒋の上に出る」といわれた人物だそうです。

汪は東京で天皇に拝謁した後、「私は今後日本に背くことはあっても、天皇に背くことは
ないだろう」と仲間に密語し、盗聴していた陸軍を喜ばせたそうです。
汪政府の存在はこれ以降、重慶との和平工作にもっとも大きな棘となりますが、
なまじ好漢なだけに、日本としてもこれを人情からいって切り捨てる事が出来ませんでした。

支那事変における有名な和平工作はトラウトマン工作、梅工作、桐工作の3つでしょうが、
そのほかにも、大小数限りない工作が行われてます。汪以外にも直隷派の頭領呉佩孚や
国民党の古株唐紹儀の引き出し工作が行われましたが、いずれも失敗し、唐紹儀に
至っては、土肥原の無神経な行動から、藍衣社に頭カチ割られ殺される憂き目に。

>ハンサム
自殺した香港のレスリー・チャンにちょっと似てるように思うんだが褒めすぎかな

91 :中華民国南京政府伝単:2005/11/27(日) 21:39:18 ID:???
[和平・反共・建国]

蒋介石は共産主義者や匪賊と結託し、
英米の傀儡どもとともに国民を悲惨な状態に陥れようとしている。
ああ!蒋介石はまさに狂っている!
諸君!我々は世界の大勢をすみやかに認め、
母国の平和と発展のために、協力して人々を安んじなければならない。

92 :G\(^■^ ラ 【卍】:2005/11/27(日) 21:46:06 ID:???
【卍】 ≦予 ̄>
  G\(^■^ ラ
   \ <!>+\
 ≦盲 ゙̄> ≦゙古゙≧
 (@▲@-♭ d^a^、b
/≦!≧ ̄/◎《†》※\

余は、日本を傷つけることによってヨーロッパの世界に奉仕していると
信ずる政治家たちに同意することはできない。
余は、東亞において日本人が敗北すれば、
それは決してヨーロッパまたはアメリカに何ら有益ではなく、
ひとりボルシェヴィキ・ソヴィエト・ロシアに利するに過ぎぬであろうと信じている。
余は、支那をボルシェヴィキの攻撃に抵抗し得るほど
精神的または物質的に強力だとは考えない。
しかし余は、日本の最大の勝利ですらも、ボルシェヴィキの勝利に比すると、
世界の文化と一般的平和にとって、危険は無限に少ないと信じている。

  ∠ ̄∬ゝ ∠ ̄∬ゝ ∠ ̄∬ゝ
G\(^∀^ G\(^∀^ G\(^∀^ ク
 \¶:¶±\¶:¶±\¶:¶±\

93 :イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2005/11/27(日) 21:48:13 ID:3y2Iq7bf
>>86 >>殷汝耕、王克敏、梁鴻志なんかとは較べものにならん大駒だっただけに、
>>勿体無い使い方をしたものです。

汪兆銘というと、やはり歴史に詳しくない人には『マイナーな存在』だと思います。
どれだけ『大駒』であったかを、分かり易く説明しておいた方がいいでしょう。

汪兆銘は、昔の本では「汪精衛」と書かれることもありますが、もちろん同一人物です。
重慶を脱出するとき、汪兆銘は蒋介石に匹敵する巨頭の存在で、役職でいうならば
「国民党副総裁、中央政治委員会主席、国民参政会議長」となります。

ちなみに蒋介石は「中国国民党総裁、国民政府主席、軍事委員長」です。はい、
最後の『軍事委員長』に注目してください。汪は軍事関係のポストはありませんね。
汪兆銘がいかに「大物」であったかは、次のエピソードを紹介するだけで足ります。

1925年2月24日、死に直面していた孫文の代わりに、汪兆銘はその「遺言を代筆」して
孫文に聞かせます。このとき汪兆銘は、孫文の後継者の筆頭という立場でした。

94 :イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2005/11/27(日) 21:59:34 ID:3y2Iq7bf
その遺書には、こうあります。冒頭の

「余は国民革命に力を致すことおよそ40年、その目的は中国の
 自由平等を求むるに在り」

から始まり、世界史を取った人なら誰でも知っているだろう、あの超有名な文句、

「現在、国民革命いまだ成功せず」

を含みます。ということは、『国民革命いまだ成功せず』は汪兆銘が
考えた文句なのです。代筆の遺言を聞いた孫文は「大賛成である」と答え、
死の前日の3月12日に署名をしました。

汪兆銘は、自分の代筆した「孫文の遺書」に、孫文自身が一字一句たりとも
直さなかったことを生涯の誇りとしました。

95 :名無し三等兵:2005/11/27(日) 22:00:44 ID:???
精衛は字ですね。諸葛亮と諸葛孔明みたいなもんです。

96 :イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2005/11/27(日) 22:13:29 ID:3y2Iq7bf
>>64
>>そういえば汪兆銘って形式的には孫文と国民党の後継者らしいな。
>>文人だったため実権を握り続けることができず、蒋介石に取って代わられたが。

支那では自前の軍隊を持って、初めて「一人前の政治家」だと見なされます。
汪兆銘は >>93 でも分かる通り、完全な文人だったことが災いしたのでしょう。

かなり前の『軍事研究』の中国特集に、人民解放軍の軍区を「軍閥」と見なす
ことができるという記事があったと記憶しているのですが、どこかに失くして
しまいましたw。

汪兆銘は、自前の軍隊を持たないからこそ、あちこちを転々として最終的には
日本の力を頼ることになったのです。いや、頼らざるを得なかったと言うべきか。

97 :イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2005/11/27(日) 22:49:38 ID:3y2Iq7bf
>>90 >>唐紹儀に至っては、土肥原の無神経な行動から、
>>藍衣社に頭カチ割られ殺される憂き目に。

国民政府のテロ組織である『藍衣社』は、支那事変を語る上でもたびたび登場しますね。
ちょうどいい機会なので、汪兆銘の「重慶脱出劇」もまとめてしまいたいと思います。

1938年、国民党の重慶政府では、「抗戦建国」を主張する蒋介石と「和平建国」を主張する
汪兆銘の対立が激化します。12月16日には真っ赤になって激論を交わし、取っ組み合い寸前
にまで行きます。

このまま重慶にいては命が危ないと感じた汪兆銘は、仏印の首都ハノイに脱出して
現地で和平運動をする決心をします。そして12月18日に重慶発、昆明行きの定期旅客機に
乗りました。ちなみに、この切符は汪派の交通部次長である彭学沛が手配しました。

昆明に到着した汪兆銘は、和平派の好意的同志である雲南省政府主席、竜雲に決起を
促しますが拒否されます。竜雲は、輸送機で汪兆銘をハノイに送り届けました。

98 :和平・反共・建国:2005/11/27(日) 22:52:14 ID:???
d〇メ〇b 大川周明『米英東亞侵略史』より

かつては東亞の国々をあれほど豊かにした支那文化は、
巧みに支那の統一を破る術を心得ているヨーロッパ帝国主義諸国、
なかんずくイギリスの侵入とともに、内的にも外的にも弱められて、
いに偉大なる過去の、単なる影と成り下がらんとしております。
のみならず、イギリスの巧妙なる搾取と相並んで、
今やボルシェヴィズムの暗い力が新たに支那の舞台に現れ、
衰えたる支那を共の勢力の下に置き始めたので、
支那の文化は破壊崩壊に対して、益々無抵抗に曝されるに至ったのであります。
日本は自国の文化と、支那に於いて脅かされつつある東洋文化を救うために、
あらゆる努力を続けて戦い来たれるに拘らず、
支那はかえって刃を我等に向け来ったのであります。
而して、東洋の敵たる米英と手を握り、
今なお東洋を救いつつある日本と戦い続けんとするのであります。
もとより南京政府は既に樹立せられ、汪精衛氏以下の諸氏は、
興亜の戦に於いて我等と異体同心になっておりますが、
支那国民の多数はその心の底に於いてなお蒋政権を指導者と仰ぎ、
日本の真意を覚らんともせず、かえって日本に反抗しつつあることは、
悲痛無限に存じます。



99 :イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2005/11/27(日) 23:06:28 ID:3y2Iq7bf
気が付いた蒋介石は、ハノイに国民党中央委員の谷正鼎を派遣し、汪兆銘に
重慶へ戻るよう説得します。しかし汪は頑なに拒否したため、1939年3月20日
蒋介石は汪の希望通り(パリ行きを考えた)、汪一行5人(夫人の陳壁君と
秘書など3人)のパスポートと旅費を渡しました。

しかしです。その翌日の21日夜、国民党のテロ組織である「藍衣社」の刺客
5人が、華僑別宅にいた汪を襲撃します。このとき、二階の大部屋に寝ていた秘書の
曽仲鳴が汪と間違えられて射殺されましたが、汪兆銘自身は隣室で難を逃れます。

この襲撃は、テロ組織の「藍衣社」が暴走したのか、汪兆銘を油断させて殺すために
蒋介石がわざと旅費とパスポートを渡して、翌日夜に襲撃したのか、よく分かりません。
おそらくは後者でしょう。

怒り狂った汪兆銘は、パリ行きを中止し、日本軍の未占領地域に新政府を樹立することを最初
考えました。しかし、自前の軍隊を持たない汪兆銘はそれを諦め、結局、日本軍の占領地域に
政府を設けることにします。

100 :イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2005/11/27(日) 23:28:13 ID:3y2Iq7bf
他方の日本軍は、『汪兆銘に重慶政府との和平交渉の橋渡しを依頼する』ため、
汪をハノイから救出することになりました。

この任には影佐禎昭大佐と犬養健代議士があたり、山下汽船の「北光丸」(5500トン)に
乗り込んで、4月28日、汕頭沖で汪兆銘を「北光丸」に移乗させます。

そして上海に向かう途中、初めて汪兆銘から南京に新国民政府をつくる計画を聞かされ、
両名は驚愕します。それでは、日本軍の『傀儡政権』だと誤解されるのが確実だからです。

上海で汪兆銘を迎えた、参謀本部支那課長の今井大佐が翻意を促したのは、>>88 で既述です。

そこで今井大佐は、仕方なく陸軍大臣である板垣征四郎と、参謀次長の多田駿に報告します。
ちなみに時期的には、ノモンハン事件が起こる前あたりですね。

最終的に、近衛内閣を継いだ平沼麒一郎内閣が、5月28日に東京入りした汪兆銘に対して
南京政府の設立支援を決定しました。

101 :名無し三等兵:2005/11/27(日) 23:34:45 ID:???
>>96
>>かなり前の『軍事研究』の中国特集に、人民解放軍の軍区を「軍閥」と見なす
>>ことができるという記事があったと記憶しているのですが、どこかに失くして
>>しまいましたw。

そいつは2005年4月号の軍事研究に載った藤井久氏の記事ではないですか?
タイトルもずばり『"軍閥"こそが中国軍だ』です。
この号だけ手元にあったw

102 :イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2005/11/27(日) 23:37:55 ID:3y2Iq7bf
本来であれば、>>86 さんが述べた通り、

>>ちなみに参本の堀場一雄は、上京してきた汪に対していきなり、
>>「これからすぐに重慶に帰っていただいて、改めて国民政府の全権として来ていただきたい」
>>と言って周りを驚かせたが、これはさすがは硬骨漢堀場といったところか。

が正解だったのかもしれませんが、曲がりなりにも「孫文の正当な後継者」だけあって、
人格的にも汪兆銘は『カリスマ抜群』です。その魅力に引っ張られてしまったのでしょう。

近衛内閣当時の書記官長である風見章は、回想録にこう書いています。

「汪兆銘が重慶脱出当時、近衛は汪政府をつくることは夢にも考えていなかった。
 汪の橋渡しで蒋介石政府と和平交渉が成立すればよいと期待していた」

103 :イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2005/11/27(日) 23:40:58 ID:???
>>101
そうそう、それそれ。部屋のどこかに眠っているとは思うんですが、
どこにいってしまったのでしょう……w。

やはり、支那の政治家は軍隊と直結しないとダメなのです。汪兆銘の
悲劇はそこにあったと思います。

104 :名無し三等兵:2005/11/27(日) 23:51:36 ID:???
>>103

 汪は日本向きの政治家だったんだろうな。民主主義の理念から言えば
軍閥ではない汪は理想的なのだろうが、中国では銃剣がものを言う世界なんだな。



105 :イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2005/11/27(日) 23:51:50 ID:3y2Iq7bf
こう書くと、汪兆銘が『聖人君子』で非の打ち所のない人物のように
思えてきますが、それもまた危険なのでバランスを取っておきます。

まいどまいどの『不許可写真史』に、1940年3月17日付けの写真で
「上海駅に積み上げられた汪兆銘一行の荷物」という一枚があります。

ちなみに、汪兆銘:南京政府は1940年3月30日に出来上がっています。

その写真が凄すぎて、駅のプラットフォームが全部埋まるくらいの
引越し荷物の山、山、山です。仮に10tトラックでも、10台や
20台ではきかないと思います。

写真のキャプションには、「体ひとつで重慶を脱出して来たにしては
多すぎる引越し荷物だった」と皮肉が書かれていますw。

106 :イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2005/11/27(日) 23:56:57 ID:???
釘を刺しておくと、もちろん引越しの荷物の山が、すべて汪兆銘の私物か
どうかは分かりません。

また、写真のキャプションが信用できるかどうかも別問題です。極端な話、
単なる荷物の山を「汪一行の引越し」と称しているだけかもしれないのです。

この辺は、すべて疑ってかかりましょう。

107 :名無し三等兵:2005/11/28(月) 00:21:22 ID:???
>>97
雲南省政府主席、竜雲については、以前世界史板でまるまる2スレぐらい近代の雲南スレで
論じられていましたね。
ログをなくしてしまっているので、詳細は忘れてしまっているのですが、雲南省は清末の軍閥割拠の
頃からすでに中央の支配から半独立化し、形容すれば唐末の節度使のような権限そして独自文化を
保有していたとか、そのスレでは、雲南省の支配者の変遷から国民党時代、そして毛の人民共和国の
支配で半独立状態が崩壊するまでを論じられていたのですが、おしい事をしました。
ともあれ、竜雲をたよってハノイ脱出への道を模索するのは汪兆銘の行動として利にかなってはいますね。

108 :イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2005/11/28(月) 00:33:16 ID:wl4NN46P
自分は「三国志」には全く興味がないので疎いのですが、汪兆銘が竜雲の
決起の説得に成功していれば、蜀の劉備みたいなことにはなったのでしょうか。

あ、『蒼天航路』ぐらいは読んでいますよ?(核藁)。

>>世界史板でまるまる2スレぐらい近代の雲南スレで論じられていましたね。

「近代の雲南スレ」……。凄いスレですね……w。

109 :名無し三等兵:2005/11/28(月) 02:18:36 ID:???
近代の雲南は辺境でありながら、しばしば中国近代史において大きなな役割を
果たした地域でした。袁世凱の帝政運動止めを刺した蔡鍔の挙兵地であり、17
年間の安定した当地を築いた龍雲、日中戦争での「大後方」としての役割…

龍雲は少数民族彝(イ)族出身(族名、納吉岬岬)という異色の軍閥でしたが、彼の
統治は、山西の閻錫山や広西の李宗仁とならぶ長期安定政権でした

昨年そのものズバリの歴史書である
『雲南と近代中国―“周辺”の視点から』(石島紀之著 青木書店 2004)
ttp://bookweb.kinokuniya.co.jp/htm/4250204057.html
が出版されました。この書は雲南の近代、日中戦争などの状況をかなりよくつかむ
ことが出来る本でした。あまり本ばかり紹介しても財政負担になるので心苦しい所が
ありますが…

参考
近代中国の人物の辞典として便利なのは、1100人の事跡を収録した
『近代中国人名辞典』(山田辰雄編 霞山会 1995年)
があります。ただしこれは35000円と高いのが難点です。
あと国立国会図書館も以下のようなサービスを行っております
http://www.ndl.go.jp/jp/data/theme/asia/theme_asia_31.html
既にご存知でしたら申し訳ございません

110 :( ´八`):2005/11/28(月) 02:25:22 ID:???
中国の伝統では科挙によって選ばれた官僚政治家は軍事力など持たず、自らの教養のみに
頼るのが当然だったのにのう…

汪兆銘も伝統中国なら科挙官僚として大活躍できただろうに。
こんな事になったのも悪しき西洋文化の影響によるものだろう。

111 :名無し三等兵:2005/11/28(月) 03:33:50 ID:???
雲南といえば毛沢東の長征で、エドガースノーらが、雲南の国民党支配地(竜雲の実効支配域か)で
毛沢東を待ち伏せして陣地を構築していたので迂回してこれを退ける記述があるようですが、
長征については共産党のフィクション説もあったりしてどこからがプロパガンダがどこからか真実なのか
ついでながら触れていただけませんか。

また長征は実際は無かったのなら、コミュンテルンからの都市攻撃指令の結果、大損害を蒙った軍を
どう建て直し、甘粛省の友軍と合流できたのか、それとも国民党軍の井岡山への猛攻や長砂を中心とした
フーナンら華南への度重なる討伐軍の侵入自体が実際は規模はそれほどではなかったり、コミュンテルンからの
支持によってやむなく都市攻撃に踏み切った事で消耗した事自体が出鱈目なのか、わからないのですけど、
共産党発表の解放史や長征の記述の真偽について判る方教授おねがいできますか。

112 :名無し三等兵:2005/11/28(月) 11:23:26 ID:???
【前史】
ベトナム戦争の源流は実は、コミンテルンによる日本破壊作戦にあった。
昭和7年、ソ連の支配するコミンテルンは「32年テーゼ」を発表。
日本を貶めるための大作戦を開始した。
これは、東亜細亜において、
ソ連・共産主義の侵略を食い止められる唯一の国家が日本だったからだ。
亜細亜におけるモスクワの代理人は毛沢東率いる中共だった。
昭和12年、北支の蘆溝橋において、中共の謀略によって日支事変が始まった。
毛は、日支両国を戦火に陥れることによって、10億の支那のマンパワーをもろに
我が国にぶつけ滅ぼそうとしたのだ。
しかし、日本軍の前に支那軍は連戦連敗、毛は悪名高い
「便衣兵戦法」(今で言う無差別テロ)を繰り出すも、歯が立たなかった。
昭和14年。黒幕であるソ連は、壊滅寸前にあった中共を救うべく
正規軍による侵攻を図った(ノモンハン事件)。
20万の大兵力の機甲部隊による完全な奇襲にもかかわらず、
日本の関東軍はよく耐え、逆に敵に5万の人命と8百輌以上の戦車の損害を出させて敗走させた。


113 :名無し三等兵:2005/11/28(月) 11:24:47 ID:qySE29/t
【迫り来る嵐・序章】
ここにおいてあせったモスクワは、対日本の戦線を、
支那のさらに南、インドシナに置く事にした。
モスクワの指令により、延安から2人の中共工作員が派遣された。
胡志明と武元甲の2人である。
2人ともれっきとした中国人だが、ベトナム語を堪能で、
ベトナム風の名前に変え、「ホー・チ・ミン」「ボー・グエン・ザップ」
と名乗り、ベトナム人に化けたのだ。
彼らの目的は、東南亜細亜における赤化勢力を育てること、
蒋介石への援助ルートを維持すること、
日本のみならずモスクワの邪魔になる政治勢力
(フランス、ベトナム民族主義者)を滅ぼすことであった。
彼らはコミンテルン東南亜細亜支部であるベトナム共産党(略称ベトコン)を結成、
日本が仏印進駐によって、多くのベトナム民族主義勢力を支援しても、ひたすら逆らい続けた。
大東亜共栄圏構想にのっとり、日本がベトナム帝国独立政府を復活させても、
ベトコンは逆に中共じこみの便衣兵戦法でこれに反対したのである。
あくまでベトナムに必要なのは「モスクワのロボットたるベトコン政府」だったからだ。


114 :名無し三等兵:2005/11/28(月) 11:26:17 ID:qySE29/t
【迫り来る嵐・間接侵略の章】
昭和20年。日本が敗戦。
しかし、日本が亜細亜各地に播いた「独立の種」は、
インドネシア、マレー、ビルマ、フィリピン、インドと少しずつ育っていた。
ここベトナムにおいても、宗主国フランスは、ベトナム帝国政府を無視できなかった。
これを気に入らないのがモスクワ、中共だ。
ベトコンに指令が下った。大日本帝国無き今、拠点を築くチャンスだ!
得意の便衣兵戦法でフランス、ベトナム両軍を苦しめる。
しかも、悪いことは重なるもので、昭和24年、中共がついに大陸を赤化。
余裕ができたため、朝鮮と同様に大量の中共義勇軍を派遣してきた。
この中共兵による人海戦術により、昭和29年、仏軍ディエンビエンフー基地が
陥落、仏軍の撤退が決まった。


115 :名無し三等兵:2005/11/28(月) 11:27:14 ID:qySE29/t
【謀略の章】
仏軍の撤退によって、ベトナムにはサイゴンのベトナム共和国政府、
ハノイのベトコン政府の2つの政府が並び立つことになった。
ハノイは国内で独裁政治を実施。宗教を禁止、秘密警察が国民を監視、
経済は共産主義化され多くの人が粛清された。
各地には胡の巨大な銅像や記念物が大量に建てられ、個人崇拝が強要され、
「ホーチミンはベトナム人。
20代のころから北部の山のジャングルで抵抗活動をしていた」との宣伝がされた。
一方、共和国政府統治下の南部には、
北の圧制を逃れて大量の難民が流入してきた。
この混乱をハノイが見逃すはずは無い。
ハノイにはソ連・中共から大量の兵器と、
両国正規軍からの兵員を受け取り、近代的な軍隊をつくるとともに、
南部ベトナム武力併合・赤化のための指令が下った。
すなわち。
第1段階・難民に化けた破壊工作員を南部に潜入させ、
無差別テロを実施。社会インフラを破壊し社会不安を煽る。
第2段階・スペツナズ部隊を派遣、共和国政府の要人を暗殺、政治混乱をつくる。
第3段階・ソ連・中共の大部隊がベトコン正規軍の制服を着て一気に南下。武力占領する。


116 :名無し三等兵:2005/11/28(月) 11:28:33 ID:qySE29/t
【地獄の戦場の章】
この計画にもとづき、南ベトナムでは連日爆弾テロが発生、
ガス、水道、電気、電話などインフラをはかいされたほか、
国会議員、医者や教師などインテリも無差別に暗殺された。
共和国政府はついに、米国と相互援助協定を結び、
軍事顧問を招くなど対テロ戦争に乗り出した。
米国の支援・参加によって、モスクワの計画は多いに狂った。
あせった彼らはそこで米兵や施設に対する無差別テロに乗り出した。
テロに屈しない米国は、逆にテロの策源地である北ベトナムを爆撃、
スカイホークやイントルーダー、B52が次々ベトコン基地を破壊した。
ファントム戦闘機はミグをバタバタ叩き落した
陸軍、海兵隊やグリーンベレー、シールズは、
麻薬で感覚を麻痺させる自爆便衣兵や、侵入してくる共産側正規兵を次々倒した。
そこで、ボーは一大反撃作戦「テト攻勢」を発動。
昭和43年1月の正月、南部の各都市に総攻撃をかけたが、
防衛の意思の硬いベトナム共和国、米両軍に大敗北をした。


117 :名無し三等兵:2005/11/28(月) 11:29:51 ID:qySE29/t
【獅子身中の虫章】
この大敗北にあせったモスクワはそこで、宣伝戦に乗り出した。
日米両国のブサヨク、プロ市民、マスゴミに工作資金を渡し、
いわゆる「反戦活動」をさせたのだ。
マスゴミは、米軍が「無差別爆撃」「虐殺」「強姦」「略奪」「侵略」
をしていると宣伝、一方、テロリストや共産兵士のことを、
残虐行為を一切しない「天使」のように宣伝した。
(諸君はどこかでデジャピュを感じないだろうか。
そう。日教組の自虐歴史教科書と同じ手口である)
プロ市民は毎日毎日デモをし、
脱走させた米兵をソ連のスパイに引き渡して洗脳させたりした。
米国では国の為に戦って帰還兵士が空港でデモ隊から腐った卵をなげつけられ「ベイビー・キラー」とののしられた。
日教組教育によって育てられ、日教組の圧力によって大学に優先入学したブサヨ学生たちは、
鉄パイプを振りまわしたり火炎瓶を投げたりピース缶爆弾や腹腹時計(時限爆弾のこと)で爆弾テロをしたり、
ベトコンばりのテロをして社会を不安に陥れた。


118 :名無し三等兵:2005/11/28(月) 11:30:50 ID:qySE29/t
【崩壊の章】
結局、自由民主主義陣営である米国や日本、ベトナム共和国では、
言論の自由が保障されスパイ防止法も無いために、
ブサヨクの工作で自由に国の足をひっぱる反戦活動ができ、
選挙権が保障されているために、軍事の素人(イージス艦からB52が飛んでいるwというような議員)
が国策に介入できるという弱点があったのだ。
国の悪口をいうだけで秘密警察に拉致・粛清される共産主義国は、
このような心配をする必要は無かった。
「ノイジー・マイノリティー」の声によって米国は撤退。
ソ連・中共の強大な軍事力を持つベトコン・ハノイは昭和50年、
大戦車部隊をもって南を侵略して「統一」した。
勿論、その後には、ポルポトのような大虐殺、強制収容所、何百万人もが殺され、
さらに何百万人もがボートピープルとして自由世界に脱出するという悲劇があったのであるが…

この一文を、自由の為に報われない戦いを戦った愛国兵士と、
共産主義に殺戮されたすべての人々に捧げたい。


119 :名無し三等兵:2005/11/28(月) 12:35:52 ID:???
>>112-118

>>76
>>ここは割に地道な事項について知識を蓄積するスレなので、
>>露骨な政治的宣伝・コピペはご遠慮くださいませ。

コピペを貼るのはおやめ下さい
ベトナム戦争スレに全く同じ文書が掲載されております


120 :名無し三等兵:2005/11/28(月) 13:00:26 ID:???
ここまで出鱈目書かれるとある意味清々しいな。

ああ、勿論褒めてないからな。

121 :名無し三等兵:2005/11/28(月) 13:11:00 ID:eEA0C0zr
あそこはブサヨの巣なんでこっちに転載しtだけ

>>120
ソースは?

122 :えICBM:2005/11/28(月) 13:19:42 ID:???
では、ここは、電波の巣?

123 :名無し三等兵:2005/11/28(月) 13:33:34 ID:???
日中戦スレでベトナム戦争はちと飛躍しすぎでは。

124 :名無し三等兵:2005/11/28(月) 13:53:24 ID:???
>>122
ひさしぶり。また軍板にきたんですね。
ここは電波を除くと軍板にもめずらしい知識蓄積系スレでございます。

125 :109:2005/11/28(月) 16:31:58 ID:???
世界史板に問い合わせたところ、今軍閥関連で残っているログはこれだけだそうです。

途中で切れていますが、参考にどうぞ。

中華民国期の軍閥を語ろう!
http://mentai.2ch.net/whis/kako/1004/10041/1004108800.html


126 :名無し三等兵:2005/11/28(月) 19:31:56 ID:???
現在進行形の関連スレ
★中華民国期の革命勢力★
http://academy4.2ch.net/test/read.cgi/whis/1016898626/

日本軍関係はこちら
軍人軍閥総合スレ
http://academy4.2ch.net/test/read.cgi/history/1093003670/
「多岐」太平洋戦争直前の超大物「亡羊」
http://academy4.2ch.net/test/read.cgi/history/1086608688/

127 :イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2005/11/28(月) 21:53:56 ID:b8bVD/7+
>>109
>>あまり本ばかり紹介しても財政負担になるので心苦しい所がありますが…

いえいえ。このスレを続けていますと、自分の知らなかった良書がポンポン
紹介していただけるので大変勉強になります。

ただ、自分は2000円の本を買うのにも躊躇する財政事情なので、まとまった
お金が入ったら購入を検討させていただきます。普段は、山上憶良の『貧窮問答歌』を
歌っていますので……。それにボーナスは、年末の29日30日に回さないといけません(藁)。

>>125 >>中華民国期の軍閥を語ろう!

これはいいものを紹介していただきました。週末にでもまとめて拝読させて
いただきます。

128 :イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2005/11/28(月) 22:27:17 ID:b8bVD/7+
この世は「ギブ・アンド・テイク」なので、自分も推薦図書を挙げさせて
いただきます。もちろん取って置きの『シード』(種本)です。自分で言うのも
何ですが、「デストロイ・ガンダム」級ですから、かなり強力なものですw。

●『昭和陸軍秘史』『昭和海軍秘史』(中村菊男編、番町書房:昭和43/44年刊)

あまたの陸将・海将に対する「戦後インタビュー」をまとめたものです。その価値は、
インタビューに登場する人物の名前を挙げるだけで十分でしょう。

【昭和陸軍秘史】◎岡村寧次◎馬奈木敬信◎鈴木貞一◎堀毛一麿◎今井武夫◎有末精三
◎辰巳栄一◎綾部橘樹◎稲田正純◎永井八津次◎遠藤悦◎原四郎◎甲谷悦雄◎吉橋戒三

【昭和海軍秘史】
◎野村直邦◎富岡定俊◎大野竹二◎横山一郎◎秋重実恵◎谷恵吉郎◎高木惣吉◎福留繁
◎大井篤◎寺岡謹平◎福田良三◎高田利種◎長谷川清

129 :イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2005/11/28(月) 22:41:26 ID:b8bVD/7+
あえて「階級と肩書き」は明記しませんでした。インタビュー内容と最終階級が
一致しませんので、書くだけ紛らわしくなると思ったからです。

また名前を見ただけで「その価値がパッと分からない」人には、お勧めしません。
何故なら非常にクセのある本だからです。故にデストロイ・ガンダムなのですw。

まずインタビュアーの中村菊男氏からは、独善的な左翼の臭いがプンプンする質問
内容です。また「誘導尋問」くさいです。著書に『天皇制ファシズム論』がありますw。

そして答える側も、意図的にはぐらかしたり、話を伏せたり、誤魔化している
箇所が散見します。それについて編者はまったく補足していませんw。

「テープ起こし」したものを、そのまま会話口調でまとめたような内容なので、
ある意味「生の雰囲気」がよく伝わってきますが、読む側にも高いレベルが
要求される本です。

130 ::2005/11/28(月) 22:51:32 ID:vHdrgA40
{台湾の汪兆銘に対する評価}
我過幾天會找一些資料 並且翻譯一下 不過依據台灣的中華民國政府發布的史書 是將汪精衛定位為{叛國者}
I will find some data several days latter.
And try to translate it, but according to the history in Republic of China.The location of 汪精衛
is a traitor.
但是也有一種説法 認為汪精衛 和中正{介石} 是合作{抗日}
Now some people think that 汪精衛 and 介石 were cooperated to resist Axis.

對不起 最近課業繁忙 比較沒時間上來


131 :イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2005/11/28(月) 22:55:34 ID:b8bVD/7+
何が凄いって、インタビューに答える側は記憶で喋っていますから、
人物の役職や日時に勘違いがある訳です。

それについて何も訂正されていませんw。

ですから同じテーマなのに、インタビューされる人によって、登場人物が
第1部長だったり第2部長だったりしています(藁)。

ですから、非常に読み手を選ぶ「中級者・上級者向け」の本ですね。我こそは
と思う人はぜひどうぞ。そこさえ目をつぶれば、宝の山であることは保証します。

132 :名無し三等兵:2005/11/28(月) 23:01:11 ID:CGvjVEBA
>>130
Welcome, 唯san.
I want to ask you again.
What do Taiwanese think about 戴笠 ?
Is he famous and popular ?

best regards

133 :イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2005/11/28(月) 23:25:44 ID:b8bVD/7+
>>60 >>でも日中戦争が起こると蒋介石は日本軍から逃げ回っているばかりだけど、
>>もし対米戦が無かった場合どうするつもりだったんだろう?

太平洋戦争が始まってからの話になりますが、参考までに。

1942年夏、支那派遣軍総司令官の畑俊六大将は「重慶・成都」に進攻する
『五号作戦』を大本営陸軍部に上申します。

大本営は「南方攻略作戦」がほぼ計画どおり達成できる見通しが付いたので、
1942年9月4日、杉山参謀総長は正式に支那派遣軍へ「五号作戦」の準備を命じました。

詳細は割愛しますが、この『重慶占領作戦』の規模は、南方作戦を上回るものと言ったら
その『巨大さ』が分かるでしょう。

前フリが長くなりましたが、もし重慶そして成都が日本軍に占領されたら、昆明まで退いても
抗日を続けると蒋介石は言っていましたから、その通りになるのではないでしょうか?

134 ::2005/11/28(月) 23:28:06 ID:vHdrgA40
戴笠是在第二次大戰之中.中國的一位情報戰專家
戴笠is an expert of intelligence in China while 1930~1946
在台灣研究第二次世界大戰的人
In Taiwan the people who research WW2
稱呼他為{中國現代化軍事情報系統創始者}的「軍統局」局長戴笠
called him {The man who set up the modernize of intelligence in China}
我明天給?回覆?
May I reply to you tomorrow ?
目前我的資料不足
Now I do not have enough data,sorry.

135 :名無し三等兵:2005/11/28(月) 23:38:01 ID:CGvjVEBA
>>134
Thanks
I'm interested in him for a long time.

>May I reply to you tomorrow ?
>Now I do not have enough data,sorry.

OK OK No problem. 'cos I' go to bed today.

136 :イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2005/11/28(月) 23:41:33 ID:b8bVD/7+
地図を見ていただければ一目瞭然ですが、昆明は重慶から長江をさらに
さかのぼった場所にあります。ただ、長江から「かなり内陸にある」のが
大きなネックになります。

昆明を除くと、まさか蘭州には行かないでしょう。黄河に接している都市ですから、
重慶からまったく離れた場所になります。それこそ、国民党版「長征」が必要ですw。

無理やりな可能性としては、重慶が占領されてまず北方の成都に移り、さらに成都が
占領されたら、北方の蘭州に移るというパターンが考えられなくもないです。しかし
長江を遡って、そのまま昆明に退くと考えた方が自然でしょう。

>>109 さんから昆明の歴史のお話を詳しく聞くと、可能性があるような全く無いような、
訳が分からなくなりましたw。

137 :えICBM:2005/11/28(月) 23:49:45 ID:???
つまり蒋介石には重慶の後の選択肢が複数あるわけだ。
大陸恐るべしだな。

138 :イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2005/11/29(火) 00:00:05 ID:b8bVD/7+
繰り返しますが、『五号作戦』(重慶・成都占領作戦)の規模は
太平洋戦争初頭の南方作戦さえも上回ります。

史実では、ガダルカナルの戦況が悪化するに従って、参加予定部隊が
南方に引き抜かれて中止になりました。何にせよ、日本の国力の限界を
超えているのではないでしょうか。え、そうでもない?w

ただ面白いことを想像すると、昆明は仏領インドシナの「すぐ真北」に
あります。すると、日本が仏領インドシナを占領してしまうと、今度こそ
蒋介石の逃げ場はなくなってしまうのです。それこそ蘭州にでも行かない
限りです。

しかし仏領インドシナを占領した時点で、石油の禁輸など、対米開戦は
避けられなくなるでしょうから、結局、史実の通りになるのかもしれませんw。

139 :イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2005/11/29(火) 00:08:34 ID:b8bVD/7+
また重慶を占領しても、毛沢東が「大笑い」するだけかもしれませんw。

しかし、『一号作戦』(大陸打通作戦)と『五号作戦』を混同している
人が多いと思うのは自分だけでしょうか?

一号作戦は、重慶なんて行きませんよ?w

140 :名無し三等兵:2005/11/29(火) 00:18:25 ID:???
もろ心臓の複数性だなぁ


141 :イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2005/11/29(火) 00:19:07 ID:???
>>137
>>つまり蒋介石には重慶の後の選択肢が複数あるわけだ。
>>大陸恐るべしだな。

結局、日本は海岸から内陸に向けて進撃する形を取りましたから、
どうしようもない訳です。

抗日戦後、支那共産党は国民党を、内陸から海に追い落とした実例がありますから、
日本もやりようによっては全く可能性が無かった訳でもありません。

まあ、でも共産党は国民党の部隊を丸ごと寝返らせるパターンが多かったから
同じように語ることはできませんかね。

まるでオセロです。白が黒にパタパタと変わっていく……。

142 :名無し三等兵:2005/11/29(火) 00:54:51 ID:???
>国民党の部隊を丸ごと寝返らせるパターン
一応、日本もやったみたいだけど、上手く行かなかった模様。
日本は中華の劣等性だから、大陸のやり方が上手く行かないのも当然と言える。
ぶっちゃけ、人だけ降伏させてもねぇ…支那人じゃ戦力どころか、再び寝返って寝首をかかれかねない。


143 :名無し三等兵:2005/11/29(火) 03:46:36 ID:???
スルーされているが、共産党の長征って実在していたのかな?
エドガースノーは今でいう中国と朝日の関係だろうし、その辺きちんと知りたいな。

144 :名無し三等兵:2005/11/29(火) 05:32:34 ID:???
>>142
装備と情報も持ってかれますな。

145 :名無し三等兵:2005/11/29(火) 11:30:37 ID:???
日中戦争に対する新華社の歴史観(共産党が抗日を主導)に中国全土からネット上で抗議や疑問が殺到
でも即言論弾圧開始で削除連発
逮捕者が出ないだけマシか…

146 :名無し三等兵:2005/11/29(火) 12:49:38 ID:???
≫143
エドガースノーと言うと
戦後、中共の宣伝映画を持って日本やら各地で上映して回ったりしてたな…確か…

147 :名無し三等兵:2005/11/29(火) 16:48:58 ID:???
■■■あと3回逮捕される?西村眞悟■■■

■まず弁護士法違反(非弁提携)

■次に組織犯罪処罰法(犯罪利益の授受)で、再逮捕だろ。

■次に所得税法違反(過少申告)で再々逮捕とくるだろ。

さて、求刑は〆ていかほどになりますかいな?

■さらに政治活動に使ったって西村が言っているので、
政治資金規正法で 再々々逮捕だな。

■■■4回4ヶ月はまわせるな。■■■

で、被害者の1人でも、弁護士報酬が高い、ってことで被害届を出してもらえば
業務上横領罪で 再々々々逮捕。
これは懲役10年だから、結構重くなる。

■弁護士法違反(非弁提携)
http://it.nikkei.co.jp/business/news/index.aspx?i=20051125aa002aa
■組織犯罪処罰法
http://news.goo.ne.jp/news/kyodo/shakai/20051126/20051126a4350.html


148 :名無し三等兵:2005/11/29(火) 17:29:28 ID:???
ソールズベリーの『長征―語られざる真実』も面白いよ。
最後の章で人民共和国建国後が扱われているが、長征の同志達が文革で次々と
悲惨な最期を遂げていく記述はまさに中国王朝物語で実に感慨深い。

149 ::2005/11/29(火) 23:29:22 ID:YkcpKXpZ
先發布參考資料:{間諜王 戴笠與中國特工}
Reference material:{Spymaster Dai li and the Chinese Secret Service}
作者: Frederic Wakeman Jr.
writer: Frederic Wakeman Jr.
請給我一點時間翻譯...今天電腦有些問題
Please give me some time to translate , today I have some trouble in my computer

150 :イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2005/11/30(水) 00:42:56 ID:iAsmJMXE
>>143 >>スルーされているが、共産党の長征って実在していたのかな?
>>エドガースノーは今でいう中国と朝日の関係だろうし、その辺きちんと知りたいな。

自分は「極右」(ウルトラ・ライトウィンガー)なので、正直に言うと共産党のことは
あまり詳しくないのですw。なので、詳しい方がいたらお任せします。

>>142 >>一応、日本もやったみたいだけど、上手く行かなかった模様。

例外的には1941年2月末、1万人以上の国民党軍が自主的に投降してきた
ケースがあります。先述した「国民党VS共産党」の後にあたります。

投降してきた先は、日本の第13軍(上海)です。日本軍は、これを『帰順』(心を
悔い改め、服従すること)とみなし、武器・弾薬を与えた上で再び中共軍と戦わせました。

日本軍は、国民党軍よりも共産軍を嫌っていましたので、上記のようなことが
起こりうる訳です。

151 :名無し三等兵:2005/11/30(水) 00:54:18 ID:???
>>148
ソールズベリは一応公正さを保とうとする努力はしているからな。

ただ個人的には「攻防900日」の方を…

152 :イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2005/11/30(水) 01:03:43 ID:iAsmJMXE
>>60 >>蒋介石が何を考えていたのかもうひとつみえてこないが、ソ連に子息の
>>蒋経国を派遣したのは、対米戦以前はソ連を頼んだ対日戦略を考えていた
>>可能性ってありえる?

それは、もちろんあるでしょう。1941年4月に『日ソ中立条約』が結ばれた事で
蒋介石は大きな衝撃を受けました。

イタリアの総領事が重慶から日本に引き揚げて来たとき、日本の軍人に対して

「蒋介石は、軍事的には何ひとつ日本の脅威を受けていないが、日ソ中立条約が
 できたことだけは非常にショックを受けている」

と語っています。また、蒋介石が書いた『中国の中のソ連』によると、ソ連は
「日ソ中立条約」を結ぶと重慶援助をストップしてしまった、と不信の声を
上げていました。

153 :イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2005/11/30(水) 01:29:50 ID:iAsmJMXE
ソ連からの重慶援助を「北西ルート」と呼びますが、「月に500トン」程度の
ものでした。それでも無線で調査すると、絶えず何十台ものトラックが出入りして
いたようです。ちなみに日本軍がもっとも警戒したのが、E16戦闘機の動きです。

あまり強調されませんが、日ソ中立条約を締結した目的は、ソ連の「対蒋援助」を
外交的に止めさせるのが大きい訳です。

しかし「北西ルート」などというのは、本当に微々たる数字です。1940年になると
「仏印ルート」は、雲南鉄道経由のものだけでも月に1万5千トン、「ビルマルート」は
月に8千トン〜1万トンです。

文字通りケタが違います。そして対蒋援助のために、南進政策が打ち出されることに
なるのです。1940年7月のことです。

154 :名無し三等兵:2005/11/30(水) 23:21:46 ID:???
汪兆銘は孫文のような理想主義を掲げていたのでしょうか
孫文は軍人ではなく政治家というか理念の指導者っぽい人のようですが
蒋介石は軍学校の校長?に過ぎないのに
なぜ後継が蒋介石だったんだろう?
蒋介石以後の国民党に3民主儀のような崇高な理想はあったのでしょうか



155 :イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2005/11/30(水) 23:22:02 ID:eC4q5ejS
>>前スレ763
>>憲兵隊っていちおう関東軍にもいたんですよね。
>>機能しなかったのか。

その答えは、「支那通」のひとりである今井武夫のエピソードを紹介するだけで
充分でしょう。ちなみに今井の最終階級と役職は「少将・支那派遣軍総参謀副長
および中国大使館付武官」です。

満州事変当時(1931年9月18日)、今井は大尉で参謀本部の支那課に所属していました。

事変後、関東軍との意思疎通を円滑にするため「中央連絡班」が組織され、
9月28日に中央省部から奉天へ派遣されます。

班長は参謀本部第二部長の橋本虎之助少将で、随員は陸軍省軍事課から西原一策少佐、
参謀本部作戦課から遠藤三郎少佐、そして今井武夫大尉も支那課からの派遣として
末端にその名を連ねました。

156 :イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2005/11/30(水) 23:46:24 ID:eC4q5ejS
橋本少将ら「中央連絡班」の一行は、奉天へ着いてすぐに「瀋陽館」という日本式旅館に
案内され、その応接室で「関東軍の上層部」と最初の面談を果たします。やって来た
関東軍のメンバーは以下の通り。

●三宅光治関東軍参謀長 ●板垣征四郎高級参謀 ●石原莞爾作戦参謀 ●片倉衷大尉
●土肥原賢二大佐 ●竹下参謀など

冒頭から会見は険悪な雰囲気から始まり、「こんにちは」「ご苦労様です」など
挨拶を交わすことなく、いきなり「貴官らはいかなる任務で来たか?」と関東軍から
任務の追求を受けます。

橋本少将が2,3質問に答えると、ほんの5、6分間で会談は終わり、関東軍の面々は
みな立ち上がってドカドカと部屋を出ていく訳ですね。

もちろん、これが初対面という訳ではなく全員顔見知りの関係です。この異様な雰囲気に
中央連絡班の4人は呆気に取られてしまいます。

157 :イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2005/11/30(水) 23:55:22 ID:eC4q5ejS
あまりに異様なので今井武夫大尉は、ちょうど自分の前を通り過ぎていく
石原莞爾中佐に挨拶をしました。

今井の陸軍大学校時代、石原莞爾は「戦史の教官」だったのです。今井が、

「石原教官、しばらくぶりです。ご苦労様です」と声をかけたところ、石原の答えは

「君によく言っとくが、君たちが何をしても僕らにはよく分かるよ。いつも
 憲兵5、6人が君らを尾行しているから、そう思え」

と今井に向かって言うのではなく、全員に聞こえるように大声で話すのです。

158 :イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2005/12/01(木) 00:00:02 ID:eC4q5ejS
上記で分かる通り、質問の答えは以下のようになります。

関東軍に憲兵はいましたが、それは「関東軍が支配する憲兵」です。

決して「関東軍を取り締まる憲兵」ではありませんw。

159 :前スレ32:2005/12/01(木) 00:09:31 ID:???
>>158
このとき石原に平気でくってかかったのが、
東條英機に重用された昭和陸軍で最高の異端児遠藤三郎だったとか。
この人、意外に石原とも仲が良かったらしい。

160 :イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2005/12/01(木) 00:13:56 ID:zWQn4TDP
>>154
>>なぜ後継が蒋介石だったんだろう?

>>50>>97 前後を読んでくださいw。

161 :イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2005/12/01(木) 23:09:56 ID:IUUAYBI0
>>前スレ761 >>これが本当だとすると、関東軍を規律粛正する
>>組織を持たなかったことが日本の失敗だと言うことになりますね。

満州事変(1931年)の翌年の秋に、関東軍の参謀が「総変わり」しています。
やはり、石原と板垣は「やり過ぎた」ということでしょう。

ここで注目すべきは、中央省部からの統制を強化するために、関東軍を
『大関東軍』に拡大強化したことです。逆転の発想ですね。小組織だからこそ
佐官級の参謀に振り回されてしまう。もっと「重鎮級」をトップに据えようという事です。

それまで『関東軍司令官、関東庁長官、奉天総領事』と軍事、内務、外務が
バラバラに分かれていたものを1つに統合したのです。ちなみに奉天総領事は
外交官にとっても相当高い地位を占めていました。錦州や安東の領事を統括しますからね。

すなわち関東軍司令官は「関東庁長官」と「満州国全権大使」を兼務し、
三位一体の権力を握る組織改革を行なった訳です。

162 :イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2005/12/01(木) 23:32:24 ID:IUUAYBI0
金谷範三と参謀総長の座を争って敗れた武藤信義大将が『大関東軍司令官』に
就任し、陸軍次官だった小磯国昭が関東軍参謀長に、陸軍省人事局補任課長だった
岡村寧次が参謀副長に就任しました。

関東軍が大きくなったと同時に、それまでの先任者よりも「大物」を持ってきた
訳です。これにより中堅佐官の暴走を食い止めようという狙いです。ちなみに
『大関東軍』は自分の造語で、以後も正式名称は関東軍ですw。

武藤信義大将は非常に温厚な人間で、少なくとも武藤が関東軍の司令官の座に
ついている内は、関東軍が中央のコントロールと不一致になることはありませんでした。

ちなみに武藤が満州で病死した時、右派から邪魔者扱いとなって『毒殺』されたのでは
ないかと内地で噂が流れました。この一事を取ってみても、武藤が暴走からは縁遠い存在
であったことが分かるでしょう。

163 :イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2005/12/01(木) 23:49:24 ID:IUUAYBI0
小磯国昭(関東軍参謀長)と岡村寧次(参謀副長)は、武藤司令官の
『毒殺』の噂を打ち消すために躍起となりました。

そのため武藤元帥(熱河作戦後に進級)の遺体を解剖し、患部を
「アルコール漬け」にして日本に送っています。

ちなみに武藤元帥の死因は「腸チフス」の後遺症です。関東軍の司令官に
なる前に、重い腸チフスを患って危篤状態に陥ったことがあるのです。

一説には「出先の湯崗子でアイスクリームの食べ過ぎで死んだ」と
シャレにならない噂も流れています。いやはや、徳川家康が天ぷらの
食べ過ぎ(食中毒)で死んだという『伝説』に匹敵しますw

164 :イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2005/12/02(金) 00:09:35 ID:CAbSDTPE
武藤信義は1933年に亡くなりますが、そのころ満州国の執政だった溥儀の
信頼は厚いものがありました。

武藤元帥は月に一度の割合で溥儀のところを訪れ、指導的な話をして
いました。武藤の葬儀のとき、執政の溥儀は

「自分の最も信頼する師父を失って哀痛極まりない」

と弔詞を読んで涙を流しました。しかし、東京裁判やその後の著書を見ると
あの体たらくですw。自己保存の極地と言うべきでしょう。

ちなみに満州事変が起こり満州国が作られたのも、溥儀が一役買っています。

その理由は簡単なもので、溥儀がどこかの自治政府のごとく「委員長」といった
地位では世間的にも不味いですよね? どうしても国にする必要があった訳です。

165 :名無し三等兵:2005/12/02(金) 00:20:36 ID:IC92lj9F
やはり現職関東軍司令官のまま病死した畑英太郎大将にも毒殺説はありました。
弟の俊六によると、中には石原ら急進派の関東軍参謀がやったのではないかと
言う人もいたとか。まあ実際は大酒飲みの高血圧が原因だったようですが。
俊六元帥は、このとき参謀長だった三宅光治の補佐の至らなさを日記で詰ってます。
しかしその一方、獄中の南大将の姿に兄を重ね、兄はあの時死んで良かった、
もし生きていたら陸相は勿論首相になった可能性もあり、南大将のように70を越えて
獄中生活を送ることになったかもしれない、と自らを慰めてます。

まあともかく、武藤小磯体制で、石原の抱いていた構想は崩れてしまったとは、
多くの協和会系の人たちの言うところです。

ちなみに武藤元帥は教導団から陸士にいったため、二等兵から元帥大将まで昇進という
珍しい軍歴の持ち主です。本来は士官候補生の1期生で宇垣白川らと同期になるはずでしたが、
丁度陸士の改編期で試験科目が変更となった事から、独学で受験に備えていた彼は
1年受験を見送りました。するとその翌年には腸チフスに罹り、またしても受験できず。
結局第3期生として入校しました。その後陸大は首席。情報畑を歩み、対露諜報戦に
従事したことは石光真清の手記にも出てますね。

さらに余談。白川義則も武藤と同じく教導団の出ですが、この二人、どちらも教導団の
入団検査で、身体的理由から落されかけました。白川は身長、武藤は偏平足。
二人とも必死に訴え、試験官の温情からなんとか入団を認められました。
二人とも当時実家は貧乏のどん底でしたから、文字通り必死だったんでしょう。
白川は教導団では工兵だった関係から製図がうまく、陸士時代、不器用な宇垣は
白川の捨てた図をゴミ箱から拾って提出してたとか。

余談の余談。落魄した白川家の隣に、背の高い長州出身の書生が住んでおりました。
白川家の方にゴミを掃き飛ばしたり、垣根越しに柿を叩き落したりと乱暴な書生だったそうな。
この人物はやはり教導団から陸軍に入り首相にまでなりました。白川はこの人物の
内閣に陸相として入閣し、そのとき初めて、昔となりに住んでたことを話したそうです。

166 :イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2005/12/02(金) 00:56:53 ID:CAbSDTPE
>>この二人、どちらも教導団の入団検査で、身体的理由から落されかけました。
>>白川は身長、武藤は偏平足。二人とも必死に訴え、試験官の温情からなんとか
>>入団を認められました。二人とも当時実家は貧乏のどん底でしたから、
>>文字通り必死だったんでしょう。

海軍大将の山本英輔も「身長不足」で海軍兵学校を落とされかけましたね。

しかし山本英輔は、あの山本権兵衛の「甥っ子」です。身長検査の際に
権兵衛が側に来て、検査官に「すぐ育つよ」とひと言呟いたために
即合格となりました。

上記2名とひどい違いですw。

167 :名無し三等兵:2005/12/02(金) 01:08:05 ID:???
>>165
>背の高い長州出身の書生
田中義一?昭和帝に怒られてショックで死んじゃった人だよね、カワイソス。
河本を軍法会議に掛けるのに反対したのは、確か白川だったはず。一体、何の意図で…

168 ::2005/12/02(金) 03:27:12 ID:M3vV1fc7
對不起?...最近台灣要選舉{12/3/2005}我又是政黨黨員[KMT]
Sorry ...There will be a election in Taiwan. And I am a party member..
所以等到選舉完畢之後 我會回答之前132的問題
After this election over I will answer the question of 132

169 :132:2005/12/02(金) 21:21:12 ID:D53O60D6
>>168
I see. I am looking forward to.

170 :イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2005/12/03(土) 03:21:30 ID:cwzN4cTU
>>167
>>河本を軍法会議に掛けるのに反対したのは、確か白川だったはず。一体、何の意図で…

まあ、>>165 を素直に読めば、田中義一への「意趣返し」ということになりますかねw。
もちろん実際は違います。処分までを簡潔にまとめると、以下の通り。

白川陸軍大臣は当初、「軍法会議」による処罰に同意しています。しかし、その後で
部下である杉山元・軍務局長以下の、強い抵抗を受けたのです。

また、当時の参謀総長・鈴木荘六以下が猛然と反対しています。当時の参謀本部は、

「張作霖を爆殺したことは、褒められこそすれ、処罰するとはもってのほかだ」

という見解でした。まさに暴論ですが、白川陸軍大臣はそれを抑え切れなかったのです。
それだけでなく、白川は「陸相辞任」の鬼札をチラつかせ、田中首相を脅すようになりました。
これに対して田中は、白川を処分すれば「内閣総辞職」に繋がりますので手出しができません。

171 :イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2005/12/03(土) 03:57:38 ID:cwzN4cTU
政界に目を移しますと、張作霖爆殺事件(1928年6月)が起きる前の総選挙(同年2月)で
議会は大混戦に陥っています。

田中首相率いる与党の「政友会」の議席が217、野党の「民政党」が216
と驚くべきことに、「僅か1議席差」でしのぎを削っていたのです。

そこに「満州某重大事件」が倒閣のタネとして降って湧いた訳ですから、その
混乱は推して知るべしです。翌1929年1月の「第56議会」の衆議院で、民政党は
中野正剛、永井柳太郎を中心にして、猛然と田中内閣の責任を追及します。

田中首相は、「目下調査中」の一点張りで苦しい立場に追い込まれました。このような
内閣、軍部、議会の責任追及を巡るごった煮の中、1929年7月1日にようやく陸軍省から
『行政処分』がくだされました。もちろん、軍法会議は開かれませんでした。

処分内容はどこかで既述しましたが、関東軍司令官の村岡長太郎中将が予備役編入、
河本大作大佐が停職の後に予備役編入、などです。

172 :イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2005/12/03(土) 04:23:03 ID:cwzN4cTU
田中首相は結局、軍法会議を開くことが出来ずに「行政処分」でお茶を濁すことと
なった訳ですが、これが昭和天皇の逆鱗に触れたのはご存知の通りです。

いきなり、政友会と民政党の名前が出て来て、面食らった人もいるかもしれません。

政友会は「野人」の党と言われていましたから自民党、民政党は今の民主党みたいな
ものだと考えていただければ、理解が早いかもしれません。

173 :名無し三等兵:2005/12/04(日) 03:24:20 ID:???


  ま た 杉 山 か 


いや、この出発点があったからこそ、その後の杉山は在ったという訳か。


174 :イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2005/12/04(日) 17:23:45 ID:xwpWJc9P
機会があったら「杉山元研究」でもやるべきですかね。

満州事変では既に「陸軍次官」、2.26事件で「参謀次長(閑院宮が参謀総長なので、
実質的な.1)」、粛軍人事の過程で「教育総監」、盧溝橋事件で「陸軍大臣」、
太平洋戦争で「参謀総長」、戦争末期に短期間ながら再び「教育総監」「陸軍大臣」を
勤めた『異常な存在』です。

僅かな例外は、皇道派の全盛時代に「第12師団長」へ、支那事変の処理をめぐり
近衛に陸軍大臣をクビにされ「北支那方面軍司令官」に飛ばされたぐらいです。

175 :名無し三等兵:2005/12/04(日) 17:44:15 ID:ff5beQ2m
杉山は難しいですよ。人によって評価が全然違いますからね。
外から見ればロボット、内から見れば能吏。
まあこのどちらもが彼の本質なんでしょうが。
第十二師団も左遷先としては悪くないですし(郷里ですからね)。
近衛に無理やり陸相を辞めさせられて3ヶ月ほど軍事参議官をやってた時
くらいですね、冷や飯食ったのは。
同期の小磯国昭とは世渡り上手という意味では共通してますが、タイプは全然違いますね。

176 :イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2005/12/04(日) 17:47:15 ID:xwpWJc9P
杉山の一番ひどいエピソードは、参謀総長時代にインパール作戦を
認可した時のことです。

渋る真田穣一郎・作戦部長を別室に呼び、「たまには寺内さん(南方軍
総司令官)の意見を通してやってくれ」と泣き落としています。

もはや戦略もクソもありませんw。投げやりになっていたのでしょう。

ただ何点か弁護をしますと、太平洋戦争開始前、参謀総長になったばかり
の頃に、松岡洋右の暴走にストップをかける役割を果たしています。

杉山が参謀総長になったのは1940年10月3日、すでに日独伊三国同盟も
北部仏印進駐も済んだ後です。

177 :イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2005/12/04(日) 18:07:29 ID:xwpWJc9P
松岡外相がドイツを訪問するとき(日ソ中立条約を結ぶ前にドイツへ寄った)、
「シンガポールの攻略については言質を与えるな」と、繰り返し釘を刺しています。

また、随員だった軍務課員の永井八津次大佐にも「くれぐれも松岡外相を
暴走させないように」と頼み込んでいました。

そして独ソ戦が開始された後、「ソ連を討て!」と迫る松岡外相に
杉山は「イカン!」と拒絶しています。

この辺はまだ、正常な判断が働いています。

178 :名無し三等兵:2005/12/04(日) 18:22:31 ID:???
三国同盟締結後、独ソ戦開始後の北進は一概に異常とは言えないと思う

179 :名無し三等兵:2005/12/04(日) 18:26:36 ID:???
自殺していなかったら、マッカーサーにしばり首にされて、遺骨を太平洋のどこかに撒かれていただろうな。<杉山

180 :イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2005/12/04(日) 18:50:47 ID:xwpWJc9P
>>175
>>同期の小磯国昭とは世渡り上手という意味では共通してますが、タイプは全然違いますね。

杉山は参謀次長時代、参謀総長の閑院宮に重用されましたからね。閑院宮は、以前に同じく
参謀次長だった真崎甚三郎が「大嫌い」でしたので、その反動もあります。もちろん、
閑院宮は「皇道派」を警戒していました。

言うまでもなく、閑院宮は「宮さま軍人」の元老格です。凡庸どころか英明の部類に入る
宮を自家薬籠中にした杉山は、やはり侮れない存在と言うべきでしょう。結局、宮は
参謀総長を杉山に禅譲するかたちで舞台を去ります。(杉山はその間、紆余曲折あり)

杉山を「部下のロボット」と揶揄する人は多いですが、閑院宮という上司に
恵まれたこと、ともすれば逆に閑院宮をロボットにできたことが、あれほど出世できた
大きな理由でしょう。

181 :名無し三等兵:2005/12/04(日) 19:22:18 ID:ff5beQ2m
閑院宮が信頼していたのは同じ騎兵の植田謙吉です。ちなみに宮の別当をしてたのも
やはり騎兵の稲垣三郎でした。宮は近衛の杉山更迭に賛成してますし、それほど
杉山に拘ってたとは思えません。
ちなみに、林と柳川が、荒木の次の陸相を真崎にするべく宮の御殿を伺ったところ、
「君達は我輩に真崎を無理に押し付けるのか、私は久しく真崎を次長として使っていて
よく知っている、林大将、貴殿はこの際進んでこの難局を引き請けてくれたまえ」と逆に
怒られて、しゅんとして帰ったということがありました。

182 :イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2005/12/04(日) 22:27:25 ID:IsA3KdVB
>>宮は近衛の杉山更迭に賛成してますし、

>>180 の「参謀総長の話」と読んでいる人が混同するかもしれないので
念のため。これは杉山陸軍大臣更迭の話(1938年)ですね。

このときは多田駿参謀次長を中心に、参謀本部で「杉山排斥」の空気が
強かったのも大きいでしょう。まあ、間を取って不仲だった真崎参謀次長の
反動で杉山がまともに見えたという事にしてきおませんか?

>>ちなみに、林と柳川が、荒木の次の陸相を真崎にするべく宮の御殿を伺ったところ、

しかし、林銑十郎と真崎甚三郎が「仲良し」だったことがよく分かるエピソードです。
この林が1934年1月に陸相の座について、1935年7月には教育総監の真崎を罷免して
しまうのですからワケワカメですw。もちろん、背後に永田鉄山がいたことが全てですが、
「ロボット」と称するなら、この林銑十郎こそがロボットでしょう。

183 :イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2005/12/04(日) 22:46:16 ID:IsA3KdVB
まあ、いつまでも嶋田繁太郎をかばった海軍の伏見宮と比較すれば、
閑院宮は平常だった訳です。

ついでに補足しておくと、皇族軍人としては伏見の宮も異例の猛者ですが、
閑院宮も勝るとも劣りません。秋山好古騎兵第1旅団とならぶ騎兵第2旅団の
長として、日露戦争を戦っています。『坂の上の雲』を読んでいればお馴染みですね。

日露戦争後は、第1師団長、近衛師団長を歴任して場数も踏んでいます。

皇室の存続を第一に考える閑院宮とすれば、青年将校を煽動する得体の知れない
『皇道派』は気持ちが悪くて仕方がない訳です。しかし、荒木陸相と武藤信義
教育総監に迫られては、真崎の参謀次長就任を断りきれなかった訳です。

しかし、そもそも閑院宮が参謀総長に就任したのは、荒木が陸相になったのと
同時です(1931年12月<犬養毅内閣>)。皇道派が全ポストを独占すると
さすがに風当たりが強いので、看板代わりにされたようなものですw。

184 :名無し三等兵:2005/12/04(日) 23:30:45 ID:???
>>171
そういえば二.二六から日中戦争勃発にかけて議会政治と軍部の関係は
坂野潤二『昭和史の決定的瞬間』(ちくま新書)がお勧め。
章題を拾うだけでも「反乱は総選挙の直後に起こった」
「(日中)戦争は民主勢力の躍進の中で起こった」などと、
目から鱗の指摘がいくつもありました。


185 :イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2005/12/04(日) 23:33:57 ID:IsA3KdVB
>>178 >>三国同盟締結後、独ソ戦開始後の北進は一概に異常とは言えないと思う

ノモンハン事件で陸軍が『対ソ恐怖症』に罹患していましたからね。
どこかのスレでも既述しましたが、簡潔にまとめると以下の通り。

独ソ戦が始まると、その対応策をめぐって「情勢の推移に伴う帝国国策要綱」を
つくる会議が開催されます。

その席上で松岡外相は、今まで「シンガポール攻略」を強硬に主張していたのは
どこへやら、直ちに「ソ連と戦え!」と叫びます。「南部仏印に進駐すれば英米との
戦争になるぞ!」とも脅します。明らかに豹変ですw。

詰まるところ、いつソ連に参戦するかが問題になります。陸軍大臣のヒデキと参謀総長の
杉山元は、独ソ戦が開始される前は、戦争が始まるのを待つと逃げていましたが、その後も
相変わらず慎重の極みです。

186 :イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2005/12/04(日) 23:42:20 ID:IsA3KdVB
独ソ戦の推移を見定めるためには、5、60日は様子を探る必要がある
と言い出します。結局「国策要綱」には、

「暫く之に介入することなく、密かに対ソ武力的準備を整え、自主的に対処す。
(略)独ソ戦争の推移極めて有利に進展せば、武力を行使して北辺の安定を確保す」

と当初は定めましたが、松岡外相が

「そんな弱腰でどうする!『極めて』を削れ!」

と横車を入れて、「独ソ戦争の推移、帝国の為有利に進展せば」に修正する
ことになりましたw。私見ですが、最低でもモスクワが陥落しないと、
帝国陸軍は北進しなかったでしょう。

187 :イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2005/12/04(日) 23:50:58 ID:IsA3KdVB
ヒデキが盧溝橋事件の直前に起こした「カンチャズ島事件(1937年)」は
関東軍がソ連を甘く見る(支那事変を拡大しても、ソ連はその機に攻めて
こない)きっかけとなりましたが、ノモンハンが与えた心傷は思いのほか
大きいのです。今で言うPTSDに近いですねw。

もちろん、その例外もいまして、筆頭は作戦部長だった田中新一です。
この国策要綱は、思わぬ結果を招くのですが、長くなるのでまたの機会に…。

188 :イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2005/12/05(月) 00:18:12 ID:dEN/V68m
>>184
>>坂野潤二『昭和史の決定的瞬間』(ちくま新書)がお勧め。章題を拾うだけでも
>>「反乱は総選挙の直後に起こった」「(日中)戦争は民主勢力の躍進の中で起こった」
>>などと、目から鱗の指摘がいくつもありました。

おお! それは面白そうですね。新書なので明日にでも買ってみます。なかなか
政治の動きと『分かりやすく』まとめた本は少ないので貴重です。

例えば、幣原喜重郎の「平和(軟弱)外交」は、民政党の内閣(加藤高明、
若槻礼次郎、浜口雄幸)で行なわれたものですし、三井=政友会、三菱=民政党
の繋がりも意外と知らない人は多いのでないでしょうか?

このスレを続けていると、良書の推薦が多くて本当にためになります。しかし、
読むのが全く追いつきません。つい最近も親から仕送りで、懸賞で当たったビザの
ギフトカードを貰ったので、『蒋介石』のマクロヒストリー本を買ったばかりですw。
読むのは何時になることやら。

189 :イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2005/12/05(月) 00:22:10 ID:dEN/V68m
それにしても「ちくま新書」は良書が多い気がします。初期の「新潮新書」も
面白い切り口が多かったのですが、最近は手が伸びません。

とりあえず、新書の創刊ラッシュはもうウンザリですw。今ごろ創刊する
新書があるのだから、正気を疑います。これ以上、書店のどこに棚スペースを
取る気なのやら…w。

190 :えICBM:2005/12/05(月) 00:27:31 ID:???
松岡外相のソ連攻撃論は、必ずしもドイツの戦勢に応じて利益を得ようという発想だけではなかった。
「もし。独ソが戦うようなことになったらソ連はひとたまりもなく敗れるだろう。そうして、もしハーケンクロ
イツがウラジオストクにひるがえることになったら、ウラジオがソ連領であるよりもわが国に危険である。」
だから、独ソ線になったら直ちに「少なくともイルクーツク以東を占領すべしだ」と、松岡外相は、日ソ中立
条約を結んで帰国した四月下旬、木戸内大臣に語っていたのである。
だが、六月二十五日の会議では、松岡外相はそのような意見は述べずに、「独が勝ち、ソを処分するとき、
何もせずに取るという事は不可。血を流すか、外交をやらねばならぬ。しかして、血を流すのが一番よろし
い・・・索制位やらねばならぬのではないか」
(「児島襄著 開戦前夜」より)

松岡外相の中ではドイツがソ連を征服すると言う当時は一般的な観測に基づいていると言えよう。
松岡外相は色々批判が多いが、外交官としての先読みに関しては侮れないものがある。
まあ、結局ドイツは負けたが。
日本が対ソ戦開戦したらアメリカが軍事介入するかもしれないし。

191 :名無し三等兵:2005/12/05(月) 18:53:39 ID:???
スターリンが駅まで見送りに来たり、ヒトラーにも臆せずモノを言ったりと
松岡の外交官としての力量は計り知れないものがあったのだが…

ドイツと接近できたのは彼の功績が大きかったが、彼がいなければドイツとの接近は避けられたのかも知れない

192 :名無し三等兵:2005/12/05(月) 21:49:59 ID:???
ドイツとくっつかなくても米英のお仲間に入れるわけではないからなぁ…。
それに、フランスやイギリスがドイツにやられてたら、やっぱりドイツと接近しようって機運になるんじゃない?
日本がたよれる欧州勢力はドイツだけなんだから。

193 :イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2005/12/05(月) 22:50:40 ID:s1/zarsq
>>190

海軍の横山一郎少将は1945年5月、米内海軍大臣に「駐ソ武官」を命じられます。結局、
ソ連側がビザを出し渋ったため、そのまま日本で終戦を迎えるのですが、横山少将は
赴任する準備の間に、伊豆の長岡で隠遁中の松岡洋右を訪ねました。

「ソ連人をどう思うか?」を松岡に尋ねるためです。また「日米諒解案をなぜ蹴った
のか?」についても問いただそうと考えていました。横山が訪ねると松岡は昼寝中で、
ようやく部屋に出てくると一人で喋りまくり、横山に質問する切っ掛けを与えません。

結局、松岡は喋るだけ喋ると「疲れたから」と言って、そのまま引っ込んでしまいますw。

しかし「なぜドイツと三国同盟を結んだか?」の問いについて、松岡は応じていました。
その答えは、

『このことに関しては言いたくないが、簡単に言えば自分はドイツが恐かったのだ』と。

194 :イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2005/12/05(月) 22:55:41 ID:s1/zarsq
また、松岡は「ロシア人は愛すべき国民だ」とも答えています。

しかし本当のところ、松岡外相は当時、ドイツが「シベリアを突き抜けて」
東に進出してくることを怖れたのではないでしょうか。

195 :イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2005/12/05(月) 23:19:25 ID:s1/zarsq
ちなみに松岡外相が提案し、1941年2月3日に「大本営政府連絡会議」で決定された
『対独伊「ソ」交渉案要綱』は以下の通り。

*ソ連をしてリッペントロップ腹案を受諾せしめ、四国同盟への提案を期す。

【日ソ国交調整条件】

1.独の仲介により北樺太の買収、または北樺太の利権を有償にて放棄(石油は
  向こう5ヵ年間25万トンを供給せしむ)
2.ソ連の新疆、外蒙における地位を了承(ソは日本の北支、蒙疆の地位を了承す)
3.ソの援蒋行為中止
4.満、ソ、外蒙間に国境画定および紛争処理委員会の設置
5.漁業交渉の妥結、要すれば漁業権放棄の腹
6.日独通商のためシベリア鉄道の便宜供与

196 :イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2005/12/05(月) 23:33:32 ID:s1/zarsq
かなり「虫の良い条件」で、とてもソ連が応じるとは思えません。

実際にモロトフ外相から、北樺太の利権の放棄どころか「南樺太はソ連の領土
だから返せ! 譲渡しろ!」と言われますw。そしてスターリンからもです。

続いて【対独伊交渉要領】

1.日本は極力アメリカの参戦を不可能ならしむる趣旨を以って行動施策す
 (独に十分了解せしむ)
2.支那全面和平の促進につき、独との懇談、その他帝国の大東亜共栄圏における
  政治的指導者としての容認

  世界を大東亜、欧州、米州、ソ連圏とする。独伊、特に独はソを牽制し、万一
  日満両国を攻撃する場合は、独伊はソを攻撃す

これもかなり「虫のいい」条件ですねw。本気の考えだとしたら別の意味で少し恐いです。

197 :俄将軍:2005/12/05(月) 23:39:29 ID:???
満洲の大豆は、満洲にとって、如何なる意味があり、ドイツに、如何ほど輸出
して、ナチスドイツ政権下での輸入制限の影響など考えてみると、満洲と松
岡外相との関係というような見方もあるのだろうか、などと。

ソビエトからの石油輸入も、ナチスとの防共協定の影響というのは、「日蘭会
商」というのは、米国の対日政策にも、ということになるのだろうか、などと。

198 :イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2005/12/05(月) 23:48:29 ID:s1/zarsq
さらに『リッペントロップ腹案』の内容を紹介すると、以下の通り。

*「日独伊を一方」とし、「ソ連を他方」とする取極を作出す。

1.ソ連は戦争防止、平和の迅速回復の意味において、三国条約の趣旨に同調する
  ことを表明し、

2.ソ連は欧亜の新秩序につき、それぞれ独伊および日の指導的地位を承認し、
  三国側はソ連の領土尊重を約し

3.三国およびソ連は、各々他方を敵とする国家を援助し、または斯くの如き
  国家群に加わらざることを約す

右の外、日独伊「ソ」何れも将来の勢力範囲として、日本には南洋、「ソ」には
イラン・印度方面、独には中央アフリカ、伊には北アフリカを容認する旨の秘密了解をとぐ。

199 :イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2005/12/06(火) 00:10:43 ID:5p4JD483
>>198 をよく見ると、自分には日独伊三国による『対ソ包囲網』としか
受け取れません。

これが『四国同盟』の実態です。僅かに将来、ソ連がイラン・印度方面に
勢力を伸ばすことを認めている点が特筆に値します。

松岡外相はこの方針に基づいて欧州訪問を行ない、独伊ソと交渉し、
条約を締結してきた訳ですが、これでは四国同盟がたとえ実現したとしても
早晩、独ソの衝突は避けられないと思います。

万々が一、このシナリオが「図に当たった」と想像すると、ソ連の南下政策が
復活することになります。当然、インドと中東を植民地に持つイギリスとの
対決が起きるでしょう。

ここまでソ連を引きずり込んで、ようやく英米との対決の舞台に上がらせる事が
可能になります。

200 :名無し三等兵:2005/12/06(火) 00:13:20 ID:???
本当に松岡は常に役満狙いだなぁ(w

201 :名無し三等兵:2005/12/06(火) 00:16:13 ID:???
こんな構想を半ばまで実現させるとは…松岡スゲー

202 :イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2005/12/06(火) 00:31:51 ID:5p4JD483
さらに妄想をたくましくすると、世界は以下のように生まれ変わります。

大日本帝国は、シベリア、支那、東南アジアの資源地帯、南洋諸島を支配。

ソ連は、中央アジア、インドに進出して不凍港をゲット。また中東のかなりの
部分を占拠(おそらく独逸と折半)。

ドイツは、欧州全域と中央アフリカを支配。中東の石油資源地帯も占拠。

イタリアは、北アフリカを植民地化。スエズ運河はドイツが握るのか、伊に
華を持たせるのかは知りませんw。おそらく独国が駐兵するでしょう。

英国はアメリカに亡命し、北米大陸と南米大陸(欧州にかなり喰われます)が
自由主義陣営の「最後の砦」として引きこもるのが精一杯になるでしょう。

これが『四国同盟』が世界を支配する未来ですw。

203 :名無し三等兵:2005/12/06(火) 00:32:34 ID:???
ソビエトの中の人が米英中と日独伊を比較して、日独伊を選択するのかいな。

204 :名無し三等兵:2005/12/06(火) 00:45:21 ID:???
>>202
ハウスホーファーって地政学者が似たような主張してましたね。
世界四分割構想だったかな。

>>203
しないでしょーね。
ソ連とアメリカが日独相手に押されまくればわからないけど。

205 :名無し三等兵:2005/12/06(火) 00:46:08 ID:???
松岡の北樺太の利権の放棄も失敗だったね。
松岡らしく強気になって採掘を妨害するなということはできなかったんだろうか。
昭和11年ソ連から石油石炭利権の延長を勝ち得た、
北樺太石油社長だった海軍予備役中将の左近司政三は鉱区の開発を行い、いざ採掘となるとソ連が邪魔をする。
利権の延長は日本を泳がせて日本の資金によって開発を行い採掘は自分たちでやろうというソ連の策だった。
しかし独ソ戦開始後はソ連は態度を軟化させる。
それに乗じて東条内閣の賀屋興宣蔵相は北樺太油田の全面買収を提案するが、
採掘量が日本の必要とする量から言って不足であり、
来年6月に解氷するまでタンカーが出せないことを理由に海軍が反対。
となると海が凍る前、第三次近衛内閣の時には油田買収を考えなかったのか、
松岡が利権の解消を約したのをそのままにしておくのかということになる。
第三次近衛内閣で商工相となったのは先程の海軍予備役中将左近司政三、
左近司が北樺太の油田のことをかんがえなかったはずがない。
となると、タンカーが出せないというのは建前で、やっぱり海軍は>>187の暴発が怖かったんでしょうか。

206 :イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2005/12/06(火) 00:48:10 ID:5p4JD483
いやはや、先ごろ新刊が出ました『バカ世界地図』(一刀◎著:技術評論社)に
匹敵しますw。

ここまで世界地図を塗り替えて、ようやくアメリカを打倒できる気がしてきますね。

>>200
>>本当に松岡は常に役満狙いだなぁ(w

それは非常に「的を射ている」評価だと思います。役満どころか、
『大三元、四暗刻、字一色、ついでに天和』のクアドラプル狙いです。

何せ「四国同盟」ですからね(核藁)。

ああ、でもこれだと三国同盟でも「トリプル役満」ということになってしまうから
変になってしまいます。しかし>>202 の世界を実現できるのなら、それに値するでしょう。

207 :イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2005/12/06(火) 01:05:05 ID:???
まあ、>>202 の世界でも、独ソ戦は避けられない気がします……。

208 :前スレ32:2005/12/06(火) 02:06:35 ID:???
>>204
ハウスホーファーは日本通なので、日本ともつながりがあったのではないかと。

>>207
松岡外交にとって日中和解とアメリカとの調停が成立すれば、
むしろ独ソ戦は歓迎すべきことかと。

つまり、そうなれば、かねて松岡自身が公言していたように、
アメリカと組んでヨーロッパへの共同介入をして、
日本は世界平和と地域の覇権国としての地位をふたつながら手に入れられる。

ドイツとソ連はあとで捨てるための便宜的同盟国なんです。

209 :名無し三等兵:2005/12/06(火) 02:52:13 ID:???
シナ事変で言えば、桐工作は三国同盟論で壊れましたよね

210 :イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2005/12/06(火) 22:30:15 ID:AU410CYZ
>>208
>>アメリカと組んでヨーロッパへの共同介入をして、
>>日本は世界平和と地域の覇権国としての地位をふたつながら手に入れられる。

これが実現できていたら、松岡外相は ネ申 ですね。

>>ドイツとソ連はあとで捨てるための便宜的同盟国なんです。

何と! そこまでの深謀遠慮だったとは……。驚きです。

211 :名無し三等兵:2005/12/06(火) 22:43:36 ID:04+csWSn
■■■満州事変以降の国家予算と軍事費の流れ■■■

[昭和財政史]より  ※単位:100万円  ※カッコ内は総計に占める割合  ※土木費は普通と災害の合計

 年 度    総 計    軍 事 費   (うち満州事件費)   土 木 費    国 債 費
1931  1,477   455(30.9%)   76(5.2%)    89(6.0%)   214(14.5%)
  32  1,950   686(35.2%)  278(10.2%)  198(10.2%)  241(12.3%)
  33  2,255   873(38.7%)  196(8.7%)   222(9.9%)   335(14.9%)
  34  2,163   942(43.6%)  159(7.3%)   182(8.4%)   361(16.7%)
  35  2,206  1,033(46.9%) 184(8.3%)   154(6.9%)   372(16.9%)
  36  2,282  1,078(47.2%) 207(9.1%)   136(5.9%)   363(15.9%)
  37  2,709  1,237(45.7%) 267(9.8%)   139(5.1%)   400(14.8%)

国歌予算の約半分が軍事費 W


212 :イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2005/12/06(火) 22:55:45 ID:AU410CYZ
>>191 >>スターリンが駅まで見送りに来たり、ヒトラーにも臆せずモノを言ったりと
>>松岡の外交官としての力量は計り知れないものがあったのだが…

外相に就任直後、各国の大・公使を『40名以上』更迭していますからね。最早、
「総パージ(追放)」に他なりません。その理由がまた凄い。官僚主導の外交政策を
排除するというのものです。文字通り、大鉈を振るった訳です。

これにより「駐ソ大使」の東郷茂徳が辞めさせられて、満州事変で作戦部長だった
元軍人の建川美次(少将)に、ドイツは大島浩、イタリアは堀切善兵衛、支那は
本多熊太郎など、プロパーの外交官ではなく軍人や代議士などを新大使に任命しました。
これを「松岡人事」と呼びます。

さらに有力な外交官には辞表を出させて、文字通り外務省からクビにしようと
目論見ますが、東郷茂徳などは辞表の提出を拒否して、松岡に抵抗しました。

恐るべき「腕力」としか言いようがありませんw。

213 :名無し三等兵:2005/12/06(火) 23:03:28 ID:5qvsefLU
本多熊太郎は本職ですけどね。

214 :名無し三等兵:2005/12/06(火) 23:06:50 ID:???
日米交渉の時の不手際や、宣戦布告書の時の失策を考えると
松岡の手法が正しかったのだろうなぁ…

215 :イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2005/12/06(火) 23:12:48 ID:AU410CYZ
>>スターリンが駅まで見送りに来たり、ヒトラーにも臆せずモノを言ったりと

当時、スターリンは表を出歩かないと言われていました。外に出るのは全て
「影武者」だという訳です。この時は、日ソ中立条約締結のレセプションで
松岡外相と相当盛り上がり、『ホロ酔い気分』で見送りに出てきたのでしょう。

駅のホームには、各国の大公使たちがいましたから全員驚いています。

そもそも、本来の国際列車の運行時間を1時間遅らせて、松岡外相との歓談を
続けていますから、異例中の異例と言えます。ちなみにスターリンと松岡外相の
有名な会話は以下の通り。
         
ス:「きみ、約束(日ソ中立条約)したことは守れ」
松:「日本には昔からウソを言ったら首をやる、ということわざがある」
                    (日ソ中立条約レセプションで)

216 :名無し三等兵:2005/12/06(火) 23:21:36 ID:???
それでいてあの構想だから…とんだ狸だな、松岡

217 :イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2005/12/06(火) 23:23:37 ID:AU410CYZ
>>本多熊太郎は本職ですけどね。
スマンw。一緒くたに書いてしまいました。

さらに駅のホームでは、列車が出発するときに松岡外相とスターリンが抱き合い、

ス:「これで日本と中立条約ができたので、ヨーロッパで恐ろしいところはなくなった」
松:「いやいや、ヨーロッパどころか世界で恐いものはないじゃないか」

などと交わしています。

>>ス:「きみ、約束(日ソ中立条約)したことは守れ」

太平洋戦争末期、スターリンが「日ソ中立条約」を一方的に踏みにじって
参戦してきたことを考えると、歴史の皮肉としか言いようがありません。
まあ、松岡外相も独ソ開戦時、「ソ連を討て!」と叫んでいますから、
お互い様かもしれませんがw。それにしても本当に外交は、魑魅魍魎の世界です。

218 :イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2005/12/06(火) 23:46:18 ID:AU410CYZ
>>スターリンが駅まで見送りに来たり、ヒトラーにも臆せずモノを言ったりと

松岡外相の「クソ度胸」というか、スタンドプレーはやはり目を見張るものが
あります。現在の政治家に例えると誰が近いのでしょうね? 若干、小泉首相の
「劇場型政治」に似ていると言えば似ているかもしれません。

大更迭劇や異例の抜擢なども……。

どうでもいいですが、芸能人でいうとヒロミを思い出しました。たけしや
タモリ、所ジョージ、さんまなど、芸能界の大御所を相手にしても、

「またオジさん、そんなこと言っちゃってさ。怒られるよ、ホントに」

などと平気で軽口を叩き、叩かれた方もまんざらでは無さそうなのがスゲーと
思いました。自分は結構、ヒロミは面白いと思うのですが、最近テレビには
出てきませんね。一体どこで仕事をしているのでしょう。え、無い?w

219 :名無し三等兵:2005/12/06(火) 23:48:01 ID:Q5adpZ4f
軍板初心者ですが、
日米開戦後の中国戦線の推移はどうだったのでしょうか?
何か良い本はありませんか?

220 :イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2005/12/07(水) 00:14:22 ID:P9bNXS2O
>>日米開戦後の中国戦線の推移はどうだったのでしょうか?

太平洋戦争が始まると、日中戦争はとたんに影が薄くなりますからね。
これは多くの部隊が「支那戦線」から「太平洋戦域」へと引き抜かれ、
戦線が膠着したためです。

また、戦略的にも「武漢作戦」以降は「長期持久」の方針に移行しています。

さて複雑怪奇な日中戦争ですが、やはり「年度別に捉える」のが一番です。
各戦闘については、

『太平洋戦争主要戦闘事典』(太平洋戦争研究会、PHP文庫)が中国大陸の戦闘を
詳しく取り上げています。第1章は、まるまる日中戦争(太平洋戦争前史)です。
「1937年の戦い」「1938年の戦い」…と続き、太平洋戦争開始以降も、支那での戦いに
相当なページ数を割いていますから、立ち読みされてみてはいかがでしょうか。

221 :名無し三等兵:2005/12/07(水) 00:18:11 ID:np2OveVQ
>>220
どうもありがとうございます。早速読んでみます

222 :名無し三等兵:2005/12/07(水) 00:23:59 ID:???
基本的にスルーで構わないのですが
http://academy4.2ch.net/test/read.cgi/history2/1132911487/
>昭和の日本は悪条件の中で最善を尽したと思う。(全肯定はしないが)
こんな意見がまかり通る日本近代史板・・・

223 :イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2005/12/07(水) 00:24:51 ID:P9bNXS2O
ちなみに自分が「アマゾン」のレビューを書いていますw。

アレの本質は「データブック」なので、非常にマニアックな内容です。
初心者にはワケワカメの可能性が高いかもw。戦場図がこれでもか!と
入っている点は評価できますが、価値を理解できる人は少ないでしょう…。

また、『わかりやすい日中戦争』(三野正洋、光人社)はいかがでしょうか?
自分が前スレで鬼のように叩きましたが、非常に分かりやすいように書いて
いることは評価できます。何やかんや言って、自分もかなり参照していますw。

前スレのは、自分が三野氏に対して少し悪意があったというのもあります。
こちらも「年度別」の既述で、後半はトピック形式なので読みやすく、
初心者にはお勧めです。特に「大陸打通作戦」を詳細に取り挙げていることは
大きなプラス評価です。

224 :名無し三等兵:2005/12/07(水) 03:07:35 ID:???
>>211
ドイツは? イギリスは? ソ連はどうだった?

225 :名無し三等兵:2005/12/07(水) 10:59:49 ID:???
スウェーデンParadox社開発 1936年〜1947年の期間の第二次世界大戦を扱った
「戦略級」シミュレーションゲーム「Hearts of Iron2」日本語版12月2日発売!

日本語版販売元 CyberFrontのホームページ
ttp://www.cyberfront.co.jp/title/heartsofiron2/

1936年シナリオ 大日本帝国の状況より
-----------------------------------------------------------------------------------------------
日本は前近代的社会から、先進工業国へと見事に転身を遂げた唯一の非西欧国である。
第一次世界大戦が起こると協商側に立って参戦し、大きな利益を得た。
戦勝国となった日本はドイツが領有していた太平洋諸島を獲得し、
アジア地域の一大大国と高らかに主張できるまでになった。
しかし1920年代の金融恐慌が日本の民主議会制政府を不安定にし、
急進的な国粋的軍国主義者による血なまぐさいクーデターと暗殺が繰り返された。
また国内の天然資源が乏しいことへの懸念が次第に高まっていた。
さらなる植民地拡大のためには天然資源は不可欠であった。
こうした戦略的思考に突き動かされる形で、軍部は1931年の満州事変を断行する。
これは日本の長期目標である、中国全土を勢力圏におさめるための第一歩であった。
満州を支配下におさめたことで日本は資源を確保できたが、
同時に西欧民主主義諸国から大きな非難が巻き起こり、
やがて日本の戦略目標がますます敵視されるようになった。
1937年に始まった中国との全面戦争では、局地的には数々の勝利をおさめたものの、
戦争終結までの道のりはかなり遠いようだ。
さらに遠く離れたヨーロッパでも戦争が勃発したことで、日本は岐路に立たされている。
道はいろいろな方向に向かっているが、どの道を選ぶにせよ困難が伴うだろう。
長期的国家戦略の視点から、ソ連のシベリアを攻撃するのは中国との泥沼の戦いよりも得策なのだろうか。
あるいは石油とゴムに恵まれた東南アジアはどうだろうか。
その場合はアメリカが危険な敵国となる恐れがある。それを考慮して今後の方針を決めなければならない。
-----------------------------------------------------------------------------------------------
以上、板違いの宣伝でした。


226 :名無し三等兵:2005/12/07(水) 11:00:19 ID:???
因みに同じく1936年 アメリカ合衆国の状況
-----------------------------------------------------------------------------------------------
1900年当時、アメリカはまだ大国と見なされておらず、またアメリカも列強諸国と積極的に関わることはなく、
国際社会における影響力は限定的であった。
しかし1917年に連合国側に立って第一次世界大戦に参戦し大戦を勝利に導いたことで、
アメリカの運命は大きく変わった。
アメリカは世界経済や国際政治に大きな影響を与える大国の1つとなったのだ。
そして無尽蔵とも思えるアメリカの労働力と天然資源は、
戦乱に疲れたヨーロッパ諸国のそれをはるかに凌駕していた。
しかし第一次大戦が終結すると、アメリカは再び外交的孤立へと戻り、
その巨大な経済力も1929年の株式市場の大暴落で無残に打ち砕かれた。
そしてニューヨーク株式市場を震源として引き起こされた世界恐慌は、
地球上のどこよりもアメリカに深刻な打撃を与えた。
ルーズヴェルト大統領は1933年に“ニューディール”政策を打ち出し、瀕死のアメリカを建て直そうと努め、
1939年までにそれなりの成果を収めた。
しかしルーズヴェルトが今、最も危機感を募らせているのは、ヨーロッパに台頭するファシズム諸国と
日本の狂信的な軍国主義者が民主主義を脅かしていることだ。
大統領はこの脅威に立ち向かわねばならないと考えている。だがそれには大きな問題が立ちはだかっている。
アメリカ国民の多くがどんなに崇高な大義のためであろうとも、一切の海外派兵を望んでいないのだ。
果たしてルーズヴェルトは国民を1つにまとめて、ドイツと交戦中のイギリスやフランスを支援できるだろうか。
-----------------------------------------------------------------------------------------------
以上、あくまで宣伝です。


227 :名無し三等兵:2005/12/07(水) 11:00:40 ID:???
因みに>>225のゲームの前作は現在の領土正当性を損なうものとして中国で発売禁止とされています。
ttp://f41.aaa.livedoor.jp/~paradox/pukiwiki.php?HoI%A4%AC%C3%E6%B9%F1%A4%C7%A4%CE%C8%AF%C7%E4%A4%F2%B6%D8%BB%DF%A4%B5%A4%EC%A4%EB

対するParadox社の見解
ttp://f41.aaa.livedoor.jp/~paradox/pukiwiki.php?HoI%C3%E6%B9%F1%C8%AF%C7%E4%B6%D8%BB%DF%A4%CB%A4%C4%A4%A4%A4%C6%A4%CEParadox%A4%CE%A5%B3%A5%E1%A5%F3%A5%C8

「何よりもまず、私たちはゲームメーカーである。できる限りよいゲームをつくること以外は、
特定の政治的計画を持たない。そのために私たちはいつもできる限り練達した歴史研究家を雇い、
詳細な資料にあたっている。
第二次世界大戦は未だにいくつかの政府において繊細な問題だと私たちは認識している。
しかし、私たちは誠実さと歴史的正確さにおいてゲームプレーヤーからいつも尊敬されており、
それが最も重要なことだと考える。」

228 :名無し三等兵:2005/12/08(木) 02:25:27 ID:???
1930年代に台湾が日本領だったことが歴史的事実の激しい歪曲ですかそうですか

229 :名無し三等兵:2005/12/08(木) 07:31:38 ID:???
>>225-226
いちばん古くても1936年スタートじゃ、永田鉄山は未登場ですね。
健在なら日本最強の軍政屋か、ゲームの上でも使ってみたかった。
カンジや堀悌吉など優秀な予備役組の評価はどうなってるんだろう・・・


230 :名無し三等兵:2005/12/08(木) 21:07:28 ID:???
徹底してリアルな1930年代の歴史シミュレーション希望。
プレイヤーは昭和天皇の立場。
コマンドは「聞き置く」「問い詰める」「苦言を呈する」の3種類(イベント「青年将校反乱」を除く)。


231 :俄将軍:2005/12/08(木) 23:26:31 ID:???
>>230
昭和天皇の立場と、元老や内相の関係というのは、などと。

232 :名無し三等兵:2005/12/09(金) 00:41:11 ID:???
問題なのは日本でしか売れなさそうな事だ。

233 :イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2005/12/09(金) 00:48:44 ID:???
年末進行で忙し過ぎます……orz。しばらく途切れ途切れになると思います。

234 :前スレ32:2005/12/09(金) 01:50:38 ID:???
>>233
いつもご苦労様です。
保守しながらまったり気長にやりましょう。

235 :名無し三等兵:2005/12/09(金) 04:55:36 ID:???
永田鉄山
http://hobby3.2ch.net/test/read.cgi/army/1053698465

236 :イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2005/12/11(日) 17:15:38 ID:???
本のプロットを書かされることになったので、しばらくリタイアします…w

237 :名無し三等兵:2005/12/12(月) 08:05:28 ID:???
お疲れさまです。お仕事がんばってください。

238 :名無し三等兵:2005/12/13(火) 11:26:28 ID:???
哀れ、イナゾウ中佐は極秘任務に失敗し八路軍の闇討ちで戦士しました。


         ___
         | イ  |
         | ナ  |
         | ゾ  |
         | ウ  |
      ,,,.   | の | ,'"';,
    、''゙゙;、).  | 墓 | 、''゙゙;、),、
     ゙''!リ'' i二二二二!゙''l!リ'''゙
     ‖  `i二二二!´ ‖
     昌 |: ̄ ̄ ̄ ̄:| 昌
    | ̄:|_|;;;l"二二゙゙l;;|_| ̄:|
    |  :|::::::| |;;;;;;;;;;| |::::|  :|
    |  :|::::::|┌─┐|::::|  :|
 ./゙゙└‐┴ ┴l,,,,,,,,,,l┴┴‐┘゙゙゙゙\
 | ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄|
  ̄|三|三三|三三三三|三三|三| ̄
   |  |:::  |: :    : : |::   |  |
   |  |:::  |: :    : : |::   |  |
  /_|:::  |: :     : :.|::  :|_ヽ
 _|___|;;;;;;;;;;|,;,;,,,,,,,,,,,,,,,;,;,|;;;;;;;;;;|___|_
 l;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;l



239 :名無し三等兵:2005/12/14(水) 22:40:47 ID:???
保守

240 :名無し三等兵:2005/12/15(木) 23:29:51 ID:???
イナゾウさんって、プロの物書きだったのですね
どうりで、なかなか鋭いはずだ

241 :イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2005/12/17(土) 21:07:27 ID:???
>>240
ノンノン。その推理では主語と述語が逆転しています。

あとは察してください。

242 :名無し三等兵:2005/12/17(土) 21:22:11 ID:???
とにかく誰かが留守を守ってくれないとスレの命脈が保てん

243 :名無し三等兵:2005/12/18(日) 14:36:41 ID:NZ/M4wqs
保守

244 :名無し三等兵:2005/12/18(日) 15:41:39 ID:???
ヒデキは息子の英隆氏と仲が悪かったが、カンジはどうだったの?

245 :名無し三等兵:2005/12/18(日) 15:55:29 ID:???
銃後を守る妻たち。
イナゾウ中佐は戦場へ。

246 :名無し三等兵:2005/12/19(月) 01:37:32 ID:???
>>244
ヒデキの三男は若すぎるし、輝雄氏をまさか戦場に送るわけにはいかないので、
長男に召集令状がきたときは一家で大喜びだったとか。


247 :名無し三等兵:2005/12/19(月) 03:57:41 ID:???
きっこの日記がすごいことになってるらしい。

2005/12/18 (日) イーホームズ藤田東吾社長からのメール 1
http://www3.diary.ne.jp/user/338790/

お名前:藤田東吾
E-mail:xxxxx@ehomes.co.jp
コメント:きっこ殿はじめまして、イーホームズの藤田と申します。
今般の耐震偽装事件に関して、あなたが作成しているブログには、私たちでは関知
し得ない、この事件の全容解明に資する重要な情報があると思います。
内容において、私どもに対する一部辛辣な表現もありますが、全容解明に資する情報
の存在を優先して、弊社のトピックスにてURLをリンクさせて頂きました。
ご了承のほどお願い申し上げます。
下記のトピックスのNo.7にリンクを張りました。

http://www.ehomes.co.jp/SITE1PUB/sun/6/news/report69.html?t=1132554453386

では宜しくお願い申し上げます。
イーホームズ株式会社 藤田東吾

どっひゃ〜! 本人じゃん!‥‥なんてショッパナからビックル飲みまくりの
今日この頃、皆さん、いかがお過ごしですか?


248 :名無し三等兵:2005/12/19(月) 12:32:49 ID:1Jcexu3q
保守

249 :暫編第一軍:2005/12/22(木) 23:47:52 ID:???
 イナゾウ中佐殿不在中のお目汚しに、汪兆銘政権の軍隊について概観してみることとしましょう。
 汪政権軍は非常に複雑で、概ね以下の4つの系統に分類できます。
1,蒙古連合自治政府所属の内蒙古軍(徳王軍)
2,華北政務委員会所属の綏軍(治安軍)
3,汪政権直属の中央軍
4,その他
 わかり易い順に並べてみました。この順でみていきましょう。

1,蒙古連合自治政府所属の徳王軍
 徳王は内蒙の王侯で、元々は蒋介石政権下で内蒙古の自治を目指していましたが遅々
として進まず、関東軍の援助により蒙古軍政府を樹立します。この蒙古軍政府が蒙古連盟
自治政府、そして蒙古連合自治政府へと発展。
 しかし、1940年汪兆銘による中華民国政府が(南京還都という扱いで)成立すると、蒙古
連合自治政府も制度上汪兆銘政権の下に組み込まれてしまいます。
 さて内蒙古軍ですが、徳王指揮下の蒙古人部隊と李守信指揮下の漢人部隊に大別でき
ます。李守信は満州国軍からの移籍です。
 蒙古軍政府時代は蒙古軍副司令李守信が軍長兼任で第一軍(第一〜第四師、直属
砲兵隊)を率い、蒙古軍総司令徳王が軍長兼任で第二軍(第五〜第八師)を指揮下に
置いています。
他に警衛師(後に第九師に改編)、砲兵団、憲兵隊があり、各師は騎兵師です。
 1937年には日本側より改編強化案(九個師を六個師に改編し、各師に山砲4門を装備
する砲兵連を配属する)が示されますが、軍の縮小を望まない徳王はこれに難色を示し
話は流れています。この頃、1万名を目標に部隊を整備していますが実数は正規軍
6千程度。その他に武装警官や帰順部隊が数千ずつ存在。


250 :暫編第一軍:2005/12/22(木) 23:55:41 ID:???
 続いて軍を廃止し各師を蒙古軍総司令部の直轄にして指揮組織の効率化を図り、1940
年2月、日本軍の方針で漢人の第一〜第三師を廃止し靖安警備隊2個集団に改編、第四
〜第九師の6個師を第五〜第七、第九師(別資料では4,5,7,8の4個師とも)の野戦部隊4個
師に改編。各師は3個団、1個機関銃連よりなり約1,200名の兵力。砲兵団も野山砲計20数
門を持つまでに成長します。総司令は李守信。徳王は総司令こそ退きますが依然として政
権の最高実力者です。(副首席のち首席に)
 1942年の改正ではこれらの4個師を第七、第九の2個師の野戦師に改編、第二、第六、
第十〜第十二の5個警衛師を編成(保安隊改編?)。警衛師の師長は盟長、旗長が兼任
し軍事と行政の一体化を図ります。
 1945年春の最後の改正では武装警察隊を第三〜第五師に改編。(別資料では靖安
警備隊を第一〜第三師に改編とも)恐らくこの頃、各県の警備隊を16個旅に改編し機動
兵力化します。(しかし終戦までに完成していないらしい)
 内蒙軍はわりと実戦経験が豊富で、日本軍と協力して或いは独力で国民党軍(主として
傳作義軍)と戦い、また対共産作戦も行ないまあ勝ったり負けたり部隊ごと寝返ったりして
います。
 終戦後主力は傳作義軍に吸収され、一部は外蒙入りして共産側に走りました。

 ではまた。間違いや新情報がありましたらご教示ください。


251 :イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2005/12/24(土) 00:48:00 ID:ryE5weid
↑ものすごい資料ですね。非常に分かり易くまとめて頂きお疲れ様です。

汪政権軍の概要については「触り」しか知りませんでした。上記の書き込みは
自分のレベルを遥かに超えており、何か口を挟むこともできませんw。

252 :イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2005/12/24(土) 10:28:55 ID:K/SH9nuG
原稿も8割5分完成しましたので、週末の最後の方か週明けには復帰できそうです。

どちらにせよ月曜日がタイムリミットで、後は編プロに丸投げしないといけませんから
お尻は決まっています。

ですが、怒涛の仕事納め(並行してカタログチェック)→超時空要塞ビグサイト逝き→正月帰省
の予定なので、本格的に再開できるのは年明けになりそうですw。

少し早いですが、メリークリスマス! 僕はとっても急いでマス

253 :名無し三等兵:2005/12/24(土) 12:34:49 ID:???
両者続編期待age

254 :名無し三等兵:2005/12/24(土) 20:07:03 ID:i5JwqVtP
>>253
ageてないぞうw

255 :暫編第一軍:2005/12/24(土) 20:24:07 ID:???
イナゾウ中佐殿も戻ってきてくれそうですし、私の方は途中ですが打ち切ってお待ちしましょうか。
元々留守番企画ですからね。マイナー軍解説を読んで喜ぶ人もそんなにいないでしょう。

256 :名無し三等兵:2005/12/25(日) 16:19:56 ID:???
>255
>マイナー軍解説を読んで喜ぶ人もそんなにいないでしょう。

ここにいるぞ!

257 :名無し三等兵:2005/12/25(日) 19:24:07 ID:???
ここにもいるぞ!

258 :イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2005/12/25(日) 21:25:51 ID:zEck8zKD
ここにもいるぞ! 自分も勉強になりますので、お時間があればぜひと思います。

>>244 >>ヒデキは息子の英隆氏と仲が悪かったが、カンジはどうだったの?

ヒデキは、自分の兵に対して「異常な程」親切に接しましたが、将校は全く別でした。例えば
第一連隊長時代、兵の食事事情を調べると称してヒデキの「ゴミ箱漁り」は既に始まっています。

当時、兵が食事を残すなど許されませんでしたので、毎日同じような献立が続いてマンネリが
酷くなると、兵は残飯にゴミ箱を捨てていたのです。ヒデキはこれを調べていた訳で、この場合
炊事班長が後でヒデキに呼び出しを喰らうことになります。「もっと献立をよく考えろ!」と。

また、同じく第一連隊長時代には「世界恐慌(1929〜)」が重なり、兵役が終わっても働く
当てが無い兵のために、ヒデキは「就職斡旋委員会」を連隊内に設けます。委員には中隊長、
大隊長の将校が充てられ、民間が従業員のクビを大量に切っている最中、「小間使いでも
便所掃除でもいいから、うちの兵隊を使ってくれ」と頭を下げに街中を歩くことになりました。

259 :イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2005/12/25(日) 21:46:31 ID:zEck8zKD
兵にとってヒデキは「素晴らしい連隊長」かもしれませんが、将校にとっては
大変に厳しい上司です。

あなたが会社の管理職で、辞めていく部下の就職先を不景気の中で探さなければ
ならないと命令されたらどうでしょう? 現代で喩えるなら、高校の教師が
大学に進学しない生徒のために就職先を探すといった方が近いかもしれません。

もちろん、軍隊は「先生と生徒」の関係ではありません。他の連隊でそんな事にまで
気を使う連隊長は皆無ですから、将校にとってヒデキは過酷な上司でもあります。

それは将校に要求する「期待」が高いためです。

そして、その期待はヒデキ自身の家族に対しても同様に高いものです。

260 :イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2005/12/25(日) 22:19:49 ID:zEck8zKD
ヒデキが「ゴミ箱を漁る」というエピソードは、一見美談のように書きましたが
もちろん褒められる行為ではありません。

会社でいうなら、深夜に部長クラスがあなたの机の下のゴミ箱を覗いている。
学校でいうなら、深夜に校長先生があなたの学級のゴミ箱を覗いている。

やはり軍隊内であるからこそ許される行為でしょう。首相の地位にあってやるべき
行為ではありません。ヒデキは軍人の気質のまま宰相となったのです。

さて、ヒデキは父親の英教から「自身の無念」を晴らすことを強制されて軍人の道を
歩んでいます。本人も「父親の無念」を晴らすとして自分を納得させていたでしょう。

当然、父親から「過度な期待」をかけられて育ちますから、ヒデキは他の5人の弟妹たちが
努力していないように見えて仕方がありません。心根の深い部分では「なぜ自分だけが…」
というヤッカミもあったかもしれません。自分の家族といえども、自分の生き方の信念に
反する者には冷淡な態度を取っています。

261 :イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2005/12/25(日) 22:57:42 ID:zEck8zKD
ヒデキが『子煩悩』だとはよく言われますが、それは娘に限っての話です。
息子に対しては大変厳しく、長男の英隆にも厳しく臨んでいます。それは
英教がヒデキに望んだものと同じだったでしょう。

英隆はヒデキを避けて、府立四中を中退し日本郵船に入社して船に乗る
生活を選びます。

ヒデキの息子たちは妻カツの実家である福岡に送られ、福岡高校に入学させられます。
「男子は早く独立させた方がいい」というヒデキの意向でした。娘は「いずれ家を
出るのだから、それまで家に置いておく」方針です。

262 :イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2005/12/25(日) 23:30:23 ID:zEck8zKD
ヒデキの甥で軍人になった者も、不用意な発言がもとで出入り禁止に
なっています。

カンジの場合、1917年に一回目の結婚をしますが直ぐに離婚。二回目の
結婚を1919年に国府*(ド忘れしたw)とした覚えがありますが、資料が
部屋のどこかに紛れてしまって分かりませんw。

263 :イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2005/12/26(月) 00:54:37 ID:???
>>260 >>やはり軍隊内であるからこそ許される行為でしょう。

やはりプライベートのない軍隊内であるからこそ許される行為でしょう。

に修整。

264 :イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2005/12/26(月) 22:18:47 ID:Hji95YNM
原稿を書いている「スキマ時間」で読んで面白かった本を挙げておきます。

『「支那通」一軍人の光と影 磯谷廉介中将伝』(小林一博著、柏書房:本体2800円) 

一応、新刊書店で買えます。磯谷中将はひどくマイナーな人物ですが、元祖「支那通」である
青木宣純の娘婿にあたります。本人も当然「支那通」で孫文とも深い交流があった人物です。
士官学校で言うと「花の16期」で永田鉄山や岡村寧次、板垣征四郎などと同期になります。

磯谷と聞いてピンと来ない人も、石原莞爾にまつわる以下のエピソードはご存知の方が
多いのではないでしょうか。

1936年12月に西安事件が起きると、参謀本部作戦課長・石原莞爾大佐は「大変なことになった!」と
憂色をその顔にみなぎらせて「I少将」のもとに足を運んだ。すると「I少将」は、「君、蒋介石が
監禁されて愉快じゃないか。いま祝杯をあげているところだ。君も上がって一杯飲め」と言う……。

陸軍きっての支那通であるI少将だが、事態の深刻さに気付くのは石原よりずっと後のことだった――。

265 :イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2005/12/26(月) 22:37:29 ID:Hji95YNM
石原を褒め讃える時に必ずと言っていいほど引用されるエピソードですが、
上記の「I少将」こそが、当時軍務局長だった磯谷廉介とされています。

もっとも著者は磯谷の遠縁にあたる人なので、上記のエピソードを『酷い曲解』だと
否定しています。すなわち、蒋介石が孫文を監禁して権力の委譲を迫った事件があった。
孫文と交友の深かった磯谷にすれば、西安事件は「蒋介石め、ざまあ見ろ!」との思いで
祝杯をあげていたのである。磯谷に見る目が無かったとするのは片手落ちである、とします。

当然、本書の内容は一貫して「磯谷びいき」で公平性に著しく欠けますが、河本大作や本庄繁、
永田鉄山などが磯谷に出した手紙の原文が収録されており、非常に資料的価値は高いものと
評価できます。また巻末の「軍人諸給与」「宮中席次」の表も見易くてお勧めです。

とくに「手紙」は貴重で、本庄繁が石原莞爾のことを「石原厄鬼なり」と苦々しく思い
ながらも、その高い能力を惜しみ将来を常に気にかけていたことが明らかになります。

また、磯谷廉介というと「ノモンハン事件」時の関東軍参謀長、後の香港総督と言った方が早いかもしれません。

266 :イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2005/12/26(月) 22:54:00 ID:Hji95YNM
こういうマイナー人物の伝記を読むのも良いもので、例えば、一般的に
カンジが関東軍参謀副長を投げ出して「予備役編入」される切っ掛けを
つくったのは、上司で参謀長だったヒデキとの確執が原因とされています。

しかし、ヒデキが関東軍参謀長から転出した際、カンジは自分が副長から後をついで
参謀長に昇進するものだと大きな期待を抱いていました。そこに参謀長として赴任
してきたのが磯谷廉介でした。満州国の協和会を非政治団体化しようとする磯谷に
カンジは強く反発して「辞める。クビしてくれ」と磯谷に申し出ていたのです。

カンジにとって致命的になったのはもしろ磯谷廉介の方で、ヒデキとは人間的に最悪でしたが
政策上の違いはそうありませんでした。磯谷とは協和会を巡って政策上の対立をしますから
引くに引けない訳です。カンジに最終的な引導を渡したのは磯谷廉介でした。

267 :イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2005/12/26(月) 23:09:00 ID:Hji95YNM
もちろん本書にも多大な欠点がある訳で、つらつら挙げると以下の通り。

●価格が高い→2800円は幾らなんでも高過ぎる。
●磯谷びいきが酷過ぎる→話半分に聞かなければならない
●手紙を原文で収録しているのはいいが、読み下し文が付いていない。
 →旧漢字と旧カナ文なんて読めません! 想像しながら解読する必要ありw。

●タイトルで「支那通」と謳っているのに、本文中では「中国通」「中国大使館」
 と逃げて言い換えている。→チキン野郎。羊頭狗肉。看板に偽りあり。自分の
 チンポでもねぶってろ!

特に最後が最悪です。やはり2800円は高いと思われます。1800円だったら
推薦図書に挙げていますが。お金に余裕のある人は、騙された覚悟を完了してどうぞ。

268 :名無し三等兵:2005/12/26(月) 23:18:36 ID:qjZYPUQQ
磯谷は辻の事を非常に信頼していて、戦後彼のいろんな悪事が露見しても
その信頼が揺らぐ事はなかったようです。
辻の方でも愛されてる事はよく承知してたみたいで、潜行三千里で中国に入り
抑留されてた岡村寧次以下諸将に面会する場面が彼の著作にありますが、
岡村達に対する筆致と磯谷に対するそれが全然違います。
ノモンハン事件前後、辻があそこまで好き放題できた背景には、この磯谷の
全幅の信頼があったといえます。ついでにいうと植田軍司令官も第九師団長で
辻の上官でした。
磯谷はノモンハンが無ければ陸相になってた可能性のある人物でした。

269 :イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2005/12/26(月) 23:51:04 ID:Hji95YNM
そうですね。磯谷廉介を挙げたら、辻政信との親密な関係に触れない訳には
いきません。ご指摘の『潜行三千里』(辻政信著)ですが、知らない人のために
既述しておくと、以下の通り。ちなみに本書はベストセラーになっていますw

『ああ!磯谷中将』の一説に、

「磯谷閣下は古い陸軍の先輩で、最も尊敬する一人である。金沢の歩兵第7連隊長の
 長として若い中尉(私)を指導されてから二十数年、直接間接の薫陶を受け、父亡き
 後の父と仰いだ将軍であった。 

 戦犯として谷中将と共に南京に連行され、国防部の庭の草の上に座った写真が新聞に
 掲載されてから、この親を無慈悲に殺されるなら、生きてはおられないと終始
 見守っていた。ケ次長は一応引き受けてくれたものの、世論の前に、英国の追及に
 果たしてどこまで頑張り得るかは疑わしい。最後の公判が開かれたのは南京到着
 一年後の夏である。

270 :イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2005/12/27(火) 00:08:58 ID:WnX/EH8k
 罪状は関東軍参謀長として満州に阿片を売り、また師団長として徐州会戦に
 部下が残虐行為をやり、最後に香港提督として華僑を疎開させた際に、数万の
 餓死者を出したと言うにある。南京残虐の責任者として連行された谷中将と
 共に最悪の結果が予想される」

辻政信は、磯谷を「義父」とまで呼んでいますが、岡村寧次に対する態度は冷淡です。
以下は、辻が上海を去るときに岡村を訪ねた時の『潜行三千里』の既述です。

「その二階には岡村大将が肺病を治療している。松井中将も邦人宅に居候し、度々大将を
 訪ねていた。別に会いたい2人ではないが、日本の旧軍人として最後の礼を尽くすべく
 挨拶した。部下の多数を戦犯として銃殺せられ、あるいは監獄に繋がれながら、一人
 その圏外に安位される両将軍の苦悩に同情していたが、案外平気で元気が良かった」

と皮肉この上ない書き方です。磯谷に対しては、辻は財布をはたいてバターや毛布、シャツ、
砂糖、コートなどを差し入れしていますから、ものすごいギャップです。同じ連隊で
3ヶ月しか接触がないにも関わらず、辻が磯谷にここまで傾倒したのは大きな謎の1つです。

271 :イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2005/12/27(火) 00:27:13 ID:WnX/EH8k
辻政信の著作は、過剰に感情がこもり過ぎて、文体からして好きではありません。

正直、胡散臭いw。

272 :名無し三等兵:2005/12/27(火) 07:55:35 ID:???
人の好き嫌いが激しいんですかね<辻ーん

273 :名無し三等兵:2005/12/27(火) 20:36:19 ID:DHBcctRs
辻が書いてる通り、岡村と松井は抑留されているようで、実際は全く逆。
戦犯として訴追されないように、国民党に守られていました。
岡村は中共に、松井はイギリスに狙われてましたので。
磯谷はイギリスの裁判で終身刑の判決を受けますが、27年に釈放となりました。

辻はノモンハン事件で第十一軍司令部附に左遷されますが、そのとき11Aの軍司令官
だったのが岡村です。11A時代のことについても辻は例の調子でぐちゃぐちゃ
書いてますが、まあ要するに岡村が自分を特別扱いしてくれなかったのが気に
喰わなかったんでしょう。自己愛、自己顕示欲の塊のような人ですからね。

274 :名無し三等兵:2005/12/27(火) 20:47:27 ID:???
>>273
>自己愛、自己顕示欲の塊のような人ですからね。

そこまで言うほどの事でもないと思うが。
よくしてくれた人のことはよく書き、気にいらない人のことは文句をつける。
人間として当たり前の真理。

275 :名無し三等兵:2005/12/27(火) 20:52:16 ID:???
真理→心理

276 :名無し三等兵:2005/12/27(火) 22:19:46 ID:???
>>274
まあ、ある意味子供なわけで。

277 :イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2005/12/27(火) 22:50:54 ID:bcgwsF0I
>>272 >>人の好き嫌いが激しいんですかね<辻ーん

辻も自分がいかに周りから疎まれているか理解していますから、無条件で自分を
肯定してくれる「誰か」が欲しかったのでしょう。

会社に喩えると分かりやすいかもしれません。確かに有能かもしれないが、自分勝手で
横暴、他人の事なんて屁とも思わない、けれど特定の人の言うことだけは別人のように
素直にハイハイ受け入れる、なんて人はあなたの周りにいませんか?

逆に「とりあえず上司のこの人にさえ理解してもらえば、あとはどれだけ他の人に
仕事で嫌われても構わない」と思っている人もいるのでは? 自分もその気がありますw

辻は磯谷廉介のことを「義父」と呼んでいますが、本当に呼びたかったのは「義母」的存在
だと思います。

278 :イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2005/12/27(火) 23:16:34 ID:bcgwsF0I
磯谷に馴染みの新聞記者が「閣下の前で辻政信の悪口を言うと、機嫌を
損ねるから気をつけろ」と、人に紹介するときに釘を刺していますから、
磯谷が辻を可愛がっていたのも本気でしょう。

先述の『「支那通」一軍人の光と影』の著者が、自身のエピソードとして
以下のような話を挙げています。引用すると以下の通り。

「磯谷が、筆者に刀を一振りあげようといってくれたことがある。大小、
 五振りの刀を見せてくれて、備前長船祐定は陣刀として中国戦線以来
 帯刀したものだから、これは家宝だ。他ならどれでもいい、と言ってくれた。

 中に刀身が厚い大刀があり、無銘ながら古刀として素人目にもいいと思ったが
 何しろ長すぎるし重すぎる。もう一振り、これも無銘ながら刀紋が美しいもので 
 あるが、これには鞘に『内田良平識』とある。刀剣の目利きとしても知名であった
 内田良平が折紙付けた刀であるが、内田の鑑定であることにこだわりがあって逡巡した。

279 :イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2005/12/27(火) 23:30:46 ID:bcgwsF0I
 決めかねて眺めていたら、磯谷が言い添えてくれた。

「辻君がラオスに入るときに別れを言いにきて、護身用に一振り貸してくれ、
 と言いよったから虎徹を貸してやった。辻は約束を守る男だから必ず帰ってくる。
 そうしたら、それを君にあげよう」

 この話を磯谷の香港総督時代の副官を務めた中尾金弥(中佐)に話したところ、
 中尾は即座に「辻君はそういっていつも閣下を騙してきたんだ」と、いつもは
 温厚篤実な中尾が気色ばんで言った。
――――――――――――――――――

辻政信が『行方不明』になったラオス行きのことを指していることに注意!!

上記を見ると、辻政信はラオスに行ったら自分は生きて戻れないことを覚悟している
(『護身用に刀を貸してくれ』という名目で磯谷に最後の挨拶をしにきた)と想像できますし、
磯谷は磯谷で、辻がラオスで行方不明になっても生きて戻ってくると信じています。

280 :イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2005/12/27(火) 23:36:36 ID:???
この話の教訓は何か? 

上記の筆者は結局、辻政信がラオスから戻って来なかったので
『虎徹』を貰えずじまいだった。どれか選べと言われたら、
相手の気が変わらない内にさっさと選べ、ということでは
もちろんありませんw。

281 :イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2005/12/28(水) 00:21:59 ID:ELmwYbPx
>>273 >>辻はノモンハン事件で第十一軍司令部附に左遷されますが、そのとき
>>11Aの軍司令官だったのが岡村です。

磯谷の親友で、逆に辻政信をまったく評価しなかったのが岡村寧次です。
以下、『亜細亜の共感』『権謀に憑かれた参謀 辻政信』に拠りますが、辻が
ノモンハン事件後に、漢口の第11軍司令部付に飛ばされた時のエピソードです。

1939年9月15日、辻が岡村軍司令官(中将)に着任の申告に出頭すると、

「浴衣がけで手に『講談倶楽部』を持ちながら、この札付きの少佐の申告を受けられた。
 参謀本部部員とか、陸軍省課員の身分で訪れたら、勲章をつけた軍服姿で、下にも置かず
 もてなすであろうこの将軍には、今満身創痍の一少佐を厄介視こそすれ、一片の同情、
 一分の好意を寄せるような気持ちは、微塵も見出すことができなかったのである」

282 :暫編第一軍:2005/12/28(水) 00:25:09 ID:???
イナゾウ中佐殿の書き込みは人事系エピソードの宝庫ですね。私はここ数週間でスレに気付いたばかりなので全ての記事を読んではいないのですが、後日の楽しみとしています。
当方の汪政権軍シリーズは今週中に次の1作を準備したいと思います。
シリーズ終了後に種本を公開させて下さい。
では。

283 :イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2005/12/28(水) 00:40:40 ID:ELmwYbPx
最初、岡村寧次が上記のような「ふざけた態度」を取る人間などとは全く思わず、

てっきり辻政信が「浴衣がけで手に『講談倶楽部』を持ちながら、岡村軍司令官に
着任の申告に出頭した」と読んで、何て辻はふざけた男なのだろう!と憤慨した
覚えがあります(藁)。

後で幾ら何でもおかしいと思い直し、もう一度読んで勘違いに気付きましたw。

まあ、>>281 のエピソードは「勧善懲悪の世界」というか、かなり脚色が強いので
話半分に聞かないといけませんが。

284 :名無し三等兵:2005/12/28(水) 09:01:05 ID:???
>>276
まあ大井篤とかも気に入らないやつのことは結構ボロクソに書いてるけどな。

285 :暫編第一軍:2005/12/28(水) 20:28:44 ID:???
主張を正当化したり個人的関係を必要以上に書いてしまうのは当事者の限界ですよね。
当事者の証言は貴重な反面、そういう部分はわかった上じゃないと害もある。
このスレの皆さんは当然ご承知のことですが。

286 :暫編第一軍:2005/12/30(金) 00:06:57 ID:???
2,華北政務委員会所属の綏軍(治安軍)
 日中開戦時、華北には冀東防共自治政府が存在しましたが、南京陥落後の1937年
12月14日、新たに中華民国臨時政府が北平に成立し、翌年1月末に防共自治政府も
これに吸収されます。
 この中華民国臨時政府の軍隊が治安軍です。それ以前にも憲兵隊や警防隊約5,000名
の兵力が存在しましたが、日本軍はより強力な治安部隊の存在を望みました。1939年
10月1日に発足した当時の治安軍は第一〜第三集団(各2個団)、独立第八、第九団の
計約15,000名。1個団の兵力は約1,500名。将校は通州軍官学校卒業生、兵員は新規
の募兵です。
 1938年3月28日南京で中華民国維新政府が成立すると両政府の調整機関として9月
22日中華民国政府連合委員会が成立。1940年に汪兆銘による中華民国政府が成立
すると両政府はこれに吸収され、臨時政府は華北政務委員会と改称されます。恐らく
この時点で治安軍は華北綏軍と改称されたと思われます。(その後も慣習的に
治安軍と呼ばれる事が多かったとも、治安軍は日本側呼称であるとも言われます。)
 治安軍は汪兆銘政権の指揮下に入ったことになりますが、華北綏軍総司令部は華北
政務委員会の治安総署の職員が兼任しており、また日本側の「指導要領」でも汪政権直轄
軍隊とは別に華北政務委員会に隷属させるとあり、中央軍とは違うと考えてよいでしょう。


287 :暫編第一軍:2005/12/30(金) 00:11:03 ID:???
 1940年11月、第二期建軍により第四〜第七集団、独立第十三、第十五、第十七〜
第十八、第二十一〜第二十二団、及び1個砲兵隊を編成。
 1941年10月、第三期建軍により第八、第九、教導集団を編成。恐らく同時期、冀東
警防隊より第一〇一、皇協第二路から第一〇二集団が改編により増強されており、
この2個集団は各3個団よりなり特に第一〇一集団は綏軍の最精鋭と言われます
が、共に終戦時の戦闘序列から消えています。
 1942年、第十、第十一集団が編成されます。第十一集団は第一〇二集団から
改編されたものと思われ、すると第十集団も第一〇一集団からの改編である可能性
は濃厚です。
 1945年には第十二、第十三集団を編成。独立団に関しては詳細不明ですが、集団
所属を含め最終的に41個団があったとされることから、13〜14個独立団とする推定も
成り立ちます。しかし一部の集団が終戦時に3個団を指揮下に置いている資料もあり、
これに基づくと独立団は差し引き8個のままということになります。
 華北綏軍は多大の経費と正規の軍事訓練を受け、主として中共軍相手の治安戦に
投入されましたが、日本側、中共側の双方からその戦闘力は中共軍より劣っていたと
いう一致した評価を受けています。また兵員の補充に苦しんでいたようで、ある資料では
終戦時の兵力約36,000名とされます。
 終戦後は孫連仲の第十一戦区に吸収されました。


288 :名無し三等兵:2005/12/31(土) 02:31:37 ID:???
シンガポールでは4〜5万人が虐殺された

http://www32.ocn.ne.jp/~modernh/paper41.htm
アジア太平洋戦争における最初の大規模な残虐事件は、シンガポールの華僑虐殺だった。
1942年(昭和17)2月15日にシンガポールの英軍が降伏し、マレー半島全土を日本軍が占領下においた。
その直後、第25軍司令官山下奉文は「最も速かに市内の掃蕩作戦を実施し、
これ等の敵性華僑を剔出処断」せよという命令を下した(河村参郎『十三階段を上る』亜東書房)。

憲兵隊を中心としたシンガポール警備隊が市内の、近衛師団が市内を除くシンガポール島を担当、
18歳以上50歳までの華僑男子は21日までの指定された場所に集まるように布告が出された。
各検問所では簡単な尋問がおこなわれただけで、「抗日」とみなされた者はトラックに乗せられて郊外の海岸などの運ばれ、
機関銃で射殺された。

この粛清の事実上の首謀者だった軍参謀辻政信は検問所をまわって、

「何をぐずぐずしているのか。俺はシンガポールの人口を半分にしようと思っているのだ」

と憲兵隊を激励してまわった(大西覚『秘録昭南華僑粛清事件』金剛出版)
この粛清を指揮したシンガポール警備隊長河村参郎の日記には、粛清の途中の23日に憲兵隊長を集め、
そこで「処分人数総計五千名」と報告を受けたことが記されている。

戦後、日本軍関係者が作成した文書では約5000人を「厳重処分」(裁判にかけずに直ちに処刑すること)したとしている。
シンガポールでは4〜5万人が虐殺されたとされている。

289 :イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2005/12/31(土) 09:11:04 ID:44nDJFtM
>>286、287様
お疲れ様です。時系列を追って分かり易くまとめて頂き、まことにありがとう
ございます。詳細については、何か「合の手を打てる」ような資料さえ持っておらず、
ただ勉強させていただいている次第です。

しかし「綏遠」という言葉を聞くと、どうしても綏遠事件(1936年)の田中隆吉の
名前が浮かんでくる訳です。あの惨敗を考えると「綏遠軍」の建設が、上記のように
進められていたとは隔世の感があります。

まあ、もっとも翌年1937年のチャハル作戦で綏遠は占領されていますが、綏遠事件の
印象がよほど強い訳です。「無敵の関東軍敗れる」と支那側に誤宣伝されていますし。
この時の失敗ばかりは田中隆吉も、珍しく周囲の同情を買う程しょぼくれていました。

>>日本側、中共側の双方からその戦闘力は中共軍より劣っていたという一致した評価を受けています。

むべなるかな。しかし装備劣悪の中共軍に劣るとは悲惨ですね。やはり士気が雲泥の差でしょうか。

290 :イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2005/12/31(土) 09:21:12 ID:44nDJFtM
以前、どなたかに薦められて自分も読みましたが、『日本陸軍と中国』
(戸部良一著:講談社選書メチェ)には、佐々木到一中将による満州国軍の
育成の様子が描かれています。

この本は「支那通」であった佐々木の伝記に近いものがありますが、ちなみに
佐々木も既述した磯谷廉介と同様、初期の孫文と親交が深かった人ですね。

この中に「佐々木は満州国軍の育成に全力を注ぎながら、その背反の可能性もきわめて
リアリスティックに考慮していた形跡がある」という説があります。

「彼の思念の中には、いわば最も信頼していたものに必ず裏切られるという
 歴史哲学が含まれているかのようでさえある」

という、本書の一番のヤマ場に当たる箇所です。

291 :イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2005/12/31(土) 09:30:21 ID:44nDJFtM
佐々木が満州国を去る数ヶ月前、『対満州国政治指導に関する所感』で
次のように述べています。

「満州国軍は建軍以来5年の間に面目を一新したが、その将兵の大部分に
 崇高な国家的観念が植えつけられた訳ではない。その軍紀を維持し戦闘能力を
 発揮させているのは、徹底した信賞必罰のためである。
 
 つまり、将兵の功名心や射利心に訴えて軍紀を維持しているのが現状である。
 これは建軍過程の一時的な方便であり、早くこれから脱却して自覚と犠牲的精神に
 基づく、近代的軍紀を確立しなければならないのだが、漢民族の習性がそんなに
 急速に改められることなど、実際にあり得るだろうか?」

満州国軍でこれですから「他は推して知るべし」と評すべきでしょう。本書に描かれている
佐々木の「強烈過ぎる個性」は惹かれるものがあります。

292 :イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2005/12/31(土) 09:49:23 ID:44nDJFtM
>>288
>>「何をぐずぐずしているのか。俺はシンガポールの人口を半分にしようと思っているのだ」

先の磯谷廉介中将も、香港総督時代の「人口疎散問題」で戦犯になっています。
日本の占領政策からみて、香港(佐渡島程度の面積)の養いうる人口は70万人と
目算したところ、当時の人口は支那本土から難民が流入して膨れ上がり、200万人
にまで達していました。

ここで「100万人の支那人」を出身地である広東省に追い返す政策が取られますが、
それが余りに強制的であったため「日本軍は中国人を船に乗せて海に捨てるのだ!」
との風説も流れています。

磯谷の場合、戦犯容疑で「関東軍参謀長として阿片密売に関与した罪」「第10師団長
として山東・河南で部下の暴行を許した罪」も問われていますが、これらはいずれも無罪で
先に挙げた「香港総督として避難民を強制送還させた罪」だけが有罪となり、無期刑を
宣告されています(その後、1952年に釈放)。

293 :イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2005/12/31(土) 09:57:24 ID:44nDJFtM
香港の場合、水や食料の供給など、養いうる人口を超えていた経済的・
物理的な理由。また隣の広東省に追い返せば済んだという利点に注目
すべきでしょう。

>>288 は参照ページを読んでいる時間が無いので、具体的なコメントは
避けたいですが、香港のように追い返す場所もなかったですからね。
「ヤッチマイナー!」(キル・ビル参照w)という方向になったのかもしれません。

磯谷の場合、香港での軍票問題(戦後に紙屑に)の方が問題が大きいと
個人的には思いますが。そういえば、そんなスレも昔どこかにあった覚えがします。

294 :イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2005/12/31(土) 10:03:29 ID:???
時間に追われて気づいたら今日はもう大晦日w。

『超時空要塞ビグサイト』から戻ってきた足で、これから実家に帰省します。

少し早いですが皆さん、良いお年を〜。来年もいい一年になりますように。

とりあえずお金を沢山もっている方は、バンバン使って景気浮揚に貢献して
ください。上が使ってくれないと下はスッカラカンですw。

295 :イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/01/06(金) 00:00:47 ID:aajxDV/t
閑話休題で書評を1つ。仕事の関係で読んだのですが、まあまあの良著でした。

『戦術と指揮――命令の与え方・集団の動かし方』(松村劭著、文藝春秋)

初版は1995年9月で10年以上前の本ですが、自分の手元の本では2005年7月にも
7刷目がかかっているロングセラーです。著者の松村氏は、陸上自衛隊の元陸将補で
西部方面総監部防衛部長を務めていました。

何がお勧めかと言えば、戦場地図の『部隊記号』を丁寧に分かりやすく噛み砕いて
説明している点です。もともとはビジネス書として、戦場の指揮官の思考・行動から
学ぶというスタンスですが、軍事初心者にも入門書として最適の内容と評価できます。

296 :イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/01/06(金) 00:13:00 ID:aajxDV/t
例えば……

□の中に×点で歩兵部隊、□の中に楕円で戦車部隊、□の中に/で偵察部隊、
□の中に●点で砲兵部隊

□の上に・1つで分隊、□の上に・・・3つで小隊、□の上に|1本で中隊、
□の上に||2つで大隊、□の上に|||3つで連隊、□の上に×1つで旅団、
□の上にXX2つで師団、□の上にXXX3つで軍団

>――< で砲兵、 ↑ で迫撃砲、 などなど…
          ○

297 :イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/01/06(金) 00:29:40 ID:aajxDV/t
迫撃砲がズレた……orz. ♂で表した方が早かったですw。
他にも「3択形式」で作戦(戦術)を問う『基本演習』がお勧めです。例えば、

●川はどこから渡るのか? ●屈折点における戦い方 ●守る場所を見つけだせ
●山と山に挟まれた隘路における戦闘 ●時間を引き延ばそうとする敵
●森林において危険な場所 ●突破における「助攻」 ●包囲してからの攻撃
●主火力は前に出すべきか? ●予備の人員構成 ●どうやって本隊に戻すのか?

などを扱っています。ためしに「予備の人員構成」を例に挙げると、

Q.防御における予備の人員構成はどのようにしたら良いか?

@1指揮官のもとに1部隊として編制しておく
Aそれぞれの兵科部隊ごとにバラバラに配置する

さてどっち?などです。正解はAですね。主導権は攻める相手側が持って
いますから、事前に「コレ」と決めつけず柔軟に対応する必要があります。

298 :イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/01/06(金) 00:38:07 ID:aajxDV/t
自分などは「基本演習」で何問か間違えて愕然としましたw。

本書の後半には「Q島における三鷹戦闘団の戦い」など発展問題が
ありますが、もっと基本演習を増やした方が良かったと思います。
ある意味、パズル問題というか頭の体操という気がします。

価格も1500円でまあまあのお値段ですし、ラーメンでも喰いながら
気分転換に読むにはちょうど良い内容の本です。

299 :1J ◆KoxG3j4sWc :2006/01/06(金) 01:34:24 ID:???
>>298
そして後日「戦術との出逢い」と「白紙戦術」を手に取るイナゾウ氏の姿が目に映る(爆


300 :名無し三等兵:2006/01/06(金) 14:47:38 ID:???
正月明け復帰〜

301 :暫編第一軍:2006/01/07(土) 00:14:14 ID:???
 イナゾウ中佐殿、いつも勉強させていただいております。
 満州国軍も興味深いですね。機会があればまとめてみたいと考えています。
 私の方の汪兆銘政権軍シリーズは少し遅れていますが、1〜2週間以内に何とか次の1本を執筆したいと考えております。
 

302 :名無し三等兵:2006/01/07(土) 13:45:57 ID:???
お前ら事情を知らないようだから、とりあえず上海から始めよう 

中日戦争開戦の1937年、上海租界には、4000人の日本人一般市民が、
中国に請われて、国際法上全く問題なく、欧米諸国と一緒に経済活動を行っており、
護衛のための海軍特別陸戦隊2500名が駐留していた。
当時の中国は匪賊が出没するような治安状態であり、
各国ともに護衛の軍を駐留させるのが当たり前であったし、
日本の進出は下関条約に基づいたもので合法であった。
=A=
1937年は7月から虚溝橋事件、通州事件を代表するような、日本軍を狙う事件が相次いでいたが、
そのたびに、日本軍と国民党軍は停戦協定を結んでいる。
しかしながら、そのたびに国民党軍(or共産党軍:8月以後は八路軍)側が一方的に破棄して攻撃してくる。
=B=
同年8月11日以後、十九路軍正規軍12万、保安隊3千百、正規軍兵装警察隊5千、憲兵隊4千百が上海を包囲、
停戦協定による非武装地帯に協定を無視して侵入、陣地の構築をし、夜間演習を行い始める。
日本軍は駐留軍を4000人に増加したが、戦闘行為には及ばなかった。
8月23日 第2次上海事変
このような状態の中、陸戦隊西部派遣隊長:大山勇夫中尉は、斎藤一等水兵の運転する自動車で視察巡回中に
上海西部路上で狙撃され、大山注意は死亡、斉藤水兵は保安隊に惨殺される事件が発生。
これにより日本国内で国民党攻撃の世論が高まる。

8月14日 国民党空軍による上海租借地を爆撃開始。報復措置として上海近辺の国民党軍陣地を爆撃開始。
日中戦争に突入。
=D=
以後、敗走する国民党軍を掃討するために追尾→南京に逃げる
9月 第2次国境合作 共産党軍とも戦うはめになる
11月 国民党政府は、南京から重慶に遷都する→重慶に逃げる
12月10日 南京攻略開始 12月13日 南京占領
=E= 
上海租借地爆撃開始から、南京攻略までの間、日本軍は援軍援軍で軍備を補強した。

これは欧米にもある資料なのだが、どの辺が理解出来ないのかアルファベットで言って貰えると助かる

303 :名無し三等兵:2006/01/07(土) 16:08:41 ID:???
これどこのコピペ?

スターリングラードの戦い(独ソ戦)
http://hobby7.2ch.net/test/read.cgi/army/1129808991/l50
でもおなじものがあったけど?

このスレは長文が多いので、容量の観点から長文コピペは
お控えいただけますと幸いです

304 :えICBM:2006/01/07(土) 18:55:06 ID:???
あちこちで見るコピペだが、間違い、誤字もしっかりコピペだから頭の悪さがほのかに香る。

305 :イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/01/07(土) 22:52:47 ID:K3pbrGHD
>>299
>>そして後日「戦術との出逢い」と「白紙戦術」を手に取るイナゾウ氏の姿が目に映る(爆

当方、戦術にはとんと疎いものでw。勉強不足です。参謀本部の支那課長か、陸軍省人事局の
補任課長あたりなら何とか真似できそうなんですが(核藁)。作戦を担当する第一部には
全くもってお呼びではありません。

ちなみにヒデキが初めて実戦指揮をしたのは、1937年8月に始まる「チャハル作戦」です。
盧溝橋事件の直後にあたります。

このときヒデキは54歳。陸幼に入ったのが13歳ですから、この時まで41年間、ヒデキは
実戦を一度も経験していませんでした。しかし結果は大勝利で「東条兵団」は関東軍の武勲を
大いに高め、陸軍中央へ指示を細かく仰ぎ、たちまちの内に実行するヒデキの手腕を、当時の
陸軍次官だった梅津美治郎は高く評価します。

これが直後に、ヒデキが陸軍次官を引き継ぐ大きな切っ掛けとなるのです(陸相は板垣征四郎)。

306 :イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/01/07(土) 23:22:09 ID:K3pbrGHD
>>305は、>>陸軍中央へ指示を細かく仰ぎ

がポイントです。もちろん「意見具申」の形でヒデキは強硬論を中央にぶつける
訳ですが、少なくとも「中央の統制」には従うというスタンスを守っている訳です。
そこに梅津がヒデキに目を付けるのです。

ヒデキは「統帥権の遵守」を己の命よりも大事としていますから、盧溝橋事件の直前に
起こった「カンチャズ島沖事件」(1937年6月19日)で関東軍の現地部隊が軍中央の命令を
無視してソ連の砲艦を撃沈した事件は、その理由の如何に関わらず「統帥権の干犯」として
関東軍参謀長だったヒデキを苦しめます。自分の軍人としてのアイデンティティの根幹だからです。

正真正銘、本気で軍人を辞めることを決意したほどです。ヒデキは「何だ? あの野郎は
統帥権、統帥権と他人にはウルサイ癖に自分だけは大甘なのか」と後ろ指を刺されるのに
我慢できない性格だからです。

>>302 は『中日戦争』の出だしから読む気が無くなりますw。

307 :名無し三等兵:2006/01/07(土) 23:52:24 ID:2s/XqqSO
結局は首相時代に参謀総長の兼任で統帥権干犯として叩かれて、
首相辞めた後、倒閣の中心人物の一人であった近衛文麿と寝台列車の部屋で一緒になった時に、
「私は参謀総長を兼任すれば、海軍の作戦までも知ることができると思っていたことが失敗でした。
海軍のことはいかに参謀総長でも一切知らせてくれないので、どこでどういう作戦をやっているのやら、
どういう損害を受けたのやら、皆目知ることができなかったのにはすっかり弱りました。
これがそもそも失敗の元だったと思います。」と言ってますね。

308 :イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/01/08(日) 00:45:54 ID:xNUaRyxq
>>308
非常に分かり易くまとめて頂き、まことにありがとうございます。
まったくご指摘の通りだと思います。

>>海軍のことはいかに参謀総長でも一切知らせてくれないので、どこでどういう作戦をやっているのやら、
>>どういう損害を受けたのやら、皆目知ることができなかったのにはすっかり弱りました。

首相:陸軍大臣:参謀総長:軍需大臣:外務大臣:内務大臣:文部大臣:商工大臣を兼任しても
「海軍の作戦」は一切知らされないというのは泣けてきますね。ああ、大粒の涙が……w

ヒデキはともかくとして、お飾りのような陸軍大臣だと「陸軍の作戦」すら知らされない
ことがあります。甚だしいのは「陸相といえども作戦に容喙するのは統帥権干犯である!」
と身内から叩かれたケースもw。

やはり軍政と作戦の権限を1人の人間に集中できなかったのは、日本の限界だったと言えるでしょう。
天皇制自体を引っくり返せるような『強大な権力者』を生み出さないためのシステムだった訳ですが…

309 :名無し三等兵:2006/01/08(日) 01:03:33 ID:LgAl7ThA
東條と犬猿の仲だった酒井鎬次が大正年間にそのへんの問題を色々研究して
るけど、結局一つもものになってない。制度を変えたがらない気質は今も昔も
変らないですね。

310 :イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/01/08(日) 01:04:59 ID:???
まあ、前スレでも扱いましたが『統合幕僚本部』がなぜ消えてしまったのか?
という問いに帰結する訳です。

>>首相辞めた後、倒閣の中心人物の一人であった近衛文麿と寝台列車の部屋で一緒になった時に、

物凄いシュチエーションですねw。ヒデキは倒閣直前に「これは重臣の陰謀である」との声明を
発表しようとして、閣僚一致の反対で差し止められています。近衛の倒閣運動に対しても冷静に
水に流せたのでしょうか。

311 :名無し三等兵:2006/01/08(日) 01:09:12 ID:???
>やはり軍政と作戦の権限を1人の人間に集中できなかったのは、日本の限界だったと言えるでしょう。
>天皇制自体を引っくり返せるような『強大な権力者』を生み出さないためのシステムだった訳ですが…

その辺は長年の伝統だからどうしようもないですな。
逆に、ヨーロッパでは権威と権力を1人に集中させる傾向がありますね。
ヒトラーとかナポレオンとか。

312 :名無し三等兵:2006/01/08(日) 01:10:28 ID:???
スターリンもね。
アメリカ大統領もいざというときの権力集中はすさまじい。

313 :名無し三等兵:2006/01/08(日) 01:30:04 ID:LgAl7ThA
陸海軍の対立は感情的な比率が高いですからね。
幼稚なようで根深いですよ。
ttp://imperialarmy.blog3.fc2.com/に杉田一次大佐の本のことが書かれてますが、
英米派として陸軍で肩身の狭い思いをして、素養的にはある意味海軍に近い
杉田大佐ですら、海軍に対してかなり腹に据えかねるものがあるようです。

314 :えICBM:2006/01/08(日) 01:45:18 ID:???
>>306
軍中央の命令を無視すれば当然罰すべきなのに罰せない。
ここらへんが東條の限界であり、対米開戦回避の責任者として首相に推した木戸内大臣の失敗のようだ。

東條は、二二六事件の時は関東軍憲兵隊を率いてとして毅然とした態度をとっていた。
どこら辺りで変わったのやら。

>>307
大本営自体が陸軍と海軍できっちり別れていたから参謀総長になっても海軍の事情なんてわからない。
軍政一致で行こうとしても、軍自体が二つに分かれているのだから無理な話。


315 :名無し三等兵:2006/01/08(日) 02:32:01 ID:???
>軍自体が二つに分かれているのだから無理な話。
むしろ仮想敵国が二つに分かれていたのが問題じゃないだろうか?

316 :名無し三等兵:2006/01/08(日) 02:34:53 ID:???
海軍が陸主海従状態では不服だったからなぁ。

317 :名無し三等兵:2006/01/08(日) 02:41:56 ID:???
>>315
何で分かれたかといえば日露戦争後の陸海並立だろ。
それ以前に主敵と想定されていたのはロシアだった。

318 :えICBM:2006/01/08(日) 02:52:28 ID:???
>>315
仮想敵国が二つに別れてることと、軍が真っ二つに分かれることの関係がよくわからん。
そもそも、国家体制の中に軍を統括する仕組みが無いってのが問題だったかな。

ところで、仮想敵国は2つといわず、もっと沢山あった。

319 :名無し三等兵:2006/01/08(日) 03:00:07 ID:???
日露戦争前
陸主海従
主敵:ロシア

日露戦争後
陸海並立
主敵:
陸軍 ロシア
海軍 アメリカ

つまるところ、海軍の地位が上がったのが問題か…ってか、
日露戦争のときも陸海バラバラじゃなかったか?
旅順の例とかを見ると。

320 :名無し三等兵:2006/01/08(日) 03:04:08 ID:???
>>318
ロシア(ソ連)と戦争するとなれば陸戦が中心になるので、
ロシアが第一の脅威であるとすれば当然陸軍の力が強くなる。
アメリカと戦争するとなれば海戦が中心になるので、
アメリカが第一の脅威であるとすれば当然海軍の力が強くなる。
そこで、陸軍はロシア、海軍はアメリカをそれぞれ仮想敵国としてこれを強調した。

皇道派は反ソであり、ソ連に勝つために英米とは妥協し、英米利権と衝突するおそれのある中国には手を出さない、
と言う方針があったとはよく言われることで、確かに小畑敏四郎にはそういう考えがはっきりあったようだが、
皇道派は一方で反米路線を強調する海軍の艦隊派と親しくしていた。
この辺りに軍部の対外戦略のいい加減さがうかがえる。

321 :えICBM:2006/01/08(日) 03:13:11 ID:???
>>321
つまり敵国の性質上、陸海軍の主従関係が持てなかったってわけだ。
それは確かに原因として大きいだろう。

軍内部で様々な意見があっても良いが、それを纏める組織が無く、陸海現地軍が勝って独自路線を
実行できるってのは近代国家とは思えない。
軍閥ってのはこういうのを指すのではなかろうか。

322 :名無し三等兵:2006/01/08(日) 03:19:51 ID:???
三国同盟の際、海軍内の枢軸派であり松岡洋右と親しかった石川信吾らにもこういう考えがあった。
三国同盟は元々、松岡が唱えていたソ連参加による四国同盟(元はリッベンドロップ)に発展させる予定であったので、
石川信吾らはこれをソ連と同盟を結べば陸軍の根本たる対ソ戦略は消え、
アメリカが日本の最大の仮想敵国になるとして海軍内で三国同盟への支持を集めさせた。
ちなみに、この石川信吾は南部仏印進駐においても重大な役割を果たしているが、
これはさっきの石川の四国同盟論、独ソ戦に伴う北進論とをあわせて考えると非常に含みがある話だと思う。

323 :名無し三等兵:2006/01/08(日) 10:36:32 ID:???
>>320
現実に大陸権益を守らねばならない陸軍は分かるとして、海軍はなァ…。

324 :名無し三等兵:2006/01/08(日) 17:38:01 ID:???
結局どうすればシナ事変は解決したのでしょうか?


325 :イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/01/08(日) 22:00:00 ID:P7jO7As4
>>313 >>ttp://imperialarmy.blog3.fc2.com/に杉田一次大佐の本のことが書かれてますが、
>>英米派として陸軍で肩身の狭い思いをして、素養的にはある意味海軍に近い
>>杉田大佐ですら、海軍に対してかなり腹に据えかねるものがあるようです。

おお!自分は初見でしたが、なかなか凄いサイトですね。杉田大佐の『情報なき戦争指導』は
「歴代」第二部長11人の批評らしく、これは是が非でも読まなくては!と思ったのですが、
Amazonのユーズドマーケットでも在庫切れのようで……orz. 気長に探します。

陸軍の『親英米派』ですと、そのサイトに取り上げられている渡久雄(陸軍少将・第二部長)も
有名です。ヒデキの話ばかりしてスレ違いで恐縮ですが、渡少将は満州事変前後に欧米課長を
務めるなど、部内きっての欧米通でした。そしてヒデキの親友でもあります。

ヒデキと渡久雄は陸士の同期(17期)で、しかも城北中の同級生です。ヒデキが敗戦後に
巣鴨拘置所で「自分は2人の良き友人と師を持った。永田(鉄山)さんと、渡(久雄)だ」
と述懐したほどの仲でした。その渡は1939年1月に病死します。

326 :名無し三等兵:2006/01/08(日) 22:07:14 ID:???
渡兄弟(久雄、左近)は揃って猪木みたいな顎の持ち主だったそうです。

327 :イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/01/08(日) 22:24:43 ID:P7jO7As4
渡少将は病弱だったので早逝しますが、ヒデキが陸軍大臣や首相になる頃まで
生きていたら、私的な友人の立場としてでも何らかのアドバイスが出来たのでは……
と淡い期待を抱いてしまいます。

というのも、巣鴨拘置所でヒデキが「アメリカのデモクラシー」について
自省の弁を記したメモが秘密裏に持ち出されますが(過程は長くなるので割愛)、
あまりに初歩的で素朴な内容だっため、公表が1974年まで止められています。

「開戦時の首相として、この程度の米国に対する認識もなしに戦争に突入した
 とすれば由々しき問題」と受け止められるのを関係者が恐れた訳です。

ちなみに1931年前後、ヒデキと渡久雄の家は隣同士で、たまに2人で
食卓を囲んでいました。

328 :イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/01/08(日) 22:37:09 ID:???
しかし、陸軍の第二部長で『親英米派』の代表格と言えば、本間雅晴中将を
外せないでしょう。英国通で語学にも通じ、子供にも「パパ、ママ」と呼ばせた
陸軍としては異色の軍人です。後半はどうでもいいですがw。

第二部長を離れる際も「英米軽視の風潮を改め、ヒトラーの政策にまきこまれない
よう努めなければならない」と言い残して、欧米課長に辰巳英一大佐を推薦しています。

しかし、その親英米派の筆頭格である本間が、『バターン・死の行進』でマッカーサーの
恨みを買い、マッカーサーを恐れた日本政府からも見放されて刑死する訳ですから
これ以上の皮肉は無いでしょう。

地獄の閻魔様である、四季映姫・ヤマザナドゥ(通称:山田 or え〜き)に
聞いてみたいところではあります。どうなんですかね? 四季さま(核藁)。

329 :名無し三等兵:2006/01/08(日) 23:13:18 ID:???
硫黄島の栗林忠道中将も駐米経験のある知米派だったと聞いたことがあります。

330 :支那人民の敵、毛沢東:2006/01/08(日) 23:33:12 ID:mU/UvefY
中国共産党工作員殿、皆さんの尊敬する毛沢東の実態のほんの姿をご紹介しよう。


1948年5月30日、毛沢東は、林彪に満洲の長春を封鎖して「死城にせよ」と命令した。
封鎖は、著しい効果を発揮し、場内に大飢饉を生じさせた。以下、林彪の報告。
「餓死寸前の住民が群れを成して兵隊の目にひざまずき、外へ出してくれと懇願した。
 中には、兵隊の前に赤ん坊だけ置いて自分たちは場内へ戻っていくものもいた。
 検閲所の前で首をつったものもいた、歩哨はこの惨状を見るに耐えず、飢えた人々とともにひざまずいて涙を流す兵士もいた。」

多少の情けには流されぬ林彪でさえ、住民を解放してはどうかと毛沢東に提案したが、毛沢東は握りつぶした。
同年9月半ば過ぎから餓死者が急増し始めた、と、長春市長は記録を残している。
5ヶ月にわたる封鎖が終わる頃、50万人いた長春氏の人口は、17万人に減った、実に30万以上の民間人を殺したことになる。

数字をかなり割り引いて発表する中国共産党の公式発表でさえ、民間人餓死者を12万人としている。
これはほんの一部で、自己の権力闘争で自国民を7千万人も平気で殺したこんな人間の死体をいつまで記念館で崇めているんだ。
人民の敵、毛沢東=中国共産党=軍に鉄槌を打て。


331 :イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/01/09(月) 00:32:05 ID:FlHVMp9V
>>314 >>軍中央の命令を無視すれば当然罰すべきなのに罰せない。

『カンチャズ島沖事件』は、満州事変や張作霖爆殺事件に比べれば遥かにマシです。
近衛首相が1937年7月1日に、広田外相・杉山陸相・米内海相と協議して、交渉で
ソ連と解決することを決定します。

それを受けてモスクワの重光葵大使に打電されますが、同時に関東軍は現地から
引き上げています。

>>大本営自体が陸軍と海軍できっちり別れていたから参謀総長になっても海軍の事情なんて
>>わからない。

首相と参謀総長を兼ねても分からないのが問題です。もちろん開戦時の首相が海軍だったとしたら
陸軍も『好き勝手』やっていたでしょうw。仮に米内光政が首相と海相と内相を兼任して開戦し、
さらに軍令部総長を兼任しても「陸軍の作戦」に関与できないのと同様かもしれません。

332 :イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/01/09(月) 01:04:43 ID:FlHVMp9V
まあ、仮に近衛首相が辞任せずに、そのまま開戦首相を務めていたらと思うと
ゾッとします。陸軍も海軍も「作戦の事は一切知らせずに」好き勝手やっていたに
違いないからですw。

結局、首相の権限が低すぎる明治憲法の欠陥な訳です。加えて陸海軍の統帥並立です。

山県有朋などは『明治日本』をつくった元勲であり、当然のことながら『明治憲法を超越した存在』
だったために齟齬が出てきませんでした。

333 :名無し三等兵:2006/01/09(月) 01:06:12 ID:???
>仮に米内光政が首相と海相と内相を兼任して開戦し、
>さらに軍令部総長を兼任しても「陸軍の作戦」に関与できないのと同様かもしれません。

いや、意外と出来たのかもしれんですよ。
太平洋では陸軍は海軍がいける場所にまでしかいけないし、補給も支援も何もかも海軍頼みだから。

334 :名無し三等兵:2006/01/09(月) 01:11:21 ID:???
>>333
好き勝手にリーダーシップを発揮したワンマン社長が死んだら
各所を統率する後継者がいなくて派閥争いが激化したみたいなもんですか。

335 :名無し三等兵:2006/01/09(月) 01:20:46 ID:???
>>333じゃなくて>>332で。

336 :イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/01/09(月) 01:34:45 ID:FlHVMp9V
う〜む。南方の「資源地帯占領」を考えると、どうですかね?
開戦時の首相は陸軍で良かった気がします。

むしろ、山本五十六が首相と海相と内相を兼任して開戦し、さらに軍令部総長を
兼任するぐらいで調度いいかもしれませんw。

しかし、海軍が主導権を握った方が「イケイケドンドン」になって
陸軍を引きずり回し、怖い気がするのは自分だけでしょうか?

史実の米豪遮断しかり。

337 :名無し三等兵:2006/01/09(月) 01:38:13 ID:???
どっちに転んでも地獄w

338 :イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/01/09(月) 01:49:02 ID:???
>>どっちに転んでも地獄w

言い得て妙。涙が出てきましたw。まあ、山本五十六と言うと、一般の人には
「連合艦隊司令長官」のイメージが強過ぎですが、本来あの人はバリバリの軍政家です。

というよりも政治家。策士。謀将。

陸軍を向こうに回して、一世一代の博打が打てるのは山本五十六しかいないでしょう。
実現性は皆無に等しいですがw。

339 :えICBM:2006/01/09(月) 04:04:44 ID:???
>>331
>『カンチャズ島沖事件』は、満州事変や張作霖爆殺事件に比べれば遥かにマシです。
>近衛首相が1937年7月1日に、広田外相・杉山陸相・米内海相と協議して、交渉で
>ソ連と解決することを決定します。

そういうことを延べてるのではなく現地軍が中央の支持を得ずに勝手に戦端を開くことが問題だと延べてる。
カンヂャズ島沖事件ももしかすると日ソ戦勃発の原因、口実になったかもしれない。
このような事は現地軍は最大限慎むべき行動であり、発生すれば責任者を適切に処罰すべき事。
これは、古今東西の全ての軍における不文律。
この事件は外交的決着をつけれたが、ソ連に貸しが一つできたのだから国益を損ねた。

340 :前スレ32:2006/01/09(月) 13:45:32 ID:???
>>336
あけましておめでとうございます。

>>339
カ島事件の場合は連軍部隊の日本側国境守備隊に対する一方的な攻撃なので、
とりあえず反撃するのは、世界のどこの軍隊でもやむをえないと思います。
いまでも、撃たれたら撃ちかえすのが軍隊なわけで。
別にソ連軍も悪意があったのではなく、
興奮したソ連出先部隊長(この場合は砲艇艦隊司令官)の独断専行だと思います。

341 :前スレ32:2006/01/09(月) 13:47:16 ID:???
>>339
付けくわえると、無意味に先制攻撃をしてしまったソ連に、
日本が貸しを作った、ということではないかと。

342 :えICBM:2006/01/09(月) 19:09:58 ID:???
>>340
そうなのか。
>>306
>「カンチャズ島沖事件」(1937年6月19日)で関東軍の現地部隊が軍中央の命令を
>無視してソ連の砲艦を撃沈した事件は、その理由の如何に関わらず「統帥権の干犯」として
>関東軍参謀長だったヒデキを苦しめます。

とあるから日本側が勝手におっぱじめたと思ったよ。

>6.19日、カンチャス島事件発生。黒竜省の中洲であるカンチャス島にソ連軍の正規兵が上陸し、満州
>国人を追放、拉致する事件が起った。重光葵駐ソ大使の抗議によりリトヴィノフ外相はソ連軍の撤退を
>約束したが、約束当日の6.30日ソ連の小艦艇三隻が島の南側水道へ侵入し、カンチャス島の関東軍
>に射撃を加えてきた。これに対し、関東軍は速射砲で応戦し、ソ連艦一隻を撃沈、ソ連側死者2名、負傷
>者3名の損害を出した。7.1日重光・リトヴィノフ会談の結果、ソ連側はカンチャス島から一切の兵力を撤
>収し事件は解決された。これがノモンハン事件の伏線へなっていく。
http://www.marino.ne.jp/~rendaico/daitoasenso/history_taisenmaenougoki.htm
を読んだらどう見てもソ連側による挑発行為だ。
不勉強ですみません。

>>341
貸しを作ったわりには、ソ連はノモンハン事件を引き起こしている。
ソ連側に明確な意図があったのでないか?

343 :イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/01/09(月) 20:44:41 ID:m5PIyd2T
>>340 あけましておめでとうございます。

カンチャズ島沖事件については、こちらも記憶で書いていたので曖昧でスマソ。
少し簡潔にまとめると、カンチャズ島は黒竜江(アムール河)の中にあります。

1937年6月19日、ソ連軍がカンチャズ島とキンアムカ島に上陸して、現地の満州国軍と
激突しました。もともと国境線は密林・山岳・河川で曖昧で、その中にカンチャズ島も
あったのです。

ヒデキはすかさず軍中央に電報を打ちますが、参謀本部からは「現状保持(不拡大)に
努めよ」との訓電が返ってきます。ソ連との全面戦争に拡大するのを恐れたためです。

しかし「このまま手をこまねいてはいられない」と判断したヒデキは、独断で関東軍
1個師団を現地に送り込みます。

344 :イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/01/09(月) 21:08:07 ID:m5PIyd2T
軍中央はその間、外務省や海軍と協議して「この地で軍事行動を起こす必要はない」
とする第二次訓電を関東軍に送ってきました。

そしてウラジオストクからカンチャズ島にやって来たソ連の砲艦が6月30日、関東軍に
銃撃を加える訳ですが、逆に1隻が砲撃により撃沈されて返り討ちに合います。その後の
展開は>>342 で書いておられる通りなのですが、自分の書き込みは「関東軍の反撃」の
部分が抜け落ちておりましたので、その点は失礼しました。

>>306 は、ヒデキが関東軍を「独断で動かした」点が参謀本部の命令に反し、統帥権干犯に
あたったのを強調したかった訳です。もちろんヒデキ本人も自覚していましたし、ソ連の
砲艦を撃沈したと聞いたときは、それが例え反撃だったとしても、外交ネタとして考えれば
非常に大きく、思わず「やっちまったw」と天を仰いだことでしょう。

さて「カンチャズ島沖事件」がもたらした影響は以下の通り。

345 :イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/01/09(月) 21:29:12 ID:m5PIyd2T
●ヒデキが真剣に軍籍を離れる決意をしたこと。1937年7月1日に自宅に帰るなり、
 家族に「荷物をまとめて引越しの準備をしろ」と告げています。そして妻のカツを
 応接間に呼ぶと、

「考えてみれば中将にもしてくれたし、この日まで陸軍は本当によく自分の面倒をみて
 くれた。思い残すことはない。軍人は退きどきと死に際が大事だ。これは幼年学校以来、
 軍隊しか知らない俺の信念だ。しかも下克上をやかましく言っている俺が大権干犯では
 示しがつかない。正道に身を処して範を示したい」 

と言っています。しかし、「カンチャズ島沖事件」の責任を取ると言っても、そのもの
ズバリでは、関東軍司令官の植田謙吉大将にも累が及びますし、第一受理もしてくれない
でしょう。仕方なく、病気を名目に「脳神経衰弱症」といった診断書を軍医にでっち上げ
させようと考えますが、カツに「嫁入り前の娘が4人もいるのに、結婚するときに
差し支えます!」と反論を受けます。

346 :名無し三等兵:2006/01/09(月) 21:46:13 ID:???
馬蹄銀強奪事件のときの乃木将軍みたいだなw

347 :イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/01/09(月) 21:48:10 ID:m5PIyd2T
●支那事変で、関東軍が強硬策を唱える契機となったこと。
結局、関東軍の「カンチャズ島沖事件」での独断専行は、ヒデキが辞職を云々
考えていた『わずか6日後』に発生した盧溝橋事件でうやむやになります。

カンチャズ島沖事件の事後処理で、ソ連側の対応の『腰が弱い』と見てとった
関東軍は、支那事変に深入りしてもソ連の南進は考えられないと判断し、支那
派遣軍に戦線拡大を訴えます。「後ろには関東軍がついている」という訳です。

ヒデキは、関東軍参謀の田中隆吉と辻政信を支那派遣軍に、参謀副長の今村均を東京の
軍中央にそれぞれ送り込みます。「この際、一気に支那を叩け!」という強硬意見を
進言させるためです。ヒデキは、それ以前の6月9日にも陸軍次官の梅津美治郎宛てに、

「(対ソ作戦準備の観点から)軍事力が許すならば、まず蒋介石の南京政府に一撃を
 加え、日本の背後を脅かす支那の脅威を取り除くべきである」

との意見具申をしていますから、既定路線とも言えます。

348 :イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/01/09(月) 22:06:25 ID:m5PIyd2T
要約すると、

「カンチャズ島沖事件」→「ソ連恐るに足らず:軽視」→「関東軍、支那事変にのめり込む」

となります。いっそ2年後に起きるノモンハン事件のように、コテンパンにされた方が
良かったかもしれませんw。まあ、第二次世界大戦が勃発する直前の1939年とは、ソ連の
覚悟も実力も大きく異なるでしょうが。

しかし盧溝橋事件が起こるのが3ヶ月、いや1ヶ月でも遅れていれば、ヒデキが軍籍を
離れていた可能性は非常に高く、運命を感じて仕方がありません。ヒデキが首相になる
までにはこのような偶然が幾つもあるのです。

349 :イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/01/09(月) 22:49:48 ID:m5PIyd2T
>>316 >>海軍が陸主海従状態では不服だったからなぁ。

『統合幕僚本部』についてですが、念のため、知らない人のために史実を
簡潔にまとめると以下の通り。

1872年:兵部省から、陸軍省と海軍省に分かれて独立。

1878年:陸軍省の参謀局が昇格して、独立機構の参謀本部が出来上がる。初代の
    参謀本部長は山県有朋。海軍の将官は、参謀本部長が『陸海軍』の統帥権を
    握っていることに不満。前年の西南戦争で政府軍が勝利を収めたのは、水陸
    両用作戦を行なったからであり、海軍の貢献は大きい。海軍も独自の参謀本部を
    もって然るべきと主張。

1880年:海軍卿(大臣)の川村純義が、海軍参謀本部の設置を太政大臣に要求。しかし、
    参謀本部長の山県有朋が強く反対。海軍が参謀本部を持てば、参謀本部長が2人となり
    作戦指導(統帥)も2本立てになると主張。

350 :イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/01/09(月) 23:04:25 ID:m5PIyd2T
この頃は山県有朋を中心に、陸軍が陸海軍すべての戦略を指導しなければならない
とする『陸主海従』論が大勢を占めていました。陸軍は『首兵』であり、海軍は
『応用支援の兵』である、『支兵』が参謀本部を持つ必要は無いとする意見です。

もちろん、海軍は独自の参謀本部設置を諦めません。何とか陸軍と同等の地位を目指します。

1886年:陸軍が譲歩。参謀本部次長のポストを2つとし、その内の1つを海軍に割り当てる。
    ここから少しややこしくなります。

1892年:海軍は割り当てられた「参謀本部次長」の名称を、『参謀本部海軍部長』と変更。
    同年さらに『海軍参謀部長』と改称し、名前の上では陸軍と平等に近いものとします。
    
    これに陸軍が怒り、「参謀本部長」を『参謀総長』と改称し、海軍参謀部長より位が
    一段上の存在であることを明確にアピールします。

この辺はくだらない言葉遊びの感が強いです。しかし、日清戦争から状況が大きく変わります。

351 :イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/01/09(月) 23:13:33 ID:m5PIyd2T
1893年:清国との関係が悪化し、戦争の気配が濃厚になってきます。海軍は、
   「陸軍は朝鮮海峡に自力で橋をかけて、朝鮮に兵を送るのだろう」と
    嫌味を言ってきます。陸軍は、上陸作戦を円滑に進めるためにも
    海軍の機嫌を取らざるを得なくなります。そして――、

    ついに海軍が独自の統帥機関をもつことを認めます。これが『軍令部』です。
    海軍参謀部長を『軍令部長』と改称しましたが、陸軍はこれに一定の歯止めを
    かけました。

    戦時には、陸軍が最高統帥権を握ることを確保したのです。「戦時大本営条例」を
    制定し、参謀総長を『統合幕僚長』とし、戦時には参謀次長と軍令部長をその
    配下に置くこととしました。

ハイ、ここで『統合幕僚長』が登場してきましたね。すなわち日清戦争までは、明確に
『陸主海従』であり、くどいようですが日清戦争は『陸主海従』で戦われた訳です。

352 :イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/01/09(月) 23:23:51 ID:m5PIyd2T
1894年:日清戦争が勃発。清国の強大な「北洋艦隊」を全滅させた日本海軍は
    意気軒昂。いまこそ誤った『陸主海従』を正し、海軍を第一に『海主
    陸従』でなければならないと主張します。

1900年:海軍の実力者となった山本権兵衛(海相)は、戦時大本営条例の改定を
    陸軍に申し入れます。海軍軍人でも「統合幕僚長」になれるよう条文の
    改正を要求したのです。

    もちろん陸軍はこれに反対します。海軍軍人が「統合幕僚長」になることを
    認めれば、次に「陸海軍の交代制」を主張することが目に見えていたからです。
    そこで陸軍は逆襲に打って出ます。

    戦時だけでなく平時にも『統合幕僚長』を置くことを主張し、陸軍の参謀総長が
   『統合幕僚長』を兼任する体勢にするべきだと主張し、明確に『陸主海従』を
    貫こうとします。

353 :イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/01/09(月) 23:31:33 ID:m5PIyd2T
ここに至って、陸軍大臣の桂太郎と、海軍大臣の山本権兵衛がそれぞれ
天皇に直接上奏するという『泥仕合』になります。それぞれに言い分は
以下の通り。

山本:将来の戦争の帰趨は「艦隊決戦の勝利」に因るもので、とどのつまり
   制海権の奪取です。作戦計画の立案と指導は、海軍が主導で行なうべきで
   少なくとも陸海軍が同等でなくてはなりません。

桂 :戦争では統帥の一元化が何よりも重要です。陸上の戦いで全ては決着される
   のです。「陸主海従」の原則は尊重されなければなりません。

しかし明治天皇は判断を避けました。陸軍・海軍どちらを選んでも、もう片方の
恨みを買うことが確実だからです。そして同年に義和団事件が起こり、満州を
ロシアが占領して、またもや戦争の危機が近付きます。

354 :イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/01/09(月) 23:39:30 ID:m5PIyd2T
1903年:陸軍は「日清戦争」と同じ強迫観念に取り憑かれます。戦争が
    始まって、海軍が非協力的な態度をとったら、必要なときに
    満州へ陸軍部隊を送ることができなくなるのを恐れたのです。

    1903年12月、ついに元帥である山県有朋と参謀総長である大山巌が
    天皇の上奏し、「統合幕僚長」のポストを廃止したいと述べました。
    
    そして戦時大本営条例を改正し、参謀総長と海軍軍令部長を同等並列とし、
    参謀総長は陸軍の幕僚長、軍令部長は海軍の幕僚長として、統帥権はここに
    2本立てとなったのです。

山県有朋は、海軍の要求を受け入れて、海軍軍人でも『統合幕僚長』になれるとすれば
最後には「陸海軍の交代制」となってしまい、陸軍が海軍の指導下に置かれる事態を
恐れたのです。そして、そんなことになるのなら「統合幕僚長なんていらない!」と
考えたのでした。

355 :イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/01/09(月) 23:46:31 ID:???
一旦ここで区切りますが、結果的には山県のこの措置は痛恨事でした。

平時はともかく戦時には、大本営条例に「特命を受けたる将官」として
『統合幕僚長』の地位を残すべきであったでしょう。

356 :えICBM:2006/01/10(火) 00:41:50 ID:???
>>東條の第五師団無断派遣

なるほど、やはり東條はとんでもない奴だ。
部下が大事なのはわかるが、国の命令を最優先するのが軍人の職務。
こんな事を平気でしたり、許したり、褒めたりしてる段階で陸軍は軍とは言えんな。
やはり軍閥?

357 :前スレ32:2006/01/10(火) 16:02:12 ID:???
>>356
カ島事件で投入されたのは第1師団かと思います。
いずれにしろ満州国内の移動なので独断専行が必ずしも不適切といえず、
ヒデキ以外だったら気にもしない出来事でしょうね。

実際、日ソ国境紛争事件というのはものすごい数(年間100回以上)おこっているわけで、
ヒデキの判断もルーティーンに従っただけに近かったと思います。

現地部隊による撃沈(分隊長レベルの判断だったようです)も、
領土内の軍隊への敵正規部隊の攻撃ですので現地の判断で反撃するのはやむをえないかと。

つまり、すべて不可抗力に近いのですが、
ただ、軍隊がいるから戦争になるわけで、ああいった国境線が不明確な地域では、
最初から部隊を派遣しない、というのも選択肢です。
ノモンハンのように、運が悪いと火がついて収拾がつかなくなるので。

そのあたりまで気にしてのヒデキの言動だったかと思います。

358 :えICBM:2006/01/10(火) 21:54:39 ID:???
>>357
カ事件当時、大陸での日ソの兵力差は日本側に非常に不利な状態であった。
昭和11(1936)年末の極東ソ連軍の兵力は、狙撃16個師団、騎兵3個師団、戦車1100両、飛行機1200機、
潜水艦30隻、総兵力29万と判断された。
これに対してわが在満鮮大陸兵力は5個師団と2個混成旅団、騎兵旅団3個と独立守備隊3個並びに飛行
機230機にすぎず、総兵力8万であり、極東ソ連軍の3割にも及ばなかった。

昭和12年においては、日ソ開戦の場合の総兵力は、ソ連軍総兵力の増加とシベリア鉄道の輸送能力の強
化により狙撃50師団(約150万)は対日戦に指向されると判断された。
これに対し日本は全陸軍兵力30個師団(120万)を投入しても、師団数において6割、兵数では8割に過ぎない。
ソ連の狙撃50個師団もシベリア鉄道による制約によるもので、いかにソ連戦力を撃滅しても、絶えずこれを補
充する兵力があるわけであり、戦争中50個師団を保有して最後まで反攻に出れる力を維持できる。

中国においても昭和10年ごろから統一と軍備が着々と進展し、従来のように極地の作戦行動によって政略
目的を達成することが困難になり、場合によっては全面戦争に発展することすら懸念されていた。

(以上「戦史叢書大本営陸軍部<1>」を参考)

という状況なので、対ソ戦に拡大するような現地軍の行動は厳に慎むべき状況であった。
このような中で、東條が独断で1個師団も派遣する事は重大な問題だと考えられる。
東條が職を辞すと決断するのは、彼の潔癖性だけではないと思われる。

359 :前スレ32:2006/01/10(火) 22:37:04 ID:???
>>358
どうですかねえ。
年間100回も行われた国境紛争のひとつなので、そんなに重視はできないと思いますが。
というか、もともとソ満国境というのは、そういう地域だったわけで。
この手の紛争が起こりやすいことは、中ソ間のダマンスキー島事件でもわかります。

日ソ関係は常時緊張状態で、遭難した漁船船員が殺害されたり、ソ連船を拿捕したり、
ソ連側のほうでもハルピンの白系露人ファシストを日本側が保護していることに怒ったり、
事件がひっきりなしに起こるような悲惨な状況だったのです。

ちなみに、派遣されたのは甲府連隊(第四十九)のみだと思いますので、
全師団を派遣したわけではないと思います。

360 :えICBM:2006/01/10(火) 22:42:33 ID:???
>>359
ところで、連隊規模で独断派兵される例って多かったの?
当時の日ソ戦力差による方針では紛争をできるだけ小さくまとめようとしてたと思うが。

361 :イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/01/10(火) 23:10:54 ID:6NmC0ywI
>>357
>>いずれにしろ満州国内の移動なので独断専行が必ずしも不適切といえず、
>>ヒデキ以外だったら気にもしない出来事でしょうね。

自分も同感です。関東軍司令官の植田謙吉大将はノモンハン事件が起こるまで、
お咎めなしで留任し続けています。ヒデキは関東軍参謀長から陸軍次官に栄転、
後任の磯谷廉介中将も『植田軍司令官たっての希望』で呼び寄せていますから、
植田は軍中央にたいする発言力も保っていた訳です。

ちなみに磯谷廉介は、第10師団長で支那戦線:台児荘:徐州戦を戦っていた
ところを引き抜かれた形になります。植田軍司令官が、関東軍参謀副長だった
石原莞爾をコントロールする(抑える)ために磯谷を熱望したとか。

この人事に満州事変当時の関東軍司令官:本庄繁大将は猛反対しています。必ず
磯谷と石原は衝突すると。そして、その予感はものの見事に的中しました。

362 :名無し三等兵:2006/01/10(火) 23:30:14 ID:???
>これに対し日本は全陸軍兵力30個師団(120万)を投入しても、師団数において6割、兵数では8割に過ぎない。
>ソ連の狙撃50個師団もシベリア鉄道による制約によるもので、いかにソ連戦力を撃滅しても、絶えずこれを補
>充する兵力があるわけであり、戦争中50個師団を保有して最後まで反攻に出れる力を維持できる。

日露戦争のときよりはマシな兵力差ではあるな…。

363 :イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/01/10(火) 23:45:21 ID:6NmC0ywI
>>322
>>三国同盟の際、海軍内の枢軸派であり松岡洋右と親しかった石川信吾らにも
>>こういう考えがあった。

石川信吾と言えば「第一委員会」ですが、大井篤(当時、海軍省人事局員)などは
その存在をまったく知らなかったと、戦後のインタビューで答えています。知ってて
すっとぼけているのか、本当に知らなかったのか、判然としませんが。

>>ちなみに、この石川信吾は南部仏印進駐においても重大な役割を果たしているが、

話が遡りますが、北部仏印進駐には神重徳も重大な役割を果たしていますね。当時
軍令部の課員でしたが、広東の陸軍司令部に直接乗り込み、現地の第二遣支艦隊に
無断で勝手に「陸海上陸作戦協定」を結んで、1人で東京に帰ってしまいます。

ゴタゴタだった北部仏印進駐ですが、海軍では神重徳も一役買っています。大井篤は当時
第二遣支艦隊の参謀でしたので激怒しています。

364 :イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/01/10(火) 23:56:41 ID:6NmC0ywI
ああ、何か肩書きが「当時」ばかりで>>363 はワケワカメw。

大井篤の経歴だけでも少し補足しておくと、以下の通り。

1937年:軍令部第3部イギリス担当参謀(少佐)
1939年:中佐 第二遣支艦隊参謀
1940年:海軍省調査課員
1941年:海軍省人事局員(企画) 軍令部員(戦争指導事務)
1943年:海上護衛総司令部参謀

365 :イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/01/11(水) 00:20:15 ID:???
そういえば、保坂正康が『あの戦争は何だったのか』(新潮新書)の中で
「海軍の首謀者」として両名を挙げていました。ちなみに4名ほどおりまして

●海軍省軍務局:石川信吾、岡敬純 ●軍令部作戦課:富岡定俊、神重徳

だそうですw。

366 :えICBM:2006/01/11(水) 00:24:17 ID:???
>>362
ソ連赤軍全体の兵力は、昭和12年7月の時点で185万である。
これらは第一次世界大戦後に発足した新式装備の赤軍であり、日本軍の旧式な装備より優れていた。
日本陸軍の全兵力は120万だが、全て対ソ線に廻すわけにもいかないので、かなり厳しい。
また、極東ソ連軍と大陸日本軍の兵力差は10:3と大きく、所詮で決定的打撃を受けうる。
本来、日本軍の対ソ戦略は、過小な日本軍兵力で極東地域のソ連軍を各個l撃破し、その後欧露より増強される
ソ連軍主力と決戦をするのというものである。
しかし、10:3まで戦力差があると、このような戦略を取る事は難しくなる。


367 :名無し三等兵:2006/01/11(水) 00:24:43 ID:???
山本五十六も結構重大な役割を担ってますよ。
なにせ三国同盟を結んだときの海軍の長だった人ですから。

368 :名無し三等兵:2006/01/11(水) 00:27:05 ID:???
>>366
下手すると対米戦より分が悪いじゃないですか。

369 :暫編第一軍:2006/01/11(水) 00:27:14 ID:???
「カ島事件」には満州国軍の騎兵第二十七団も参戦していますね。
ソ連軍砲艇に対して始めに機銃射撃を加えたのはこの騎兵団です。
満州国軍の数少ない対ソ戦勝といいたいところですが、沈んだのは50t級の砲艇のようです。
騎兵団は日本軍歩兵第四十九連隊の指揮下に入っていたそうで…
どうも傀儡軍には単独での戦勝話は中々無いみたいです。

370 :名無し三等兵:2006/01/11(水) 00:51:08 ID:2ryi53tW
ノモンハンでは、実はソ連側のほうが戦死傷者が多かったわけだが。

371 :えICBM:2006/01/11(水) 01:01:42 ID:???
>>368
そう、きわめて分が悪い。
そして、この日本軍より優位な極東ソ連軍が間接的に日本動かしている。

石原莞爾が満州事変を起そうと考えたのも、満州を確保、経営により対ソ軍備を図るというものであった。
また、正面のソ連に集中する為に後方の中国とは軍事的な軋轢を生じさせない考えであった。
満州事変が勃発し、満州を確保することが出来たが、現地日本軍の中国軍に対する慢心を生んだ。
この中国軍に対する慢心と極東ソ連軍との戦力差を打開できない現実が、不安定な後方である北支を安定
させる為に様々な工作を行い、ついに北支事変、シナ事変へと発展する。
シナ事変勃発時に軍令部長であった石原が不拡大方針に拘ったのは、対ソ軍備の為に作った満州国が原因
で対ソ戦備をおろそかにし、日本をシナとの戦争に引きずりこむからだ。
石原は対中国戦となると、戦争は泥沼化すると考えていた。

今にして思えば、シナ事変の時にソ連が満州に攻め込んで来れば、対米戦には発展しなかったかなぁ。



372 :えICBM:2006/01/11(水) 01:09:26 ID:???
訂正
>シナ事変勃発時に軍令部長であった石原

作戦部長石原でした。
陸軍参謀本部作戦部長です。

373 :名無し三等兵:2006/01/11(水) 01:48:58 ID:???
>>370
え?アンタ今頃知ったの!

374 :名無し三等兵:2006/01/11(水) 05:02:40 ID:???
【歴史】「東条は陸軍を抑えられる可能性を持つ唯一の人物なので起用」・・賀屋、市川両氏の肉声公開

国立国会図書館は13日から、太平洋戦争開戦時の東条英機内閣で蔵相を務めた
故賀屋興宣氏(1889−1977年)と、戦前戦後を通じて日本の女性運動の最前線にいた
故市川房枝氏(1893−1981年)の政治談話の録音と速記録を公開する。

同図書館によると、証言内容の多くは自伝などで紹介されているが、
肉声による証言は現代史の貴重な史料。
旧大蔵省出身の賀屋氏は1975年、約11時間にわたり戦前の財政、開戦に至る経緯などについて証言した。

東条元首相について
「陸軍を多少でも抑えられる可能性を持つ、ただ一人の人物という理由から総理大臣に起用された」と説明。
「歩兵の中隊長的性格。良く言えば即断即決、悪く言えば熟慮的でない」と評した。
http://flash24.kyodo.co.jp/?MID=RANDOM&PG=STORY&NGID=soci&NWID=2006011001004769



375 :名無し三等兵:2006/01/11(水) 09:23:22 ID:MNdD0r6R
山本有三提案の「政治談話録音」だね。
あと藤山愛一郎のだけ未公開だ。
ちなみに公開済:町野武馬、牟田口廉也、今村均、鈴木茂三郎、木戸幸一、勝間田清一、迫水久常

賀屋興宣の話は安藤良雄『昭和史への証言』に載ってる。
手元にないけど覚えているもので興味深い話をピックアップすると
陸軍は二・二六以降、日本の財政を無茶苦茶にして天皇制共産主義体制を作るつもりだった。
しかし林内閣大蔵次官時代の私の財政が凄かったので失敗に終わった。
そのため陸軍の興味が国内から国外へ向かい日中戦争が起こった。
私が財政を建て直さなければ戦争は起きなかったかも知れない。
近衛から蔵相として入閣を求められ
賀屋「次の内閣では陸軍の要求する生産拡充案を達成せねばならない。そのために商工大臣には自分と気の合う人がいい」
近衛「君が兼任すればいい」
賀屋「それはできない」
近衛「じゃあ君の好きな人を連れて来い」
で、吉野信次商工相が就任。蔵相時代の秘書は近衛の弟水谷川忠麿。
対中和平工作の時に条件加重を主張した話については言及なかったはず。
東条から入閣を求められ、近衛に対して入閣して開戦を防ぐつもりと言うと
近衛は「それじゃあやってみろ」ということで入閣。

376 :名無し三等兵:2006/01/11(水) 09:42:19 ID:???
近衛と東条が大喧嘩した10月14日は内田信也の招待で近衛、水谷川、賀屋で会食しつつ、
賀屋の後任になる北支開発会社総裁を決める予定だった。

これは内田信也の自伝に出ている。
東条陸相が交渉打ち切りを主張したこと、及川海相が開戦反対なのに首相に一任と言う態度をとったことを語り、
もう閣議がまとまる見込みはない、もう内閣もおしまいだと近衛が言ったと言う。
内田信也の自伝には1945年1月27日の会合の話も載っている。
内田は人を呼んで会食するのが好きだったのか、内田の招待で
近衛文麿、岡田啓介、吉田茂、賀屋興宣が集まり、内田が賀屋をからかって
内田「このなかで賀屋君が一番さきにやられる。唐丸籠にのせられて、アメリカへ連れて行かれる。
君は浪曲好きだから、横浜で浪花節で送ってやろう」
賀屋「いやいや、腹が減っては戦はできぬで、農林大臣も戦争には重大な役割だ。
内田さんも連れて行かれますよ。覚悟を決めておきなさい」
賀屋「敵軍が日本に上陸ということになると、日本のバドリオ、和平論者は先に殺されますよ。
そのあとで日本が負けて私が唐丸籠に乗せられることになるわけだが、吉田さんのほうがさきにやられますよwwww」
吉田茂が憲兵に捕まるのは二ヵ月後だが、殺されはしなかった。

377 :イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/01/11(水) 22:22:54 ID:Bbr3s4rd
>>369
>>「カ島事件」には満州国軍の騎兵第二十七団も参戦していますね。
>>ソ連軍砲艇に対して始めに機銃射撃を加えたのはこの騎兵団です。
>>満州国軍の数少ない対ソ戦勝といいたいところですが、沈んだのは50t級の砲艇のようです。

おお!凄いですね。サラッと部隊名が出てきて驚きました。自分が砲艦と書いたのは
オーバーだったようです。スマソw。

378 :イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/01/11(水) 22:38:16 ID:Bbr3s4rd
>>319 >>日露戦争のときも陸海バラバラじゃなかったか?

>>355 の続きを書くと分かりやすいと思います。1904年に日露戦争が始まりますが、
海軍はロシア艦隊の撃滅に熱中するあまり、樺太や北朝鮮へ派兵する陸軍部隊の海上
護衛の任務をほとんど無視していました。陸軍側が抗議すると、「制海権を握るのが
先だ!」とにべもありません。

結局、バルチック艦隊を日本海海戦で殲滅して、海軍は「これも独立した統帥部を持った
おかげだ」と自画自賛しますが、陸軍の不満は大きいものでした。「陸海軍がまったく
協調を欠いた状態で、よくも戦争に勝つことができたものだ」と嘆きますw。

そして1907年、ついに海軍は独自の「仮想敵国」と持つことになります。これにより
名実ともに陸軍と同等の地位を獲得しました。相手はもちろん米国です。

379 :イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/01/11(水) 22:54:36 ID:Bbr3s4rd
>>334 >>好き勝手にリーダーシップを発揮したワンマン社長が死んだら
>>各所を統率する後継者がいなくて派閥争いが激化したみたいなもんですか。

日露戦争後、陸軍と海軍は同等同格となります。陸海軍双方が「同格の統帥権」を持ち、かつ
「同等の仮想敵国」(陸軍はロシア、海軍はアメリカ)を持ちました。そして陸海軍の対立は、
平時では『軍事予算の分捕り合い』という形で表面に出てきます。

すなわち陸海軍双方が「同等の軍備拡張計画」を主張したのです。予算という観点に立てば、
会社組織という喩えは分かりやすいかもしれません。

具体的には、1907年に陸軍は日露戦争中に17個師団だった兵力を、平時25個師団とする
軍拡目標を掲げます。これに対して海軍は、ご存知「八・八艦隊計画」をもって対抗します。

軍拡に対する「陸海軍の共同計画」がないため、軍事予算の要求・対立は激化する一方です。
そこで元老・井上馨の呼びかけで1914年に『防務会議』なるものを作り、陸海軍の調整を図る
こととなりました。

380 :イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/01/11(水) 23:13:01 ID:Bbr3s4rd
『防務会議』は首相が議長となり、陸軍大臣、海軍大臣、参謀総長、軍令部総長、
外相、蔵相が出席して、軍事費配分の調整を行なうものです。

あくまで平時の話ですが、『内閣総理大臣の監督』のもと、陸海軍(の軍事費)を
調整・コントロールできていた時期があったのです。

しかし1922年に山県有朋が亡くなると、この会議は廃止されてしまいます。設立の
呼びかけは井上馨ですが、陸軍の重鎮として君臨していた山県有朋の存在は大きかった
のでしょう。イコールで元老と考えても構いません。

もちろん陸海軍の現役の当事者からすれば、この制度は自らの要求を縛るものとして
ウザイことこの上なかったと想像できますし、山県の死後にすぐ廃止されてしまったのも
むべなるかなです。この後、陸海軍の軍備拡張競争は再び抗争と化します。

381 :名無し三等兵:2006/01/11(水) 23:24:14 ID:???
ここでも山県の負の遺産が…
陸軍内での派閥抗争と言い、掘り起こせばまだ出てきそうだな…

382 :イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/01/11(水) 23:26:27 ID:???
>>各所を統率する後継者がいなくて派閥争いが激化したみたいなもんですか。

山県有朋の後継者が、桂太郎・寺内正毅・田中義一・宇垣一成……、
と続きます。山県も「明治の元老」という立場にしては、陸軍の利益を
ゴリ押しした人間ですが、さすがに明治維新に携わっただけあって、
全体を俯瞰できていたと思います。

それ以降は、単なる「陸軍の利益代表者」へと粒が小さくなっていきます。
二葉会や一夕会が生まれてくると、もはや訳ワカメですw。

383 :イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/01/11(水) 23:55:47 ID:Bbr3s4rd
>>374 >>【歴史】「東条は陸軍を抑えられる可能性を持つ唯一の人物なので起用」・・
>>賀屋、市川両氏の肉声公開

第3次近衛内閣の後継として、ヒデキが東久邇宮を推薦していたことは有名ですが、
その他にも、重臣の若槻礼次郎が『宇垣一成』を、林銑十郎が皇族で前軍令部総長の
『伏見宮』か、昭和天皇の弟宮である『高松宮』(海軍中佐)が良いのではないかと
述べています。

宇垣の場合、「私欲が多い上、陸軍をまとめることなどできない。何しろ現役でない」
という理由で却下。首相候補に幾度となく挙げられながら、ついに首相になれなかった
『政界の惑星』の面目躍如となりますw。

林銑十郎が『伏見宮』を推薦した理由は、「どうせ皇族内閣で事態を打開するなら「海軍」に
やらせればよい」としたものです。当然、危ない橋は海軍に渡らせようという思惑でしょう。
それにしても『高松宮』の名前を挙げるとは恐れ多い。良い度胸をしていますw。

384 :イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/01/12(木) 00:26:32 ID:VMFX1i7G
>>376 >>賀屋の後任になる北支開発会社総裁を決める予定だった。

結局、開戦前における「日米交渉」の最大のネックとなったのが、支那からの
撤兵問題です。三国同盟離脱、ハル4原則の承認、支那の通商無差別待遇、仏印
からの撤兵など、他にも問題は山積していましたが、支那からの撤兵に比べれば
妥協の余地はいくらでもありました。

蔵相の賀屋興宣にしても、北支那開発株式会社の総裁だった前歴から「支那撤兵」には
難色を示しています。「在支企業擁護」のために必要だと訴えます。

大本営政府連絡会議で賀屋は、自分の頭を殴るマネをしながら「支那に駐兵しなかったら
日本人は頭を殴られ、とても支那にはおれない」と断言します。

支那撤兵は、単に軍隊を引き揚げることだけを意味しません。日本軍占領地の在支企業、
在支民間人が多くの土地設備財産を置き捨てて(悪くすれば、着の身着のまま)逃げ出す
こととなります。

385 :名無し三等兵:2006/01/12(木) 00:59:52 ID:???
シナからの撤兵は飲まずに、
三国同盟を破棄して南部仏印に武力進駐しなかったら、
日米交渉はどうにかなってただろうか?
少なくとも石油禁輸発動は遅れるだろうが…。

386 :えICBM:2006/01/12(木) 16:57:10 ID:IcwhmW+4
維持

387 :名無し三等兵:2006/01/12(木) 17:42:06 ID:???
そもそも撤兵はのまなくても、どっちにしろシナ事変の解決は必要だったわけで。
しかし重慶政府の屈服も、シナからの撤兵も現実的ではないしなぁ。



388 :名無し三等兵:2006/01/12(木) 18:11:17 ID:???
松岡が言うように勝った勝ったと宣伝して、勝手に撤退するという手はあったけど
満州と北支までね

389 :名無し三等兵:2006/01/12(木) 18:36:53 ID:???
むしろ、三国同盟に拘る松岡洋石が辞めた後の方が対米関係は悪くなってるような…。

390 :名無し三等兵:2006/01/12(木) 19:40:39 ID:???
汪兆銘の南京政府を擁立した時点で重慶政府との和平路線は消失してるわけだし
重慶政府打倒が困難になった時点で南進は避けられないでしょう。
南進の目的の一つに援蒋ルートの遮断が見込まれてるわけですし。

日中関係を外交で対処できない状態になってる時点で大胆に撃ってでるしか道は無くなってる。
また経済状況も膨張経済を推進しつづけ、軍事先行を支えてる。

どこで間違ったかなんて言い出したら、あの時代の日本はキリがありませんよ。ましてや議論にもならない。
肝心なのは、あの時代の日本で誰が何を考えて、どう行動していったのか。これを各自が受け入れるか否か、でしょう。

391 :名無し三等兵:2006/01/12(木) 20:28:48 ID:???
>>375
●牟田口廉也(第1回) 1963年4月 陸軍中将・歩兵第1連隊長・第15軍司令官 
 蘆溝橋事件 2.5時間
●牟田口廉也(第2回) 1965年2月 インパール作戦 2時間

も国会図書館行けば聞けるようですね。
インパールのほうは例の「わたしは間違っていなかったのだ!…何も恥じることはないのだ!」のやつだろうか…。

392 :名無し三等兵:2006/01/12(木) 22:07:04 ID:???
>>389
指摘はもっともなのだが、「洋石」じゃないだろ
「ヨウセキ」で覚えちゃったの?

393 :名無し三等兵:2006/01/12(木) 22:21:57 ID:???
ぐぐると結構引っかかるぞ。<洋石
ゲッペルスみたいなもんだろ。

394 :イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/01/12(木) 23:54:17 ID:VE1ZM/QG
>>385 >>シナからの撤兵は飲まずに、三国同盟を破棄して南部仏印に武力進駐しなかったら、
>>日米交渉はどうにかなってただろうか? 少なくとも石油禁輸発動は遅れるだろうが…。

質問の答えは、日米開戦直前の外交交渉を細かくチェックすると見えてきます。

1941年11月21日、野村吉三郎(駐アメリカ大使)と来栖三郎(特命全権大使)は、
ハル国務長官に『乙案』を示します。先に出した『甲案』の回答はまだでしたが、
東郷外相は「見込みなし」と判断して、乙案の提出を両名に命じました。

アメリカ側は、日本の外務省と大使館のやり取り(暗号)を解読していましたので、
乙案の提出に緊張します。日本が『最後通牒』を迫る段階に入ったと確信したのです。

この段階でもアメリカ側は、日本に「交渉打ち切り(開戦)の口実」を与えては
ならないと判断。当初は更なる時間稼ぎを狙い、日本側との『暫定協定案』を結ぶ
ことを検討しました。

395 :イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/01/13(金) 00:11:15 ID:FJ2Potb2
『暫定協定案』は、国務省のスタッフが「突貫作業」で作りましたが
注目すべき草案の項目は以下の通り。(1941年11月21日作業)

●暫定協定案の期間は「6ヵ月」
●日本はインドシナ、満州、南方へ軍隊を送らない
●アメリカが欧州の戦争に介入しても、日本は三国同盟を適用しない
●アメリカの対日輸出禁止の解除
●アメリカは日中会談を斡旋する

翌日の11月22日(!)に『暫定協定案』(期間:6ヵ月)は最終的に
成文化されますが、その内容は以下の通り。

●日米両国が平和宣言を発し、太平洋地域で武力行使しない
●日本は南部仏印から撤退し、仏印駐留の全兵力を2万5千人に制限する
●以上を日本が受け入れれば、対日禁輸緩和を認める

396 :イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/01/13(金) 00:34:34 ID:FJ2Potb2
暫定協定案の『草案』から検討すると以下の通り。つらつらと所感です。

●アメリカは『日本の支那撤兵』を執拗に要求していたが、土壇場になると
『三国同盟からの離脱』を優先した●日中会談の斡旋まで選択肢に入れているとは
何をかをいわんやw●結局、米国はアジアより欧州を優先●アメリカは、日本との
戦争は不可避と覚悟していたが、具体的な開戦時期をはっきりと定めていなかった

最終的な「成文」については……、

●「太平洋地域で武力行使しない」の範囲が不明瞭。素直に読めば、日本がシンガ
ポールや蘭印に侵攻しないとなるが、まさか支那は含まれていないでしょうね?
日支間の停戦の斡旋? いや自分の勘繰り過ぎで、素直に読めばいいでしょう。
●南部仏印からの撤退(および北印の兵力制限)は、必要最低限度の要求。日本側が
100%受け入れるように大幅譲歩したようにも取れるし、文字通り僅かな時間稼ぎ
のための条件にも思える。

397 :名無し三等兵:2006/01/13(金) 00:36:56 ID:???
>●日本はインドシナ、満州、南方へ軍隊を送らない

これって支那撤兵と違うんですか?

398 :名無し三等兵:2006/01/13(金) 00:42:14 ID:???
>>397
この場合だと事実上南進論の放棄ってことでしょ。
当時の行き詰った事態を打開するための案の一つを潰すことになる。

399 :名無し三等兵:2006/01/13(金) 00:47:57 ID:???
でも満州入ってますけど…。

400 :イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/01/13(金) 00:56:51 ID:FJ2Potb2
>>397 >>これって支那撤兵と違うんですか?

それだと『ハルノート』と変わらないでしょう。あくまで『暫定協定案』は
日本の交渉打ち切りを引き伸ばすためのものです。また「送らない」は
「(これ以上)送らない」と自分は意味を取りました。また、支那本土を
指すなら『支那』とはっきり指定します。

アメリカの思慮深いところは、この「暫定協定案」と同時に「平和解決要綱」を
作成していたことです。平和解決要綱とは、俗に言う『ハルノート』です。

ハルノートでは第3項にはっきりと、『日本国政府は支那および印度支那より
一切の陸海軍兵力および警察力を撤収すべし」と謳っています。

「撤収」は「撤収」です。

401 :名無し三等兵:2006/01/13(金) 01:05:51 ID:???
日米交渉が41年の4月に開始されたが、6月には独ソ戦が勃発する。
7月上旬に駐日大使グルーの要求により、日本は対ソ参戦しないと回答。
そして7月下旬に南部仏印進駐して、石油の全面禁輸を喰らう。
さらに日本への石油禁輸の翌日、米ソ経済協定を締結しアメリカがソ連へ経済援助を開始。
一週間後にはルーズベルトとチャーチルが大西洋上で会談し、大西洋憲章を発表。

アメリカの立ち回りの上手さが秀逸というかズル賢すぎるというか…、
日本はまんまとアメリカの手の上で遊ばれた。釈迦の手の上のなんとか、ってやつと同じかな。

402 :名無し三等兵:2006/01/13(金) 01:13:46 ID:???
>>400
「武力進出しないんだからこれ以上兵隊送る必要ないだろ?
おとなしく満州でカメになっとけ!」
っちゅーことですね。

403 :イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/01/13(金) 01:15:24 ID:FJ2Potb2
この『暫定協定案』はハル国務長官から、イギリス・オランダ・オーストラリア・
支那各国の大使に説明が行きます。

日米避戦の可能性を示した「協定案」に蒋介石は大きな衝撃を受けました。外交部長の
宋子文と駐米大使の胡適に対して、是が非でもルーズベルトとハルを説得するように命じ、
蒋介石自身もまた英国のチャーチルに自らの苦境を訴えます。

「わが国を生贄にして譲歩するのか?」と。アジアに多くの植民地を持つ英国としては
中国が同盟から脱落するのを恐れて、ルーズベルトに警告する電報を打ちます。

結論から言うと、最終的に「暫定協定案」はお蔵入りとなり、「平和解決要綱」=
「ハルノート」のみが日本側に手渡され、後は皆さんのご存知の通りです。
この辺りの過程は、後日くわしく補足します。

ただ「暫定協定案」も、ハルを通じて各国大使に通達されていますから、相当現実味が
あったのも事実です。とりあえず対日禁輸が緩和されるなら、ヒデキは必ず乗ってきた
のではないかと思います。統帥部(参謀本部・軍令部)は猛猛猛猛猛反対するでしょうがw。

404 :名無し三等兵:2006/01/13(金) 01:18:28 ID:???
そこでヒデキの軍政家としての実力が試されるわけですなw
「陸軍を抑えられる唯一の人物」として。

405 :イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/01/13(金) 01:22:04 ID:FJ2Potb2
>>399 >>でも満州入ってますけど…。

>>日米交渉が41年の4月に開始されたが、6月には独ソ戦が勃発する。
>>7月上旬に駐日大使グルーの要求により、日本は対ソ参戦しないと回答。

>>401氏が指摘されている通りです。ちなみに「関特演」で満州に大兵力を
集中したのは、1941年7月です。ドイツと戦争を始めたソ連は、連合国側に
属しますから、日本がドイツを利するのを牽制するためですね。

406 :イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/01/13(金) 01:37:23 ID:???
>>393 >>ぐぐると結構引っかかるぞ。<洋石 ゲッペルスみたいなもんだろ。

自分もよく『松岡右洋』と書き損じます(藁)。明日も仕事があるので、
そろそろ失礼します。四季さまのBGMを聞いてから寝ます……。
夢に出てきそうな曲ですがw。

407 :えICBM:2006/01/13(金) 01:58:46 ID:???
>>395
>『暫定協定案』は、国務省のスタッフが「突貫作業」で作りましたが
>注目すべき草案の項目は以下の通り。(1941年11月21日作業)

暫定協定案の検討はもっと早く出されており、11月中旬には本格的に検討されだした。
具体的には、11月11日国務省極東部のバレンタインとシュミットが暫定協定草案をハル長官に提出している。
また、極東部は11月16日付けで別の暫定案協定をも作っている。

>●暫定協定案の期間は「6ヵ月」
>●日本はインドシナ、満州、南方へ軍隊を送らない
>●アメリカが欧州の戦争に介入しても、日本は三国同盟を適用しない
>●アメリカの対日輸出禁止の解除
>●アメリカは日中会談を斡旋する
この暫定案はいわゆるルーズベルト大統領の6ヶ月停戦案であり、これと最終的な暫定案は別物。
11月22日成文化された暫定案とこの6ヶ月停戦案の内容が全く違うことからもわかる。
これは、11月21日頃に大統領からハル国務長官あてに鉛筆書きの覚書として送られている。
この暫定案の趣旨は、6ヶ月間の時間稼ぎと考えられてる。
つまり、6ヶ月のうちにフィリピン、マレーの防衛を強化させるというものである。


408 :えICBM:2006/01/13(金) 02:11:51 ID:???
暫定案に関してハル長官は戦後次のように回想している。
「概して余の同僚と余は時局を救うために溺れんとするものは藁をもつかむ段階に達していた。我々は
真面目な会談を続ける可能性を提供する何物でも捜し求めた。国務長の極東専門家は11月11日に提
案した解決要綱を立案し、余はこれを一語一語検討したのであった。これは会談を継続する(かくして時間
を稼ぐ)ため、またもし受諾された場合には最後の包括的解決の基礎として役立たせる為に起案したもの
であった。」
(戦史叢書大東亜戦争開戦経緯5より)

ハル自身、暫定案にはあまり期待をしていなかったようだ。
日米交渉でのアメリカの態度は非妥協であった。
それを考えると暫定案の目的は、時間稼ぎと交渉を望んでいたという実績作りのためであったようだ。

409 :日本人:2006/01/13(金) 06:50:49 ID:KMjDbAb6
事変というのは戦争と違うので、職業軍人は日当もらってたって本当か?

410 :名無し三等兵:2006/01/13(金) 16:56:17 ID:???
そういえばル大統領は開戦直前に天皇に親電を送っていましたな。
軍人に握りつぶされたけど。
やはり形だけ一等国になっても外交などの目に見えないところでこう差があってはなぁ。

411 :名無し三等兵:2006/01/13(金) 18:44:37 ID:???
外交手腕に関しては現在の日本政府の方が劣化してるだろ

412 :名無し三等兵:2006/01/13(金) 19:29:19 ID:???
日本側から親電を送ってもな…いや、その前に解読されるか。

413 :名無し三等兵:2006/01/13(金) 21:36:55 ID:???
東條に懲罰召集された松前重義の息子の手記。高松宮も懲罰召集に激怒。

http://www.sci-news.co.jp/contents/matumae.htm
当時の軍部(陸軍)にとって、松前重義の存在は目の上のコブであった。私達の家の
周辺には憲兵が出没するようになり、やがて軍部により松前重義に対する懲罰召集が
実行された。この召集を懲罰でないと言う人がいるが、当時四十三才、逓信省工務局長
という勅任官であり、わが国の情報通信の責任者を召集令状も提示せずに東条内閣総
辞職の代償として最後の権力を行使し電報一本で召集したのである。これは懲罰召集
以外何ものでもない。この召集に関して高松宮殿下は日記のなかで次のように述べら
れている。
 『松前運通省工務局長が応召したとの話で尋ねたら、やはり熊本の西部22部隊に
二等兵として召集された由、実に憤慨にたえぬ。陸軍の不正であるばかりでなく、陸
海軍の責任であり国権の紊乱である』

414 :名無し三等兵:2006/01/13(金) 22:12:16 ID:???
電報一本で召集って…どうやるの?

415 :名無し三等兵:2006/01/13(金) 22:24:24 ID:???
熊本市長から直接電報が来たんだよ。
「召集令状発せられる。7月22日、西部軍第22部隊に入隊せられたし」ってね。
結局マニラで寺内に助けられたんだけどね。

416 :名無し三等兵:2006/01/13(金) 22:34:26 ID:???
召集令状は提示されてないけど発せられてるってことは、つまり熊本市長が騙した?
しかし、もともと召集令状がでてない人を西部軍が受け入れるものだろうか。
その辺にも熊本市長の息がかかってたの?

417 :名無し三等兵:2006/01/13(金) 22:44:00 ID:???
令状は聯隊区司令部から出てると思う。
普通は配送されてくるところを、特別に市長が知らせてきたということでは。

418 :名無し三等兵:2006/01/13(金) 22:45:57 ID:???
まあ、役人なら、そんな手続きは、どうにでもできるって

419 :名無し三等兵:2006/01/13(金) 22:55:46 ID:???
>東条内閣総辞職の代償として最後の権力を行使し…

よっぽど嫌いだったのかね。
しかし政治的には死んだも同然の状態でよくそんな事が出来たな。

420 :名無し三等兵:2006/01/13(金) 23:01:02 ID:brbYoJBF
聯隊区司令部→役所の兵事係→本人

421 :前スレ32:2006/01/14(土) 00:10:46 ID:???
兵器云々には詳しくないのですが、
最後に日本陸軍が起死回生を賭けた必殺最終兵器ケ号を開発するプロジェクトに参加していた、
松前さんを召集するのは問題だという説もあります。

本当にケ号兵器が逆転を可能にしたかはよくわからないところですが。

しかし、兵器開発をさぼって倒閣運動と政治的策謀に熱を上げる松前さんを召集したのは、
本来の徴兵免除の建前からして仕方がないという説もあります。

422 :イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/01/14(土) 00:20:55 ID:aCZApTzP
>>410 >>そういえばル大統領は開戦直前に天皇に親電を送っていましたな。
>>軍人に握りつぶされたけど。

少し補足しますと以下の通り。1941年12月7日午前7時半、中央電話局に一通の電報が
舞い込みます。ルーズベルト大統領が駐日大使のグルーに宛てた電報でした。

アメリカでは既に新聞記者に公開され、その内容は世界中に配信されていましたが、
陸軍省の電信課は、この電報を「15時間遅れ」で大使館に届けました。

グルーは東郷茂徳外相に電話をかけ、天皇に会えるように要求します。ルーズベルトの
親電は天皇に宛てたものだったからです。東郷外相は、ヒデキと木戸内大臣と相談し
(12月7日深夜〜12月8日未明)、親電を天皇の前で読み上げて拒否の回答をすることに
決定しました。ちなみに親電内容の有名な末尾は、以下の通り。

「余が陛下に書を致すは、此の危局に際し陛下に於かれても同様暗雲を一掃するの方法に
 関し考慮せられんことを希望するが為なり」

423 :イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/01/14(土) 00:35:06 ID:aCZApTzP
親電の内容はおよそ1500字余りの短いものでした。その中には、

「日本が仏領印度支那から撤退すれば、合衆国がその地に進出する意思はない」

とするルーズベルト大統領の私見も含まれていましたが、日米交渉の懸案事項を
打開する新しい提案は含まれていませんでした。誰がどう見ても「アリバイ作り」に
他なりません。

電報が遅れたのは、陸軍省内にも日米開戦を熱望する者たちが多くいたからです。
ハルノートが手渡されたときの参謀本部の反応はもっと露骨で、『大本営機密戦争日誌』には

「天佑とも言うべし。之にて帝国の開戦決意は踏み切り容易になれり。
 芽出度々々々(めでたしめでたし)」とありますw。

424 :えICBM:2006/01/14(土) 00:57:26 ID:???
開戦直前のアメリカ政府は開戦の覚悟をしていたが、いかに自分達が平和を望んでいたかを国民、世界、
後世の人々にわからせるかが重要であった。
そのため、乙案に対するハルノートを最後通牒と自覚しつつも土壇場で大統領の親電などを出している。
まあ、民主主義国家の指導者は、なにはともあれ手続きが大事ということだろう。


425 :名無し三等兵:2006/01/14(土) 01:02:42 ID:???
>>421
ケ号兵器はいわゆる対艦誘導弾ですね。
陸軍はずいぶん期待をかけていたようで数百機の生産が命じられますが、
完成予定は昭和20年10月だったので間に合わずに終戦。
あと鉄人二十八号もケ号だそうですw

426 :名無し三等兵:2006/01/14(土) 01:06:43 ID:???
>>411
小泉首相トルコ訪問 現地メディア 破格の扱いに
ttp://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20060112-00000024-san-int

額賀防衛庁長官:ロシア国防相と会談 交流促進で覚書
ttp://www.mainichi-msn.co.jp/seiji/feature/news/20060114k0000m010075000c.html

額賀氏 対中国武器輸出慎重に
ttp://www3.nhk.or.jp/news/2006/01/13/d20060113000200.html

NATOと中国情勢協議 初の次官級、月末開催
ttp://www.hokkaido-np.co.jp/Php/kiji.php3?&d=20060113&j=0023&k=200601136949&ref=rs

防衛庁、対中警戒を強化・陸自、米軍と離島防衛訓練
ttp://www.nikkei.co.jp/news/main/20051231AT1E3000330122005.html

国連改革:安保理改革 日本とインド、連携継続へ−−首脳会談で一致
ttp://www.mainichi-msn.co.jp/kokusai/asia/india/news/20051214ddm003030030000c.html

日越首脳会談:経済連携協定、交渉入り合意
ttp://www.mainichi-msn.co.jp/kokusai/asia/vietnam/news/20051213ddm002030144000c.html

あの時こんだけ出来てりゃ支那事変も解決できただろに…

427 :名無し三等兵:2006/01/14(土) 01:11:58 ID:???
シナ事変とは比較にならんだろ。

428 :名無し三等兵:2006/01/14(土) 01:15:51 ID:???
>>426
それを国連脱退してからやってみろよ。
現実に常任理事国入りもままならん状態の何処がすごいのか。

429 :イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/01/14(土) 01:23:54 ID:aCZApTzP
>>389 >>むしろ、三国同盟に拘る松岡洋石が辞めた後の方が対米関係は悪くなってるような…。

それは海軍出身の豊田貞次郎が外相に就任したからでしょう(第三次近衛内閣)w。
ちなみに豊田は第二次近衛内閣では当初、海軍次官を務めています(後に商工相)。

松岡が「妄執」なのに対して、豊田は明らかに「軽薄」です。近衛とともに右往左往
していたという印象が強いです。東条内閣の外相が「外務省の長老格」の東郷茂徳だった
ことを考えると、その差は歴然としています。分かりやすく書くと、以下の通りw。

松岡洋右>>>>>>>>>>>>豊田貞次郎<<<<<<<<<<<<東郷茂徳

豊田の名言はこうです。支那の駐兵に頑なに拘るヒデキに「9月6日の御前会議の
決定は何だったのだ!?」と詰め寄られると、

「そう言わないでくれ。あれは軽率だった。実は、そのまえの連絡会議の3時間ばかり
 前に案文を受け取ったので、よく検討する暇がなかったから……」

430 :名無し三等兵:2006/01/14(土) 01:27:21 ID:???
松岡の「条約は破るためにある」という暴言からすれば、
ドイツがやられれば自然三国同盟解消に向かったような気もしますね。

431 :イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/01/14(土) 01:47:14 ID:aCZApTzP
松岡洋右が『外相を更迭』されたのが、1941年7月18日です。

松岡更迭後まもなく、ヒデキの陸相官邸に1人の訪問者がありました。「私は松岡の
代理の者です。松岡が泣いて書いたものです」と一通の書簡をヒデキに手渡します。

巻紙に墨書したもので、その長さは15メートル(!)に及びます。怨みの塊です。
その内容の一部を抜粋すると以下の通り。

「小官はご承知の通りの性格にて、人を寧ろ善解せんと務むる者ゆえ、多くの情報あるに
 拘らず、昨夕までは例の公爵(近衛)逃出しの病出でたり、さるにてもいえども此時とは
 いかにも困った事なり位に考え居たり――

 即ち今回、突然の挙はあらかじめ小官逐出しのクーデターなりと言う事明瞭なれり。
 実に情けなし。而もそれは驚くべき迷なり」

432 :イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/01/14(土) 02:01:20 ID:aCZApTzP
さらに「三国同盟締結と独伊の外相との提携」は、よほど肚をすえて
行なわなければならず「誤魔化しや弁明外交」はもはや効果なしと
述べています。クライマックスでは、

「大東亜共栄圏はこのままにては夢なり、『英米と結びて』大東亜圏は
 おろか支那問題すら解決できるか」と近衛の人間性と政治性すべてを
 呪っています。 

さて、外交官として「松岡洋右と東郷茂徳」の名前を知っている人はいても、
豊田貞次郎と聞いてピンとくる人はあまりいないでしょう。

豊田が外相を務めた期間は、1941年7月18日〜10月16日ですが、この間に起きた
ことをつらつら挙げてみたいと思います。

433 :名無し三等兵:2006/01/14(土) 02:22:22 ID:???
近衛のほうでは、手記を書いていろんな人に見せており、
見せられた一人若槻は
近衛は松岡がドイツに何をしに行ったかわからないとしていたがまさか総理が知らないはずはないだろう、
松岡のドイツ行きに不満があったからこうかいたのではないか、としています。
しかし、実際に松岡はヒトラーとの会談録を作っておらず、豊田への引継ぎの際、
天羽英二が記録の要求をしても拒否しています。
だから本当に近衛は松岡が何をやったのか知らなかったわけですが、ドイツ側にはちゃんと記録が残っていて、
これだとヒトラーにお世辞を並べつつ、他の奴等は駄目だ、自分が日本の指導者になるつもりだ、
電報では情報が漏れてしまうから個人的な伝書使をやりとりしようと、こういっているようです。
法眼晋作氏は松岡は三国同盟によって自分の名声を高めこれによって首相になる野望があった、
だから三国同盟を骨抜きにするような日米交渉に反対した、と言っていますがそんな生やさしいものではなかったようです。

434 :イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/01/14(土) 02:30:10 ID:aCZApTzP
●7月28日:日本、南部仏印に進駐する
●8月 2日:アメリカ、対日石油禁輸を発表→日本は奈落の底に
●8月 7日:近衛と豊田、ハルに『首脳会談』の新提案を行なう
●8月14日:ルーズベルトとチャーチル、大西洋憲章を発表
●9月 6日:御前会議で「帝国国策遂行要領」を決定(対米戦争決意)
      天皇、「四方の海 皆同胞と思ふ世に など波風の 立ち騒ぐらむ」を詠む
●9月10日:統帥部、動員下令
●10月2日:ハル、近衛の提案した「首脳会談」を正式に拒否
●10月7日:近衛と東条が激突。ヒデキ「人間たまには清水の舞台から〜」発言
●10月12日:「荻窪会談」(近衛首相、陸海相・外相と和戦を議論)決裂
      豊田の「そう言わないでくれ。あれは軽率だった〜」発言 >>429 参照
●10月14日:支那撤兵を巡り、近衛とヒデキが最終決裂
      ヒデキ、仲介人を通して近衛に「東久邇宮内閣」で事態打開を助言

435 :イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/01/14(土) 02:52:08 ID:aCZApTzP
上記のように、南部仏印進駐、対日石油禁輸、9月6日御前会議など、
致命的な出来事の多くが、豊田外相時代に起きています。

第二次近衛内閣を考えてみると、近衛首相は3分の2の期間、ルーズベルトとの
「首脳会談」にうつつを抜かしていたことになります(結果論ですが)。

後ろ3分の1は、土壇場で何とか陸軍(ヒデキ)に「支那撤兵」を飲ませようと
もがいていた時間になります。豊田も近衛とともにあれこれ画策しますが
あまりに軽量級の外相だったのではないでしょうか。

とにもかくにも、例えば、企画院総裁の鈴木貞一に「何とか数字の上から
対米戦争はできぬと言って欲しい」と懇願するなど、陸軍に「戦争はできぬ」
という言葉を誰が言うか、互いに責任を押し付け合っていた時期です。

松岡が「傲岸」「独善」という言葉では足らないほど、自己の主張を
押し通そうとしていたのとは、あまりに対照的です。「他人頼み」w。

436 :イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/01/14(土) 02:53:49 ID:???
>>433
>>松岡は三国同盟によって自分の名声を高めこれによって首相になる野望があった

それは十二分に考えられそうですねw。

437 :名無し三等兵:2006/01/14(土) 03:07:38 ID:SqiKdwHg
   , - ,----、 
  (U(    ) 
  | |∨T∨
  (__)_)
イナゾウ中佐に最敬礼


438 :名無し三等兵:2006/01/14(土) 03:08:52 ID:???
>>433
>だから三国同盟を骨抜きにするような日米交渉に反対した

外務大臣からすれば反対は当たり前のこと。
たとえば、貴方が部長だとして、大きなそれこそ社運をかけたプロジェクトに、前進全霊込めて取りかかっているわけよ。
それなのに、課長や係長程度の奴が、自分に断りもなく、勝手に一番重要なとこを弄っているわけね。
俺ならそいつは他所に飛ばすぞ。

野村が外務大臣なら、妥協してでも対米和解を進める姿勢は立派なのだが、彼は大使だから、
忠実な伝達者に終始するべきだった。
特にハル四原則を勝手に省いたのは致命的。

439 :名無し三等兵:2006/01/14(土) 03:37:14 ID:???
>>438
普通の企業でなら自分の任されたプロジェクトとやらがが最も大事かもしれんが
国益を左右する外交に自分の手柄を最優先して次に国益を考えてるのは矛盾してると思わないか。

440 :名無し三等兵:2006/01/14(土) 03:57:20 ID:???
松岡が自分の手柄を最優先してたっていうソースは?
というかこの場合、国益を無視して突っ走ったのは野村大使の方だろう。

野村は4月にハルから手交された4原則を日本政府に伝達していない。
これが、そもそもの混乱の原因。
日本政府側は日米了解案を米国政府の公式見解と考えているのに、いきなりハルノートが突きつけられれば激怒するのは当然。

本国の意志と出先の意志が乖離してしまうと、アメリカ側にも誤解を与えてしまう。
あとで、おたがいの立場がかけはなれていることがわかれば、もう、日本とアメリカは戦争をするしかない。
野村吉三郎も、こんな道理を知らないで善意でやったのだろうが、外交技術的に最悪の行動で、いかにも素人外交。

441 :名無し三等兵:2006/01/14(土) 06:08:21 ID:???
おせっかいかもしれぬが、気を付けるとよいよ。
日中戦争問題は本当の深淵で、何人も将来のある研究者を喰ってきた。
学界では、かつての希望の星が残骸となって、随所で怪電波を出している。
ねらーがよくいう言葉だが、深淵を見つめるときは要注意のこと。


442 :前スレ32:2006/01/14(土) 09:40:23 ID:???
>>433
松岡はよくわからん男なので、いまだに賛否両論がけたたましい。

外交技術的には、ドイツ訪問時の対ヒトラー会談は、
言質を与えないままヒトラーに表面上の甘言をくりかえす松岡と、
対英(シンガポール)攻撃に日本を巻きこみたいヒ総統の狐と狸の化かしあいです。

そして、独ソ関係悪化を利用してスターリンを籠絡して日ソ中立条約を結ぶなど、
かなり老獪な動きを松岡は見せています。

一方で、松岡内閣の夢もあったことはたしかなようで。

>>440
松岡だけは恐ろしいことに、日米諒解案が日本人(岩畔大佐と井川)の手になるもので、
アメリカ政府の意図を反映していないことをほとんど即座に見破っています。

岩畔は周知のように実戦の英雄で名将といっていいと思いますが、
野村が外交を混乱させるのに協力したので、外交史上の評価はさんざんです。

以後、松岡は日米交渉をぶちこわしにかかるのですが、
同時に南部仏印進駐にも反対して、日米関係の決定的悪化も阻止しようとします。

このあたりも、松岡外交の評価がむつかしいところです。

443 :名無し三等兵:2006/01/14(土) 09:53:52 ID:???
もっとも七月になるともう仏印に進駐しても大丈夫だと言ってますけど。
帰国後のシンガポール攻撃主張からこの時期の仏印進駐賛成まで
たいていの案は口に出しているので評価は本当に難しいというかできないですね。

444 :名無し三等兵:2006/01/14(土) 11:36:12 ID:???
松岡の言う通りに北進やってたら日米関係の決定的悪化じゃ済まなかっただろう。
仏印進駐反対も堅い考えがあったわけじゃないから北進のためだろうし。

445 :名無し三等兵:2006/01/14(土) 11:59:59 ID:???
ぶちこわしにかかるといっても、
松岡の修正案が出た当時はまだ独ソ戦が勃発していないため四国同盟構想が健在。
だから強気に出るのも当然、という見方も出来る。

446 :前スレ32:2006/01/14(土) 12:44:12 ID:???
>>443
松岡がとてつもなくおしゃべりということもありますね。

シベリア鉄道で、ソ連側が盗聴している危険を警告された松岡は、
長い列車の旅の間、朝から晩まで随員にむかって話しつづけてソ連側を煙にまいたとか。

南部仏印進駐への同意も、なんども撤回して陸軍を引きずりまわす。

>>444
それもよくわからない。
松岡本人は南進させないために、北進を唱えたといっています。

ちなみに、松岡の悪い方の予言というのは、よくあたるんですよね。
「南に手をつければ大事になると、我輩は予言す」

447 :名無し三等兵:2006/01/14(土) 12:48:29 ID:???
松岡ってすごいパワーの持ち主だったんだなぁ

448 :名無し三等兵:2006/01/14(土) 14:03:25 ID:???
南進しても平気、南進すれば大事になる

どっちも言っておけば片方は当るw

449 :名無し三等兵:2006/01/14(土) 14:04:49 ID:???
南進つっても武力進駐とハル原則に従った平和的な進駐があるがね。
松岡が支持したのは後者。

450 :前スレ32:2006/01/14(土) 14:22:13 ID:???
>>448
そういってしまうと馬鹿馬鹿しいようなんですが、
大事になるといったのが、当時の日本の軍、政府上層部で、ほとんど松岡だけなんですよ。
確信犯で戦争をおこそうとした海軍の石川さんを別にすると。
だから、松岡の先見性は光るわけで。

ちなみに、私がさがした史料では、松岡は南部仏印進駐をしても平気といったものはなかったですね。
大事になるかもしれないし、かなりの確率で大事になるだろうけど、
自分以外の全員がどうしてもやるというので、まあやってみる、という感じです。
だから日米交渉はあきらめろ、なんてこともいっています。

451 :名無し三等兵:2006/01/14(土) 14:33:48 ID:???
海軍の山本五十六とか米内光政とかはなんも言ってないの?
彼ら反三国同盟派で親米英派でしょ。

452 :日本人:2006/01/15(日) 13:45:00 ID:060gi6a6
日支事変当時から軍に「偕行社」というのがあったが何のことか知ってるか?

453 :前スレ32:2006/01/15(日) 15:00:00 ID:???
>>452
いまもあります。ホーム・ページもあります。
偕行社で検索してみたらすぐみつかりますよ。

454 :イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/01/15(日) 15:39:49 ID:xPbnI6+G
>>441 >>日中戦争問題は本当の深淵で、何人も将来のある研究者を喰ってきた。
>>学界では、かつての希望の星が残骸となって、随所で怪電波を出している。

前スレから既に「土人」「土人兵」「土人国家」「土人軍」と怪電波を発している
自分はどうしたらいいんでしょう? 本当にありがとうございました。日中戦争は
人気が無いといわれる割には関心が高く(PUBLINEで1000近い数字の本もある)、
有望な『ニッチ産業』の典型だと思います。

>>437
そういうことを言っていると、前スレの『悪質な閑話休題』が復活します(核藁)。

455 :名無し三等兵:2006/01/15(日) 15:42:01 ID:???
>>453
そいつの相手はしてはいけません。

456 :四季映姫・ヤマザナドゥ ◆FU/OcfTlfM :2006/01/15(日) 15:42:33 ID:???
「クシュンッ! 誰かが噂したような……」

457 :イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/01/15(日) 16:02:07 ID:xPbnI6+G
>>453 の補足

『元海軍次官』の豊田貞次郎が外相になったのは、近衛首相と及川海相、豊田外相で
スクラムを組んで陸軍に対抗するという思惑がありました。機能はしませんでしたが、
そのことにも触れないと「片手落ち」なので、念のため。

>>松岡洋右「首相」について

第三次近衛内閣が総辞職して、後継に「宇垣一成」の名前が挙がり、「宇垣は私心が
あるからダメだ」とはねられた事はすでに述べました。松岡の名前が仮に挙がった
としても、「松岡は『野心』があるからダメだ」という事になるのでしょうw。

どの道、天皇に「不信感」を持たれた人は絶対に首相にはなれません。火葬戦記の
石原首相がないのと同じことです。

458 :イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/01/15(日) 16:24:49 ID:xPbnI6+G
>>413 >>東條に懲罰召集された松前重義の息子の手記。高松宮も懲罰召集に激怒。

松前重義氏は戦後に、東海大学の総長になっていますね。確かに逓信省の勅任官で
あった訳ですが、終戦工作論を人前で堂々と説いていたこと、海軍首脳部の前で
東条内閣批判を行なったことが、ヒデキの逆鱗に触れる結果となりました。

もちろん松前を特異な例としないために、1901年生まれ(前後)の人間を何人か
同様に二等兵として戦場へ送っています。巻き添えもいいところですw。

ちなみにヒデキの3人の息子はどうだったかというと、以下の通り。
●長男:終戦まで朝鮮で憲兵をやっていた
●次男:東京帝大の航空科を卒業後、メーカーで飛行機の設計技師
●三男:陸軍士官学校の在学中に終戦

有力者の子弟が「特別に配慮」されるのはよくある事で、ヒデキが首相を辞めた後
(1944年7月18日)、木戸内相は自分の関係者のお目こぼしが続くか確認しに行ったとか。

459 :日本人:2006/01/15(日) 16:33:19 ID:060gi6a6
日中戦争(日支事変)というが、事変の時は職業軍人は日当、戦時手当をもらい
戦争になったら出なかったというのは本当か?

460 :日本人:2006/01/15(日) 16:35:02 ID:060gi6a6
 支那事変か日支事変か?

461 :イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/01/15(日) 17:27:40 ID:xPbnI6+G
>>442
>>松岡だけは恐ろしいことに、日米諒解案が日本人(岩畔大佐と井川)の手になるもので、
>>アメリカ政府の意図を反映していないことをほとんど即座に見破っています。

そうですね。また松岡外相は、当初から井川忠雄(元大蔵官僚)をいかがわしい人間だと
批判していました。井川の「渡米費用」を問題に取り上げ、

「井川の渡米費用を陸軍から支出するのは怪しからんではないか?」とヒデキに
詰め寄ります。それに対してヒデキは、

「陸軍は支出していない。岩畔が各方面に働きかけて集めたに過ぎない」と反論し、
蜜月関係だった松岡外相とヒデキの間に『最初の亀裂』が生じました。

岩畔自身は、「『支那問題』が日米交渉の焦点になるので支那の専門家を送ってほしい」
という野村大使と井川の要望が陸軍省に伝えられたのを機会に、米国出張という名目で
ワシントンに送り込まれます。

462 :日本人:2006/01/15(日) 17:50:13 ID:060gi6a6
今の役人と同じで公費でよけいな出張してたんだね。ところで支那事変の時
日当、戦時手当の件はどうなんだ?

463 :イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/01/15(日) 18:19:45 ID:xPbnI6+G
>>412 >>日本側から親電を送ってもな…いや、その前に解読されるか。
>>442 >>岩畔は周知のように実戦の英雄で名将といっていいと思いますが、
>>野村が外交を混乱させるのに協力したので、外交史上の評価はさんざんです。

日本側の電報ばかり解読されている印象が強いですが、アメリカの電報もちゃんと傍受していました。

当時、岩畔は陸軍省の軍事課長を3年間続けていましたが、ヒデキにかなり
睨まれていました。岩畔のスタンドプレーを好む性格もさることながら、彼の
頻繁な「赤坂通い」は有名で、本人もそれが原因で飛ばされたと漏らしています。

ワシントンに旅立つ前、岩畔はアメリカ大使館のグルーにも挨拶に行きます。グルーは
ハル宛に「岩畔大佐は青年将校グループの最も重要な指導者の1人であり、また
東条陸相の完全な信任を得ている」と報告します。

当時、アメリカ大使館の電報はすべて陸軍省の兵務局で傍受していましたから、
この電報を聞いたヒデキは思わず渋い顔w。

464 :前スレ32:2006/01/15(日) 18:34:29 ID:???
>>441
まったくおっしゃるとおりです。

>>458
強度の近視だった長男(丙種だったので徴兵されず)は最後に徴兵されたので、
ヒデキの家では大喜びしたという話もあります。この人の話は本によって違いますね。

次男は航空設計の至宝といえる人材で、よほどのことがないと前線に送るわけにはいかない。
現役バリバリの軍用機設計者は松前さん以上に貴重な人材といっていいので。

三男も士官学校生徒なので仕方ないところでしょう。

>>463
岩畔はずっと謀略家と思われていたので否定的評価も強く、武藤とも仲が悪かったとか。
しかし、緒戦の英雄のひとりですし、
とりわけ戦争末期におけるビルマ第28軍の退却戦指導で名声を確立します。

このとき、軍司令部がジャングルと湿地帯のなかで師団司令部を見捨てず、
師団司令部(有名な宮崎師団長)は兵士を見捨てなかった統帥は語り草になっています。



465 :名無し三等兵:2006/01/15(日) 18:59:17 ID:u7VKbMVS
頭の切り替えの早さは松岡や武藤に通ずるものがあると思います>岩畔
戦後は京産大の創設に深くかかわりました。岩畔に呼ばれて寮監長に就任したのが
シベリア帰りの草地貞吾元大佐でした。

466 :イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/01/15(日) 21:01:28 ID:???
これから『ひぐらし』の「皆殺し編」を消化するので、
少し間が空くかもしれません……w

467 :暫編第一軍:2006/01/16(月) 00:48:25 ID:???
>>464殿
 いや確かに日中戦争は深淵を覗く思いですね。私も同感です。
 以前開戦前後を少々調べていてこうも解釈が別れるものかと。
 今は深淵に恐れをなして軍事面を中心にしております。

468 :名無し三等兵:2006/01/18(水) 13:46:36 ID:Zljb8LcP
保守

469 :名無し三等兵:2006/01/18(水) 17:21:19 ID:???
ttp://military.china.com/blade/kangri/krzz2.html

470 :イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/01/18(水) 22:28:04 ID:???
>>468
スマン。もう直ぐ終わると思う、多分w。恒例の「折り返し地点」は
昨夜過ぎました。

次回の人気投票が楽しみです。リベンジ、リベンジ(核藁)。

471 :イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/01/19(木) 01:09:54 ID:???
と思ったら終わったので、明日あたりから再開します。
ジーク・リカオン!w

472 :イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/01/19(木) 23:34:23 ID:/TkEvSWi
2007年に南京虐殺事件『70周年』を記念して、ハリウッドで映画になるそうです。
現地の宣教師の立場から、日本軍の蛮行を暴くんだとさw。詳細は、兵頭軍師・別宮翁
スレを参照のこと。これには少し危機感を覚える訳で――、

少し「スレの脱線」が続きましたから、そろそろ本線に戻したいと思います。

まずは「満州事変」の背景から……。

473 :名無し三等兵:2006/01/20(金) 00:05:16 ID:???
アメちゃんもやっぱ中国に親近感があるんかね。
もともと反日親中だったし。

474 :イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/01/20(金) 00:07:12 ID:MQQxgse8
満州事変の「起爆剤」となったのが、『中村震太郎事件』と『万宝山事件』です。
とくに前者の事件は、軍中央の空気を一気に険悪化させ、満州事件が起きる
大きな引き金となりました。そして当然のことながら『舞台裏』が存在します。

ちなみに、中村震太郎大尉の葬儀は東京で行なわれましたが、焼香には大臣級も
訪れています。この一事をもってしても、単なる一大尉の殺害事件にとどまらない
ことは明らかです。ちなみに「中村震太郎事件」の詳細は、以下の通り。

1931年8月17日、東京の三宅坂にある陸軍省記者クラブは、大勢の新聞記者が集まり
騒然とします。『報道禁止』になっていた「中村震太郎事件」が、ついに公開解禁となり
内容が発表されるからです。中村震太郎大尉は、参謀本部第一部(作戦)の参謀でした。
―――――――――――
中村は1931年初夏、満州へ参謀旅行に出発します。昂々渓(チチハルの南)で旅館を経営
していた井杉延太郎(予備役曹長)を伴い、ロシア人・蒙古人2人の道案内のもとで、
北満の興安嶺に6月5日到着しました。

475 :イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/01/20(金) 00:23:24 ID:MQQxgse8
そこから更に南下した6月27日ごろ、策倫(そろん)と桃南の間にある
民安嶺で『虐殺事件』は起こります。飯屋で食事中の中村大尉一行を、
同地の東北辺防軍(張学良軍)の興安屯墾第3団(屯田兵連隊)の兵士に
捕らえられたのでした。

中村は奉天で受けた国民政府の「護照(旅券)」を団長代理の関玉衡に提示します。
しかし、関は旅券を無視して破り捨て、部下に命じて中村大尉一行を殺害します。

その手口は、一行の衣類や所持品を全て奪い、全裸にして縛り、全身をズタズタに切り裂き
性器まで切り取って最後に射殺するという、残忍極まりないものでした。原住民の土人に
捕まるとこうなる、という見本のような最後です。死体は山中に焼き捨てられました。

1931年7月中旬、関東軍司令部は現地付近に住んでいた日本人女性の密告によって、中村大尉の
殺害を知ります。当然のことながら日本政府は、国民党政府と張学良政権に厳重抗議しますが、
「中村一行は、スパイ行為中に匪賊に捕まり、行方不明になったのだろう」と土人政府は無視しました。

476 :イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/01/20(金) 00:46:46 ID:MQQxgse8
関東軍は参謀の「片倉衷大尉」を、支那人に変装させ現地に派遣します。
片倉は満鉄職員の協力を得て中村大尉殺害の確証をつかんだ、というのが
陸軍省の発表でした。

「万宝山事件(後述)」の直後に起きたこの事件に、関東軍と日本人居留民は
憤激します。奉天領事館の林久治郎総領事以下、「今や武力行使もやむなし」の
声が沸きあがったのです。また日本内地でも、各新聞の論調は一気に「断固として
支那の暴虐の罪を追及せよ」との強硬論に塗りつぶされました。

この殺伐とした雰囲気のなか、1931年8月1日、陸軍の定期大異動が発令されます。
この直前、未然に終わった「3月事件」の影響もあってか『大更迭劇』となり、
南次郎陸相(大将:若槻礼次郎内閣)のもと、大鉈が振るわれました。

一例を挙げると、吉田豊彦大将(技術本部長)以下、将官55人が待命(のち
予備役編入)になった他、陸軍省・参謀本部・教育総監部・師団長・旅団長級の
更迭まで、その異動は幅広いものでした。

477 :イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/01/20(金) 01:03:35 ID:MQQxgse8
「満州事変」に絡んで注目すべき人事(1931年8月)は、以下の通り。

●関東軍司令官に本庄繁中将(第10師団長)。ちなみに前任の菱刈隆大将は
 軍事参議官に退く。本庄は、張作霖の軍事顧問や支那公使館付武官の経験があり
 『支那通』の典型的軍人。

●参謀本部第一部長(作戦)に建川美次少将(前:参謀本部第二部長<情報>)
●参謀本部作戦課長に今村均大佐(前:陸軍省軍務局徴募課長)
●奉天特務機関長に土肥原賢二大佐
●奉天特務機関長補佐に花谷正少佐
●関東軍に、柴山兼四郎少佐・矢崎勘十少佐・須田忠少佐、今田新太郎大尉
 (張学良の軍事顧問名目)
●朝鮮軍の作戦主任参謀に神田正種中佐

こういうのを「役者が揃う」と言います。そしてこの人事の背景には、永田鉄山大佐
(陸軍省軍事課長)と重藤千秋大佐(支那課長)の工作が効いています。

478 :イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/01/20(金) 01:34:57 ID:MQQxgse8
まあ、「満蒙問題の解決」を掲げた『一夕会』の規定路線と言えば、
それまでなのですがw。さて、「中村震太郎事件」との絡みですが、
要は参謀本部第一部の『面子』の問題です。

本来、支那(満州)への参謀旅行は、支那課に配属された将校の『洗礼』の
意味合いがありました。『不文律』と言っても差し支えないでしょう。

任務をもらって支那へ1人で赴き、田舎を旅行して自分の研究論文を書くというのが、
支那課の慣習になっていた訳です。そうした旅行記が、兵要地誌の貴重な材料になって
いたのは言うまでもありません。草創期の支那通軍人の伝統でもあります。

もちろん、現地の支那人なり民間技師なりに偽装しての「隠密旅行」ですから、当然
危険も伴います。しかし、作戦を担当する第一部から、この支那課の参謀旅行が何やら
「年度末のご褒美旅行」のような誤解を受けました。ここに悲劇が生まれたのです。

479 :イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/01/20(金) 02:20:31 ID:MQQxgse8
要するに、「支那課の若い奴だけが毎年毎年、支那や満州に旅行するのは
ずるいぞ!」という訳です。さらに「支那課だけでなく、第一部(作戦)でも
支那旅行をやろうじゃないか」という意見まで出ました。

第二部の支那課からすれば、命がけの参謀旅行を馬鹿にされている訳ですから、
非難轟々ブーイングの嵐です。1931年にはまず、長勇がハルピンからチチハルまで
支那奥地を旅行して帰ってきましたが、この話を聞いて激怒しています。

そして第一部からの最初の旅行者が、中村震太郎大尉であった訳です。

もちろん、第一部の「面目丸潰れ」もいいところw。また、中村大尉自身は
決して行きたがっていた訳ではないところに皮肉を感じます。詳細は後述。

480 :名無し三等兵:2006/01/20(金) 06:24:49 ID:???
旧日本軍の内務班のリンチ・メニューはじつに豊富。盛りだくさんだった。

1..ミンミン蝉=単に「蝉」ともいった。室内の柱にしがみつかせ、「ミーン・ミーン」と鳴き声を出させる。
腕が痺れてきて柱から落ちると最初からやり直させた。
2.うぐいすの谷渡り=兵隊達が寝ていた木製のベッドの下を四つん這いになってくぐらせる。
くぐり抜けるとすぐ不動の姿勢をとらせる。くぐり抜けと不動の姿勢を繰り返し続けさせるが、このとき
「ホーホケキョ」と鳴かせる。
3.自転車競走=両脇に机を置き、その机に両手を置いて腕だけで体を支える。両足を自転車をこぐ
ようにグルグル回させる。腕が疲れて両足が床につくと、またやり直し。
4.女郎のマネ=手ぬぐいを頭にかぶり、廊下に立ち「ちょいと、兄さん、寄ってらっしゃい」という呼び
込みを女の声音で言わせる。
5.各班まわり=水の張ったバケツを両手にもち、水をこぼさないようにして、各班から一発ずつ殴られ
てくる。どんなパンチを浴びても水はこぼせない。こぼしたら、もっと苛酷なリンチが加えられるから、
体のバランスを失いながら必死でバケツを水平に保つ。
6.編上靴なめ=靴の扱いがぞんざいだったという理由で、靴を首からブラ下げ、謝罪の言葉を大声で
言わされて各班をまわる。「山本一郎は本日、編上靴に対し欠礼をいたしました。お詫びいたします」と
いってお辞儀をしては、首にかけた靴をぺろりとなめながら一周してくる。
7.捧げ銃=兵器特に小銃の手入れは毎日が原則だったが、時間がなく出来ないこともあった。
そんなときに限って点検があるものだ。小銃の手入れを怠ったと、「三八式歩兵銃殿、山本一郎二等兵
は本日手入れを怠りました。自分は軍人としての恥を知りました」と大声で言わされ、手が痺れるまで
捧げ銃をさせられる。捧げ銃とは銃をもったときの敬礼のやり方で、両手で銃を持ち、自分の前面にその
両腕を伸ばし、銃を垂直に保つ。
8.痰壺なめ=説明する気になれない。



481 :名無し三等兵:2006/01/20(金) 13:38:28 ID:???
グアンタナモも真っ青

482 :イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/01/20(金) 23:07:57 ID:t0Ex1Gxj
>>479 の続き。

1931年の支那課の参謀旅行ですが、本来なら長勇の次に「今井武夫」が出発するはず
でした。今井は、後の支那派遣軍参謀副長(少将)、支那大使館付武官です。もちろん
「支那通」の1人です。今井が戦後インタビューで語ったものを要約すると、以下の通り。

長勇が支那の参謀旅行から戻ってきたのが1931年5月です。今井は次が自分の番でしたので、長から
いろいろ経験談を聞いて心の準備をしていました。しかし突然、第一部が順番に割り込んできます。
長勇はこれに激怒して今井に言います。

「第一部が(支那に)行くと言っているが、好きにさせたらいいではないか。自分たちは世間が
 考えているような、褒賞旅行をしている訳ではない! 大いに苦労して命がけの事をしているが
 ひとつも分かって貰えん。君も行くつもりでおったかもしれんが、向こうに譲ってやれ。
 1年やらせれば音をあげるぞ」

こうして「第一部」の中村震太郎大尉にお鉢が回ってきた訳ですw。

483 :イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/01/20(金) 23:38:40 ID:t0Ex1Gxj
1931年当時、今井武夫も大尉で、中村震太郎と同じ階級でした。長はご立腹でしたが、
中村自身はあまり行きたくないと言っています。悪い虫の予感がしたのでしょう。
支那に出発するのを非常に嫌がります。

今井を訪れては、どうしようかと泣きつきます。今井も困って「君が行かないと言うなら
それでも良いが、私の口から代わって行きます、と言い出す訳にもいかない」と答えます。

さすがに中村も軍人としてのプライドがあり、誰が見ても『極楽旅行』なら辞退も出来るが
困難な任務だと知れば知るほど嫌とも言えず、最後には支那へ参謀旅行に出発します。そして
虐殺事件に遭遇する訳です。ちなみに中村は「農業技師」に偽装していました。

今井としては、まかり間違えば自分の身に降りかかった事かも知れず、複雑な心境でしたが
支那課からすれば「いかに危険な旅行か分かっただろう、ざまあ見ろ」が本音でしょう。

「中村震太郎事件」がこじれた理由は、上記のようなものです。

484 :名無し三等兵:2006/01/21(土) 00:09:34 ID:???
「農業技師」に偽装

スパイ容疑で殺害されて当然だろ


485 :イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/01/21(土) 00:31:25 ID:/wZy6C2i
>>474 の続き。
>>満州事変の「起爆剤」となったのが、『中村震太郎事件』と『万宝山事件』です。

引き続いて『万宝山事件』に触れます。前スレでも既述しましたが、張学良の『反日侮日』
政策をまず取り上げなければなりません。もちろん関東軍と正面衝突しては不利なので、
張学良は日本の「満州諸権益」を奪還する戦術に出ました。再述すると、以下の通り。

●満鉄包囲の鉄道網建設
●満鉄の貨物積み出し港である大連に対抗するため、葫盧島に築港する
●満鉄付属地の経済封鎖
●日本人の事業と居住を禁止し、朝鮮人農民を追い出す

特に「葫盧島」の港の完成は、北満の大豆輸送と東満の貨物輸送を奪って、
満鉄に致命的な打撃を与えました。そして「万宝山事件」は言うまでも無く
最後の4番目に該当するものです。

486 :イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/01/21(土) 01:04:44 ID:/wZy6C2i
張学良は1930年、『盗売国士懲罰令』を公布します。これは日本人や朝鮮人に
土地を売ったり貸したりした者は、国賊として死刑に処するという無茶苦茶な
法律です。言うまでも無く、朝鮮は日本に併合されていますので(1910年)、
以下同文な訳です。

この他、多数の排日行為が続き、満州での日本人の居住は困難になりました。
そして当時、満州には100万人の朝鮮人が居住していましたが、朝鮮人に
対する迫害も強くなります。古くから満州に定住し、主に米作を営んでいた
者たちです。

『盗売国士懲罰令』が実施されると、日本人や朝鮮人の農地は奪われ、財産を
略奪され、それに抵抗すると問答無用で監獄にぶち込まれます。そのような中、
ついに「万宝山事件」が起こったのです(1931年7月)。

487 :前スレ32:2006/01/21(土) 01:24:10 ID:???
>>484
日中間は交戦状態でもなく、中村大尉は兵要地誌を作りにいっただけなので、
殺害すれば日本側が憤激するのもやむをえないところ。

ついでにいうと、問題を中国側のマスコミや地方機関が煽ったために、
日本側の興奮を煽ったのも事実です。

これを必要以上に右派が重視するのも問題でしょうけど、
左派が中国側の正当性を安易に認めすぎるので、かなり違和感がありますねえ。

>>486
ちなみに、万宝山事件はイナゾウ中佐が説明してくださるでしょうけど、
左派としては解釈に困る、より深刻な問題です。
かなり微妙な問題を、あえて説明してくださるイナゾウ中佐に感謝。


488 :イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/01/21(土) 01:58:14 ID:1HOfCrkL
『万宝山』は長春の西北40キロにある農村です。そこに朝鮮人の農民である
沈宜達が、「荒地を水田に開拓する」計画を立てたのが事件の始まりです。

満人に依頼して、地主数人と250町歩(2万5千アール)を10年間借地し、
幅6メートル・長さ8キロの用水路を造る『契約』を結びます。

長春県長の工事許可も取り、「盗売国士懲罰令」で各地から官憲に追われてきた
小作民120戸を「万宝山」に移住させて、農業組合を設立しました。

そして開墾が終わり、ようやく稲の種をまこうとしたその時に県長が突然
工事の中止命令を出したのです。しかも、長春公安局長が武装した騎馬保安隊
200人を連れて「万宝山」に乗り込んでくるオマケ付きですw。公安局長は
農民の立ち退きを命じて、用水路の埋め立てを開始しました。

この辺は、契約も糞もヘッタクレも無い、いつものお決まりのパターンですw。

489 :イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/01/21(土) 02:21:48 ID:1HOfCrkL
朝鮮人農民の訴えにより、長春の日本領事・田代重徳が日本人警官6人を
連れて『万宝山』に急行します。田代は農民を保護して、満人側と円満な
解決を図ろうとしました。しかし、満州官憲は交渉を拒否します。

そればかりか、満人農民500余人を集めて『万宝山』を襲撃。1931年7月1日から
2日にかけて用水路と堰を破壊しました。さらに満州側の保安隊が発砲、日本人警官も
応戦しますが、死者は出ませんでした。

結局うやむやに終わる訳ですが、似たような農民弾圧事件は満州各地で頻発します。
万宝山事件については、『朝鮮日報』が「朝鮮人農民が多数殺害された」と誤報したため、
朝鮮で在支那人への報復が始まります。一説には、平壌では100人以上が殺されたと
言います。まあ、どうでもいいですがw。

誤報に気づいた『朝鮮日報』の記者は、すぐに謝罪と訂正の記事を載せますが、翌日には
何者かに殺されます。支那側は、朝鮮での「支那人リンチ」を非難して、さらに
排日運動を激化させました。

490 :名無し三等兵:2006/01/21(土) 02:26:56 ID:???
中佐頑張れ頑張れ
それにしても凄い話だな

491 :イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/01/21(土) 02:38:05 ID:1HOfCrkL
>>487 >>左派としては解釈に困る、より深刻な問題です。

まあ、朝鮮人農民を「支那側(満人)が弾圧する」話ですから、どちらの
肩を持てばいいのか、左派は困る話でしょうw。

『万宝山事件』で連想するのは、2005年6月16日にテレビで放送された
中国・河北省で「武装集団」が農村を襲撃した事件です。

報道ステーションかニュースステーションか、古館だったか久米だったか、もう
記憶が曖昧ですが、テレビ朝日がトップニュース扱いで「隠し撮り映像」を
流していたのを覚えている人も多いと思います。

200人〜300人の「迷彩服姿」の武装集団が、猟銃や鉄パイプで村民を襲い、
死者6人・負傷者48人を出しだ事件です。土地の再開発をめぐる補償金で当局と
揉めており、役人側が武装集団を雇って村を襲わせたのではないかとの疑惑が
当初より流れていました。

492 :イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/01/21(土) 02:57:36 ID:1HOfCrkL
結局、あの国は70年以上経っても何も変わっていない訳です。
面倒だったらヤッちまえ、追い払ってしまえ、の世界です。

兵頭軍師の言を借りるならば、「民族の性質やメンタリティが
50年や100年で変わるものかよ」という事です。そして明日、
同じような事件が放送されても、「ああ、またか」と思うはずです。

『万宝山事件』では1人の日本人が活躍します。長春の歯科医・小沢開作が
朝鮮人農民の味方になり、命がけで抗議行動を起こして日本人警官を出動させ
大いに感謝されます。小沢開作は、世界的に著名な指揮者・小沢征爾の父親です。

ちなみに小沢征爾氏の名前の由来は、父親の開作が尊敬していた板垣征四郎の
「征」と石原莞爾の「爾」から取ったものです。開作氏が満州で歯科医を開業していた
ことを考えると、さもありなんでしょう。

ちなみに民主党の菅直人の長男「源太郎」の由来は、児玉源太郎からです。

493 :イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/01/21(土) 03:22:37 ID:1HOfCrkL
結局、張学良の「反日侮日」政策は『万宝山事件』を引き起こし、
朝鮮での「支那人リンチ」を招き、支那はまたそれを非難して
一段と排日運動を激化させる悪循環に陥ります。

もちろん日本国内の世論も、支那側の排日運動に憤慨します。当時は
若槻礼次郎内閣でしたが、幣原喜重郎の軟弱外交を攻撃しました。

もちろん「一夕会」の第一回決議(1929年)には「満蒙問題の解決」があり
規定路線な訳ですが、上記のような『中村震太郎事件』『万宝山事件』が
日支双方の国民の感情にも火をつけ、満州事変へと雪崩れ込む導火線と
なったのです。さあ、左派が言うところの「15年戦争」の始まりです。

Welcome to this crazy time♪ このふざけた世界へようこそ♪

494 :名無し三等兵:2006/01/21(土) 04:01:43 ID:???
ワクテカ。
万宝山事件をぐぐってみたら、契約の破棄の事や武力で威嚇してきた事はまっったく触れずに
「中国の抗議を無視し一方的に工事を進めた日本」
みたいな書かれ方がしてあってちと笑ったw

495 :名無し三等兵:2006/01/21(土) 04:20:07 ID:???
>>493
時を同じくして 
1930年5月以降朝鮮人共産党員による日本中国朝鮮の施設に対する暴動
逮捕者続出
遡ること 
1927年4月の蒋介石共産党員粛清
1928年6月の蒋介石北伐完成
これに対する
1928年7月のコミンテルン第六回大会
で本格的な対資本主義構想をうちあげ
1930年5月第一次中国ソビエト区域代表大会
以後暴動が多発していることがわかる

単なる住民の爆発ではなく、国民党と共産党の争いが
話をややこしくていることは興味深い

496 :495:2006/01/21(土) 04:46:40 ID:???
さらに言えば
蒋介石の共産党員粛清の直後 
1927年5月山東出兵が行われ中国人はこれに反発

1928年3月、日本では悪名高い治安維持法による共産党員
1000人以上を逮捕 日本共産党あせる

1928年4月第二次山東出兵で中国人怒る
これに対して翌1928年5月済南事件で日本人激怒

1928年6月満州某重大事件 息子激怒
これにより、この直後に北伐完成

ここいらで日中国民感情 共産主義資本主闘争 共に爆発寸前
お膳立てはそろったって感じかな

497 :えICBM:2006/01/21(土) 07:30:02 ID:???
それにしても、反日、抗日ここに極まれりだな。


498 :えICBM:2006/01/21(土) 07:37:06 ID:???
>万宝山事件[国]1931.7.1
> 中国吉林省万宝山地域で,朝鮮人移住農民と彼らの水路工事で被害を受けた中国人農民と
>の間に紛争が生じた.中国側の抗議によって工事は一時中止されたが,まもなく日本領事館と
>警察の保護下で再開されたことから,7月1日の中国農民の蜂起に続き大規模な日中の武力
>衝突事件となった.日本領事館は事件を誇大にみせる虚偽情報を流し,これが朝鮮全域に報
>道されたため中国人襲撃事件が各地で発生した.事態は平壌各団体連合会等の活動により10
>日までに収拾された.この事件は日本国内の対中国強硬論台頭の一契機となった.〔参〕朴永
>錫《万宝山事件研究》1978.

http://oohara.mt.tama.hosei.ac.jp/khronika/1931-35/1931_14.html

こんなのもある。

499 :名無し三等兵:2006/01/21(土) 07:47:14 ID:???
というか、「盗売国士懲罰令」で各地から追われて来た朝鮮人に土地を貸すというのは同法に違反するのではないでしょうか?とすれば一時的にせよ許可が下りたこと自体違法。
許可が取り消されたのは当然でしょう。悪法も有効な間はまた法です。
また仮に朝鮮人に土地を貸すことがそこでは適法だったとしても中止命令が後から出たならば中止が適法。当事者には釈然としないものがあるでしょうが現代日本でも一度認められた件に対する中止命令も時にはあります。
更に公安局の取締りで一時中止された工事を6月下旬になって朝鮮人側が再開したことが紛争を激化させています。
張学良の反日侮日政策も張作霖がとうして死んだかを考えれば当然といえば当然です。
日本の満州権益は今の目でみれば侵略的なものと捉えられることもありますが当時としては合法でした。しかし張作霖を爆殺する権利は認められていなかったはずで。

500 :名無し三等兵:2006/01/21(土) 17:52:21 ID:???
>>499
違法と知りつつ貸して開墾だけさせていおいて、後から官憲連れて来るって
時点で官民一体(wの詐欺だろ。
「悪法とは言え法は法」と言うのは法治国家だけが吐ける台詞だ。
親を殺されて感情で突っ走って自分の都合の良いような法を作る匪賊に
その台詞はに適さない。

501 :えICBM:2006/01/21(土) 18:18:33 ID:???
>万宝山は長春の西北方三十キロほどのところにある小さな農村である。万宝山事件というのは、その村で
>用水路問題をめぐって朝鮮人移住民と中国原住民とのあいだに生じた紛争のことである。朝鮮人移住民が
>水田をつくるさい、伊通河から用水路を引いたのだったが、その用水路が中国人の畑地を侵した。それに、
>伊通河をせきとめれば、雨期に川が氾濫するおそれがあったので、原住民は水路工事に反対した。
>そんなときに、日本人が朝鮮人に工事を強行するようそそのかした。こうして紛争は拡大し、それが朝鮮国内
>にまで波及して人命や財産にも被害をおよぼす騒ぎとなった。農村によくある小さないざこざが、民族離間策
>にうまうまと乗せられて大きな事件に拡大したのである。

http://www.uriminzokkiri.com/Newspaper/japan/Segi/Segi2/htm/035.htm

こんなのもあった。
どうも用水路が問題の直接の原因のようだ。
もちろん、イナゾウ中佐のレスではこれっぽっちも指摘が無い。

502 :暫編第一軍:2006/01/21(土) 18:36:20 ID:???
>>474-475において、『中村震太郎事件』についてイナゾウ中佐殿が詳細に解説
されています。
しかし何事も相手のあることであり、台湾の国民党側資料による同事件のいきさ
つを書いておくことも興味の対象となり得るでしょう。

 興安、桃南(本当は字が違う)地方は外国人立ち入り禁止区域であった。
 中村大尉は奉天で得た正規の旅券に加えて農学士と身分を偽った旅券も所持
していた。
 大尉一行は屯墾隊第三団の錬兵場付近で挙動がおかしかった為調べられ
たが、申し開きもしどろもどろで中国側通行許可証を持っていなかった。
 団部に連行して尋問すると匪賊に追われて逃げてきたという。
 団長、団長代理は留守であったが、日本人であることが分かったので保護するこ
ととし、賓客として扱い食事も町の食堂で4回将校も共に陪食した。
 団長代理が帰営してはじめてスパイ嫌疑を受け身体検査など行うと軍用地図、
日記、筆記録等が見つかり容疑がはっきりしたが、屯墾公署の指示で丁重に
しかし監視を強めた。
 ところが大尉一行は番兵の隙を見て逃げ出し、番兵が追跡して銃声が聞えた。
 事務長が兵を連れて捜索すると大尉等の遺体を発見。しかし番兵は外国人
殺害の罪を恐れて逃亡していた。
 団長代理は国際問題になることを恐れて遺体や所持品を焼き証拠隠滅を図り
緘口令を敷いた。
 遼寧省首席が送った第一次調査隊は緘口令の為事件を確認できなかった。
 この時点で事件は日本側の言いがかりではないかと認識していた。
 しかし張学良が派遣した第二次調査隊によって事件が確認され、9月16日
調査隊が帰還した。
報告に基づき団長代理を解職逮捕し、陸軍監獄に収監。軍法会議にて厳重に
処分することとし18日、日本の奉天総領事に対し経緯を伝えた。
 その夜、九・一八事変が勃発した。
 

503 :暫編第一軍:2006/01/21(土) 18:36:53 ID:???
 同じく万宝山事件の台湾側見解をば。

 まず、未耕作地を10年契約で借り受けたのは長春県の農民であり、彼はこれを朝鮮人にまた貸しした。
 また貸しに関して県の許可を得ていなかった。
 朝鮮人農民は用水路の工事を開始したが、用水路は中国人農民の土地にはみ出しており、水門によって水位が上がると両側の中国人農地に被害を与える欠陥水路であった。
 その為、中国人農民は当局に訴え、県、市から中止命令が出たが朝鮮人農民は工事を止めなかった。
 県公安局が警官を派遣し朝鮮人農民7名を逮捕すると、日本領事館も警官を派遣して干渉した。
 日中間の交渉で双方の警官の引き上げと調査、工事の中断が合意され議定書に署名された。
 ところが日本側は工事を再開し、武装警官を増員、これに対し中国人農民が実力行使に及び衝突した。
 人的被害は少なく現地で死者は出なかったが、日本警官が踏み込んだ民家で2名がショック死した。

504 :暫編第一軍:2006/01/21(土) 18:37:52 ID:???
 こういった事件には双方の言い分があるという典型ですね。
 安易に中国側主張を認めるのもどうかとは思いますが、はじめから否定する訳にもいきません。
 このスレは議論スレではなく資料スレとして貴重なものですから、こういう見方もあるというだけで充分でしょう。
 これらの各事件は事実確認しようとすると各1スレを消化するほどの議論が予想されます。
 日中戦争の深淵を垣間見る思いです。(垣間見るだけでどっぷり漬かりたくはないものですな)

 尚、万宝山で朝鮮人多数が殺害されたと誤報を流した記者は、その訂正記事の中で日本側機関から流されたデマであったとしていますが、翌日朝鮮人によって暗殺されました。
 これは日本側資料で確認できるようですが、残念ながら私は元資料を確認していません。

505 :暫編第一軍:2006/01/21(土) 18:46:01 ID:???
>>500殿
 親を殺されたという視点だけでは不足かと。
 大袈裟に言えば一国の元首級、少なくとも他国の軍事、政治に渡る有力者を随員もろとも他国内で爆殺したという視点も必要です。
 盧溝橋事件より遥かにヤバイ。
 親の仇という感情論が無かったとも言い切れませんが。

506 :えICBM:2006/01/21(土) 20:13:36 ID:???
>>502
事実は小説よりも奇なりといったところでしょうか。
まあ、事実かどうかはわかりませんが。

それにしても、反日、抗日であると同時に日本人に対する丁重な取扱は興味深い。
殺害を隠滅しようとしたのも、日本への気遣いの裏返しと言ったところでしょうか。


507 :前スレ32:2006/01/21(土) 21:48:01 ID:???
>>498
日本側史料によれば、現実に中国側が被害を受けたのではなく、被害を懸念した、
ということのようですねえ。
その意味では、えICBM氏の501の指摘のほうが、日本側史料とも合致します。

>>503
暫定第一軍さんはご承知かもしれませんが、
とりあえず日本側の史料からみた見解もあげておきます。
もとより、どちらかが絶対正しいという意味ではありません。

日本側史料によれば、
そもそも契約と法の不備の問題のようです(田代領事の6月3日、5日付電報)。
農民と地主の間の仲介者の責任を指摘する声もあり、かなり微妙な問題だったようですね。
県も許可を与えたあとで、後難をおそれてひっこめたものと日本側は考えています。

そして、日本側史料は紛争に際して和解と調停を試みたのに対して(幣原外交が継続中)、
中国側が強硬策を譲らなかったことも指摘しています。

あと、領事館警察の規模からも当然のことですが、日本側警官は当初はごく少数であったようです。




508 :前スレ32:2006/01/21(土) 21:48:54 ID:???
>>507
自己レス。暫編第一軍さんの名前を誤記しています。
申し訳ない。

509 :暫編第一軍:2006/01/21(土) 23:12:21 ID:???
>えICBM 殿
 ええ。小説より奇なりです。事実かどうかは別にして。
 日本への気遣いと丁重な扱いに関しては、無知な大衆は兎も角当局は日本の強大な戦力を承知しており災いを避けようとすれば丁重にせざるを得ないのでしょう。
 反日機運とは別に、このような日本人への恐れと配慮も同時に存在するようです。

>前スレの32殿
 そうですね。このスレでは情報を集めればそれで良い気が致します。
 大体どっちの資料も眉に唾せねばならないでしょうから、議論するにも骨が折れます。

 ではまた。


510 :イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/01/21(土) 23:17:01 ID:XBjLAM4W
>>484 >>「農業技師」に偽装 スパイ容疑で殺害されて当然だろ

根本的な話ですが、まさか「日本軍人」を堂々と名乗って参謀旅行する訳にも
いきませんw。駐在武官や軍事顧問の「表立った」諜報活動とは違います。

発覚して「殺される」のが妥当かどうかは、前スレ32氏さんが>>487 で指摘されている
通りだと思います。

また例えば、第1回清国派遣将校が上海に送られたのは1873年です。上海で冬を越し
北京に到着したのは翌年の春。北京には本願寺から送られてきた僧侶以外、日本人は
住んでいなかったそうです。あとは天津に日本人が1人w。

派遣将校は、こうした孤立無援の状態から支那の国情調査や諜報任務、ときには奥地まで
単独踏破して調査したのです。当時は、地図データすら満足にありませんでした。
時代が下っても支那課がこうした参謀旅行を続けているのは「伝統であり、基本であり、
洗礼」だからでしょう。

511 :イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/01/21(土) 23:32:23 ID:XBjLAM4W
>>482 で取り上げた今井武夫の戦後インタビューでは、中村大尉の遭難について
最後にこう述べています。以下、抜粋すると以下の通り。

Q.中村大尉は農業技師として行ったのと違いますか?
今 そうらしいですね。
Q.従来も、そういう形を取っていたんですか?
今 だいたい軍人としては、まずいんでしょうね。また危険でもあった。むしろ
  拳銃でも、それから護身具は何も持たずに行くのが我々の考えでしたね。
  中村君は拳銃ぐらいは持って行ったのかもしれませんが、そういうものが
  あると、かえって危ないんです。

512 :イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/01/21(土) 23:59:22 ID:XBjLAM4W
>>499 >>というか、「盗売国士懲罰令」で各地から追われて来た朝鮮人に土地を貸す
>>というのは同法に違反するのではないでしょうか?とすれば一時的にせよ許可が
>>下りたこと自体違法。

まあ、1930年に「盗売国士懲罰令」が公布されたのは確かですが、借地の契約が
いつ行なわれたのかが不明ですw。『万宝山事件』が起きたのが1931年7月ですから、
―開拓の規模が250町歩という点を考えると―公布以後の契約で種蒔きまで
間に合ったのかしらん? という気はします。

>>まず、未耕作地を10年契約で借り受けたのは長春県の農民であり、彼はこれを朝鮮人にまた貸しした。

自分の説明は肝心な部分が抜けていたようで失礼しました。暫編第一軍氏の該博ぶりには
頭が下がる思いです。こうなると詐欺罪としては、耕地を貸した農民も、朝鮮人農民も
「善意の第三者」になる訳ですかね。

513 :暫編第一軍:2006/01/22(日) 00:05:30 ID:???
>イナゾウ中佐殿
 あれはあくまで国民党側資料ではそうなっているというだけで、一字一句事実と相違ないとも言い切れませんので。
 まあ彼等の主張の印象として、思ったほど一方的に非難しているわけでもないのかなと。
 この例だけでなく盧溝橋事件などをいろいろ調べた際、相反する資料の突合せ作業の困難さを思い知り、現在では主として純軍事面に専念しようと考えております。

514 :イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/01/22(日) 00:16:45 ID:aP4P4p7F
>>504 >>このスレは議論スレではなく資料スレとして貴重なものですから、
>>こういう見方もあるというだけで充分でしょう。

自分も同意権です。1スレと半分を使っても「支那事変の10分の1」も
フォローできていません。ざっとの解説だけでもです。

え、何? いつも脱線し過ぎ? 面白ければいいじゃないか(藁)

どの資料・どの意見を信じるかは、読んでいる人が自分で考えてください。ちなみに
以前ためしに『イナゾウ中佐』でググってみたら、「日中戦争はこのスレの主の
イナゾウ中佐が詳しい。ただし極右」と出てきました(核藁)。

支那の「宣伝戦」に負けないよう、現代世代が支那事変・日中戦争の実態を知る、
興味を持つ手がかり(できれば面白く)となれば幸いと考えています。

515 :イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/01/22(日) 00:34:50 ID:aP4P4p7F
>>暫編第一軍殿 >>あれはあくまで国民党側資料ではそうなっているというだけで、
>>一字一句事実と相違ないとも言い切れませんので。

いえいえ、自分はそのような相手側資料が手元にありませんので、日本側の主張の
反証として挙げていただけるだけでも非常に勉強になります。ちなみに自分の年齢は
この頃の張学良と同じぐらいですから、まだまだ若輩者です。え? 何、もうオサーン?w
中佐を名乗ってはいますが、実際は中尉程度で「経歴詐称」です。

>>相反する資料の突合せ作業の困難さを思い知り

ああ、もう想像するだけで気が遠くなりますねw。教授や先生のように
専門でやれる時間と衣食住の保障があればいいのですが。

>>500 >>「悪法とは言え法は法」と言うのは法治国家だけが吐ける台詞だ。

支那のことを人治人治と言いますが、「俺が法律だ」というのが実際だと思いますw。

516 :イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/01/22(日) 01:16:17 ID:???
>>どうも用水路が問題の直接の原因のようだ。
>>もちろん、イナゾウ中佐のレスではこれっぽっちも指摘が無い。

>>満人に依頼して、地主数人と250町歩(2万5千アール)を10年間借地し、
>>幅6メートル・長さ8キロの用水路を造る『契約』を結びます。

ハア?

517 :イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/01/22(日) 01:41:54 ID:17GNEdS0
>>495 >>496 >>単なる住民の爆発ではなく、国民党と共産党の争いが
>>話をややこしくていることは興味深い >>1928年6月満州某重大事件 息子激怒

同意ですねえ。ちなみに中国共産党を創設した李大サは、1927年に張作霖に
捕らえられて銃殺されています。

まあ、満州事変は『ひぐらし』に例えると、ようやく富竹が死んだ辺りですw。
それまでの前半が長い長い……。

>>盧溝橋事件より遥かにヤバイ。

という訳で、満州事変から『張作霖爆殺事件(満州某重大事件)』に話を少し
戻したいと思います。

518 :イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/01/22(日) 02:36:29 ID:17GNEdS0
「満州某重大事件」(1928年6月)は前スレでもかなり詳しくやりましたので、
概要は割愛します。前回で触れなかった部分を中心に……。

まずは張作霖の経歴から補足すると、以下の通り。

張作霖は1873年、南満州の海城県の貧農に生まれます。ちなみに1873年生まれでは
美濃部達吉がいます。海城県は奉天の西南120キロにあり、西隣に営口の港があります。
張作霖は貧困のため、白頭山の馬賊になりました。

馬賊の小頭目になった張作霖に転機が訪れます。日露戦争が起きたのでした。このとき張は
30代前半ですが、清国政府に帰順して正規軍の部隊長となります。1911年の「辛亥革命」
当時は、奉天前路巡防統領(師団長格)にまで昇進して、?南に駐屯していました。

やがて国民革命の余波が満州にまで迫ってくると、清国の東三省総督・趙爾選は、革命勢力
撃破のために「張作霖軍」を首都の奉天に移しました。

519 :イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/01/22(日) 02:55:00 ID:17GNEdS0
ところが清朝が倒れて「中華民国」が成立すると、大総統の袁世凱は統治が
困難な満州を平定するために、満州族の張作霖を陸軍中将として、東三省
防務督弁(実質的に『満州王』)に任命しました。

袁世凱が倒れて(1916年)軍閥の内乱時代に入ると、張作霖は黒竜江、吉林省を
攻略して満州全土を支配する「東北軍閥」の巨頭となります。

その後、蒋介石の国民革命軍が北伐を開始したとき(1926年)、張作霖は東三省の
独立を宣言(同1926年)。そして北伐を阻止するために、北・中支の軍閥を統合して
『安国軍』を編制し、張作霖が「陸海軍大元帥」に就任して、奉天から北京に進出して
軍政府を設けます。

李大サが張作霖の手に捕らえられて銃殺されるのは、この頃ですね。

520 :油断するな!コミンテルン謀略:2006/01/22(日) 03:02:36 ID:???
《コミンテルン謀略文書★32年テーゼより》

…反動的戦争においては、革命的階級は、
ただ自国政府の敗北のみを望むことができる。
政府軍の敗北は、日本の君主制政府を弱体化し、
支配階級に対する内戦を容易ならしめるであろう。
中国の植民地的従属のための日本帝国主義の現在の戦争においては、
日本共産主義者の行動スローガンは、
「中国の完全独立のために闘え」でなければならない。
中国ないしソヴィエト連邦に対する帝国主義戦争という状態においては、
日本共産主義者は、敗北主義者たらねばならないだけでなく、
ソヴィエト連邦の勝利と中国人民の解放のために積極的に闘わねばならない。

★プギャプギャ━━━m9(^Д^≡^Д^)9m━━━━!!!!!!!!!!
まだ信奉している奴は?

521 :えICBM:2006/01/22(日) 03:03:05 ID:???
>>507
なかなか、何が本当かわからないものですね。
もっとも、この事件は現地でのゴタゴタよりも、それが朝鮮全土に波及する事の方が重要なのでしょう。

>>509
間違えれば、開戦の口実になりますからね。
イナゾウ氏のレスでは、満州事変の起爆剤になったらしいので、不安が現実になったというところでしょう。

>>516
用水路がいざこざの発端という肝心な点の言及が無いと言う意味なのだが。
まあ、発端よりも波及結果の方が重要なので、それほど気に留める必要も無いですが。

522 :イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/01/22(日) 03:11:12 ID:17GNEdS0
少し脱線しますと、「奉天政権」の文治派や軍人グループには『保境安民』の
思想が強かったと言えます。すなわち、満州は支那本土から独立して、中国を
侵さず侵されず、日本やソ連・英国といった列強諸国の侵略を退けて、満州民族の
楽土とする「満州民族主義」です。

もう一方の主役、当時の日本の総理大臣は田中義一ですが、田中内閣の誕生の
背景についても少し触れておいた方が良いでしょう。

ですが、そろそろ眠くなってきたので詳細は後述w。

523 :前スレ32:2006/01/22(日) 17:43:30 ID:???
>>519
1925年、郭軍反乱に際して、張作霖がいちど日本軍部に命を救われている事実は、
指摘しておいたほうがいいかもしれません。

陰に日向に日本軍部の援助を張が受けていたことは、その後の推移を考える上で意味があるかと。

524 :イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/01/22(日) 19:37:39 ID:JreNLBaQ
そうですね。張作霖と日本陸軍との縁は、日露戦争にまで遡ります。当時、張作霖は
清国の官兵の営長(大隊長)でしたが、ロシア側に情報と物資を融通していた容疑で
日本軍に捕らえられます。そこで一命を許されたのが関係の始まりです。

ちなみに張作霖を助命したのが井戸川辰三で、そのとき上官だったのが田中義一
(後の首相)だったと言います。辛亥革命後、張作霖が奉天で権力を握るにつれ、
日本政府も張作霖と結んで満州の権益を保護・拡大した方が有利との判断をします。

ここから、菊池武夫や町野武馬などの軍事顧問が張のもとに派遣されました。そして
安直戦争(1920年)、第一奉直戦争(1922年)、第二次奉直戦争(1924年)が起こると
支那は混沌の極みに陥ります。この辺が、支那に近代的な統一政権が誕生するのは無理、
支那の分治統治は可能、といった判断を日本がする要因にもなります。

軍閥間の争いは、説明し始めると『気が遠くなる』長くなるので割愛しますw。『日本陸軍と
中国』(戸部良一著)が分かりやすくまとめているので、こちらを参考ください。余裕ができたら
いずれこのスレでもやろうと思います。

525 :名無し三等兵:2006/01/22(日) 19:39:30 ID:???
張作霖は日本から借款までもらってる。
その資金で満鉄より多くの路線を建設してしまったのが、最終的には命取りになった。

蒋介石も陸士→日本陸軍出身者。
第二時上海事変でドイツ人に大恥をかかせた松井大将が身元引き受け人だった。

526 :イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/01/22(日) 20:06:22 ID:JreNLBaQ
>>1925年、郭軍反乱に際して、張作霖がいちど日本軍部に命を救われている事実は、
>>指摘しておいたほうがいいかもしれません。

「郭松齢の反乱」だけ短くまとめておきたいと思います。時期は「第二次奉直戦争」の
後にあたります。この頃には、三角同盟を結んでいた孫文も死去し、段祺瑞も往年の
指導力を失い、張作霖は華北で「権力の頂点」に立ちました。

唯一、華北で張作霖を牽制できる勢力を保っていたのが馮玉祥です。

張作霖は次第に華中にも勢力を伸ばしていきますが、これに対して直隷派の浙江省
督弁・孫博芳(本当は字が違うが出ない)が決起し、呉佩孚も再起します(1925年10月)。

孫博芳は上海・南京から奉天軍を撤退させ、江蘇省と安徽省を奉天軍から奪い返し
ましたが、その地点で進撃をストップ。馮玉祥も張作霖と妥協が成立しました。

527 :えICBM:2006/01/22(日) 20:10:08 ID:???
今度は張作霖ですか。
忙しいスレですね。
たまたま戦史叢書があるのでコピペを。

大将十年五月十七日、原内閣において東三省の実力者である張作霖に対する態度を、概要次のように閣議決定した。

大体において、張作霖が東三省の内政および軍備を整理充実し、牢固なる勢力をこの地方に確立するに対し、帝国は
直接間接これを援助すべしといえども、中央政界に野心を遂げるため、帝国の助力を求めるに対しては、進んでこれを
助けるの態度をとらざること適切なる対策なり。
(以下略)

読んで字のことく。

528 :イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/01/22(日) 20:20:13 ID:JreNLBaQ
一時期、緊張した馮玉祥とも妥協が成立したことから、事態は一段落すると
みられたその矢先に起こったのが、「郭松齢の反乱」です(1925年11月)。

郭松齢は奉天軍の精鋭5万を率いて直隷省に駐屯していましたが反乱、張作霖に
下野を要求します。当時、張作霖の奉天軍は満州に分散配置しており、郭松齢軍は
奉天軍の『最精鋭部隊』であったために、反乱鎮圧に迎え撃った張学良の部隊も
蹴散らされます。郭松齢軍が満州に侵入すると、奉天の張作霖はパニックに陥りました。

一説には、張作霖は自殺を図ったほどです。軍事顧問の町野武馬と松井七夫は必死になって
張作霖を励まし、事態の打開を目指します。

最終的に、関東軍が満鉄付属地の両側に「軍事行動禁止区域」を設けたために、郭松齢軍の
進撃は鈍り、張作霖は態勢を立て直すことができました。結局、郭松齢は敗れて捕まり、
12月下旬に銃殺。妻の死体とともに奉天駅頭に晒されました。

529 :イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/01/22(日) 20:30:21 ID:JreNLBaQ
「郭松齢の反乱」は以上の顛末ですが、ざっとまとめるだけでも面倒臭いこと
この上ありませんw。

「辛亥革命→袁世凱の死去→蒋介石の北伐」までの『軍閥間の内乱状態』は
重要な時代ではありますが、まとめる方も読む方も、非常な忍耐が必要かと
思われます。これに日本軍の絡みを加えると、もはや訳ワカメw。

530 :名無し三等兵:2006/01/22(日) 21:20:49 ID:???
中国の大河ドラマでも、この時代の話をよくやってますなw

531 :名無し三等兵:2006/01/22(日) 21:40:47 ID:???
プロパとしては最適っしょ。現政権の草創期の話は。

532 :名無し三等兵:2006/01/22(日) 21:48:18 ID:???
現政権の草創期にはたくさんあった軍閥も蒋介石が統合しちゃってるんで、プロパガンダとしてよりも歴史ドラマとして面白いからだろう。

533 :えICBM:2006/01/22(日) 22:31:22 ID:???
群雄割拠の状態で、日本が程よく敵として付かず離れずだから確かに最適。

534 :イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/01/22(日) 22:35:21 ID:ols4jXOj
まあ、群雄割拠という意味では『三国志』や『史記』などに近いのでしょうか。
そのものズバリですぐに思いつくのは、『ラストエンペラー』や『宋家の三姉妹』
ぐらいです。

少しネットで調べてみましたら、『康煕王朝』という大清帝国時代の大河ドラマが
売れているそうです。中国近代史上最高の皇帝・康煕帝(8歳で即位)が主人公で、

『現代中国の「版図」を創り上げた』

というのが人気のミソかもしれませんw。

535 :イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/01/22(日) 22:49:45 ID:???
あ、>>534 はDVDのことです。

536 :名無し三等兵:2006/01/22(日) 23:04:05 ID:???
スレ住人の皆さんへ。

復刊ドットコムの
『中国的天空 沈黙の航空戦史』復刊リクエスト投票にご協力お願いします。
http://www.fukkan.com/vote.php3?no=13913

日中戦争時の航空戦について数少ない日本語書籍のひとつです。ぜひ!

537 :イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/01/22(日) 23:09:58 ID:ols4jXOj
>>529の補足。>>まとめる方も読む方も、非常な忍耐が必要かと思われます。
>>これに日本軍の絡みを加えると、もはや訳ワカメw。

日本軍の絡みだけでなく、その時々の内閣も考えなければなりません。例えば、

1925年1月〜1927年4月:若槻礼次郎内閣(憲政会→後の民政党)
1927年4月〜1929年7月:田中義一内閣(政友会)

民政党と政友会では外交方針が全く違う訳です。ちなみに若槻内閣の外務大臣は、
時に『軟弱外交』と攻撃された幣原喜重郎、田中内閣では田中義一首相が外相を
兼任してますから、詳しく説明する必要もないでしょう。

若槻内閣が倒閣した理由は、金融恐慌です。いわゆる議会答弁中の「渡辺銀行破綻」公言や
台湾銀行の破綻救済問題など。

支那に対する外交方針も、上記の要因で左右されていますから、さらに訳ワカメw。

538 :名無し三等兵:2006/01/22(日) 23:50:31 ID:???
金融恐慌や台湾銀行破綻の件も幣原外交が気に食わない政友会と
枢密院が組んで行なった倒閣運動ですからな。
幣原外交のいかんところは八方美人外交だったが故にでしょう。
欧米にいい顔し、支那にもいい顔をする。野蛮国家相手にそれをすればどうなるかは明白なのに。

まぁ、負債を震災手形で誤魔化していた鈴木商店や台湾銀行も問題ですが。


539 :イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/01/22(日) 23:50:39 ID:???
まあ、いくら複雑といえども、これらの軍閥は多くの場合、国民党に吸収されて
日本と戦うことになる訳ですから、やはり押さえておかなければならない所です。

540 :名無し三等兵:2006/01/22(日) 23:53:34 ID:???
そんな幣原氏は終戦直後に復活し、思うさま軍人達に復讐しましたとさw

541 :名無し三等兵:2006/01/23(月) 02:09:14 ID:???
幣原政権の国際協調失敗、日英同盟破棄、八方美人の根無し草外交のおかげで、
自主独立派の瀬戸際外交が容認され、陸軍強硬派が勃興し、満州事変が勃発しましたとさ。

542 :名無し三等兵:2006/01/23(月) 04:21:21 ID:???
ここ読んでても良く分からないくらいだから
孫文って映画見たけど良く分からんかったのは当然だったのか
内輪揉めばかりしてて全然面白い映画じゃなかったよ


543 :名無し三等兵:2006/01/23(月) 11:50:36 ID:???
んなもん、対外戦争以外の歴史といったら内輪揉めばっかだがなw

544 :名無し三等兵:2006/01/23(月) 13:08:56 ID:???
横レスすいませんが、ここ本当に勉強になりますね。
感情論で水掛け合ってる近代史版やコヴァ版の奴らも見て欲しいものです。

イナゾウ中佐さん、これからも頑張ってください。

545 :名無し三等兵:2006/01/23(月) 15:50:06 ID:???
レッテル貼りはよくないよ軍板住人君w

546 :名無し三等兵:2006/01/23(月) 19:47:43 ID:???
>>545
だって右も左も糞イデオロギーと糞プロパガンダばっかりで最低だもん
ここならコピペ荒らしもいないし、非常に資料的価値がある。

レッテル貼られたくなければ、コピペ野郎を何とかして下さい。

547 :名無し三等兵:2006/01/23(月) 20:32:36 ID:???
>>546
議論とまったく関係ない近代史板やコヴァ板への悪口を垂れる君も同類だけどね。

548 :名無し三等兵:2006/01/23(月) 20:46:55 ID:???
>>547
板に対してじゃなくて、そこで暴れる糞どもに対しての悪口なんだけど……
君もコピペ貼りまくる連中の一人?

549 :名無し三等兵:2006/01/23(月) 20:51:58 ID:???
二人とも黙ってろ

550 :名無し三等兵:2006/01/23(月) 20:52:17 ID:???
↑コヴァ板なんてまだあったのかw
一部の青少年の未来が閉ざされて行くだけなんで、別に構わんがねww

551 :名無し三等兵:2006/01/23(月) 21:07:21 ID:???
国民党の創設者で中国革命の父といわれる孫文は、
かなり日本からの支援を受けていたけど、
そのあたりは現地に人にどうとられてるんだろう?

552 :名無し三等兵:2006/01/23(月) 21:11:24 ID:???
>>551
そこら辺は抹消されているに1票

553 :名無し三等兵:2006/01/23(月) 21:17:32 ID:???
日本への留学経験も亡命経験もあるよ。

554 :名無し三等兵:2006/01/23(月) 21:37:13 ID:???
孫文への支援者としては宮崎滔天が中国でも有名。
中国と関わった外国人を評論した本では、極悪人扱いの板垣、東條、昭和天皇等と違って ベタ誉めの内容だった。
昔やってた抗日戦ドラマでは、宮崎滔天そっくりなヒゲの日本人医師が八路軍に参加して覆面ゲリラになって活躍する内容のまであった。

1980年代までは、中共側も良い日本人と悪い日本人を分けるよう人民に教育していたが、香港や台湾にはそういった配慮はゼロで日本人=全員悪党なので、大陸でもそうした作品が多く流通するようになると、自然と一般人レベルでの対日認識は悪化して行った。

尚、中国民主化系の連中だが、これまた強烈な反日主義者が多い。
彼らから見ると、中共政権を強化したのは日本の資金であり、天安門事件で孤立化した時期の中共を支えたのも日本なので、中共と日本は一蓮托生だそうな。
将来の民主中国が日本を敵視するのも確定事項のようだ...

555 :名無し三等兵:2006/01/23(月) 21:54:41 ID:???
孫文を支援したのは日本人であって日本政府じゃないからちょっとね。
宮崎は日本の大陸支配に批判的だったと聞くし。

556 :イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/01/23(月) 21:55:05 ID:iB+TPmzZ
>>525 >>張作霖は日本から借款までもらってる。
>>その資金で満鉄より多くの路線を建設してしまったのが、最終的には命取りになった。

張作霖が殺されたとき、日本は田中義一内閣でした。田中首相自身は「援張論」(張作霖
援助論)の立場だったことは特筆すべきです。『張作霖爆殺』の急報を受けたとき、田中は

「親の心、子知らずだ。何たる馬鹿どもだ!」と真っ赤になって激怒し、繰り返し繰り返し
怒鳴ったといいます。

南軍(国民革命軍)が満州を支配すると、日本の既得権益は没収される可能性が大でしたので、
田中は張作霖を支持して満蒙を独立させ、日本の権益を確保する腹づもりでした。しかし、
関東軍の暴走で全てがぶち壊しになります。

田中の思惑は『東方会議』(1927年6月〜7月)を挙げると手っ取り早いでしょう。

557 :名無し三等兵:2006/01/23(月) 22:05:34 ID:???
孫文絡みの日本人というと山中峯太郎もいますな。
孫文との関わりは回想録『実録 アジアの曙』に書かれています。
まあ裏を取る必要のありそうなエピソードばかりではありますが。
第三革命に失敗して亡命中の孫文から、山中は東三省都督のポストを打診されますが「満洲王なんざまっぴら御免」と断っています。


558 :名無し三等兵:2006/01/23(月) 22:07:04 ID:???
孫文を援助した大アジア主義者の人脈は事変当時はほとんど近衛文麿の周辺にいた。
宮崎滔天の子宮崎龍介、頭山満、秋山定輔、小川平吉・・・
宮崎と小川が不拡大派で頭山と秋山が拡大派。
これらは文麿の父、近衛篤麿の代から近衛家に接近していた人々で、
対露同志会などに集まっていた。
近衛篤麿は明治天皇に『名門の偉器』と評され、
同じく彼を評価していた大隈重信から30代前半で入閣を求められると、
明治天皇から閣僚なんて仕事は君には小さすぎると言われ、外交、教育部門に活躍。
当初は中国の革命派とも親しくしていたが、清朝の人間からやめてくれと言われ近衛自身は革命派との関わりをやめる。
孫文は日本滞在中に近衛と会えなかったことを悔しがったと言う。

559 :名無し三等兵:2006/01/23(月) 22:14:07 ID:???
>南軍(国民革命軍)が満州を支配すると、日本の既得権益は没収される可能性が大でしたので、
>田中は張作霖を支持して満蒙を独立させ、日本の権益を確保する腹づもりでした。しかし、
>関東軍の暴走で全てがぶち壊しになります。

正直、田中の見通しもかなり甘いと思う。
張作霖にどうやって日本の権益を認めさせるんだろう?

560 :イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/01/23(月) 22:21:31 ID:iB+TPmzZ
東方会議は、第一次山東出兵(1927年)後に『対支政策』を確立するために
開かれた会議です。主な出席者は以下の通り。

●田中義一首相・外務大臣●森恪外務政務次官●吉田茂奉天総領事
●芳沢謙吉駐支公使●武藤信義関東軍司令官●畑英太郎陸軍次官
●大角岑生海軍次官●南次郎参謀次長●野村吉三郎軍令部次長

が出席して外務大臣官邸で開催されました。ここで積極策の
『対支政策綱領』が決定されますが、主な内容は以下の通り。

●満蒙を支那本土から分離させること
●地方軍閥の育成(北伐に対抗するため張作霖を援助すること)
●排日運動に対する武力干渉、満蒙の特殊権益保護のための「適当な措置」

ややこやしい事この上ないですが、政府は以下のように『援張論』だった訳です。
しかし肝心の関東軍は『排張論』(張作霖を排除)だったのです。

561 :えICBM:2006/01/23(月) 22:23:38 ID:???
当時の日本は東アジアで真先に近代化に成功した先進国。
そのため、周辺国から多くの人が来日し、祖国の近代化の為に色々学んだ。
当然中国からも多く来日し、中国の革命家の多くも来日している。
また、西欧の科学技術を日本を通じて学ぶための留学生も多かった。
例えば、中国で使ってる学術用語には、日本が西欧近代技術を取り入れる際に造語した用語も数多くある。

当時の日本は本当の意味でアジア諸国から期待をされていたわけだ。
結局日本は列強諸国と同じ姿勢でアジアの国々に挑んだため、この期待は潰えてしまう。

562 :名無し三等兵:2006/01/23(月) 22:34:55 ID:???
当時のアジア諸国ってほとんど植民地じゃん。


563 :名無し三等兵:2006/01/23(月) 22:35:00 ID:???
あの時代はロマンに満ちてたよね〜 (遠い目w)

>>559 日本が満州に有していた権益は旅順軍港/要塞を含む関東州の租借権と南満州鉄道だけ。

清代に清国を含む国際交渉によって日本が獲得したものなので、没収の確立は低かった。
実際、国民革命軍の領袖は陸士→日本陸軍出身の蒋介石だったので、張作霖暗殺後に蒋介石の幕下に降り関東軍に対抗しようとした息子の張学良は、期待したような国府政権による満鉄接収の動きが無い事に失望している。

張学良のすごい所は、自力で米国系銀行からの出資を得て満鉄への並行路線を建設し、父親が敷いた路線と繋げて満鉄を経営危機に追い込んだ事。

張学良にとって仇である関東軍は満鉄あっての存在。満鉄を破綻させれば関東軍の存在意義が無くなるとの戦略だったが、これに石原&板垣は独断で関東軍を動かす戦術で応じ、大局的には日本を破滅の淵に立たせる事になった。

ロマンチストは中隊程度の指揮までが限界、というのが石原への餞の言葉か...

564 :名無し三等兵:2006/01/23(月) 22:39:29 ID:???
張作霖も並行路線作ってたんかい。
やっぱ日本の権益認める気ないじゃん。

565 :イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/01/23(月) 22:42:27 ID:iB+TPmzZ
田中義一と言えば、東京裁判でも取り上げられた『田中メモランダム
(上奏文)』が有名ですが、上記の「東方会議」の開催がネタにされた
のかもしれません。

ネットの解説によっては、東方会議の結論が「田中メモランダム」と
はっきり謳っているところもありますw。有名な一文を紹介すると、

『支那を征服せんと欲すれば、まず満蒙を征服しなければならない。
 世界を征服せんと欲すれば、まず支那を征服しなければならない』

But in order to conquer China, we must first conquer Manchuria and Mongolia.
In order to conquer the world, we must first conquer China.

もちろん、『田中上奏文』は世紀の偽書と言われている代物ですが、上記の一文を読んだ
だけでもお分かりになると思います。え、何故かって? 自意識過剰だからです!(核藁)。

566 :名無し三等兵:2006/01/23(月) 22:43:23 ID:???
>>561
日本でも最初は大亜細亜で連合して欧米列強に対抗しよう、という思想が
アジア主義者以外にも少なからずあったわけだけど、シナ、朝鮮のあまりの弱体ぶりに
自力でなんかするしかなくなった、というのが日本の言い分。
福沢諭吉も脱亜論なんて書いてるしね。

567 :名無し三等兵:2006/01/23(月) 22:43:37 ID:???
張作霖爆殺後、吉田茂が外務次官になりますが、これは森恪の推しで、
当初田中は吉田&森コンビを警戒していたものの、
張作霖の死によって自分の構想が壊れたので吉田を外務次官にしました。
吉田は自分の提案をろくに確かめもせずに承認してくれる田中のことを気に入っていたようです。

吉田は張作霖から食事に招かれたことがありますが、「汚い」と言って料理を食べませんでした。
吉田はシナ料理の食材に蝿が集っているのを見、シナ料理は汚いと思っていたようで、
奉天総領事でありながらシナ料理を口にしたことはなかったそうです。

568 :ue ◆WomMV0C2P. :2006/01/23(月) 22:47:18 ID:???
>>565
田中奏上文ですね。秦郁彦氏が偽作であると断言していますね。
その指摘点ですが

・ 田中が欧米旅行の帰途に上海で中国人刺客に襲われた。
→ 正確には「マニラ旅行の帰途、上海で朝鮮人の刺客に襲われた」。
   田中本人が上奏した文書で、
   自分自身が襲われた事件を、このように書き間違えるはずがない。

・ 大正天皇は山県有朋らと9カ国条約の打開策を協議した。
→ 山県は9カ国条約調印の前に死去している。

・ 中国政府は吉海鉄道を敷設した。
→ 吉海鉄道の開設は昭和4年5月で、上奏したとされる昭和2年の2年後。

・ 本年(昭和2年)国際工業電気大会が東京で開かれる予定
→ 昭和2年にこの種の大会はない。昭和4年10月の国際工業動力会議のことか。

秦氏はこれ以外にも5件の記述の誤りを指摘し、
『これだけ材料をそろえば、偽作の証拠としては十分過ぎるだろう』としています。

569 :ue ◆WomMV0C2P. :2006/01/23(月) 22:52:00 ID:???
後、偽作であるが為、原典が当然、存在しません。
この田中奏上文ですが、中国で一般に信じられているところでは、昭和2(1927)年7月、
昭和天皇に上奏された後、極秘文書として宮内庁の書庫深く納められていて、翌3年6月、
台湾人の貿易商・蔡智堪(さいちかん)という者が宮内省の書庫に忍び込んで、
二晩かかって書き写したものを中国語に訳し、昭和4年12月に公表したものだとされています。
台湾人商人が皇居のなかにある宮内省に二晩も忍び込んで、中国語文で25頁もの分量の文書を
書き写したというのだから、万国びっくりショーや世界丸見えテレビも真っ青の驚きものですね(w

因みにこの文書を広めたのが、当時まだご健在だったトロツキーです。

570 :イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/01/23(月) 22:52:34 ID:iB+TPmzZ
>>564 >>張作霖も並行路線作ってたんかい。
>>やっぱ日本の権益認める気ないじゃん。

もちろん張作霖が並行路線をつくっていたのは事実ですが、田中義一首相も
粘り強く外交していた訳です。

張作霖が爆殺される直前、満鉄社長の山本條太郎は、田中首相の指示によって
鉄道敷設権(満蒙五路と呼ばれる五路線)を獲得する交渉を続けています。

その中には、満州の鉄と石炭を日本海に運ぶ吉会鉄道(吉林―朝鮮・会寧)など
重要路線も含まれています。

であるからこそ、張作霖爆殺の急報を聞いて、田中首相は激怒した訳です。

571 :名無し三等兵:2006/01/23(月) 22:54:32 ID:???
>>564 しかも日本の借款で作ってたんだよな、張作霖w
でも、日本の既得権はロシアが清朝にOKをもらって敷設した南満州鉄道の線路と用地だけだから、張作霖が自前の鉄道を敷設する事を止める権利は無かった。
息子の張学良が建設した満鉄並行路線にしても、満鉄の線路や用地とは関係ないから、止めようが無かった。

これを無理やり止めようとすれば日本は国際ルールを破らざるを得ないし、その行動は米英利権とも衝突する。
さすれば米英に戦略的に依存している日本は自ら崩壊して行く... というのが張学良の仇討ち戦略だった。

>>567 吉田茂は基本的にアジア人嫌い。
しかし、WW2直前のロンドンで吉田が展開した“旧交を暖める”対英工作は、行く先々で中華民国外交官に妨害されてしまった。
香港のTVドラマにも吉田領事がスケベ親父として登場するものがあったのを思い出すw

572 :ue ◆WomMV0C2P. :2006/01/23(月) 22:54:58 ID:???
【ワシントン6日=前田徹】1930年代の米国や中国で日本の世界制覇野望の証拠として使われてきた
「田中メモリアル(上奏文)」は偽造文書と指摘されているが、ソ連国家政治保安部(GPU)が
その偽造に深く関与していた可能性が強いことが、米国にソ連指導者の一人、トロツキーが上奏文作成時の2年も前に
モスクワでその原文を目にしていたことを根拠にしており、日米対立を操作する目的で工作したと推測されている。

 米下院情報特別委員会の専門職員として、ソ連の謀略活動研究してきたハーバート・ロマーシュタイン氏が、
元ソ連国家保安委員会(KGB)工作員で米国に亡命したレフチェンコ氏と共同で米国内のKGB活動の実態を明
らかにする目的で調査した際に、偽造文書が関与していたのではという疑惑が浮かんだ。

 「田中上奏文」は、1927年から29年にかけて内閣を率いた田中義一首相が昭和天皇にあてて提出した上奏文とされ、
その内容は「日本が世界制覇を達成するためにはまず中国、モンゴルを征服し、その過程で米国を倒さなければならない」
としている。この上奏文によって第二次大戦にいたる日中戦争、真珠湾攻撃は、計画的な日本の野望達成への一環だったとされてきた。
ところが、ローマンシュタイン氏らの調査では、トロッキーが暗殺される直前の40年に雑誌「第四インター」に
投稿した遺稿ともいる論文のなかに、田中上奏文に関しての貴重な証言が含まれていた。トロッキーは、
スターリンによって追放される前で、まだソ連指導部の一人だった当時の25年夏ごろ、
KGBの前身のGPUトップだったジェルジンスキーから「東京にいるスパイが大変な秘密文書を送ってきた。
日本は世界制覇のために中国を征服し、さらに米国との戦争も想定している。天皇も承認している。
これが明らかにされれば国際問題化し、日米関係がこじれて戦争にいたる可能性がある」との説明をした。

573 :564:2006/01/23(月) 22:55:18 ID:???
なるほど、ありがとうございます。

574 :ue ◆WomMV0C2P. :2006/01/23(月) 22:55:39 ID:???
 当初、トロッキーは「単なる文書だけで戦争は起こらない。天皇が直接、署名するとは考えられない」と
否定的だったが、その内容が日本の好戦性と帝国主義的政策を証明するセンセーショナルなものだったため
ソ連共産党政治局の重要議題として取り扱いが協議され、結局、「ソ連で公表されると疑惑の目で見られるので、
米国内のソ連の友人を通じて報道関係者に流し、公表すべきだ」とのトロッキーの意見が採用されたと証言している。  
ロマーシュタイン氏はこうした経験を検討した結果、GPUが25年に日本外務省のスパイを通じて何らかの部内文書を入手した可能性は強いが、
田中上奏文は、盗み出した文書を土台に27年に就任した田中義一首相署名の上奏文として仕立て上げたと断定している。

 同氏によると、トロッキーが提案した「米国内の友人」をとおしての公表計画は米国共産党が中心になってすすめており、
30年代に大量に配布された。しかも日本共産党の米国内での活動家を通じて日本語訳を出す準備をしていることを示す
米共産党内部文書も見つかっており、実は田中上奏文の日本語版が存在しないことをも裏付けているという。

(平成11年9月7日産経新聞朝刊より)



575 :名無し三等兵:2006/01/23(月) 23:00:10 ID:???
>>569 トロツキーはスターリンとの政争に敗れ、その影響下にあった赤軍も徹底的に粛清された。

しかし、中国ではコミンテルン要員として派遣された旧トロツキー派の勢力が強く、国民党内部(蒋経国もトロツキー派だった)にまで残党が残っていた。

そして、なによりゾルゲと尾崎もトロツキーの配下であり、大日本帝國壊滅&中国共産化計画はスターリンの妨害にも関わらず、トロツキーの仕組んだ通りに進行し大成功を収めた。

576 :イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/01/23(月) 23:04:11 ID:iB+TPmzZ
>>569
>>台湾人商人が皇居のなかにある宮内省に二晩も忍び込んで、中国語文で25頁もの分量の文書を
>>書き写したというのだから、万国びっくりショーや世界丸見えテレビも真っ青の驚きものですね(w

ぜひ『世界ふしぎ発見!』でも特集してほしいですね。ミステリーハンターがどんな
問題を出してくるかが楽しみです。そして何なく正解する黒柳*子w。

『田中メモランダム』については、ウィキペディアが『異様に詳しく』解説しているので
まったく知らなかったという人は覗いてみるのが吉。ここで解説すると物凄く長くなります。

577 :イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/01/23(月) 23:06:04 ID:???
と思ったら、既に詳細な解説が…w。

578 :名無し三等兵:2006/01/23(月) 23:10:16 ID:???
ある意味“シオンの議定書”に通じるものがあるなw

579 :ue ◆WomMV0C2P. :2006/01/23(月) 23:16:33 ID:???
上奏文には「日本が世界制覇を達成する過程で米国を倒さなければならない」という一節があり、
米国との戦争を明確にした点が米国内で強い反発を呼びました。

その一節

英文
In the future if we want to control China,
we must first crush the United States just as in the past we had to fight in the Russo-Japanese War.

漢文
將來欲制支那,必以打倒美國為先決問題,與日俄戰爭之意大同小異。

日本語訳
今後、中国を支配したければ、過去に、日露戦争で戦わなければならなかったように、
我々は最初にアメリカを叩かねばならない。

ルーズベルト大統領もその内容に注目し、
この文書が米国の対日姿勢の硬化に一役かったことも十分推測されます。
何せ彼はガチガチの人種差別主義者な上に支那マンセーな人ですから(w
まぁ、Wikiにある通り、歴史の展開がこの上奏文の通りに進んでしまったのが一番大きいですが。

>>569
摘み食いでこの文を読んだ感想ですが、『荒巻風味の火葬戦記』の一言に尽きます(w

580 :ue ◆WomMV0C2P. :2006/01/23(月) 23:17:17 ID:???
間違えた、>>576です

581 :名無し三等兵:2006/01/23(月) 23:21:28 ID:???
田中メモランダムは日本史上最強の怪文書だろう
ただその後の歴史がシナリオ通りに動いたってことは関東軍にも共産スパイが深く食い込んでいたのだろうか

582 :名無し三等兵:2006/01/23(月) 23:25:00 ID:???
>>563
ロマンチストは中隊程度の指揮までが限界、というのが石原への餞の言葉か...

「ロマンチックな男だった」。1999年暮れ。IT起業家の取材で堀江容疑者と会った作家の大下英治さん(61)は、当時の印象をそう語る。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20060123-00000115-yom-soci



583 :名無し三等兵:2006/01/23(月) 23:25:58 ID:???
陸軍内の共産系モグラについては、いまだに正体不明ながら存在していた節がある。
個人的には石原を疑っているんだがね...

だが、Wikiにある石井氏書下ろし&石原監修の原文があったと考えるのが、一番確実な線じゃないかな?

問題は誰がその原文を保管し、誰が盗み出したのか? という点だが、これは推理小説作家のメシの種だろうw

584 :イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/01/23(月) 23:29:52 ID:iB+TPmzZ
>>579
どうもでございます。

こんな『2ch』のような怪文書でも、日本の外務省が何の反論もしなかったために、
ブラックプロパガンダとして通用してしまったというのが、兵頭軍師の最近の主張です。

『放送形式』を見ている人にはお馴染みだと思います。

「言わなくても分かるだろう」は外交に禁物という訳です。それは一個人の対人関係でも
そうなのですから、言わずもがなの事です。

「友達だから、恋人だから、家族だから、言わなくても分かってくれるだろう」

いやいや本当に大切な事は、きちんと口に出して言わなくてはなりませんw。

585 :イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/01/23(月) 23:46:00 ID:iB+TPmzZ
>>525 >>蒋介石も陸士→日本陸軍出身者。
>>第二時上海事変でドイツ人に大恥をかかせた松井大将が身元引き受け人だった。

ちなみに陸軍士官学校の「清国人留学生」を期別にまとめると、以下の通り。

第1期:1901年11月卒:39人:陸士13期(日本)
第2期:1902年11月卒:25人:陸士14期
第3期:1904年10月卒:92人:陸士16期
第4期:1908年5月卒:74人:陸士20期
第5期:1908年11月卒:57人
第6期:1908年11月卒:197人:陸士21期
第7期:1910年5月卒:53人:陸士22期
第8期:1911年5月卒:54人:陸士23期
第9期:1911年11月*:47人:陸士24期

586 :前スレ32:2006/01/23(月) 23:51:42 ID:???
>>571
一応、満鉄並行線は協定(日本側の認識では条約)で禁止されておりました。
問題はどこまでが並行線にあたるかということで、グレー・ゾーンがあったわけで。

>>584
反論はすることはしているんですけどね。
国際宣伝の怖さを日本外交が思い知るのは、日中戦争がはじまって以降です。
それまではいいようにやられていたわけで。

京都会議(極東問題を話し合う学術・政治会議)における、
中国側の非難に対する松岡の孤軍奮闘が注目されるのも、これが例外的だったからで。


587 :名無し三等兵:2006/01/24(火) 00:03:43 ID:???
英語ができなきゃそもそも反論ができないからな。
松岡洋右は幣原喜重郎に匹敵する英語語使いだったらしいし。

588 :イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/01/24(火) 00:04:07 ID:Nm1u4zr6
ちなみに「第9期」は辛亥革命に伴い、1911年11月に全員退校させられています。

清国からの日本人留学生は日露戦争後にピークを迎え、1906年には
8000人を超えます。陸軍士官学校への清国留学生も数を増やし、
1908年卒の6期生は200人近いです。

とは言っても、陸士の清国人留学生が、日本人の士官候補生と机を並べて
学んだ訳ではありません。

清国人留学生は、別の校舎で別の教育を受けていたのです。よって、日本人学生
との間に「先輩・後輩」といった濃密な人間関係が築かれたことは、まず無いと
言ってよいでしょう。

それでも清国人留学生を指導した区隊長(日本人)とは、お互いに様々な影響を与え、
清国留学生が帰国した後に深い意味を持つことがありました。

589 :イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/01/24(火) 00:15:21 ID:Nm1u4zr6
>>586 >>反論はすることはしているんですけどね。
スイマセン。ちょっと筆が走り過ぎましたw。

>>588 の続き。
例えば、代表的な「支那通」軍人である岡村寧次(16期)は、1907年末から
3年間、清国学生隊の区隊長を務めています。

その関係で岡村は1920年代後半、陸士で指導した孫傳芳(浙江督軍)から
軍事顧問として迎えられています。

ここで注目すべきは、>>585の表です。岡村寧次は陸士16期ですから、
清国人留学生とほとんど同世代と言えます。

岡村が支那人に知己が多かったのは有名ですが、若い頃に清国学生隊の区隊長を
経験していた要因が大きかったかもしれません。その友人関係は太平洋戦争後に
岡村の命を助けることにもなりました。

590 :名無し三等兵:2006/01/24(火) 00:16:54 ID:???
孫文&蒋介石+周恩来の黄浦軍官学校卒業生には越南人士官もいて北伐にも参加しているけど、日本の陸士に来た越南人はいなかったのかな?

591 :名無し三等兵:2006/01/24(火) 00:21:27 ID:???
↑岡村寧次の命を救ったのは、蒋介石との武装解除密約だったんじゃないかな?

岡村も中共も全く触れていないが、蒋介石には内緒で中共とも密約を結んでいたようだ。
1945年以降の中共/紅軍の旧日本軍装備の充実ぶりがそれを示している。

592 :名無し三等兵:2006/01/24(火) 00:27:28 ID:???
>国際宣伝の怖さを日本外交が思い知るのは、日中戦争がはじまって以降です。
日露戦争では宣伝工作も英国に支援してもらってたようなもんだしね

593 :イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/01/24(火) 00:32:52 ID:???
>>591
>>↑岡村寧次の命を救ったのは、蒋介石との武装解除密約だったんじゃないかな?

まあ、そうとも言いますw。

594 :名無し三等兵:2006/01/24(火) 00:45:09 ID:???
>>592 ハースト系新聞の貢献も大きいよ。みんなハリマンも含めてみんなテディの友達で、若きフランクリンの後見人達だった。

約束通りにハリマンに満鉄を売り飛ばしていれば、フランクリンも日本贔屓のままだっただろう。

自宅を襲われてビビった小村のせいで、日本への信頼は瓦解した。

595 :名無し三等兵:2006/01/24(火) 00:56:29 ID:???
親子2代でルーズヴェルト家と癒着...
http://ja.wikipedia.org/wiki/W%E3%83%BB%E3%82%A2%E3%83%B4%E3%82%A7%E3%83%AC%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%83%8F%E3%83%AA%E3%83%9E%E3%83%B3

こんな連中を敵に回してたら、宣伝工作抜きでも勝てないよ...

596 :名無し三等兵:2006/01/24(火) 01:15:56 ID:???
>>594
満州をアメリカにやってたら、戦争する以前に世界恐慌で日本は潰れる。

597 :名無し三等兵:2006/01/24(火) 01:26:57 ID:???
天保の大飢饉でも日本が潰れた訳じゃないぞ。

満州なんぞ持ち出しばかりで日本経済へのカンフル材にもなってないがねw

598 :名無し三等兵:2006/01/24(火) 01:27:30 ID:???
そもそも獲得したばかりの権益を売り飛ばすような真似して、
政権が存続できるんだろうか?

599 :名無し三等兵:2006/01/24(火) 01:29:59 ID:???
>>597
日本の不況脱出と重工業発達には満州が深く関わっているよ。

600 :名無し三等兵:2006/01/24(火) 01:30:37 ID:???
伊藤博文 以下、桂太郎 山縣有朋まで全員賛成してる。

正確には売却ではなく経営委託であって、利益は折半で日本の軍事行動は優先、と良い事ずくめの条件だったからね。

601 :名無し三等兵:2006/01/24(火) 01:31:44 ID:???
>>599 “日本の不況脱出と重工業発達には満州が深く関わっている”

最近良く見かけるが、何か根拠がある主張なのかな?

602 :名無し三等兵:2006/01/24(火) 01:40:46 ID:???
当時の日本の重工業と言えば、阪神/京浜工業地帯の原型が形成されていた時期だが、まだまだ国策(軍需)優先の時代で民生経済へのパイは少ない時代だった。

日本が世界恐慌後の不況から徐々に復調したのは、欧米向け軽工業品(絹製品)の輸出復調によるものと国内中産階級の形成によるもの。

満州に渡った貧農が仕送りをしていた訳でもなく、公共投資的な効果も限定されていた。

いったい、満州の何が日本経済の救世主になったのか、説明してみてくれたまへ。

603 :名無し三等兵:2006/01/24(火) 01:45:23 ID:???
満州から安価に原材料が輸入でき、
同時に低関税の輸出先が増えたのが大きい。
満州で生産→日本で加工→欧米、または中国満州に
再輸出というのが当時の流れ。
よって景気回復には満州は不可欠だった。

重工業については、30年までは数パーセントの伸びだったのが、
満州事変以後は数十パーセントも伸びている。
満州から安価に鉱石が輸入でき、満州の安い労働力を利用することで、
日本ははじめて重工業化ができた。

満州をアメリカにやるということは、これらの利点がなくなることに繋がる。
まあ、経済恐慌後の経済ブロック化にも耐えられる経済力と技術力が日本にあるというなら話は別だけど

604 :名無し三等兵:2006/01/24(火) 01:49:09 ID:???
そもそもハリマン協定は南満州鉄道の権益の売却であり
アメリカ合衆国政府は直接関係しないんじゃなかったか?


605 :名無し三等兵:2006/01/24(火) 01:55:48 ID:???
>>603
“30年までは数パーセントの伸びだったのが、満州事変以後は数十パーセントも伸びている”

これは、具体的に何の伸びなのかな? 何の生産量? 何の取引金額?

“満州から安価に原材料が輸入でき、同時に低関税の輸出先が増えたのが大きい。”

満州にはどれほどの購買層がいたのかな? 日本の重工業製品を購入するような奇特な消費者は何処から湧いて来たのかな?

満州がそれほど大きい市場だったのであれば、満州への投資も終わっていない時期に、更に傀儡政権を押し立てて冀東貿易のような密貿易に手を染める事もなかったのにね?w

“満州の安い労働力”

日本国内の労働賃金も日本円も対ドル相場で弱含みだったのに、満州での労働賃金はいかほどお安かったのでしょうか?

技能労働者の多くは日本人移民で、高収入を目当てに満州へ渡っていますが??

606 :名無し三等兵:2006/01/24(火) 01:57:54 ID:???
>>605
ここは議論スレではないので、質問の形でスレを伸ばすのはやめていただきたい
自ら資料を提供することは大歓迎なのですが

607 :名無し三等兵:2006/01/24(火) 01:58:51 ID:???
>>604 権益の売却ではなくハリマンの満鉄への経営参加だよ。
日本は現物出資でそれ以上の持ち出しは無く、所有権は半分残る。
不慣れな外地での鉄道経営のリスクをハリマンが背負ってくれるので、日本にとって全く悪い話ではなかった。
そのため、当時の日本政府は上から下まで賛成した。小村を除いてw

608 :名無し三等兵:2006/01/24(火) 02:00:46 ID:???
>>606 返答出来ないからと言って、変な形で逃げるなよw

みんな“日本の不況脱出と重工業発達には満州が深く関わってた”との珍説の御開陳を待ってるよww

609 :名無し三等兵:2006/01/24(火) 02:19:46 ID:???
606は俺じゃないよw まあそれはいいとして資料を出しますか。

ttp://www.ier.hit-u.ac.jp/COE/Japanese/Newsletter/No.11.japanese/hyo1.htm
ttp://www.ier.hit-u.ac.jp/COE/Japanese/Newsletter/No.11.japanese/hyo2.htm

農産物との対比だが、ここに少しのっている。
満州事変以後、急速に工業生産が伸びているのがわかるだろう。
あ、それから「満州の安い労働力」ではなくて「支那の安い労働力」というべきだったね。修正します。

610 :603:2006/01/24(火) 02:23:32 ID:???
>>609は俺のです。入力するの忘れてた。

611 :名無し三等兵:2006/01/24(火) 02:27:27 ID:???
ううむ、その「急速」の一因としては日支事変の影響もあるから
なんともいえないなぁ・・・・
まぁ1934年の成長は満州云々の影響とも取れなくもないが。

ああ、俺は一ROM者ですので。

612 :名無し三等兵:2006/01/24(火) 02:28:07 ID:???
>>609 この資料のどこからも1931年以降の急激な伸びなど 読み取れないが?
苦し紛れで適当な表を貼ったのかな??w

中国の安い労働力という事は、満州から華北への加工原材料輸出という事になるが、それは日本経済への好影響どころか逆に作用してしまうよ?w

なにしろ満州事変の4年後に日本が開始した冀東貿易は華北の産業に打撃を与えるための経済戦だったからねw

613 :名無し三等兵:2006/01/24(火) 02:36:24 ID:???
>>612
煽り口調はどうかなぁなどと・・・
意見には大方の賛同は示すけどね。


614 :名無し三等兵:2006/01/24(火) 02:44:11 ID:???
煽り口調のつもりはないんだが、どっかのコヴァ本で仕入れてきたテンプレ頼りの厨に、もう少し頑張ってもらいたいと思っただけだよw

615 :名無し三等兵:2006/01/24(火) 06:25:01 ID:???
昨晩からコヴァコヴァうるさいな。
お前らみんなコヴァ村の村人かっつーの!

616 :名無し三等兵:2006/01/24(火) 06:53:26 ID:???
>>612
満州から華北にいきなり輸出する…?
当時は、満州で原材料生産→日本に輸入、加工→諸外国へ輸出って流れで不況を脱したんじゃなかったの?

617 :名無し三等兵:2006/01/24(火) 07:41:22 ID:???
日満の貿易関係の資料見つけたんでドゾ

数字が立証する日満貿易の飛躍的大発展
大連埠頭の輸出入貨物統計

ttp://www.lib.kobe-u.ac.jp/das/jsp/ja/ContentViewM.jsp?METAID=00499401&TYPE=HTML_FILE&POS=1&TOP_METAID=00499401


上半期中の−−鮮満財界推移
第五十回株主総会に於ける加藤鮮銀総裁演述

ttp://www.lib.kobe-u.ac.jp/das/jsp/ja/ContentViewM.jsp?METAID=00474710&TYPE=HTML_FILE&POS=1&TOP_METAID=00474710


朝鮮今後の対満輸出
膨脹の歩調を辿り得るか?
満洲の購買力と内地商品の進出

ttp://www.lib.kobe-u.ac.jp/das/jsp/ja/ContentViewM.jsp?METAID=00474710&TYPE=HTML_FILE&POS=1&TOP_METAID=00474710

618 :名無し三等兵:2006/01/24(火) 07:49:18 ID:???
■一般会計と臨時軍事費に占める直接軍事費の比重■

年次     割合     備考
1894年 69.2% 日清戦争
1895年 65.5%
1900年 45.5% 義和団事件
1904年 81.8% 日露戦争
1905年 82.3%
1914年 49.2% 第一次大戦
1918年 58.0% シベリア出兵
1919年 65.0%
1920年 46.8% 尼港事件
1921年 41.9%
1922年 45.5%
1925年 29.3% 南満州出兵
1927年 28.0% 山東半島出兵
1928年 28.5%
1931年 31.2% 満州事変
1932年 35.9% 上海事変
1937年 69.0% 日中戦争
1938年 76.8%
1938年 73.4% ノモンハン事件
1940年 72.5%
1941年 75.7% 真珠湾攻撃
1942年 77.0%
1943年 78.5%
1944年 85.5%

これで100年戦争出来ると思う脳味噌なんぞ捨てちまえな(爆)

619 :名無し三等兵:2006/01/24(火) 07:59:39 ID:???
ソ連は? イギリスは? ドイツはどうだった?

620 :名無し三等兵:2006/01/24(火) 08:02:25 ID:???
日露戦争期スゲェ。大東亜戦争末期レベルの軍事費じゃん。

621 :名無し三等兵:2006/01/24(火) 08:49:43 ID:???
ねーねー、↓のソースは何?

「満州なんぞ持ち出しばかりで日本経済へのカンフル材にもなってない」

622 :名無し三等兵:2006/01/24(火) 11:09:50 ID:???
日満の貿易収支がアップしたというソースのみで
>日本の不況脱出と重工業発達には満州が深く関わってた
ってのはまったく実証できないんだが・・・
そもそも満州事変以降の諸外国との貿易収支も同時に
ソースとして張ってくれなきゃ比較できないし、
日満貿易ブロックの形成から貿易収支がアップするのは
必然といったら必然だしぁな。

623 :名無し三等兵:2006/01/24(火) 11:58:40 ID:???
>>621 ガイシュツの統計資料全てが、そう示しているぞw

624 :名無し三等兵:2006/01/24(火) 17:07:45 ID:???
>>623
どれ? アンカーで示して。

625 :名無し三等兵:2006/01/24(火) 17:09:03 ID:6Mm8kc/6
満州国のインフラ
http://www.asahi-net.or.jp/~KU3N-KYM/doyoyon/doyoyo5.html

626 :名無し三等兵:2006/01/24(火) 17:11:05 ID:???
>日満の貿易収支がアップしたというソースのみで
これで不況が脱出できないなら何やっても無駄

627 :名無し三等兵:2006/01/24(火) 17:30:44 ID:???
>>617の統計見ると、
輸入量では欧州・米国に匹敵する輸入先であり、
輸出量では欧州以下、米国以上の輸出先だね。<満州及び中国
まあ内訳が分からないけど。

628 :名無し三等兵:2006/01/24(火) 19:02:22 ID:???
満州から鉱業資源・農産物を輸入し国内消費にあて、華北で排斥された軽工業品を満州に輸出し、消費者は日本人移民。

日本重工業発展への関与も中国の安価な労働力も出てこない。

おそらく当時の日本が中国より格段に優れた工業国だった、との思い込みから来ているんだろうが、日本円は法幣より弱く 両国の人件費も大差なかった。

629 :名無し三等兵:2006/01/24(火) 19:21:22 ID:???
>日本円は法幣より弱く 両国の人件費も大差なかった

ソースお願い。

630 :えICBM:2006/01/24(火) 19:30:05 ID:???
こういうスレが参考になるかもしれない。

戦前の日本経済はどうなの3
http://hobby7.2ch.net/test/read.cgi/army/1127011298/l50

だつおが意外と経済通であるのが驚き。

631 :名無し三等兵:2006/01/24(火) 19:33:04 ID:???
日本の重工業化を支えたのは石炭だが、
それは満州に4割強も輸入依存していた。

632 :名無し三等兵:2006/01/24(火) 20:08:08 ID:???
>>629 中国の占領地で日本円には人気が無く、流通させられなかったために兵站に支障をきたした日本軍は法幣の偽札まで作って、上海 青幇の協力を得て重慶側から物資を購入している。

それと、日本軍が中国大陸奥深くに侵攻するにつれて、関東軍が作付けを奨励した満州産の阿片が、日本軍の兵站を支える重要な“通貨”となってもいる。

この間教えてやったから だつをでも知ってる事だがねw

>>631 “日本の重工業化”この表現だと満州占領以前は日本に重工業が存在しなかったかと思っているような印象を受けるんだが?

満州占領以前から日本には重工業が存在し、WW1の戦争特需によって急拡大している。

633 :名無し三等兵:2006/01/24(火) 21:26:39 ID:???
>>630
だつおの中の人もいろいろだからなw

634 :イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/01/24(火) 21:51:15 ID:???
>>540 >>そんな幣原氏は終戦直後に復活し、思うさま軍人達に復讐しましたとさw

いや、田中義一内閣の直後にすぐ復活します。

●浜口雄幸内閣(民政党総裁:1927年7月〜1931年4月)外務大臣:幣原喜重郎(貴族院)
●第二次若槻礼次郎内閣(民政党総裁:1931年4月〜1931年12月)外務大臣:幣原喜重郎

>>541 さんが指摘されているように、満州事変は民政党内閣で起きています。
余裕ができたら、歴代内閣(プラス重要な事件)を政党別に整理してみたいと思います。

635 :ue ◆WomMV0C2P. :2006/01/24(火) 22:00:40 ID:???
高橋是清をスルーと言うのはちょっといただけませんな。
戦前の高度成長期は高橋の積極財政による公共投資、輸出振興の効果です。
満州に関しては殆ど影響なしですね。

さて、その高橋の財政政策についてですが、

1:軍備拡張
 井上財政では予算の3割に満たなかった軍事費を、高橋財政では5割近くに膨張させました。
満州事変後はさらに拡大。これを以って公共事業としました。
軍需物資、特に重化学工業製品の生産が増え、雇用も増加しました。

2:時局匡救
農民経済を救済し、農村不安を鎮静する事を中心政策に掲げた斉藤内閣は、
8月の臨時議会で時局匡救事業を提案します。昭和7年度から10年度まで継続事業で実施されました。
これは公共土木事業を中心とし、農家負債の整理、農村金融の拡充等を目的とした諸政策です。
マルクス経済学者は土木業者だけが潤ったと,いつも通りのパターンの批難しますが(w

3:輸出振興
輸出政策を進めるために金の輸出の停止、平価の切下げ、管理通貨制度の導入で一気に円安に持ち込みました。
これは最終的には井上前蔵相の頃より4割も安くなっています。更に、前蔵相の頃から続けていた
カルテルや産業の統廃合で産業合理化が行なわれ、国際競争能力を付けた日本企業は、各国の貿易が
停滞している中、輸出攻勢を仕掛けます。特に綿製品の輸出増加はめざましく、インド市場を巡って
イギリスと激しい争奪合戦を行い、日英綿戦争とまで言われました。
ただし、これは諸外国からダンピングとの批判を受け、ブロック経済の遠因となったと言われます。

636 :ue ◆WomMV0C2P. :2006/01/24(火) 22:10:16 ID:???
>>635 続き

この積極政策の財源は公債による赤字財政。高橋蔵相は、

「経済が沈滞している時期だから、増税による経済への圧迫は避け、経済力の回復増進を第一に考えるべきである。
 そのために一時公債が増えても産業が復興すれば、国民の税負担能力も増え、税収の増加も期待できる。
 その時に公債も償還できる」

と考えていました。

ただし、この高橋財政の最大の問題は禁じ手である日本の中央銀行・日銀による公債引き受けを始めた事です。
これで政府は資金が必要な場合、公債を発行し日銀に引き受けさせることで、簡単に資金を調達できる。
つまり事実上、政府が自由に日銀券を発行出来ることになります。しかも、同時に日銀券の保証準備発行限度を
大幅に増やしています。これは通貨制度において、金本位制度を放棄し、現在と同じ管理通貨制度に中途半端に
移行していることを意味します。

元来、中央銀行の役目とは、政府による自由な通貨発行を許していては、通貨価値が安定せず、
経済不安を招くため、通貨の番人として政府から独立して金融政策行う事です。管理通貨制度の場合、
この役目はより重要になってきます。金本位制度にある「金」という通貨価値の裏付けが無くなる代わりに、
中央銀行では景気・経済対策のため、柔軟に通貨量を決める事が可能となります。ただし、通貨量・金融政策の
管理をよほどしっかりやらないと、簡単に通貨はその価値を喪失、紙幣が文字通り単なる紙切れになる
可能性が。日本はこの管理通貨制度に、なし崩し的に移行する事になりました。

公債を日銀が引き受けるという高橋政策は、日銀からこの通貨管理能力を政府が奪った上で、
政府の公債発行の歯止めを取り払ったことになります。もし政府が公債=通貨の発行を過剰にした場合、
簡単に悪性インフレーションを引き起こし、金融制度が破綻してしまいます。

この財政政策は、近代金融制度・市場経済原理を理解している高橋蔵相の管理下で、
高橋蔵相の読み通りに経済が回復すれば何とかなるが、一端その管理を離れると暴走を始める危険性を孕んでいます。

637 :名無し三等兵:2006/01/24(火) 22:12:54 ID:???
そんな高橋是清が何故二二六で襲撃されたのかな?

638 :えICBM:2006/01/24(火) 22:21:59 ID:???
>>634
幣原喜重郎が出てきたので、貼りそびれていた東京裁判における彼の証言に関するコピーを張りましょう。

IPS(国際検察局)が検察側証人として喚問したのは、以上の困難な時期を生き抜いた数人の主要人物たちであった。
最初の証人は、幣原喜重郎男爵である。彼は一九二九年七月二日から三十一年十二月十三日かけて外務大臣を務
め、しばらく首相の臨時代理を務めた事もある。幣原は、その経歴が絶頂にあったこの時期に、陸軍の膨張主義者達
と戦った。しかし膨張主義者たちは幣原を打ちのめし、ついには政府から放逐した。後の一九四五年十月、マッカーサー
は首相として政権を担わせるため、幣原を忘劫の淵から呼び戻した。こうして幣原は、一九三一年の日本帝国の興隆
時と、あたり一面に何百万人という同胞の死体や負傷者がころがっていた一九四五年の日本帝国の滅亡時に、いずれ
も存在感のある人物となったわけである。
いまや七四歳となった幣原は、足を引きずりながら証人台に歩み寄った。彼は疲れた顔をしていたが、その言葉は歯切
れが良かった。幣原は裁判所にこう語っている。「一九三一年の満州事変直前、外相として関東軍が軍隊の集結を行い、
ある軍事目的のために爆弾物資を持ち出している旨の機密報告及び情報を受けて、またある種の行動が軍閥によって
目論まれているいう事も、そのような報告からわかりました。」関東軍は条約に基づいて日本が経営する南満州鉄道の
沿線を守備していた。南満州鉄道、それが満州の生命線であったのである。
幣原は少し間をおいて、被告達をじっと見つめた。被告の中に、若槻内閣で同僚の陸軍大臣であった南次郎大将がい
た。幣原は、自分と若槻首相は「満州事変直後、軍を抑制し、これ以上の領土拡張をやらせぬため、あらゆる努力をし
ましたが、不可能でした。」と述懐した。軍国主義者たちは彼等の努力をあざ笑い、幣原の中国に対する「軟弱外交」を
糾弾した。幣原は面子を失った。この老いた日本指導者は「この事は若槻内閣にとり大きな悩みでした。」と重々しく延
べた。
彼の証言によると若槻内閣の政策は事変不拡大であり、南被告もこの政策に同意していた。それから引き続いて、アメ
リカ検事補ヒュー・ヘルムと幣原の間で以下のやり取りがされた。
(続く)

639 :ue ◆WomMV0C2P. :2006/01/24(火) 22:22:01 ID:???
積極財政以降、この頃まで日本は恐慌に喘ぐ世界を後目に目覚しい発展を遂げました。
昭和6〜11年間に軍需品を中心とする全工業製品の生産額は2.5倍に増え、輸出も3倍に増加。
この間にインフレは卸売物価が1.4倍になった程度です。

しかし昭和10年頃から積極財政の継続が困難になり始めました。
これは以下のような過程で起きました。

1:景気回復により、公債の市場消化を成功させていた銀行融資が、軍需産業の設備投資に回る。
2:このため低金利の公債に資金が向かなってくる。
3:さらに好況が続き、市中資金が逼迫してくる。
4:これにより一般貸し出し金利が上昇する。
5:このため政府の低金利政策の維持が困難になってくる。
6:金利の国債は、価格維持も難しくなる。

この様にして公債市中消化率が急激に悪化。昭和9年度のには128%だった消化率が、
10年度末には消化率は77%に急落。
この市中未消化公債が増えることは、日銀の公債引き受けが増える事を意味します。
これは日銀の通貨発行量を増やすことに繋がります。つまり、経済的裏付けの無い
市中通貨量増大によるインフレ、という悪性インフレの危険性が現実化し始めます。
公債増発の結果、国債未償還額も累積し、総額は昭和6年末の64億円から、
昭和10年度103億円まで、6割の増大します。(参考までに昭和10年の国民所得推計額は144億円)

640 :イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/01/24(火) 22:22:16 ID:/iGXMovk
>>557 >>孫文絡みの日本人というと山中峯太郎もいますな。

おお、『敵中横断三百里』の山中峯太郎ですね。ちなみにモデルは満州事変の「止め男」、
建川美次中将です。日露戦争の若きヒーローが、「止め男」→「駐ソ大使」と落ちぶれて
いくのに人生の無常を感じますw。政治的野心が仇になり〜。

それはさておき、冒険小説家の山中峯太郎は「陸士19期」で支那通軍人を目指していた
時期もありました。山中は「第二革命」のときに陸軍を1年休職して中国語の実地研究を
名目として支那に渡り、江西省の李烈欽が指導していた革命軍に飛び込みます。

この李烈欽は、日本の陸士の清国人留学生であり、山中は陸士時代に彼らと親交を
結んでいたと言います。

次に山中は朝日新聞社通信員として支那に渡り、孫文の革命に加わりますが、陸大を
中退したことを考えると少しもったいないと思います。

641 :えICBM:2006/01/24(火) 22:22:29 ID:???
(続き)
ヘルム それでは、そういう指示が南陸相に与えられたわけですね。
幣原  内閣は陸軍大臣に訓令を与える事はできません。
ヘルム それではこの内閣の政策に対する陸相の同意によって満州事件はここにとまりましたか−なくなりましたか。
幣原  それはだれでも知っているとおり、この事変は止まらなかったのであります。それ故、南陸軍大臣としてはでき
     るだけの事をされたに係わらず、事件が拡大してしまったということは、これはおおうべからざる事実であります。
ヘルム 本状大将指揮下の士官その他の人々で、この満州事変が拡大した為に懲戒を受けた人がありますか。
幣原  この満州事変に拘わらず、総て陸軍の部内にいる人たちを内閣が懲戒に付するということは出来ません。
     これは政府の職権ではないからであります。

反対尋問で幣原が認めたところによれば、南被告は奉天における日本陸軍の行動は「自衛」だと述べた。しかし「たとえ
自衛から起こったに致しましても、もう既にその事件が段々他の地方へ波及しているという事はよろしくない。なるべく拡
大する事を防ぐというのが政府の方針であったのであります。」
再直接尋問で、幣原は唐突に爆弾発言をした。幣原は、陸軍の自立性を示す例として、満州を横断した関東軍と同じく、
当時日本の植民地であった朝鮮の日本軍(朝鮮軍)がどうやって国境を越え、関東軍と合流したか、について述べたの
である。「朝鮮軍から政府の知らぬ間に、満州軍を幾分増強されたということは存じております。」それで朝鮮軍は勅裁
なしに朝鮮から満州に入ったかと問われると、彼はこう述べた。「勅裁は無かったものと私は諒解しております。」傍聴席
では日本人傍聴人、特に若い人々が、あ然として座っていた。

(アーノルド・C・ブラックマン著 東京裁判 もう一つのニュルンベルグ 事実通信社より)

642 :前スレ32:2006/01/24(火) 22:23:42 ID:???
>>637
ueさんが書いておられるように、高橋さんは財政を管理しようとするからです。
無条件に積極財政はできないので、いつかは抑制にかかる。
そうなると、積極財政の受益者から恨みをかう可能性があります。

643 :ue ◆WomMV0C2P. :2006/01/24(火) 22:28:35 ID:???
>>639 続き
昭和10年下半期には深井日銀総裁が、

「悪性インフレの懸念が出てきた。もう危ない。
 日銀引き受けの赤字国債と軍事費の増大はもうやめるべきだ」

と進言。高橋蔵相はこれを受け、11年度予算編成から公債漸減方針を打ち出します。
つまり、歳出の膨張を押さえ、税収の自然増を目安に公債を削減しようとしました。
時局匡救予算を9年度限りでうち切り、軍事費も削減しようとしました。
この事は軍事費増額を要求する軍部の反発を買い激しく対立。
結局、11年度予算でも軍事費の増額追加を認めざるを得なくなります。
この事が高橋の命運を決めることになります。
この件で軍部の恨みを買った高橋は2・26事件で殺されてしまいます。

2・26事件後成立した広田内閣の馬場蔵相は、公債削減政策の放棄、増税、低金利政策を発表。
続いて日本銀行の公定歩合の引き下げを求めて公債の大量発行の条件を整備します。
これ以後、財政は軍部の影響下、軍事費を中心に天上知らずの拡大を続けます。

644 :イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/01/24(火) 22:28:50 ID:???
>>642
要するに軍拡の邪魔ということでよろしいでしょうか?

645 :名無し三等兵:2006/01/24(火) 22:31:15 ID:???
1ドル=2円の固定相場でありながら、かたや米国は金本位を1970年代まで維持したが、日本円は実質的に金保証から逸脱していたという事ね。

これもあって金兌換の法幣に日本円は勝てなかった訳だが、華北/満州で流通した中共の銀兌換“辺区券”にまで負けているのは情けない限りw

“辺区券”は岡村寧次にとっても最大のターゲットだったが、終戦までついにその発行/流通を止める事が出来なかった。

本来、排日的な華北市場を強制的に開かせるために占領したのに、最後までその経済的主導権は国府の“財神”孔祥熙と法幣に握られ、中共の自立経済圏成立に力を貸しただけの結果に終わった。

尚、当時の華北では城市の入り口で日本軍憲兵が検問に立ち、所持品検査で辺区券を見つけると没収していた。
日本軍発行の軍票は武力を背景にしないと使用出来なかったため終戦と同時に紙切れになったが、没収した辺区券を処分せずに溜め込んでいた憲兵達は、食い物も買えなくなった他の部隊を尻目に豪勢な生活を送っていたとの事...

646 :ue ◆WomMV0C2P. :2006/01/24(火) 22:37:39 ID:???
取り合えず高橋財政の顛末は以上です。
日中戦争期とかもやると結構大変。どうしようかなぁ…

647 :前スレ32:2006/01/24(火) 22:38:19 ID:???
>>641
幣原の主観的善意(古いマルクス主義用語だな)はわかりますけど、
あらゆる意味で、情勢を安定化させることに失敗したわけですよねえ。

その意味で、情勢をコントロールするチャンスがあり、それに失敗した政治指導者として、
幣原を免罪することはできないかと思います。
これは、私が心から尊敬する浜口、あんまり尊敬していない若槻の両首相にもいえることで。

>>644
そう理解しています。
いま見つけることができるソースは北岡さんの概説書(日本の近代の第5巻です)

648 :イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/01/24(火) 22:45:39 ID:/iGXMovk
>>555 >>孫文を支援したのは日本人であって日本政府じゃないからちょっとね。
>>宮崎は日本の大陸支配に批判的だったと聞くし。

孫文に関心を持ち、孫文を支持したのは軍人、政治家、財界人、学者、大陸浪人、
右翼言論人など『多種多様』ですが、やはり日本政府という訳ではありませんでしたね。

他の方も名前を挙げられていますが、代表的なのは宮崎民蔵・寅蔵(滔天)兄弟、平山周、
萱野長知、山田良政、純三郎兄弟、頭山満、犬養毅、青木宣純(中将)、坂西利八郎(中将)、
佐々木到一(中将)、磯谷廉也(中将)などです。

しかし孫文が容共に転じると、民間では宮崎滔天や山田良政を除いて、孫文から距離を
置くことになります。軍人では、特に磯谷廉也がその後も密接な関係を築いていました。

649 :イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/01/24(火) 22:50:42 ID:???
間違い…。×磯谷廉也→◎磯谷廉介です。

650 :前スレ32:2006/01/24(火) 22:51:34 ID:???
>>648
日中戦争の関係では、松井石根もいれた方がいいかもしれませんね。

ただ、孫文はあやしいおじさんなので、いうこともときどき無茶苦茶で、
日本側を混乱させたかもしれません。


651 :えICBM:2006/01/24(火) 22:52:18 ID:???
>>647
幣原証言で当時の政治家が軍部に対してどれくらい無力だったかがわかります。
首相は軍の動きを知らず、軍は現地軍の動きを知らず。
正直、国家の体をなしていないと言えるでしょう。
これをコントロールして安定化に引っぱれるには、よほどの豪腕でないと難しいでしょう。
豪腕と言えば松岡外務大臣を思いますが、更に悪いほうに引っ張って行った例ですが。

あと、軍部に対してどれだけ恨みを持っていたかも良くわかります。
大臣、将軍等のトップレベルによる東京裁判での同じような証言が他にもあります。

652 :ue ◆WomMV0C2P. :2006/01/24(火) 22:58:18 ID:???
>>649
牟田口の呪いがここに(w

>>650
国民党の外交革命とか列強利権回収の基本方針を定めたのは孫文なので
日本政府としてはあまり益の無い人物になりますね。日英同盟にも反対していたし。

653 :前スレ32:2006/01/24(火) 22:59:40 ID:???
>>651
幣原と民政党内閣の場合、あまりに協調外交に終始して、
内政への配慮を欠いたことがよく指摘されます。

たとえばロンドン海軍軍縮は浜口内閣の大成果ですが、
もう少し海軍側にていねいに根回しをすることはできたはずなので。

それから、満蒙問題・中国問題についても、
むしろ協調に終始して、国民の不満を鬱積させてしまった。
その結果として、満州事変で、世論は双手をあげて軍の行動を支持するわけです。

よく言われる議論が、
満州事変以前には松岡に外交をやらせて日本の立場を主張させて、
満州事変以後は幣原に諸外国に説明させて列国との協調を行うほうがよかった、とのこと。

654 :名無し三等兵:2006/01/24(火) 23:02:55 ID:???
>>650 “孫文はあやしいおじさん” ワロタw

そんな“夢見る中年”を実務面で支えたのが国民党のプリンスこと汪精衛だった。
本来なら国民党は汪精衛が継承する予定だったが、北伐途上で反共クーデターを起こした蒋介石に横取りされている。

その後も度々 汪精衛は蒋介石と対立するが、その度に和解している。
軍人だったらとっくに殺されていただろうが、汪精衛は孫文の“正当な”後継者であるとの考えが国民党内に強く、蒋介石も手が出せなかった。

最後に蒋介石と対立した際に、日本に保護を求めた事が汪精衛の歴史的評価を暴落させ、永久漢奸扱いが決定してしまったがね...

655 :前スレ32:2006/01/24(火) 23:04:47 ID:???
>>652
牟田口の呪いとはおそるべし。

>>652
>>654

満州を日本にゆだねる意向を、孫文は公言していたようなのですが、
これは、日本の中国側の意図に対する認識を混乱させたような気がしますね。



656 :えICBM:2006/01/24(火) 23:05:05 ID:???
>>653
それらは結局、WW1後の世界情勢を睨んだ長期ビジョンが日本に無かったのが原因では無いかと思います。
また、国内での意見の集約を出来る体制が必要だったと。
うーん、どれも結局無いものねだりになりますな。
シナ事変、大陸問題は深淵を覗くようなものですが、実は戦前、戦中の日本そのものが混沌であったのでは?


657 :名無し三等兵:2006/01/24(火) 23:07:17 ID:???
>>650
前出の山中峯太郎の回想録によれば、亡命中の孫文が上原勇作大将と極秘会見した際、満洲特殊権益の譲渡と引き換えに日本軍三個師団の援兵を求めたそうで。



658 :名無し三等兵:2006/01/24(火) 23:07:20 ID:???
どんなに立派な人間でも、漢奸になったらおしまい。まあこれは日本でも同じことでしょうけどね。

それから、幣原は満洲事変のときの参謀総長だった金谷範三だけは回顧録でべた褒めしてます。

659 :イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/01/24(火) 23:11:11 ID:/iGXMovk
>>563 張学良のすごい所は、自力で米国系銀行からの出資を得て満鉄への
>>並行路線を建設し、父親が敷いた路線と繋げて満鉄を経営危機に追い込んだ事。

参考までに逆の意見もあります。1930年12月7日、木村鋭一満鉄理事は拓務省会議に出席し
『満鉄の経営不振』について以下の報告をしています。

「満鉄経営の不振は『満鉄包囲線』が原因ではない。不景気のためである。世人は
 黄金時代の収入を基準に論じている。包囲線の方が減収はより大である」

つまり、「北満の大豆輸送」で食っていた満鉄が、大不況の煽りをかぶって従来ほどの巨利を
得られなくなったのは事実です。しかし、競争相手の張学良の平行線(包囲線)の方が先に
潰れそうである、と指摘しています。

上記の出典は、秦郁彦の著作ですが「満鉄危機説」も多分に誇張があるとしています。

660 :イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/01/24(火) 23:14:20 ID:???
>>652 >>牟田口の呪いがここに(w

いまだ恐るべし、牟田口…w

661 :名無し三等兵:2006/01/24(火) 23:15:08 ID:???
おかげで汪精衛以降の中国の政治家は、日本に対して命運を預けるような行動を鬼門として避けるようになった。

唯一の例外は日本からの円借款を“四つの現代化”計画の資金源にしたケ小平だったが、その実務を担当した趙紫陽は天安門事件収拾のとばっちりを受けて失脚したまま浮上する事はなかった。

662 :名無し三等兵:2006/01/24(火) 23:17:43 ID:???
満洲の経済的価値…特に満漢貿易と大豆輸出については、ロシアの進出の頃から経時に見る必要がありそうですね。
とりあえず通史として小峯和夫『満洲 - 起源・殖民・覇権』(御茶の水書房)をお薦めしておきます。


663 :えICBM:2006/01/24(火) 23:24:43 ID:???
もう一つ、満州事変時の首相であった若槻礼次郎の東京裁判での証言に関するコピーを。

奉天事件という歴史的挑発行為は、関東軍が政府の許可なしに独断で起した最初の動きであった。この事件は日本に
よる満州侵攻・占領へといたる作為的に作り出された危機であり、日中全面戦争に向かう最初の重要な措置であったの
である。
裁判所は、その当時政府で何が起こったかを語るのに一番ふさわしいと思われる人物から、奉天事件の話を聴取した。
関東軍が奉天の謀略を実行したときの首相、若槻礼次郎が証人台に立ったのである。いまや八十一歳の若槻の頭髪
は、富士山頂の雪のように真っ白であった。若槻は、昨日の事のようにこの危機について語った。彼の言葉の一つ一つ
にドラマがあった。何故な、彼の前任者の浜口雄幸首相や後任者の犬養毅首相はいずれも在任中に遭難したからであ
る。実際、若槻は、一九二九年から三十二年の危機的時期に首相を務めた人物のうちで唯一の生き残りであった。た
だし、彼もまた暗殺者のターゲットではあった。
若槻の証言は、幣原の陳述を繰り返し、かつ強化するものであった。一九三一年九月十八日、関東軍の手先は、日本
が管理する満鉄線路の一部に爆弾を仕掛けた。陸軍は、その破壊行為を中国側の仕業として批難しつつ、速やかに戦
時編成を行い―宣戦は布告されなかったが―短期間のうちに満州全土を占領したのであった。若槻はこう証言している。
奉天事件の翌日、内閣は陸軍大臣の南大将に対して、この事件を「即刻終了させる」よう希望した。南はこれに同意した。
ところが翌日になると、新聞記者たちは、関東軍がその支配地域を拡大し続けていると一面に報じた。南は内閣に「それ
は保護的な手段で、如何なる意味においても拡大されることはないだろう」とあわてて説明した。しかしながら、更にその
翌日に南が日本軍支配地域の「これ以上の拡大は無いだろう」と繰り返したときですら、関東軍の満州席捲は止まる事
を知らなかった。若槻元首相は「同様なことが二十二日まで繰り返されました」と付け加えた。

(続く)

664 :えICBM:2006/01/24(火) 23:25:33 ID:???
(続き)

九月二十三日、日本の朝鮮軍が天皇の裁可無く満州に満州に越境し、関東軍と合流した。若槻はこう証言している。
自分は「満州におけるこれらの行動は即刻止むべきである」と要求し、「陸軍大臣南大将も内閣のこの政策を直ちに実
行させることに同意した」。しかし、日を追うごとに、軍事行動をとる地域は拡大されていったのである。
若槻は溜息をついて言った。「自分は毎日地図を示されました、そして南大将は満州における日本軍が今後越えないは
ずの境界線を示すのが常でありました、そしてほとんど毎日この境界線は無視され、更に拡大されたことが報ぜられま
した、しかし何時もこれが最後の行動であると保障が付いていました。」
恐らく東京裁判でもっとも悲痛な説明の一つは、若槻がIMTFE(極東軍事裁判所)に語った次の言葉であろう。「私はこ
の事態を制御しようと勤め、考え及ぶ限りのあらゆる事を試みましたが、成功できませんでした」被告席の将軍達は戦
いを渇望し、彼等を阻止できそうな者など誰もいなかった。とりわけ日本の首相は例外なくそうであった。

(アーノルド・C・ブラックマン著 東京裁判 もう一つのニュルンベルグ 事実通信社より)

要するに、首相である若槻も、陸軍大臣である南大将も事態収拾に何ら有効な手を打つことが出来なかったわけだ。
若槻の恨みはともかく、この東京裁判の証言台での元首相による陸軍批判を、ラジオを通してリアルタイムで聞かさ
れる国民はたまったものじゃなかっただろう。


665 :名無し三等兵:2006/01/24(火) 23:26:20 ID:???
>>659 張学良の目算は、満鉄の収益=日本にとっての満州の経済価値を下げる という経済戦にあったので、減収であっても特に問題は無かったでしょう。

しかも、並行線の建設には米国資本を導入していますので、我慢比べになったら張学良の方が有利です。

ある意味、石原&板垣の行動も短絡的ではありますが、満鉄&関東軍を救済する手段が他になかったのも一面の事実だと思われます。

666 :イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/01/24(火) 23:33:39 ID:/iGXMovk
>>655 >>満州を日本にゆだねる意向を、孫文は公言していたようなのですが、
これは、日本の中国側の意図に対する認識を混乱させたような気がしますね。

補足しますと以下の通りです。田中義一内閣のとき、田中首相兼外相のもとで
外務政務次官を務めていたのが、既述の森恪(のちの政友会幹事長)です。

強硬な「大陸進出策」を主張していた森恪は、かつて孫文に革命資金2千万円と
2個師団分の武器を提供する代わりに、満州を日本に任せるように要請し、孫文は
それを容認したと伝えられるものです。

この真相は以下の通りです。1912年2月3日、三井物産上海駐在員だった森恪(当時)は
桂太郎(前首相)の内命を受けて、南京で孫文と会見をしました。そして、革命資金
1千万円を提供する代わりに、満州を日本の勢力下に置くように要請し、孫文はそれを
認めたという記録が、東京の財団法人「三井文庫」で発見されています。(平成7年)

ちなみにブツは、森が三井物産顧問の益田孝宛てに送った1912年2月8日付の書簡だそうです。

667 :イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/01/24(火) 23:46:38 ID:/iGXMovk
>>666 の続き。

結局、『森と孫文の密約』は実現せずに終わります。当時の1千万円は現在の
1兆円にも相当する額で、とても日本側の資金調達ができなかったようです。

この密約に対する支那の反応として、台湾の中国国民党中央党史委員会筋が

「孫文は1912年1月1日、中華民国大総統(元首)に就任したとき、漢・満・蒙・
 回・蔵の諸地を合して一国とする宣言をしている。その直後に東三省(満州)を
 日本に租借させようとすることは有り得ない」

と森書簡を真っ向から否定しています。しかし臨時大総統に孫文が選ばれたとはいえ
まだまだ革命勢力は弱い立場で、2月14日には袁世凱の圧力に屈服して臨時大総統の座を
譲っています。

当時の孫文の苦境を考えると、森書簡のような密約があったとしても不思議ではありません。

668 :イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/01/24(火) 23:55:26 ID:???
>>650 >>ただ、孫文はあやしいおじさんなので、いうこともときどき無茶苦茶で、
>>日本側を混乱させたかもしれません。

>>657 >>前出の山中峯太郎の回想録によれば、亡命中の孫文が上原勇作大将と
>>極秘会見した際、満洲特殊権益の譲渡と引き換えに日本軍三個師団の援兵を求めたそうで。

この数時間の間に『孫文密約説』がボロボロ出てくる訳ですから、確かに
「あやしいおじさん」のようですね(藁)。

669 :イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/01/25(水) 00:10:15 ID:ROGZPA+4
>>668 の続き。

ただ、「孫文との密約説」に上原勇作の名前が出てくるのは何も
不思議ではありません。

戦後インタビューで、鈴木貞一(陸軍中将:企画院総裁)が上原勇作元帥を
『ベタ褒め』していますが、例えば洛陽の呉佩孚のもとに密使を常駐させる
など、上原は独自の情報網を築いています。少し詳しく補足すると、以下の通り。

670 :イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/01/25(水) 00:19:11 ID:ROGZPA+4
鈴木貞一が大尉時代、呉佩孚の元を交渉のために訪れると、何だか体の小さい人が
いるのに気付きます。「支那にあんな小さな人は珍しいな」と考えながら食事に
行くと、その人は支那語で話して支那の丸い帽子を被っています。

呉佩孚のところに立派な宿舎もあるので、「どうもおかしい」と鈴木が思っていると
向こうから訪ねてきて、「私は日本人です」と鈴木に告げます。名刺を見ると
「岡野増次郎」とありました。

鈴木が「あんた、ここへ何をしに来ているのだ?」と聞くと、岡野は

「自分は上原勇作さんから派遣されてきた。しかし、手紙を出すことは
 禁じられている。呉佩孚と一心同体の人にならないと言われてやってきた。
 そして1年に1回でも、2年に1回でもいいから日本に帰ってきて、自分の
 ところに来て、呉佩孚の姿を知らせてくれればいいと言われた」と答えます。

671 :イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/01/25(水) 00:29:19 ID:ROGZPA+4
鈴木貞一は「昔の人というのは考えが大きい」と非常に感動しました。

上記のようなことを考えていた将軍は、おそらく上原勇作元帥をもって
最後だろうと、戦後インタビューで語っています。

ですから、孫文の密約説に上原元帥の名前が挙がっていても不思議では
ないのです。

それにしても岡野という人は、一生の過半を呉佩孚への密使として生きる
ことを覚悟している訳です。とても真似できないというか、真似したくない
というか……、この人も凄過ぎますw。

672 :名無し三等兵:2006/01/25(水) 00:37:16 ID:???
日中戦争中に第3国が無防備の日本を攻撃してくるのは犯罪なのか?

673 :イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/01/25(水) 00:43:27 ID:???
しかし、今日は怒涛の進行だった……。いつもの過疎状態がウソの様……。

ちなみに、このスレは500KBを少し超えた段階でお亡くなりになりますw。

674 :名無し三等兵:2006/01/25(水) 00:46:13 ID:???
>>672 無防備の日本という前提が変だろう。 当時の日本は世界有数の重武装国家だ。

675 :名無し三等兵:2006/01/25(水) 00:56:30 ID:???
国際法で戦争中の攻撃は駄目なんじゃないの?

676 :イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/01/25(水) 00:59:37 ID:???
ギエーッ! 急いで書き損じましたw。

>>670 ×呉佩孚と一心同体の人にならないと言われてやってきた。
   ◎呉佩孚と一心同体の人にならないといけないと言われてやってきた。

そろそろ寝ます。

677 :名無し三等兵:2006/01/25(水) 01:00:24 ID:???
>>676
z

678 :名無し三等兵:2006/01/25(水) 01:07:14 ID:???
↑攻撃して来る側にもよるが、たとえば1937年当時の米国がフィリピンから台湾へ侵攻したとしても、日中戦争への中立を宣言していない以上 国際法違反にはならない。

ドイツは中国に軍事顧問団を派遣し、独国防軍現役軍人の顧問が日本軍との戦闘に直接参加しているが、日独防共協定を結んでいる立場なので、こちらの方がよっぽど悪質な背信行為と言える。

しかし、これですら国際法違反にはならない。

679 :名無し三等兵:2006/01/25(水) 01:16:15 ID:???
戦争中でなかったとしても、終わった直後に宣戦布告すればいいんじゃないの。

680 :名無し三等兵:2006/01/25(水) 06:19:46 ID:???
“孫文はあやしいおじさん”

あんまりだろ おい 
志村けん扱いじゃこれじゃ
祖国を想う熱い気持ちが誤解を招きかねない行動に出るだけなんだからさあ



681 :名無し三等兵:2006/01/25(水) 09:17:32 ID:???
>>680
それを言うなら変なおじさんではないかと。

志村ー!後ろ!後ろ!

682 :名無し三等兵:2006/01/25(水) 14:42:55 ID:???
>679 宣戦布告は戦争を始める前にやらなきゃ意味が無い。
戦争が始まった後では、外交関係が切れてしまうので逆に出来なくなってしまう。
日中戦争も事変対処で宣戦布告をしない内に急拡大し、全面戦争へ発展してしまっている。
対米開戦で一応宣戦布告(実際の攻撃より遅れたが)しているが、文面に問題が多く後世までの笑い草となった。

683 :イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/01/25(水) 21:46:42 ID:t02dpMeM
>>590 >>孫文&蒋介石+周恩来の黄浦軍官学校卒業生には越南人士官もいて
>>北伐にも参加しているけど、日本の陸士に来た越南人はいなかったのかな?

それに『惜しいケース』はあります。1928年2月、広東駐在武官の磯谷廉介(中佐)は
帰国を命じられ、第7連隊長に任命されます。しかし辞令が来る前に磯谷は、安南(越南)
出身の青年2名を、日本の陸軍士官学校に留学させてくれるよう依頼を受けており、結果
困ったことになります。

陸士に留学させること自体は、しかるべき工作をすれば可能だったのですが、困ったのは
2人の安南人の『留学資金』です。1人当たり費用が千円必要になります。

駐在武官は「機密費」の枠を持っているので、磯谷はそこから転用するつもりでしたが
当てが外れます。連隊長には、もちろん機密費などありません。軍人としての当時の俸給は
国内勤務の場合350円に過ぎず、支那駐在中はこの俸給に加給や赴任手当ても付きましたが
連隊長では本俸のみです。しかし、約束は守らねばなりません。

684 :イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/01/25(水) 22:03:13 ID:t02dpMeM
困った磯谷は、懇意にしていた犬養毅に2千円の資金手当てを依頼します。

当時の犬養は、第二次山本権兵衛内閣、第一次加藤高明内閣の逓信大臣を
歴任した後、普選法の成立に伴なう政友会と革新倶楽部の合同に絡んで、
一時期政界を引退していた時期にあたります。

犬養はこの依頼を快諾します。この背景には、磯谷・犬養ともに孫文と親しく、
支那問題についてもある程度、共通の認識があったからでしょう。ちなみに
書刀剣の趣味も2人は同じくしていました。

最終的に2人の安南人は陸士に留学することができましたが、その後の
身元調査で『安南人ではなく広東人』であることが発覚しましたw。

経歴査証です。

一時はスパイの嫌疑がかけられましたが、磯谷にはお咎めなしだったそうです。

685 :名無し三等兵:2006/01/25(水) 22:14:09 ID:???
“安南人ではなく広東人”

これは分類の問題だった可能性もあるね。越南南部には廣東人が大挙移民していたけど、仏印当局は越南籍への帰化を認めず、中国籍のままだった人が大部分だった。

越南生まれで越南人として育って来ても、華僑であれば戸籍は廣東人という事になってしまう。

この問題は1978年まで放置され、越南政府の強制帰化or強制退去という高圧的な華僑弾圧が、中国政府の逆鱗に触れて“懲罰戦争”へと発展した。

686 :イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/01/25(水) 22:24:20 ID:t02dpMeM
ちなみに磯谷は広東駐在武官のときに、安南人で独立運動をしている
連中から助けを求められます。

当時、安南(ベトナム)は仏の植民地です。
独立の暁には、磯谷に「大総統になって欲しい」と頼んだとかw。

磯谷は、参謀本部に連絡した上で「勝手に独立せい」と言っています。

戦後に磯谷は当時を振り返って、

「その頃の安南人は、独立運動をしよると言っても、人に頼るばかりで、自分たち
 だけでは、自分のこともようできんような感じであった。独立、独立というが、
 独立なんぞ出来そうにもない、と思っていた。此頃のように、ベトコンなどと言って
 立派になっているが、いつ頃からどうして目覚めたのか」

687 :イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/01/25(水) 23:02:11 ID:t02dpMeM
>>591 >>↑岡村寧次の命を救ったのは、蒋介石との武装解除密約だったんじゃないかな?

まあ、その前から岡村寧次と蒋介石のやり取りはあった訳です。

岡村と支那側の交流は深く、例えば、岡村が支那第11軍司令官(漢口)時代
<1938年〜1940年>のエピソードは以下の通り。岡村自身が戦後インタビューで
語ったものです。

「敵の軍司令官から手紙が来て、『中央公論』や『文藝春秋』を読みたいという
 から送ってやったこともある。漢口の向側のポストに入れておくと、チャンと
 届いている。そういう(友人のような)間柄だったから、私の方を相手に戦いを
 して戦死した人には実にすまないと思っていましたけれども、いくさは勝たなければ
 なりませんから」

688 :名無し三等兵:2006/01/25(水) 23:14:18 ID:???
“ベトコンなどと言って立派になっているが、いつ頃からどうして目覚めたのか”

胡志明/阮愛国の帰国後ですね。

689 :名無し三等兵:2006/01/25(水) 23:19:23 ID:???
>>668
変装した上原勇作と孫文の差し向かいの極秘会談が『実録 アジアの曙』
の山場のひとつなのですが、なんせ全編これ山中の名調子、山中本人に至
っては言動がすっかり本郷義昭の状態なので「ホントかぁ?」と言いたい
ところではありますね。

690 :イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/01/25(水) 23:22:25 ID:t02dpMeM
岡村は1944年に、第6方面軍司令官(中支)・支那派遣軍総司令官となります。
小磯国昭内閣が出来てからは、岡村は『対重慶工作』を一手に任されました。

このことは総理大臣(小磯)と陸相(杉山)だけは承知しているから、と東京から
北京に赴くときに口頭で言われたそうです。

そこで岡村は路線を4本作り「重慶工作」を始めますが、その内の1本から
蒋介石の使いがやって来ます。「友人として秘密に話したいことがある。南京では
ダメだから上海に来てくれ」と岡村に告げる内容でした。

岡村は上海に行き、日本の旅館で蒋介石の伝言を聞きますが、内容は以下の通り。

「日本を真に思う者は世界でおれ1人だ。あんたはこんど総司令官になって来たが、
 お互いにあまり手荒なことはやるまいじゃないか」

当然のことながら、岡村は「実に生意気なことを言う」とムカつきますw。

691 :イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/01/25(水) 23:40:35 ID:t02dpMeM
しかし、戦後になって岡村はこう回想しています。

自分たちは支那の出先にいたから、日本国内がどれだけ痛んでいるかも
分からなかった。1944年には「カイロ会談」が行なわれて、日本が負けた後の
処理まで全て決められていた。

(注:アメリカ・イギリス・中国の三首脳がエジプトのカイロで会談。
 三国に領土拡張の意図がないこと、日本の侵略を阻止し処罰、侵略した領土は
 剥奪のうえ、満州・台湾を中国に返還し、朝鮮を独立させることを確認)

いま思えば、蒋介石のあの伝言は「非常に親切な言葉」で、自分と重慶の間では
まるでピントが合っていなかった。工作なんて一切無駄だった。アメリカを牽制
するために「重慶大進攻作戦」をやろうとしていたが、実際ものを知らざるも
甚だしいものだった、バカだったと後悔しますよ、と。

692 :名無し三等兵:2006/01/26(木) 00:03:20 ID:???
“お互いにあまり手荒なことはやるまいじゃないか”

これも蒋介石的な表現ですな。お互い=国府vs日本軍であって、それ以外=中共/八路相手にはドンドンやれ、と言う意味でしょう。

恐らく、岡村大将発案の三光作戦も蒋介石は知っていたのでしょう。
敵を使って別のを叩く、いかにも中国人らしい発想です。

693 :イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/01/26(木) 00:06:16 ID:qLRm1V6z
岡村の回想はかなり「当事者としての自虐」が入ってますが、
補足すると以下の通り。

蒋介石からすれば、もう太平洋戦線でアメリカが日本を打ち負かすのを待つ
だけでしたので、今さら日本軍と真剣に戦って余計な損耗を被りたくない、
というのが本音です。

すでに戦後の共産党との戦いに頭がシフトしていたと思われます。日本軍とは
適当にお茶を濁して、アメリカから『更なる援助を引き出し溜め込む』魂胆でしょう。

>>「日本を真に思う者は世界でおれ1人だ。あんたはこんど総司令官になって来たが、
>> お互いにあまり手荒なことはやるまいじゃないか」

岡村にこう告げたのも、戦後の対共産党に日本をどう利用する・取り込むかという
一手だったのかもしれません。

694 :名無し三等兵:2006/01/26(木) 00:11:24 ID:???
>岡村にこう告げたのも、戦後の対共産党に日本をどう利用する・取り込むかという
>一手だったのかもしれません。

どうしてこう考えるかわからん。
電波が来た?

695 :名無し三等兵:2006/01/26(木) 00:15:20 ID:???
岡村氏が中国通だった以上、日本軍が占領した地域の後背地で中共が人心を掌握している事も、日々の報告を通じて知っていた事でしょう。

戦後、逃亡に成功して国府軍顧問として満州での対中共戦に従事していた辻正信でさえ、国府の将来に見切りを付けていましたが...

台湾に移った後の国府支援のために、岡村氏は私設軍事顧問団である“白団”を組織しますが、米国に弾きだされて(白団内部でも路線対立があったらしい)しまっています。

696 :名無し三等兵:2006/01/26(木) 00:18:49 ID:???
>台湾に移った後の国府支援のために、岡村氏は私設軍事顧問団である“白団”を組織しますが

旧陸軍軍人は敗戦後もろくな事を考えない。
クズだ。

697 :イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/01/26(木) 00:20:10 ID:???
電波来たかも……(藁)。

698 :イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/01/26(木) 00:22:56 ID:???
>>696

んなこと言ったら、根本博はどうなりますw。

699 :名無し三等兵:2006/01/26(木) 00:25:46 ID:???
>>694 具体的には蒋介石と岡村寧次の“武装解除密約”の事。

蒋介石は終戦直後に、投降した日本軍将兵への報復を禁じ、早期帰国実現に向け努力してくれた。
これの交換条件だったのが、日本軍が武装解除する際には国府軍部隊に対してのみ武装を引き渡し、中共(当時は第八路=方面軍として国府軍の指揮下に編入されていた)軍には引き渡さない、という密約。

概ねこの密約通りに日本軍の武装解除は行われたようだったが、どうも岡村氏には中共側とも接触パイプがあったようで、中共も日本軍の装備を大量に入手している。

その後再開された国共内戦時では、中共軍の装備していた小銃〜戦車までが日本軍のものだった事のカラクリのようだが、岡村氏が戦後一貫して蒋介石の親友であり続けたために、全く言及していない部分ともなっている。

700 :前スレ32:2006/01/26(木) 00:30:17 ID:???
>>698
イナゾウ中佐の説明を補足させていただきます。

白団で有名なのは、金門島上陸部隊を一度上陸させて、
人民解放軍を包囲殲滅した根本博の用兵です。

ちなみに、地味なところでは、
台湾の高級軍人教育と動員組織の整備という重要な仕事をしています。
ただ、日本軍人が指導して、しかも日本時代の意識の強い台湾の人々を徴兵するので、
日本の軍歌を歌いながら集合して問題になったとか。


701 :名無し三等兵:2006/01/26(木) 00:39:26 ID:???
あえて一行レスにしたように見えるけど、ちゃんと補足してくれる人がいるのが
このスレのいいとこだな

702 :名無し三等兵:2006/01/26(木) 00:40:29 ID:???
>>699
降伏時の日本側武装解除方針は、連合軍の心象を良くするために武器を破壊せず素直に渡すと言うもの。
その密約説は眉唾だ。
実際、「>>中共も日本軍の装備を大量に入手している。」のだし。

703 :名無し三等兵:2006/01/26(木) 00:42:46 ID:???
岡村氏が中共とのパイプを培ったと思われるのが、匪賊(武装商人)を通じた日本軍中古兵器と阿片の物々交換。

日本軍は占領地域で軍票を流通させようと努力したが、国府発行の法幣(金兌換)と中共発行の辺区券(銀兌換)に勝てず、軍票を使用した物資の買出しは、事実上の強盗行為となっていた。

岡村大将は良民への強盗行為(中共支配地はその限りではないw)を禁じていたため、現地駐屯部隊の多くは物資購入の手段を失ってしまった。

中国通の岡村大将は、上記の二通貨以外にも阿片が通貨として広く使用されている事を知っていたため、自軍の中古兵器を阿片との交換を思いつく事で、各部隊の窮状を救う事になる。

阿片の供給源は自家用に芥子を栽培していた農民達だったが、中共はこの方式で武器を入手できる事を知り、王震が阿片の作付けを中共支配地の住民に依頼して廻り、辺区券で買い付けて匪賊を通じて日本軍に流して武器を入手するようになる。

日本軍が放出していたのは、1940年の更新で不要となっていた38式歩兵銃とその弾薬だったが、これは中共軍の準正式装備となり朝鮮戦争の頃まで使用された。

現在でも中国は38式用の6.5mmx50SR弾を製造している数少ない国家である。

704 :名無し三等兵:2006/01/26(木) 00:53:10 ID:???
>>702 “連合軍の心象を良くするために武器を破壊せず素直に渡すと言うもの”

最近良く聞くが、これって元ネタは何なの?
米軍は日本軍装備の大部分を接収と同時に重油をかけて焼きました(一部はGIのお土産にw)ので、日本が破壊しようがしまいが何の違いもありませんでした。

実際、中国では密約まであった訳ですが、東南アジア各地では現地人への武器引渡しを巡って戦闘まで起きているので、連合軍への心証云々より身の安全を保つ方便だったと言えるでしょう。

705 :名無し三等兵:2006/01/26(木) 01:01:39 ID:???
>>704
なんとか侍従長日記に書いてるそうだ。
日本は降伏時に天皇の処遇が決定されていなかった。
そのため、少しでも連合国側の心象を良くするために武装解除時に武器を破壊せず渡す事になる。
余談として、小銃に刻まれた菊の御門まで渡すわけにはいかない。
それぞれ自分の銃の刻印を削り敵に引き渡した。



岡村総司令官の姿勢は以下のような記録がある。

>昭和20年、日本の降伏受入れ近しとの外電を聞き、支那派遣軍総司令官岡村寧次大将は
>8月11日、陸軍中央に電文を送った。
>「数百万の陸軍兵力が決戦を交えずして降伏するが如き恥辱は、世界戦史にその類を見ず、
>派遣軍は満8年連戦連勝・・・・百万の精鋭健在のまま敗残の重慶軍に無条件降伏するが如き
>は、いかなる場合にも絶対に承服し得ざる所なり・・・」

果たして、こんな軍人が戦争中に武器引渡しの密約を結ぶかな?


706 :えICBM:2006/01/26(木) 01:11:13 ID:???
>>705
蒋介石としては、1944年の段階で日本の敗戦は確実だから、岡村寧次大将に終戦時の密約を持ちかけたんじゃない?
支那派遣軍総司令官なんだから、太平洋や日本本土の情報を当然知ってるから、敗戦時の事も考えてたと踏んで。
だから、
>>690
>「日本を真に思う者は世界でおれ1人だ。あんたはこんど総司令官になって来たが、
>お互いにあまり手荒なことはやるまいじゃないか」
という申し入れも蒋介石からすれば理にかなうと考えられる。

しかし、岡村司令官は、戦後の回想で、
>>691
>自分たちは支那の出先にいたから、日本国内がどれだけ痛んでいるかも
>分からなかった。1944年には「カイロ会談」が行なわれて、日本が負けた後の
>処理まで全て決められていた。
という認識だから、
>当然のことながら、岡村は「実に生意気なことを言う」とムカつきますw。
になる。
それほど、日本軍は情報の疎通が激しく滞ってたというか、情報分析能力が低下してたんだろな。

レスの継ぎ接ぎだな。

707 :名無し三等兵:2006/01/26(木) 01:21:46 ID:???
>>705 そうなんだ。でもこの一文でその説は否定されちゃうな。
“小銃に刻まれた菊の御門まで渡すわけにはいかない。それぞれ自分の銃の刻印を削り敵に引き渡した”

これは事実誤認。菊の御門は大日本帝國政府の所有物である印だった(連合軍から鹵獲した兵器にも菊の御紋を刻んでいる)ので、接収した米軍が削ったり傷を付けた。
中国や東南アジア現地人達は、あまりこういった点に拘泥しなかったので、自分達が新たに刻印を押しただけで菊の御門もそのままだった。

蒋介石と岡村大将との武装解除密約については、戦後 本人と白団関係者、国府軍関係者の証言が一致しているので、事実と考えて良いだろう。

岡村大将の徹底抗戦姿勢を示す文面は、そのまま受け入れて良いものではない。
寧ろ、降伏によって自分達が中国大陸に遺棄されてしまう懸念を、好戦的な言辞で修飾して打電したものだ。
要約すれば、「中国の日本軍部隊は平和裏に降伏可能。しかし100万もの将兵が居る事をお忘れなく。尚 国府軍にのみ投降するのが安全と思われるが如何か?」となる。

このクラスの人達の発言や記録を、文面通りにしか読めないようでは、政治家(おそらく暗号係りもw)は務まらない...

708 :えICBM:2006/01/26(木) 01:35:42 ID:???
>>707
>蒋介石と岡村大将との武装解除密約については、戦後 本人と白団関係者、国府軍関係者の証言が
>一致しているので、事実と考えて良いだろう。

これって、>>690の密談のこと?
それとも、別に密約、例えば終戦間際にでもあったの?

709 :名無し三等兵:2006/01/26(木) 01:43:21 ID:???
>>706 カイロ宣言は1943年12月に世界中で報道されてるから、日本軍がいかに報道管制下の情報途絶状態であったとしても 友邦である汪精衛政権経由の情報や、占領地の住民にはニュースとして届いていただろう。

当然ながら、高級将校である岡村大将にも軍内/新聞社の従軍記者経由での情報として伝わっていたと考えるのが普通であり、1944年の時点では相当の不安を以って日々を過ごしていたものと思われる。

710 :名無し三等兵:2006/01/26(木) 01:46:54 ID:???
>>708 >>690の秘密交渉もその一環だっただろうが、武装解除は終戦直後からスムーズにスタートしているので、実際の密約は それより以前からあったと考えられている。

711 :えICBM:2006/01/26(木) 01:50:36 ID:???
武器引渡しは、ポツダム宣言受諾の条件として受け入れたバーンズ回答に以下のように明記されている。

>二、天皇は日本国政府及び、日本帝国大本営に対しポツダム宣言の諸条項を実施する為、必要なる降伏条
>項署名の権限を与へ、且之を保障することを要請せられ、又天皇は一切の日本国陸、海、空軍官憲及び何れ
>の地域に在るを問わず右官憲の指揮下に在る一切の軍隊に対し戦闘行為を終止し、武器を引渡し、及び降伏
>条項実施の為最高司令官の要求することあるべき命令を発することを命ずべきものとす。

心象を良くするために引き渡すってのは変だ。
けど、同回答には以下のような天皇の処遇が連合軍に握られると明記されてるから案外本当かも。

>一、降伏の時より、天皇及び日本国政府の国家統治の権限は、降伏条項の実施の為、其の必要と認むる措置
>を執る連合軍最高司令官の制限の下に置かるる(サブジェクト・ツー)ものとす。

日本兵が菊の御紋を削る話は、ネット上にもちらほらある。

712 :えICBM:2006/01/26(木) 01:55:13 ID:???
>>709
うーーん、それだと、>>691にある岡村大将の戦後の回想と食い違いがありすぎる。

>>710
>実際の密約は それより以前からあったと考えられている。

岡村大将の戦後の証言には、具体的な密約をした日時を書いてないの?

713 :名無し三等兵:2006/01/26(木) 01:56:29 ID:???
“中国や東南アジア現地人達は、あまりこういった点に拘泥しなかった”

中国人の持つ奇妙な大らかさは、奉天にあった関東軍司令部の奇怪な日本式城郭デザインの建物を、いまだに人民解放軍が使用している事にも現れている。

呪詛/呪術満載の旧朝鮮総督府跡を解体しなければならなかった韓国とえらい違いではある。

714 :名無し三等兵:2006/01/26(木) 02:04:11 ID:???
>>711 “日本兵が菊の御紋を削る話は、ネット上にもちらほらある”

確かに散見されるが、日本軍兵士は兵器損壊(機能に無関係な小傷であっても)重営倉入りだった。
おそらく、戦後になって旧軍を知らない人が文学的センスで記したものと思われる。

>>712 岡村氏が戦後になって語っている部分では、武装解除の密約は終戦直後に蒋介石側から提案があったとされている。
岡村氏の回想を100%信じるなら その線でも良いだろうが、独自の対重慶連絡ルート開拓に勤しんでいた人でもあり、鵜呑みにするのは どうかと思う。

715 :えICBM:2006/01/26(木) 02:14:14 ID:???
>>714
証言によると密約は戦後の話ね。
それならよくわかる。


716 :名無し三等兵:2006/01/26(木) 09:41:43 ID:???
>戦後中共軍の充実した日本式装備

確かに支那派遣軍の正面に対峙した敵が国府軍でなく八路軍であった場合
八路軍に引き渡した例もあるが、大部分は関東軍→ソ連による武装解除→
八路軍と言うケースが大半であるはず。
(北京の博物館にある九七式戦車は関東軍から接収したもの)
ソ連軍にしても、正統に接収する権限を持つ中国軍部隊が国府軍であることは
頭では判っていたが(ソ連政府としては認識していたが)体が判っていなかった
(現地の一線部隊が理解していなかった)と記録にある。
因みにソ連から国府に引き渡されて更に中共が接収した旧奉天造兵廠では今でも
九九式・三八式の銃弾を作ってるらすい。


717 :イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/01/26(木) 22:17:48 ID:???
>>714 >>岡村氏の回想を100%信じるなら その線でも良いだろうが、独自の
>>対重慶連絡ルート開拓に勤しんでいた人でもあり、鵜呑みにするのはどうかと思う。

スレに書き込んだ本人が言うのも何ですが、Trust No One (誰も信じるな)という
ことですかね、モルダー捜査官(核藁)。

上の方にも突っ込みがありますが、回想では「カイロ会談」も知らなかったと確かに
岡村は言っています。一応、出典は『昭和陸軍秘史』(中村菊男著:番町書房、490円)です。
原文を抜粋すると以下の通り。

『こっちはカイロ会談も知らなければ、国内が痛んでいるのも知らないから、実に
 生意気なことを言うと思っておったですよ。ところが向こうは日本を負けさせた
 あとのことまで決めちゃっているんだから、非常に親切なことばなんです。事実
 そうなんでして、終戦後わかりましたけどね。そのときは、まるでピントが
 合わないんですね、私と重慶とは』

もちろん、岡村が意図的に「ミスリーディング(誤導)」している可能性もあります。

718 :えICBM:2006/01/26(木) 22:23:08 ID:???
現役司令官ならわかるが、戦後の回想だろ?
ミスリードする必要なんてなかろうに。
自己弁護にもなってないし。

719 :前スレ32:2006/01/26(木) 22:38:26 ID:???
>>718
記憶の混乱もありますし、
岡村閣下の場合、実際には対中(台湾)軍事使節団団長でもあるわけで。
回想録史料の扱いは本当に難しい。
おもしろいものも多いだけに、頭を抱えます。

720 :名無し三等兵:2006/01/26(木) 22:43:59 ID:???
何かを隠しているんでしょう。

721 :イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/01/26(木) 22:46:45 ID:XQ85WDSp
>>671の補足。>>鈴木貞一は「昔の人というのは考えが大きい」と非常に感動しました。

鈴木貞一(陸軍中将:企画院総裁)は、上原勇作元帥をベタ褒めしていますが、
その中で次のようなことも言っています。

もともと日露戦争前後の形勢において、国際場裡における力が非常に弱いことを
日本の陸軍も外務省も徹底的に内省していた。その結果、情報を知るということを
何よりも重視するようになった。

その結果、新疆省の迪河やウラル、インドの奥地にまで人を送って情報網を
出していた。しかし自分(鈴木貞一)が北京に赴任するころになると(1923年)、
だんだん情報網が萎縮し始めて、北京・開封・上海・広東の線にまで狭まってしまった。

「五大国」の1つになったことに日本は浮かれて、ノホホンを決めていたのだ。

太平洋戦争までの「見通しの甘さ」「情報不足」は、増長慢心から生まれたのかもしれません。

722 :イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/01/26(木) 22:59:14 ID:XQ85WDSp
>>720 >>何かを隠しているんでしょう。

本当のことを言うと、他人に迷惑がかかる場合もありますw。

あと「無意識に」都合の良い記憶の改ざんを行なうケースも。自己防衛に
近いですね。例えば、自分は最近まで剣道を小学校6年生まで続けていたと
思い込んでいたのですが、実際は塾に入るために4年生で辞めていました。

理由を分析すると、中学の3年間も含めて剣道を10年間やっていたと言いたいが
ためにウソを付いて、いつしか自分もそのウソを本当だと思い込んでいた訳です。

念のため、自分は若年性痴呆症ではありませんよ、多分w。

723 :イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/01/26(木) 23:08:48 ID:XQ85WDSp
例えば、田中隆吉が東京裁判で検察側の証人に立ったのは、まず自分が
助かりたい、武藤に対する怨恨、GHQにコネを作りたいがためだった
かもしれません。

それがいつしか、「天皇の戦犯回避」の大義名分が思い浮かび、『そうだ。
自分は最初からそのつもりだったのだ』と遡って記憶の改変を行なった
可能性もあるでしょう。もちろんその場合、本人も信じて疑わない訳です

724 :えICBM:2006/01/26(木) 23:10:23 ID:???
本当かどうかは、確かに難しい。
しかし、日本軍は終戦直後に資料を洗いざらい焼き尽くしている証言は貴重な史料。
戦後の証言者達は、歴史的事実を伝える事を念頭に証言してるのだろうか?
そうでないつもりなら、困ったものだ。

725 :名無し三等兵:2006/01/26(木) 23:31:14 ID:???
>戦後の証言者達は、歴史的事実を伝える事を念頭に証言してるのだろうか
それほど見上げた態度の人間ばかりなら全面戦争を回避してできたような。

726 :イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/01/26(木) 23:39:11 ID:XQ85WDSp
>>671 の更に補足。
鈴木貞一の「上原勇作元帥ベタ褒め」目録ですが、最後に1つだけ……。
これは良いお話だと自分も思います。

鈴木が、参謀本部部員から「支那公使館付武官補佐官」として転出する直前に
上原勇作のもとに挨拶に訪れます。その頃、上原は鎌倉に住んでいました。

鈴木は炉が切ってある6畳の部屋に通されますが、その炉には自在かぎや瓢箪、ワラジと
いった物が色々ぶら下っていました。上原は、これは自分の親がここでもって育てて
くれたことを形づくって、親の恩を忘れないようにしているのだ、と言います。そして、

「君は支那に行くそうだが、支那のような大きな仕事は1人では出来ないぞ。
 また一代でも出来ない。だから、後進をつくることに気を使わなければならない」

と忠告します。鈴木は当時大尉でしたが、大尉ぐらいのものに向かって後進をつくる
ことを考えろ、というこんな人は上原元帥以外にはその後もいません、と感銘を受けています。

727 :イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/01/27(金) 00:07:42 ID:EoQr/7Nz
>>726 の続き。
マイナーな鈴木貞一の話が続きましたが、鈴木も「支那通」軍人の1人
だということでご容赦を。

さて鈴木と言えば、太平洋戦争の「企画院総裁」としての方が有名ですが、
参謀本部員の若いころに大蔵省へ1年間出向しています。そこで経済や
企業研究、社会問題にまで手を広げていました。何もする用が無いからですw。

実はこの人事にもカラクリがありまして、鈴木は田中義一大将と昵懇だった
訳です。田中は軍人になる前に、鈴木の奥さんの叔父の家に書生まがいをして
陸軍士官学校に入ったので、その紹介になります。

陸相の田中に呼ばれて、鈴木はこう告げられました。「これからの戦争というものは
オイチニばかりやっていても駄目だ。国の力というものを知らなくてはいかん。
それには財政・経済のことも研究しなければならない。君は高橋(是清)さんに
頼んであるから、大蔵省に行き1年間勉強してこい」

728 :イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/01/27(金) 00:12:31 ID:???
『無理やり』田中義一に話を戻したところで、明日から張作霖爆殺事件の
話を続けたいと思いますw。

729 :イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/01/27(金) 00:48:21 ID:???
>>701
>>あえて一行レスにしたように見えるけど、ちゃんと補足してくれる人がいるのが
>>このスレのいいとこだな

自分が1行か2行レスをsageで書き込んだら「もう寝ます」という合図ですw。

730 :俄将軍:2006/01/27(金) 01:17:06 ID:???
>>725
死人に口なし、ということになるのか、などと。

731 :名無し三等兵:2006/01/27(金) 02:54:48 ID:ex7vf5Dr
自分が1行か2行レスをsageで書き込んだら「もう寝ます」という合図ですw。

>いちいちあげるな。このパフォーマンス野郎www

732 :名無し三等兵:2006/01/27(金) 19:31:01 ID:???
http://imperialarmy.hp.infoseek.co.jp/general/colonel03/okamura.html

イエローキャブの野田社長に似てるなあ

733 :名無し三等兵:2006/01/27(金) 19:33:31 ID:???
↑ワロタw 若い頃はその筋でも鳴らしたんだろうな...

734 :イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/01/27(金) 23:46:02 ID:???
>>732 まあ、岡村寧次は「ダンディな男」ですなw。う〜ん、渋い。

735 :イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/01/28(土) 00:08:15 ID:???
>>634 の続き。>>余裕ができたら、歴代内閣(プラス重要な事件)を
>>政党別に整理してみたいと思います。

●第一次桂太郎内閣(長州:1901年6月〜1906年1月)
 ☆外務大臣:曾禰荒助(山県系)→小村寿太郎
 @孫文、東京で中国革命同盟会を結成

●第一次西園寺公望内閣(政友会総裁:1906年1月〜1908年7月)
 ☆外務大臣:加藤高明→西園寺公望→林薫
 @南満州鉄道株式会社設立

●第二次桂太郎内閣(長州:1908年7月〜1911年8月)
 ☆外務大臣:寺内正毅(山県系)→小村寿太郎
 #日韓併合、朝鮮総督府設置

736 :イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/01/28(土) 00:30:03 ID:???
●第二次西園寺公望内閣(政友会総裁:1911年8月〜1912年12月)
 ☆外務大臣:内田康哉
 #清国で辛亥革命、袁世凱が臨時大総統に就任、中国国民党結成

●第三次桂太郎内閣(長州:1912年12月〜1913年2月)
 ☆外務大臣:桂太郎→加藤高明
 
●第一次山本権兵衛内閣(薩摩:1913年2月〜1914年4月)
 ☆外務大臣:牧野伸顕
 #上海で宋教人が暗殺、支那で第二革命、第一次南京事件

●第二次大隈重信内閣(同志会:1914年4月〜1916年10月)
 ☆外務大臣:加藤高明(同志会)→大隈重信(同志会)→石井菊次郎
 #第一次世界大戦勃発、ドイツに宣戦布告、青島占領、対支21ヵ条要求、
  支那で第三革命、袁世凱死去

737 :イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/01/28(土) 00:48:30 ID:???
●寺内正毅内閣(1916年10月〜1918年9月)
 ☆外務大臣:寺内正毅→本野一郎→後藤新平
 #段祺瑞の援助を決定、西原借款の開始、ロシア十月革命、シベリア出兵、米騒動

●原敬内閣(政友会総裁:1918年9月〜1921年11月)
 ☆外務大臣:内田康哉(政友会)
 #第一次世界大戦終了、関東軍司令部設置、5.4運動、パリ講和条約調印、国際連盟設立
  ニコラエフスク事件、安直戦争、中国共産党結成

●高橋是清内閣(政友会総裁:1921年11月〜1922年6月)
 ☆外務大臣:内田康哉(政友会)
 #ワシントン軍縮会議、第一次奉直戦争、孫文が広州から追放

●加藤友三郎内閣(1922年6月〜1923年9月)
 ☆内田康哉(政友会)
 #青島守備軍の撤退、ソ連邦成立、孫文が広東に大本営設置

738 :イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/01/28(土) 01:05:26 ID:???
●第二次山本権兵衛内閣(薩摩:1923年9月〜1924年1月)
 ☆外務大臣:山本権兵衛→伊集院彦吉(薩摩)
 #関東大震災、虎ノ門事件

●清浦奎吾内閣(1924年1月〜1924年6月)
 ☆外務大臣:松井慶四郎
 #第一次国共合作(容共に転じる)、中ソ国交樹立

●第一次加藤高明内閣(憲政会:1924年6月〜1925年8月)
 ☆外務大臣:幣原喜重郎
 #第二次奉直戦争、馮玉祥が北京でクーデター、孫文が神戸で大アジア主義演説、
  日ソ基本条約調印、孫文死去、普通選挙法公布、広東に国民政府成立

●第二次加藤高明内閣(憲政会総裁:1925年8月〜1926年1月)
 ☆外務大臣:幣原喜重郎
 #郭松齢が張作霖に反旗

739 :イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/01/28(土) 01:21:27 ID:???
●第一次若槻礼次郎内閣(憲政会総裁:1926年1月〜1927年4月)
 ☆外務大臣:幣原喜重郎
 #蒋介石の北伐開始、張作霖が安国軍総司令官に就任、国民革命軍が漢口・九江の
  イギリス租界を実力回収、武漢国民政府成立、金融恐慌、第二次南京事件、
  蒋介石が上海で反共クーデター、南京国民政府成立

●田中義一内閣(政友会総裁:1927年4月〜1929年7月)
 ☆外務大臣:田中義一兼任
 #第一次山東出兵、東方会議、張作霖が北京に軍政府を樹立・陸海軍大元帥に就任
  蒋介石が下野、南京・武漢両政府が合同、来日中の蒋介石が田中首相と会見、
  最初の普通選挙が実施、北伐再開、第二次山東出兵、済南事件、張作霖爆殺事件、
  国民革命軍が北京入城(北伐完了)、パリ不戦条約調印、ソ連第一次5ヵ年計画発表、
  張学良が易幟 

740 :イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/01/28(土) 01:33:47 ID:???
●浜口雄幸内閣(民政党総裁:1929年7月〜1931年4月)
 ☆外務大臣:幣原喜重郎(貴族院・同和会)
 #ニューヨーク株式大暴落、世界大恐慌、金解禁、ロンドン海軍軍縮会議、
  蒋介石が掃共戦開始

●第二次若槻礼次郎内閣(民政党総裁:1931年4月〜1931年12月)
 ☆外務大臣:幣原喜重郎(貴族院・同和会)
 #イギリスが金本位制停止、満州事変、中国共産党が瑞金政府を樹立

●犬養毅内閣(政友会総裁:1931年12月〜1932年5月)
 ☆外務大臣:犬養毅→芳沢謙吉(政友会)
 #第一次上海事変、満州国建国宣言、5.15事件

741 :イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/01/28(土) 01:49:57 ID:???
●斉藤実内閣(1932年5月〜1934年7月)
 ☆外務大臣:斉藤実→内田康哉→広田弘毅
 #日本が満州国を承認、ヒトラー政権誕生、日本が国際連盟脱退、塘沽停戦協定、
  ドイツが国際連盟脱退、アメリカがソ連を承認、満州国が帝政に

●岡田啓介内閣(海軍:1934年7月〜1936年3月)
 ☆広田弘毅
 #紅軍が長征を開始、ドイツ再軍備宣言、日支両国が公使を大使に昇格、
  梅津・何應欽協定成立、土肥原・秦徳純協定成立、支那が幣制改革、
  冀東防共自治政府樹立、冀察政務委員会発足、2.26事件

●広田弘毅内閣(1936年3月〜1937年2月)
 ☆外務大臣:広田弘毅→有田八郎
 #蒙古軍政府成立、日独防共協定調印、綏遠事件、西安事件

742 :イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/01/28(土) 02:00:57 ID:???
●林銑十郎内閣(1937年2月〜1937年6月)
 ☆外務大臣:林銑十郎→佐藤尚武
 #特に無しw

●第一次近衛文麿内閣(貴族院・火曜会:1937年6月〜1939年1月)
 ☆外務大臣:広田弘毅(貴族院)→宇垣一成(元陸軍大将)→近衛文麿→有田八郎
 #盧溝橋事件、第二次上海事変、中ソ不可侵条約調印、南京陥落、中華民国臨時政府成立、
 「国民政府を対手とせず」声明、中華民国維新政府成立、徐州会戦、張鼓峰事件、漢口・
 広東占領、汪兆銘が重慶脱出

●平沼騏一郎内閣(前枢密院議長:1939年1月〜1939年8月)
 ☆外務大臣:有田八郎
 #ノモンハン事件、独ソ不可侵条約調印

743 :イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/01/28(土) 02:07:05 ID:???
●阿部信行内閣(元陸軍大将:1939年8月〜1940年1月)
 ☆外務大臣:阿部信行→野村吉三郎(元海軍大将)
 #日米通商条約失効

●米内光政内閣(元海軍大将:1940年1月〜1940年7月)
 ☆外務大臣:有田八郎
 #汪兆銘政権が南京遷都、フランス対独降伏

744 :イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/01/28(土) 02:15:24 ID:???
●第二次近衛内閣(1940年7月〜1941年7月)*第三次近衛文麿内閣(〜1941年10月)
 ☆外務大臣:松岡洋右→豊田貞次郎
 #北部仏印進駐、日独伊三国同盟調印、日華基本条約調印(汪兆銘政権承認)、
  日ソ中立条約調印、独ソ戦勃発、南部仏印進駐、関特演

そしてヒデキへ……。

745 :名無し三等兵:2006/01/28(土) 02:16:03 ID:???
お疲れ

746 :イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/01/28(土) 02:37:42 ID:???
閣僚は外務大臣のみ。「#」の重要な出来事は、『対支関係』を中心に挙げてみました。

政権が交代する「月」に起きた出来事は、ひょっとしたら前後がごちゃ混ぜに
なっているのかもしれないのでスマンスw。

ちなみに「政友会」は自民党のようなもの(野人)、「民政党」は民主党のようなもの
(理念倒れw)と考えてもらえば近いかもしれません。遠からず近からずw。

それにしても、第一次若槻礼次郎内閣(1926年)と田中義一内閣(1927年)の中身が
濃い濃い…。その次の浜口雄幸内閣(1929年)から世界大恐慌も始まり、怒涛の展開が
始まります。

747 :イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/01/28(土) 02:42:00 ID:841Fx/LX
>>731 >>>いちいちあげるな。このパフォーマンス野郎www

すいません。今後は気をつけます。

748 :名無し三等兵:2006/01/28(土) 03:20:44 ID:???
好きなんすよ〜、この辺の内閣の流れwwいかん涎が…。
あー進行が早くて追い付かない…。
とりあえずイナゾウ中佐頑張れw

749 :名無し三等兵:2006/01/28(土) 14:09:00 ID:???
>>732
岡村寧次は軍司令官時代の少し線が細くてハゲメガネの学者風イメージ強かったが
これはけっこう若いころの写真だろ

750 :イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/01/28(土) 22:40:23 ID:8tVx9ia0
>>732
確か『岡村寧次大将―支那派遣軍総司令官』(船木繁著:河出書房新社)の
「カバー表紙の写真」がまったく同じものだった覚えがあります。岡村の
隣に子供が並んでいるスナップですね。

以前、文華堂で見かけたのですが5千円だったので少し躊躇してます。
せめて3千円ぐらいなら、何も考えずにレジに持っていくのですがw。

751 :イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/01/28(土) 23:04:00 ID:8tVx9ia0
さて、「張作霖爆殺事件」(1928年6月4日)に戻る前に補足を1つ。

明治末年から大正初期にかけて、陸軍士官学校には『金魚党』なる秘密結社が
ありました。支那大陸への雄飛を志す生徒たちが集まるもので、文字通り生きた
金魚を飲んで『盟約』を誓い合うものです。

辛亥革命が起きたのが1911年(明治44)で時代が時代ですから、陸士卒業前や
少尉・中尉時代に陸軍を飛び出して、大陸に渡る血気盛んな人間も多くいました。

少し前に既述しました田中隆吉も「金魚党」の一員で、中央幼年学校時代の
区隊長だった板垣征四郎(満州事変時の高級参謀)に傾倒して仲間に入った
と言われます。

ちなみに陸士26期は田中隆吉(任官時:砲兵少尉)の他にも、花谷正、
和知鷹二、影佐禎昭、雨宮巽、満井佐吉、臼田寛三など、錚々たる面々ですw。

752 :名無し三等兵:2006/01/28(土) 23:10:38 ID:???
和知鷹二ってよもやま物語のさし絵かいていた故わちさんぺい氏の係累なんですかね〜〜

753 :イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/01/28(土) 23:26:13 ID:8tVx9ia0
昔は『人間ポンプ』と言いまして、金魚やカミソリを飲み込んで吐き出すという
大道芸がありました。更に糸と釣り針を同時に飲み込んで、胃の中で金魚を釣る
というツワモノもいましたが、陸士の『金魚党』ではもちろん飲み込んだままですw。

陸士26期にも『支那大陸ドロップアウト組』がおりまして、三村豊や
本告(もとえ)辰二などがそうです。

両名は1912年(大正元年)の『パブチャプ事件』(満蒙独立運動)に参加、
三村は爆弾を抱いて張作霖の馬車に突進しています。言うまでも無く失敗に
終わった訳ですが。

田中隆吉は、三村と本告の葬儀に出席して1人の女学生と出会います。後の
『東洋のマタハリ』こと川島芳子です。この時はまだすれ違いですが、十数年後に
上海で奇妙な再会を果たすことになります。

754 :名無し三等兵:2006/01/28(土) 23:37:05 ID:???
ついに田中隆吉による川島芳子調教物語へ...

755 :四季映姫・ヤマザナドゥ ◆FU/OcfTlfM :2006/01/28(土) 23:58:15 ID:8tVx9ia0
>>752 >>和知鷹二ってよもやま物語のさし絵かいていた故わちさんぺい氏の
>>係累なんですかね〜〜

正直分かりません。ただ、和知鷹二もわちさんぺいも同じ広島県出身ですから
ひょっとしたら、ということはあるでしょう。

ちなみに地名が「苗字の由来」というパターンは多いです。ググってみましたら
京都に「和知町」という地名はありました。全然関係ありませんw。

こういうのは地元の人でないと、部外者はまったく訳ワカメです。その地方特有の
苗字とかありますからね。どうでもいいですが、姉歯は日本で19854番目に多い苗字で、
全国に230人ぐらいはいらっしゃるそうです。

756 :イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/01/29(日) 00:04:07 ID:???
「コテハンスレ」で試しに書いたのを、直すの忘れた……。

討通駄支膿……orz.orz.orz.

757 :名無し三等兵:2006/01/29(日) 00:16:25 ID:???
わちさんぺいの本名は、中岡二春だから他人だろ

758 :イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/01/29(日) 00:22:40 ID:qQD6busQ
>>754 >>ついに田中隆吉による川島芳子調教物語へ...

また話が脱線しますが、短くまとめます。川島芳子は清朝王族の粛親王の遺児で、
「大陸浪人の巨頭」川島浪速に引き取られて日本で育ちます。当然のことながら、
苗字は同じです。

>>田中隆吉は、三村と本告の葬儀に出席して1人の女学生と出会います。

川島芳子が葬儀に居合わせたのも、川島浪速の交友関係のためでしょう。

その後、川島芳子は蒙古王族のカンジュルジャプと結婚しますが、生来奔放な
性格のために別れて上海に渡ります。そして上海公使館の武官室に『金の無心』に
来たところで、田中隆吉と知り合います。ちっとも「運命の再会」ではありませんw。

759 :名無し三等兵:2006/01/29(日) 00:27:32 ID:???
四季映姫・ヤマザナドゥ  イイ! 使い分けてよw

760 :イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/01/29(日) 00:37:19 ID:qQD6busQ
>>さんぺいの本名は、中岡二春だから他人だろ

ギエーッ。全然関係ありませんねw。それにしてもペンネームで「わち」を
わざわざ使うのは珍しいと思います。何か思い入れでもあったのでしょうか。

>>758の続き。
当時、田中隆吉(少佐)は上海公使館付武官室の勤務でした。補佐官格でしたが
(本当の補佐官は北京にいる)、武官の紳士で温厚な佐藤少将ともそりが合わず、
酒と女に溺れる荒れた生活を送っていました。

そこに川島芳子がひょっこり現れ、愛人として同棲を始めます。田中は川島に英語を
習わせ、女スパイに仕立てますから、調教と言えば調教で間違いないでしょう。

川島は天性の才能だったのか、水を得た魚のように動き、予想以上の働きを見せます。

761 :イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/01/29(日) 00:52:04 ID:???
それでは四季さまに、お出ましを願いまして……w。

762 :四季映姫・ヤマザナドゥ ◆FU/OcfTlfM :2006/01/29(日) 01:35:37 ID:???
えー、コホンッ。田中隆吉が、当時は少佐だったわね。上海公使館付武官室に
配置されたのは1930年のことです。

もちろん「満州事変」(1932年)や「第一次上海事変」(1932年)の直前であることは
理解できますね。当時、田中は上司とも上手くいかず、やさぐれていましたから
川島芳子にのめり込むには『良いタイミング』だったと言えるでしょうね。

中佐は、川島芳子が公使館に訪れた理由を『金の無心』と書いているけれど、田中が
川島芳子に紹介されたときは、三井物産が仲介に入っているわ。カンジュルジャプと
離婚した後の「川島の身柄」を安定させたいというのが本音でしょう。

保護・監視と言った方が、より正確かもしれませんがね。

まあ、「第一次上海事変」での田中隆吉や川島芳子の関わりは、中佐に任せます。

763 :名無し三等兵:2006/01/29(日) 01:37:31 ID:???
川島芳子の知人の話では、彼女には男への関心がなかったとの事。

それがいきなり田中隆吉の愛人ですから、隆吉タソがどんな調教テクで彼女を虜にしたのかと、昭和風俗史な漏れとしては興味深々な訳ですよ...

764 :四季映姫・ヤマザナドゥ ◆FU/OcfTlfM :2006/01/29(日) 02:05:42 ID:???
最後に1つ付け加えておきます。田中は『陸軍随一の怪物』とも呼ばれていましたが、
川島芳子はそれ以上の『怪物』だったかもしれないこと。

女間諜として仕込んだ田中だけど、徐々に田中の方が川島に振り回されていく羽目に
なるわ。困った田中は、関東軍の板垣征四郎や奉天の多田駿に川島芳子を託すのだけれど、
結局、日本に送り返されることになる。

もう、その頃には川島芳子は『男装の麗人』として日本中に名が知られていた
けれど……。中佐、その辺の経緯は何時でもいいから解説しておきなさい。

川島芳子はもともと、張学良の側室にする話もあったけれど、周囲の動向を無視して、
日本の陸軍士官学校を卒業して民族独立の情熱に燃えるカンジュルジャプと結婚する
ぐらい。しかも3年で離婚したわ。最初から、田中の手に負える娘では無かったかも
しれませんね。

自分の手先になる女をつくろうとして、逆に脅かされる。田中には良い教訓ですね…。

765 :四季映姫・ヤマザナドゥ ◆FU/OcfTlfM :2006/01/29(日) 02:35:08 ID:???
川島芳子は、義父の川島浪速が「第二次満蒙独立運動」に挫折して、信州・松本の
浅間温泉に引き込むと、松本高女に編入します。

>>川島芳子の知人の話では、彼女には男への関心がなかったとの事。

川島芳子は、完全な「日本のお嬢さん」として少女時代を送る訳だけれど、
この頃にはもう、『君』や『僕』といった言葉を学校で使っていたようですね…。
異質だわ。時代を考えるなら尚更。でも大正という世相もあるのかしら?

レズビアンという話は聞きませんが、確かにボーイッシュで男嫌いのよう。
18歳の頃(1924年)には、髪をばっさり切り落としている。田中と再会
したのは24歳の頃ですね。

誰ですか?「ボク女萌え〜」なんて言っている下衆人は? 能天気な罪人は
地獄に落としますよ。死後の白玉楼の階段が100段は伸びたと思いなさい。

766 :四季映姫・ヤマザナドゥ ◆FU/OcfTlfM :2006/01/29(日) 03:02:22 ID:???
太平洋戦争中の川島芳子は、虚言癖がとても激しかった。刑事や憲兵の
監視下にも置かれています。

「僕は世界を救いたいんだ」
「僕がしていることは平和工作なんだ」

と頭山満や笹川良一と何かを画策しています。あなたは、まだ川島芳子を
「ボク女、萌え」だなどと言っていられますか?

けれど、川島芳子が中国と日本の狭間に揺れ、さらに自分が「女なのか男なのか」の
狭間に揺れていたのも事実。

川島芳子はそう、少し自分の血の運命に振り回されすぎた。その重圧から虚栄心に
逃げ込まないこと。それが次の貴方が積める善行です。

767 :イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/01/29(日) 03:09:19 ID:???
ぐわーっ! 通常の3倍時間がかかった。しかも、四季さまの言葉使いが
絶対におかしい。もっと敬語だらけで丁寧なのに……。いかん、『ひぐらし』を
最近やったせいで、真・古手梨花が混じっているw。

朝早いのでいい加減寝ます。明日はペナルティに注意すること、それが
この意味が分かる人の積める善行ですw。

768 :名無し三等兵:2006/01/29(日) 04:02:30 ID:???
イナゾウ中佐(´;ω;`)ウゥゥ

769 :名無し三等兵:2006/01/29(日) 13:08:07 ID:???
ボクなんて言ってて男に関心の無い心を、肉体に女体の快楽を刻み込む事で捻じ伏せる行為には、やはり緊縛が欠かせません...

770 :名無し三等兵:2006/01/29(日) 14:21:24 ID:???
荒木貞夫が文相やってたときに
女学生の『ボク・キミ』使用を禁止しようとしたそうですね。

771 :名無し三等兵:2006/01/29(日) 16:18:21 ID:???
皇道派の荒木らしいエピソードやね

772 :名無し三等兵:2006/01/29(日) 16:33:45 ID:DwkrWmnc
北京時代の川島は非常に荒れた生活をしていたようです。特に北支那方面軍司令官が
多田駿中将であったことから、軍司令官の名前を濫用していろいろやっていたようで。
このまま放って置いて軍司令官の名前に傷が付いたら大変だと考えた参謀長は
遂に「川島芳子を”始末”せよ」という命令を茂川機関に出しました。命令を受けた某中尉
(後方勤務養成所の1期生)は悩んだ末、本人に直接会って、「どうか北京から出て行ってください」
と頼みます。中尉の真情が通じたのか、彼女は北京退去を了承しました。

川島と多田大将の関係が本当のところどうであったのかはよくわかりません。
なんでも彼女は大将のことをパパと呼んでたそうですが。
隆吉から川島を託された多田は、一時日本の自宅に彼女を置いてましたが、そのとき
河本大作の妹である奥さんはどうしてたんでしょうか?

ま、いずれにせよ両者とも支那関係の話をする上で欠くべからざる人物である
ことは間違いありませんが。

773 :名無し三等兵:2006/01/29(日) 20:58:41 ID:???
荒木貞夫の名が出てきましたが、ここで質問。
現代史の本を読むと荒木大将は、皇道派の親玉の精神主義者として、
単細胞的なイメージがあるのですが、実像はどうだったんでしょう。
かりにも陸軍大将ですから、頭の切れる人間だったと思うのですが、
彼の精神主義的な言説は、どういう文脈で理解したらよいのですかね。

774 :イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/01/29(日) 23:51:39 ID:???
>>768 >>イナゾウ中佐(´;ω;`)ウゥゥ

う〜む。やはり不評でしたか……。このぐらいの「お遊び」は取り混ぜていきたい
のですが……w。だいたい自分は「戦車不用」スレに顔を出してますから、
海人氏らと近い趣向です。

まあ、前スレの『悪質な閑話休題』の続きということでご容赦を。あと
『東方』シリーズは本当に面白いですよ?(核藁)。

四季さまが、>>766の決め台詞をいい直したいそうなので……。

775 :四季映姫・ヤマザナドゥ ◆FU/OcfTlfM :2006/01/29(日) 23:56:31 ID:???
川島芳子――。あなたはそう、少し自分の血の運命に振り回されすぎた。

その重圧から、虚栄と自分の世界に逃げ込まないこと。それが次の貴方の
積める善行です。

776 :名無し三等兵:2006/01/30(月) 00:06:26 ID:???
>>760
わちさんぺいは、三次市和知町出身だそうです。
イナゾウさんの読みも当たってましたね。

777 :イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/01/30(月) 00:12:08 ID:FNZEHIJh
>>770 >>荒木貞夫が文相やってたときに女学生の
>>『ボク・キミ』使用を禁止しようとしたそうですね。

少し調べましたら、どうもそうみたいですね。大正・昭和初期には男性が
もっぱら使っていた「ボク・キミ」言葉が女学生の間でも使われるように
なったそうです。

そうすると川島芳子だけが『特別』でもないことになります。まあ、
太平洋戦争時にもそのまま使い続けているのは確かに異様ですが。

あと四季さまの仰る通り、「大正デモクラシー」という世相の流れも
あるかもしれません。もちろん、四季さまも言葉の乱れはうるさいですw。

778 :イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/01/30(月) 00:32:09 ID:FNZEHIJh
>>769 >>ボクなんて言ってて男に関心の無い心を、肉体に女体の快楽を
>>刻み込む事で捻じ伏せる行為には、

川島芳子は太平洋戦争直後、GHQに逮捕されます。そして支那の『漢奸裁判』で
死刑の判決が下されて1948年に銃殺されました。

刑務所内のインタビューで、川島は「男は嫌い。疲れるだけ」と言っていますw。

裁判中、川島芳子は自分が日本人であることを証明しようとして、戸籍を日本から
取り寄せますが、義父の川島浪速は戸籍に登録していなかったのです。もちろん
浪速は浪速で、将来の布石なり考えがあって、あえてそうしたのでしょうが、
この時ばかりは痛恨の裏目に出ました。

結局、日本人であることを証明できなかった川島芳子は、そのまま続けて
『漢奸裁判』にかけられました。

779 :イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/01/30(月) 00:36:50 ID:FNZEHIJh
川島芳子は1948年、41歳で処刑されました。最後の言葉は、以下の通り。

「デマに生き、デマで死す、これは私の人生だ」(生于謡言、死于謡言、這就是我的人生)

780 :名無し三等兵:2006/01/30(月) 00:41:41 ID:???
川島浪速は芳子に女性として関心があったようだが...
戸籍の件はそれと関連してないかな?

781 :前スレ32:2006/01/30(月) 00:41:44 ID:???
>>779
山口淑子の自叙伝にでてくる川島さんも切ないですねえ。
虚勢を張って、嘘をついて、それでいて共感と理解を欲しがるわけで。

782 :イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/01/30(月) 00:57:53 ID:FNZEHIJh
>>772 >>隆吉から川島を託された多田は、一時日本の自宅に彼女を置いてましたが、そのとき
>>河本大作の妹である奥さんはどうしてたんでしょうか?

1927年、川島芳子とカンジュルジャプの結婚式が旅順のヤマトホテルで盛大に
挙行されました。その時の仲人は、関東軍参謀長の斎藤恒です。そして列席者には
当時、高級参謀だった河本大作大佐もいました。

よくよく考えれば、張作霖爆殺事件の前年にあたります。

そういった縁を考えれば、多田中将の奥さんも内心は穏やかでは無かった
かもしれませんが、そう無碍には扱わなかったと思います。しかし、川島は
自分の夫を「パパ」呼ばわりするような女ですからねえw。

「この泥棒猫!私の大切なものを取らないでよ」とか言うかもしれません。

 ええ、もちろん上記は元ネタがありますともw。

783 :イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/01/30(月) 01:05:49 ID:FNZEHIJh
ひょっとして >>772 は「多田中将が奥さんと不仲、別れていたか?」など
そういう意味ですかね? そこまではちょっと分かりません。

ちなみに河本大作は太平洋戦争時、満鉄の理事から花谷正(第1軍参謀長)の
斡旋で、山西産業株式会社の社長に就任しています(1942年)。

兄はまだまだ健在なのですから、妹に手紙なり何なりで「因果」を含めるぐらいの
ことはするのではないでしょうか?

784 :イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/01/30(月) 01:20:30 ID:FNZEHIJh
>>780 >>川島浪速は芳子に女性として関心があったようだが...
>>戸籍の件はそれと関連してないかな?

ジーザス! 何てこった! それが本当ならこうなりますw。

川島芳子は1906年生まれ。川島浪速に養女として貰われたのが
1914年ぐらいと言われていますから、8歳のときになります。

そして川島浪速が1865年生まれですから、このとき49歳です。

単なる「光源氏計画」(紫の君)ではないですか! 四季さまに頼んで
浪速を死刑にしてもらいましょう! え、もう地獄行きになっているですって?w

それでは川島芳子が『男嫌い』になっても当然だと思います。田中隆吉の調教なんて
『屁』でもないでしょうw。ちなみに浪速が死んだのが1949年。芳子よりも1年だけ長く
生きています。処刑の報を聞いたときの、浪速の心中はいかばかりか?

785 :イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/01/30(月) 01:46:45 ID:???
>>759 >>四季映姫・ヤマザナドゥ  イイ! 使い分けてよw

すごい不評でしたw。改めて>>762>>766 の文章を見直してみると、全然
四季さまになっていませんでした…。本当に難しい……。

分析してみるに問題は、自分の普段の口調(丁寧語を多様)がほとんど
四季さまと「変わらない」ことです。無理やり違いを出そうとして、
あのような始末となった訳ですw。

この解決方法は、実は単純です。一人称を「自分」→「私」に変えて、
あとは今まで通り書けば、それで四季さまが出来てしまうのでしたw。

自分としては、物凄い違和感があるのですが(藁)。

786 :名無し三等兵:2006/01/30(月) 02:22:08 ID:???
>>784
戦前は、妾を養女として戸籍に入れることが、よくあったとか

787 :名無し三等兵:2006/01/30(月) 11:41:41 ID:???
今でも同性愛関係ではポピュラーな方式だよね。

788 :名無し三等兵:2006/01/30(月) 23:04:52 ID:NXPs8d6/
>>783
いや、多田夫妻が別れてないことはわかっています。

>兄はまだまだ健在なのですから、妹に手紙なり何なりで「因果」を含めるぐらいの
>ことはするのではないでしょうか?
中野雅夫氏の著作にそういう話があります。ただこの本は小説のような形式で書かれてるので
各人のせりふがどこまで本当なのかわかりにくいのですが。

河本は若いころから度外れた蕩児でしたが、父も兄も咎めるどころか、欲しいだけ金を
送ってたそうです。あまり実家(兵庫県)からばかり送ると目立つので、京都まで行ってから
送ってたとか。

789 :イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/01/30(月) 23:12:10 ID:1Lm58hPa
>>773 >>現代史の本を読むと荒木大将は、皇道派の親玉の精神主義者として、
>>単細胞的なイメージがあるのですが、実像はどうだったんでしょう。

精神主義者としては「ガチ」と言って良いと思います。荒木の先祖を辿ると
士族ですが、ただの士族ではありません。徳川御三家の1つである一橋家の
士族です。武士道精神を貫く環境に育っています。

水戸学、尊王攘夷、「古武士的」日本主義……。

荒木は演説が得意で、国体精神の高揚を説き、満州事変の意義を強調し、
国政の改革を論じます。しかも「天性の陽性」人間です。

外人記者相手の「日本は竹槍千万本あれば、列強恐れるに足らず」、
バーナード・ショー(英文豪)に「古来、日本人は地震によって、強靭な
国民性を養われてきた」と説いた『地震論』など、派手な国防論は伝説です。
ガチでなければ出来ることでは無いでしょうw。

790 :イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/01/30(月) 23:24:55 ID:1Lm58hPa
ああ、荒木自身は「東京出身」ですから誤解の無いように。ただ荒木の
語録に以下のようなものがあります。

『シベリア事変のだらしなさに憤慨した私は、意見を具申したことが原因で
 現地から呼び戻された。そして熊本の連隊長として転任した。

 3年間欧州の戦場で向こうの兵隊ばかりを見てきた私の眼には、「これが
 祖国の兵隊か」と思うと、泣きたいくらい。

 新兵器らしいものは何も無い。板を叩いて機関銃攻撃に模し、竹トンボを
 飛ばして飛行機が飛んできたと、その竹トンボを目標に小銃の射撃をやっている。
 戦車となると、大きな竹籠のようなものに新聞紙を貼り、これに迷彩を施して、
 二本の竹棒で兵隊が2人で担いできて、「戦車来襲!」と叫ぶ』 

791 :イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/01/30(月) 23:34:45 ID:1Lm58hPa
近代戦の何たるかを知っていたはずの荒木が、後年

>>「日本は竹槍千万本あれば、列強恐れるに足らず」

と来る訳ですから、その過程は興味深いものがあります。
日本の国力に絶望して『精神主義』に逃げ込まざるを得なかった
のかもしれません。

792 :イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/01/30(月) 23:53:35 ID:1Lm58hPa
そろそろ『張作霖爆殺事件』(1928年6月4日)に戻ります。

事件の首謀者である河本大作大佐が、「親友の磯谷廉介」に宛てた
手紙があるので紹介します。日付は事件直前の1928年4月18日消印です。

非常に長いので覚悟してくださいw。表現が古くて読み辛い部分は
ある程度、自分が意訳しています。

793 :イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/01/31(火) 00:16:04 ID:QJum3vf3
【河本大作大佐の手紙】
旅順 河本大作から、東京牛込市市ヶ谷町 磯谷廉介宛

その後、ご無沙汰いたしました。大兄の転任後、何処に行かれたかといつも
心に懸けていますが、官報を見ても分かるはずがありません。支那班の常とは
言っても、大兄のような名士を遇するやり方とはとても思えません。

小生の人事に関して、中央部で評判が良くない点については、今更なにか
弁解する言葉も見つかりません。器量の小さい人や、自分勝手な上司の批判には
もう慣れっこなため、別段気にかけないようになりました。ただ、著しく自分の
名誉を毀損するような問題があれば、知らせてください。

何時までも女々しく軍職にしがみつく必要もありませんので、思い切って離れ業を
やって上司(つまらない奴等です)の反省の素にもと思っています。
何卒ご内示願います。どーせ評判通りには通用しない男です。

794 :イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/01/31(火) 00:32:29 ID:QJum3vf3
>>793 の続き。

満州の現状は、支那側がますます横暴を極めています。実情に直面すると、
とても黙っていられない問題が多いです。その原因を考えますと、日本が
支那軍閥をあまりにも増長させた感があります。

満蒙問題の解決ですが、理屈では何も通用しません。少し位の恩恵を支那側に施して
懐柔する策も駄目です。武力の他に道はありません。ただ、武力を用いると言っても
大儀名分と旗じるしが重要です。今後において少しでも理由がある時に、支那側に
一大痛棒を喰らわせて、根本的に支那人の対日観念を変革させる必要があります。

先ごろ、鉄道問題で少しやりかけてみましたが、政府は内争にあけくれて余力が無く、
つまらない経済的手段でやれとの仰せです。いま奉天城根支線に対する満鉄貨車廻入禁止
をやっていますが、とても効果がありません。かえって支那側は奉天線における馬車の
ストライキや、長春哈市の通信阻止などをやって日本を苦しめています。

795 :イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/01/31(火) 00:38:33 ID:QJum3vf3
>>794 の続き。

今度は20年来の総決算をやる覚悟で臨まなければ、満蒙の根本解決は得られない。
張作霖の1人や2人、野垂れ死にしても差し支えないじゃないか。今度と言う今度は
是非やるよ。

止めてもドーシテモやって見る。満蒙解決のために命を絶つことは、最大の希望でもあり
名誉だ。この間、土肥原(賢二大佐:奉天督軍顧問)と秦(真次:奉天特務機関長)少将が
自画自賛の小問題で事を挙げようとしたが、小生は不同意で反対した。

目下、交通断絶している。

796 :えICBM:2006/01/31(火) 00:39:21 ID:???
>近代戦の何たるかを知っていたはずの荒木が、後年

>>>「日本は竹槍千万本あれば、列強恐れるに足らず」

>と来る訳ですから、その過程は興味深いものがあります。

多分、辛い現実が立ちはだかったんだと思うよ。

797 :イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/01/31(火) 00:43:03 ID:???
この辺でまだ「3分の1」地点ですw。長いので続きは明日書きます。

>>張作霖の1人や2人、野垂れ死にしても差し支えないじゃないか。
>>今度と言う今度は是非やるよ。

>>止めてもドーシテモやって見る。満蒙解決のために命を絶つことは、
>>最大の希望でもあり名誉だ。

だんだん、河本の感情が露骨に文面へ表れてきます。

798 :名無し三等兵:2006/01/31(火) 00:47:32 ID:???
>>792

できれば近代史板でも講義お願いします。
日中戦争関連スレいくつかあるので、
よろしければそちらにもお越しいただけますか。

★張作霖爆殺事件について
http://academy4.2ch.net/test/read.cgi/history2/1133178167/


799 :名無し三等兵:2006/01/31(火) 00:53:34 ID:???
これは・・・ソ連の陰謀説を扱ってるスレ・・・

800 :イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/01/31(火) 01:05:56 ID:???
>>798 出だしの『マン臭某重大事件』で脱力しましたw。

>92 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/01/03(火) 00:24:22 ID:KAFCJ7EP0
>『張作霖爆殺事件(満州某重大事件:1928年)』の真相について、
>張作霖の軍事顧問だった「町野武馬大佐」は、1961年に国立国会図書館が
>録音した述懐のなかで、次のように話しています。
>この録音は『30年間は非公開』の条件のもとで行なわれたもので、1991年6月1日に
>ようやく公開されました。町野自身は、1968年に92歳で亡くなっています。町野曰く、
>「張作霖が欧米に接近し、日本に冷たくなったので殺したという関東軍首脳の説はウソだ。
>張作霖は欧米だけでなく、日本も嫌いだ。けれども、わが国を本当に攻め得るものは
>日本だけだ。だから日本とは手を握らにゃならないのだ、とよく言っていた。
>関東軍首脳は、張を殺さないと満州は天下泰平になり、日本では軍縮が激しくなる。
>軍人が階級を昇りぬくためには、満州を動乱の地とするのが第一の要件と考えた。
>そして張作霖を殺した。それは『斉藤恒(関東軍参謀長)の案』なんだ」と答えています。

どう読んでも、自分が書いた文章です。本当にありがとうございましたw。

801 :イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/01/31(火) 01:15:00 ID:???
でも最後までざっと目を通したら、そちらも勉強になりますね。
さすが近代史板。

自分は勤め人なので、時間的に1つの板が限界です。スマンス。

802 :名無し三等兵:2006/01/31(火) 01:58:24 ID:???
近代史板は軍板の出先機関のような印象が。

803 :えICBM:2006/01/31(火) 02:01:05 ID:???
私は、極東板の出先機関と感じる。
少なくとも日本史板の出先には思えん。

804 :名無し三等兵:2006/01/31(火) 02:05:37 ID:???
ここまで複雑だと、1人や2人が奮闘した程度ではどうにもならない印象を受ける。

805 :名無し三等兵:2006/01/31(火) 02:11:30 ID:???
おらが首相(田中)の行動がさらに状況を複雑に・・・

806 :名無し三等兵:2006/01/31(火) 02:28:20 ID:???
>>800
ログみたら、なんか反論されているぞ。

93 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2006/01/03(火) 00:32:49 ID:Tg/AC0Mf0
>>92
無論町野は殺されかかったくらいだから真相は知らされていなかった。
町野は真相を知る立場にない。

そもそも、ユン・チアンが張作霖暗殺をソ連の仕業にしなければならない
動機があるのか?俺には全然思いつかない。
単純に事実と思われる資料を紹介しただけじゃないのか?

807 :名無し三等兵:2006/01/31(火) 08:56:59 ID:???
なんでもかんでもソ連の仕業ってのは、戦前の日本人の思考パターンだった訳だが...

808 :名無し三等兵:2006/01/31(火) 09:14:24 ID:???
戦前の国会では石屋(ユダヤ人)の陰謀論が話されたのは、信じられないが本当だ。
わざわざ語句を言い換えて石屋=ユダヤと言い換えていた。
どうも、反ユダヤ主義者で有名なフォードの国際ユダヤ資本あたりを政府高官が読んで
広まったとか、何かナチスのユダヤ人差別論と出所は同根らしい。

809 :名無し三等兵:2006/01/31(火) 09:30:01 ID:???
そして“シオンの議定書”に匹敵する“田中上奏文”をバラ撒かれましたとさw

810 :名無し三等兵:2006/01/31(火) 09:55:19 ID:???
首相就任時の平沼の時局認識が
コミンテルンと国際ユダヤ資本の陰謀が同時進行中というものだった。

811 :名無し三等兵:2006/01/31(火) 10:52:46 ID:???
笑っては可哀想だが、一面真理でもある。

当時のコミンテルンはスターリンよりトロッキーの影響を強く受けており、トロッキーは共産主義系ユダヤ人の領袖でもあった。

812 :名無し三等兵:2006/01/31(火) 21:43:08 ID:OgZR9E1z
予の献策に基づいて、河本大佐が画策し、在北京歩兵隊副官下永憲次大尉が列車編制
の詳細を密電し、在奉天独立守備隊中隊長東宮鉄男大尉が電気点火器のキイを叩いた
のである。事件後「おれがやった」という者が数人出て来たが、当の本人らは一切鳴りを
鎮めていたのである。(中略)右の列車には予備大佐町野武馬、現役顧問儀我大尉が
乗り込んでいたが、臭いと思った町野は塘沽で下車、律儀者の儀我だけは共に遭難して
辛うじて命を助かっている。

佐々木到一「ある軍人の自伝」より抜粋

813 :名無し三等兵:2006/01/31(火) 22:19:20 ID:???
中国はスーダンなど、欧米資本が人権問題で手をこまねいている国相手に積極外交を仕掛けている
しかし現在はそれを止める手段がない
止めることが出来る唯一の国アメリカが、国際舞台での発言力が急速に低下しているからだよ
イラク戦争でそれだけ信頼を失った
ブッシュの間はどうにもならんな

814 :イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/01/31(火) 22:41:12 ID:UeghoLK5
>>795 >>【河本大作大佐の手紙→磯谷廉介】の続き。

あの人たちは自分独りで人に相談もせず、他人はみな規則を守り、自分たちの
命令に服するものだという前提で、何一つ小生にも知らせてこない(関東軍では
参謀長も軍司令官も留守)。特にその問題は例の荒木隊が唯一無二の種であり、
そして張学良を親日の権化のように考えることを前提としたものだ。

小生も動乱は好きだ。また、どんな問題でも火をつける事が必要だが、この問題だけは
土肥原の笛では踊れない。秦少将と土肥原の夢のような話に同意し得ない。

小生は、参謀長(斎藤恒少将)も留守だし、軍司令官(村岡長太郎中将)も旅行途中
だから、この間に奉天の鉄道問題を紛糾させて、1つクーデターをやる心得でいるのに
秦、土肥原は鉄道問題を除外して荒木隊の謀反にのみ没頭し、なおかつ決断を軍司令官
の帰任後に延ばす事として、まことに手ぬるき次第。

815 :イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/01/31(火) 22:56:23 ID:UeghoLK5
>>814の続き。

ソコデ小生は荒木隊への兵器引き渡しを中止した。ところがこれを無理やり
盗もうとしたから、ビッシリ憲兵をつけて止めてやった。当時の12日間は
奉天(土肥原)と小生の暗闘で終わった。もし土肥原なんかのやることを
放任していたら、陸軍はもう世間に顔出しできなくなっていただろう。

どうも協同動作で大いに欠陥がある。この件は誰にも知らせていない。
貴公だけに止めて置いてくれ。その後、秦少将が訪れたので2晩議論して
今は先方も氷解した。献身的な仕事が必要な男に、自家宣伝や自己の
手柄を気にする奴は駄目だ。

経済的抗争は、支那人の労力を基礎とする満州の施設では、日本側が負けを
とること必然である。往年の香港対広東の事例で明らかだ。故にこの方法では
かえって、こちらが悲鳴を上げることとなる。

816 :イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/01/31(火) 23:10:04 ID:UeghoLK5
>>815 の続き。

故にこんな拙策は早く止めて、武力的弾圧を加えなければ駄目である。

こんなことを言っている間に南方では火の手が上がり、山東はガタガタと
崩れかかり、その過程で張作霖の満州引退が見てとれるが、今度こそは
オイソレと満州に入れぬように、特に中央部の人々を引き止めて欲しい。

張郭戦後の「張の暴虐」は言語を絶する。恩を施してその代償を得ようなどと
考える日本人は、念の入ったお人良しである。その場その場の現銀取り引きで
なくては駄目である。

817 :イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/01/31(火) 23:19:06 ID:UeghoLK5
>>816 の続き。

去年も一昨年も大いにやるつもりで、途中で退けられてしまった。今年だけは
ぜひ物にしたい。僕はただただ、満蒙に血の雨を降らすことのみが希望で、
これが根本解決の基調だと信じている。

ついては今少し旅順にいたい。夏までには片付くだろう。その後はどこへ
流されても、また辞めても実際構わない。(磯谷)大兄に後を譲りたい。
一寸外の奴では駄目だ。

小畑によろしく言ってくれ。今度こそは大機会を捉えたいと思っている。

廉公 机下         
                            四月 大作

818 :イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/01/31(火) 23:33:49 ID:UeghoLK5
上記の手紙は、河本大作が『兄弟同然』に親しかった磯谷廉介(同郷
同年生まれ。ただし河本が1月の早生まれのため、陸幼・陸士でも
河本の方が磯谷より1期上)に、重大な秘密を打ち明けたものです。

すなわち、「自分は満州で大事件を起こすから、お前は早く陸軍の
中枢に登って、満州の後始末をしてくれ」と後事を託したものです。

>>経済的抗争は、支那人の労力を基礎とする満州の施設では、日本側が負けを
>>とること必然である。往年の香港対広東の事例で明らかだ。故にこの方法では
>>かえって、こちらが悲鳴を上げることとなる。

田中義一内閣は、外交(経済)交渉で張作霖と話をつけようとしていた訳ですが、
河本はまったく無駄だと断じています。また、香港のイギリスの例を挙げるなど、
河本の言う事にも一理以上あるでしょう。

819 :イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/01/31(火) 23:58:01 ID:UeghoLK5
【河本大作大佐の手紙】が長く続きましたから、閑話休題で書評を1つ…。

『昭和史の軍人たち』(秦郁彦著:文藝春秋:1982年刊、1600円)

著者が著者ですから、内容の良し悪しは特に論ずるまでもないでしょう。
陸軍13人・海軍13人の軍人を取り上げていますが、かなりマイナーな人物も
取り上げていますので、興味を持たれた方は読んでみてはいかがでしょうか。

ちなみに登場する軍人は以下の通り。

◎山本五十六☆阿南惟幾◎永野修身☆東条英機◎神重徳☆片倉衷◎井上成美
☆田中隆吉◎黒島亀人☆長勇◎源田実☆宮崎繁三郎◎嶋田繁太郎☆辻政信
◎山口多聞☆建川美次◎石川信吾☆秋草俊◎大西瀧次郎☆石原莞爾◎藤井斉
☆影佐禎昭◎平賀譲☆真崎甚三郎◎末次信正☆宇垣一成

自分が一番面白かったのは、影佐禎昭の項ですかね。

820 :イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/02/01(水) 00:13:59 ID:JbJWQCX6
自分が年末に必死こいて原稿を書いていたのも、この手の軍人評列伝です。

特に「切り口」を考えないなら、本に取り上げてもいいような軍人の数は
陸海軍で50人でも100人でも楽にいきます(明治からも含めるなら)。

その中で誰を扱うのかは、著者の好みにもよるでしょう。実際、秦氏も好みで
選んだと書いていますw。ただ、それぞれの軍人の『生い立ち』を比較的
詳しく触れている点は特筆に価します。

なかなか、そこまで記述している本が少ないので貴重です。自分は文華堂で
1000円で買いましたが、この値段なら誰にでもお勧めできる1冊です。

明日は、「張作霖爆殺事件」の補足に入ります。事件そのものは前スレで
触れた(気がするw)ので詳しく言及しません。

821 :イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/02/01(水) 22:38:34 ID:mUiZwsO/
張作霖爆殺事件の「首謀者」は改めて言うまでも無く、関東軍高級参謀の河本大作
大佐です。河本の指揮下で実際に爆殺を実行したのは、以下の通り。(ちなみに
関東軍の『参謀副長制』は1932年8月から)

●川越守二大尉(高級参謀補佐)●東宮鉄男大尉(独立守備隊第4中隊長)
●神田泰之助中尉(独立守備隊第2大隊付)●桐原貞寿中尉(臨時で満州に
派遣中だった朝鮮軍の京城工兵第20連隊付)

爆薬(黄色火薬300キロ)は工兵である桐原中尉に、東宮と神田が協力して
仕掛けました。現場の守備担当は東宮中隊の管轄でしたので好都合に運びました。
守備隊の監視所に入れてあった点下装置のスイッチを押したのも、爆殺現場を
指揮した東宮大尉です。

東宮らは、張作霖の爆殺を南軍(国民革命軍)の便衣隊(私服兵)の仕業と見せかける
ために、数々の『偽装工作』を行ないましたが、これが非常にズサンなものでしたw。

822 :イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/02/01(水) 22:58:16 ID:mUiZwsO/
まず、支那人の『苦力(クーリー)』を3人雇います。表向きの名目は『山海関方面の
スパイ』でしたが、もし死ぬような事があれば、遺族に1万円支払うことを約束します。
そして支度金として1人50円ずつ手渡しました。

当時、人力車を1日雇ったとしても1円50銭でしたので、50円は苦力からすれば
相当な大金です。現在の価値なら50万円ぐらいでしょうか?

1928年6月3日朝(爆殺事件の前日)、雇った苦力3人を奉天満鉄付属地の入浴場で
体を洗わせましたが、1人が怖くなって逃亡します。これがケチの付き始めでしたw。

残った2人を散髪させ、衣服を着替えさせます。そして国民革命軍が持っている
ソ連製手榴弾2発と「国民革命軍司令部」と印刷された便箋を渡します。それから深夜、
第4中隊の兵士2人が苦力に付き添い、爆破現場で刺殺しました。死体は線路側に
放置して、爆破が南軍便衣隊の仕業のように見せかけました。

823 :イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/02/01(水) 23:14:29 ID:mUiZwsO/
そして関東軍は、「爆破事件現場で不審な支那人2人を発見し、逃亡しようと
したので刺殺した。南軍便衣隊の仕業とみられる」と発表します。

日本の陸軍省も「南軍便衣隊の仕業」と表明し、日本の新聞も「張作霖負傷、
南軍便衣隊の仕業か?」とする記事を載せました。

しかし、所詮は関東軍のやっつけ仕事ですから、事件後に次々とボロが出ますw。
主なものを挙げると以下の通り。

824 :イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/02/01(水) 23:27:21 ID:mUiZwsO/
●浴場から逃亡した「苦力」が張学良軍に訴えた。

●浴場の主人が、刺殺された2人は前日の入浴客であることに気付き、
 日本軍の憲兵隊に届け出た。

●日支双方の官憲で現場検証したところ、刺殺死体は「アヘン中毒者」で
 大量の爆薬(300キロ)を運ぶような重労働ができる身体ではなかった。

●刺殺死体が持っていた『張作霖殺害趣意書』は、日本流の漢文であった。

●橋台に飛び散った黄色火薬は、日本軍しか使っていなかった。

●爆薬点下用のスイッチの電線が、日本軍の監視所まで伸びていた。

●とどめに、刺殺死体が握っていたソ連製の手榴弾は、日本軍の奉天憲兵分隊長の
 三谷清少佐が、奉天市内の古道具屋で買ったことまで洗い出されたw。

825 :イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/02/01(水) 23:46:31 ID:mUiZwsO/
以上の理由で『関東軍の仕業』であることが発覚し、支那はもとより
諸外国にも大きく報道されて、日本は国際的な非難を浴びる事になります。

しかし、日本国内(田中義一内閣)では事件の報道が一切禁止され(新聞紙法など)、
各紙は仕方なく『満州某重大事件』として内容を書かずに報道しました。

結果、肝心の日本人だけが目隠しされて何も分からない状況となります。

上の方に既述ですが、政府が張作霖を立てて「蒋介石に対抗させよう」と
工作している時に『現場で爆殺』ですから、やることが正反対な訳ですw。

そして張作霖爆殺における「杜撰な工作」は、カンジに「もっと計画的に
やらなければ駄目だ」との満州事変への教訓を与えることになりますw。

結局、『張作霖爆殺事件』は、息子の張学良を「反日抗日」に走らせ、日本の
満州の特殊権益を更なる危機に追い込む羽目となりました。

826 :イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/02/02(木) 00:16:59 ID:???
>>819 の補足。秦郁彦の『昭和史の軍人』たちですが、阿南惟幾が残した
面白いメモを巻末に取り上げているので、補足しておきます。

阿南は「支那事変」勃発時には『陸軍省の人事局長』でしたが、
南京陥落後に現地を回って将兵の採点表をつけています。

●板垣征四郎(第5師団長):あせりすぐ、南口まずい、山地迂回せず、頭働かず、忻口鎮も策なし
●鈴木率道(第2軍参謀長):冷静に過ぐ
●磯谷廉介(第10師団長):良い    
●鈴木重康(独混11旅団長):拙い 
●酒井鎬次(混成1旅団長):戦果不良
●田上八郎(歩24連隊長):最良
●井出宣時(歩8旅団長):功を急ぐ、芳しからず
●西原一策(中支方面軍参謀):ポンポンやるので嫌がられる
●藤原武(第6師団参謀):大いに働けり、積極、殊勲甲 
●野田謙吾(歩33連隊長):可、死傷多し
●脇坂次郎(歩36連隊長):南京一番取り、優秀
●上村利道(上海派遣軍参謀副長):立派、部内の人気可

827 :名無し三等兵:2006/02/02(木) 00:19:01 ID:???
板垣・・・(´・ω・)カワイソス

828 :名無し三等兵:2006/02/02(木) 00:27:19 ID:???
殺された苦力(・ω・`)カワイソウス

829 :イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/02/02(木) 00:41:41 ID:QByL6Q6V
阿南は後に陸軍次官となりますが、武藤章が軍務局長のときは都合の良い
『ロボット次官』として振り回され、さらに陸軍大臣として異色の能吏だった
ヒデキが上司になると、ますます影が薄くなりますw。

軍政家としてはサパーリだった阿南ですが、>>826 の人事評価は本人の性格が
出ていて面白いと思います。攻勢、積極さが高評価を得ています。

まあ、阿南の陸軍次官時代で、特に印象に残っていることと言えば、ヒデキが
カンジを予備役編入するのに強硬に反対したことでしょうか。

830 :名無し三等兵:2006/02/02(木) 01:06:27 ID:???
>>826
阿南惟幾の評価おもしろいですね
初見での感想は、頭ワルソですw
一言で括ってるのは、興味のない現われかなと
文字数が多い板垣などは、私怨あって嫌ってた
のかなと連想させます
文字数に応じて阿南の感心の深さが読み取れそうw

831 :名無し三等兵:2006/02/02(木) 01:08:56 ID:???
仮にも一国の正規軍人たるエリートが
暗殺計画を実行して>>824ではいくらなんでも杜撰過ぎるような…
何かここまで杜撰にならざるを得ない事情があったのでしょうかね?

832 :名無し三等兵:2006/02/02(木) 01:49:05 ID:???
張戎の新作『マオ』によると張作霖爆殺はソ連の陰謀ということらしいが。
この筋で行くと河本大作はコミンテルンのエージェント?『マオ』に当たったこと
なくて恐縮だけど。

ttp://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/406206846X/qid=1138812469/sr=8-1/ref=sr_8_xs_ap_i1_xgl/503-3413186-6913532

833 :名無し三等兵:2006/02/02(木) 05:47:45 ID:???
黄色火薬300Kgか... 脱線転覆というより列車を宙に舞い上げるほどの量だ。
数百gしか入ってない砲弾一発が早発して三笠の主砲が吹っ飛んだ事があった。

当時人工衛星があれば、金正日暗殺未遂事件の時と同様に“満州某所にてきのこ雲を確認”となったところだろう。

834 :名無し三等兵:2006/02/02(木) 15:39:54 ID:???
国が燃えるって漫画に満州事変の際、中国側がわざとあまり抵抗しなかった
と書かれているが事実でっか?

835 :名無し三等兵:2006/02/02(木) 16:35:57 ID:???
良い意味でも悪い意味でも「人材」のいない満州国において
川島芳子の個性は歯応えがありすぎるな

836 :えICBM:2006/02/02(木) 18:26:59 ID:???
>>834
NHKのそのとき歴史が動いたでもそんな事を言ってた。
無抵抗主義で日本軍の暴挙をあぶり出し、世界に非道を訴えるためだとか。
単に弱いだけだろと思わなくも無いが。
けど、実際国連のリットン調査団が派遣され、極めて日本に不利な報告書が作成される。
それを、国連総会において、圧倒的多数で採決されたんだからそうだとも言える。


837 :名無し三等兵:2006/02/02(木) 18:32:38 ID:???
>>836
>実際国連のリットン調査団が派遣され、極めて日本に不利な報告書が作成される。
>それを、国連総会において、圧倒的多数で採決されたんだからそうだとも言える。
そこは違う、満州国を承認しないという採決であって
結果として、国際連盟でいかに満州を統治するかということになった
張学良はおろか蒋介石にとっても不本意な内容だったことは確かだ

838 :名無し三等兵:2006/02/02(木) 21:44:47 ID:???
長春に行った時にな
関東軍司令部までタクシーで行ったんよ
そしたら反日デモやってたわけよ
なんか関東軍司令部は今は中共の省の庁舎になってる
らしくて、そこに反日デモしとるわけよ
でな、俺の乗ってるタクシーにもわらわら寄ってきよったわけよ
支那人どもがね それでタクシーが全く進めなくなって
腹立ったんで、窓を開けて「関東軍参謀!!!」って
一喝してやったわけよ。 そしたら、支那人学生どもも向こうの公安
どももね、みんないきなり日本語で大喝されてビビってるわけよ
そこで、運転手に行けと促し司令部の前を通ってホテルまで
戻ったんだけど、ホテルに帰って考えてみれば、よくこんな
アホなやり方をしたなとw 昔なんか読んだ本で関東軍参謀って
怒鳴れば満軍が引き下がったって書いてあったような気がして
やってしまったけど殺されなくて良かったよ。 
やっぱり関東軍の威令って今も満洲では健在なんだな

839 :イナゾウ中佐@悪質な閑話休題 ◆FU/OcfTlfM :2006/02/02(木) 22:04:35 ID:???
ふと思い立って、陸海軍大将の「出身県」をまとめてみることにしました。

名付けて、『47都道府県「おらが大将」うんちく事典』ですw。総勢200人超。
ただし、皇族軍人は省きます。

840 :イナゾウ中佐@悪質な閑話休題 ◆FU/OcfTlfM :2006/02/02(木) 22:28:07 ID:4wGgVG5z
【陸海軍大将】 *陸軍/海軍

●長州:山県有朋、桂太郎、山口素臣、岡沢精、長谷川好道、井上光、児玉源太郎、
    乃木希典、佐久間左馬太、大島義昌、寺内正毅、大井成元、大庭二郎、
    田中義一、菅野尚一、森岡守成、井上幾太郎、松木直亮、寺内寿一
    /末次信正、沢本頼雄、山県正郷

●薩摩:西郷隆盛、大山巌、野津道貫、川上操六、黒木為驕A西寛二郎、川村景明、
    大迫尚敏、大迫尚道、鮫島重雄、上原勇作、町田経宇、田中国重、菱刈隆、
    吉田豊彦/西郷従道、樺山資紀、伊東祐亭、井上良馨、東郷平八郎、
    山本権兵衛、川村純義、柴山矢八、鮫島員規、日高壮之丞、片岡七郎、
    上村彦之丞、伊集院五郎、財部彪、野間口兼雄、竹下勇、山本英輔、
    野村直邦

まあ、この2県は『別格』ですね(核藁)。

841 :名無し三等兵:2006/02/02(木) 22:56:22 ID:tN5My9ZL
ttp://imperialarmy.hp.infoseek.co.jp/general/gunjin.html
陸軍ならここがまとまってまs

842 :名無し三等兵:2006/02/02(木) 22:56:26 ID:???
>>838 相手が日本語分からなかったから助かったんだよw
中国人にとっては“クァンドンジュン”と言えば、今でもナマハゲみたいなもんだ。
子供に“関東軍が来るぞ〜”と脅すと、本当に泣き止む...

843 :イナゾウ中佐@悪質な閑話休題 ◆FU/OcfTlfM :2006/02/02(木) 22:57:29 ID:4wGgVG5z
●福岡県:奥保鞏、仁田原重行、立花小一郎、小川又次、明石元次郎、
     尾野実信、杉山元/伊藤整一

●長崎県:福田雅太郎、富永信正

●佐賀県:緒方勝一、宇都宮太郎、武藤信義、真崎甚三郎/村上格一、
     百武三郎、百武源吾、吉田善吾、古賀峰一

●大分県:金谷範三、南次郎、河合操、梅津美治郎、阿南惟幾/豊田副武

●熊本県:林仙之、古荘幹郎

●岡山県:岸本綾夫、岸本鹿太郎、宇垣一成、土肥原賢二/藤井較一

●広島県:岡部直三郎/加藤友三郎、安保清種、谷口尚真、小林躋造

844 :名無し三等兵:2006/02/02(木) 22:58:19 ID:tN5My9ZL
ttp://homepage2.nifty.com/nishidah/p_index.htm
海軍ならここかな。出身県別ではないけど。

845 :イナゾウ中佐@悪質な閑話休題 ◆FU/OcfTlfM :2006/02/02(木) 23:18:17 ID:4wGgVG5z
●高知県:由比光衛、下村定、山下奉文、鈴木宗作、山脇正隆/島村速雄、
     吉松茂太郎、永野修身、

●愛媛県:秋山好古、白川義則、川島義之

●徳島県:上田有沢、吉本貞一 ●京都府:田中弘太郎、後宮淳 

●鳥取県:内山小二郎、西尾寿造

●兵庫県:本郷房太郎、本庄繁、藤江恵輔、田中静壱

●滋賀県:中村覚、植田謙吉、喜多誠一/三須宗太郎

●福井県:大谷喜久蔵/名和又八郎、岡田啓介、加藤寛治

●和歌山県:有馬良橘、野村吉三郎

846 :えICBM:2006/02/02(木) 23:19:04 ID:???
>>837
ちと調べてみた。

昭和7年のリットン報告書作成過程は以下のとおり。

3月1日、満州で新国家建設宣言書を発表し、国号を満州国と称す。
4月9日、溥儀、長春にて満州国建国式を挙げ、執政に就任。
4月20日、リットン調査団一行が日本の満州現地調査提案に応じ、国際連盟理事会より派遣され大連上陸。
5月5日、調査団一向、執政溥儀と会見。
6月5日、調査団一向、調査を終え離満。
10月2日、リットン調査団報告書が公開。

リットン報告書の内容は、以下のとおりであり、当時の日本人には最も不当な観察として反発された。
・中国をもって発展途上にある組織的国家とみなす。
・柳條溝事件を日本の自衛的行為と確認しない。
・満州国の成立は不自然であるとする。

報告書の国際連盟での採択は昭和8年2月であるが、当時国際連盟は日本の国策遂行に圧迫を加え、関東軍
の山海関占領や熱河進軍を、日支全面戦争にと解釈する傾向があった。
国連での報告書採択と日本の対応の流れは、
2月20日、日本はリットン報告書に対し、閣議にてこれが採択されるなら、国連を脱退する意向を明らかにする。
2月24日、国際連盟総会で報告書は、賛成42、反対1(日本)、棄権1(タイ)で採択される。
この場で日本の松岡代表は強烈に反駁し退場した。
2月27日、日本は国際連盟に脱退を通告する。

私の持ってる資料ではこんなところです。

>結果として、国際連盟でいかに満州を統治するかということになった
>張学良はおろか蒋介石にとっても不本意な内容だったことは確かだ
報告書では中国を発展途上の組織的国家とみなしてるから、満州は中国の統治下であるという意味ではないのか?

847 :イナゾウ中佐@悪質な閑話休題 ◆FU/OcfTlfM :2006/02/02(木) 23:44:51 ID:4wGgVG5z
●石川県:磯村年、林銑十郎、阿部信行、中村孝太郎、蓮沼蕃、前田利種
     /瓜生外吉、小栗孝三郎

●大阪府:小畑英良/近藤信竹 ●三重県:島川文八郎、立見尚文

●愛知県:土屋光春、渡辺錠太郎、松井岩根/八代六郎、大角岑生

●静岡県:大久保春野、井口省吾/井出謙治 ●山梨県:塚原二四三

●神奈川県:山梨半造 ●富山:河辺正三 ●埼玉県:浅田信興

●長野県:福島安正、神尾光臣、安東貞美、栗林忠道/塩沢幸一

●新潟県:山本五十六 ●茨城県:菊池慎之助、塚田攻/高須四郎

●東京府:荒木貞夫、山田乙三、岡村寧次/加藤定吉、高橋三吉、及川古志郎
     嶋田繁太郎、遠藤喜一 

848 :イナゾウ中佐@悪質な閑話休題 ◆FU/OcfTlfM :2006/02/02(木) 23:58:27 ID:4wGgVG5z
●千葉県:鈴木孝雄/鈴木貫太郎 ●栃木県:奈良武次

●福島県:柴五郎、畑英太郎、西義一、畑俊六/出羽重遠、高木武雄

●宮城県:松川敏胤、今村均、多田駿、安藤利吉/山梨勝之進、井上成美

●山形県:小磯国昭/山下源太郎、黒井悌次郎、南雲忠一

●岩手県:板垣征四郎、ヒデキ/斎藤実、山屋他人、栃内曽次郎、米内光政

●秋田県:大島久直 ●青森県:一戸兵衛/中村良三、藤田尚徳

849 :イナゾウ中佐@悪質な閑話休題 ◆FU/OcfTlfM :2006/02/03(金) 00:03:38 ID:???
(記入漏れ)スマンスw。

●加藤隆義(広島)●長谷川清(福井)●木村兵太郎(埼玉)
●牛島満(鹿児島)●鈴木荘六(新潟)

850 :イナゾウ中佐@悪質な閑話休題 ◆FU/OcfTlfM :2006/02/03(金) 00:28:50 ID:R2hJo5a2
>>839 >>名付けて、『47都道府県「おらが大将」うんちく事典』ですw。

と思ったら、北海道・群馬県・岐阜県・奈良県・島根県・香川県・宮崎県・沖縄県で
『陸海軍大将』を輩出していません。最初から企画倒れでした(藁)。

かなり急いでまとめたので、漏れやミスがあったらスマンス。ここに書き出す前は、
大将を出していない都道府県は、北海道と沖縄ぐらいかと思っていましたが、
意外に多くてビックリでした。

一応、上記の県出身の方の名誉のために補足しておくと、著名な軍人では
●北海道:田中新一、真田穣一郎、加藤建夫●群馬県:秋葉俊(中野学校創設者)、
東宮鉄男(スレの少し上を参照w)●岐阜県:大島浩、宮崎繁三郎、安藤輝三
●奈良県:今田新太郎ぐらい…w●島根県:森林太郎、田中隆吉(藁)
●香川県:諦めてくれ●沖縄県:左に同じ(ちなみに少将が最高位)

沖縄は仕方がないとしても、北海道が意外と気を吐いているのが印象的です。

851 :イナゾウ中佐@悪質な閑話休題 ◆FU/OcfTlfM :2006/02/03(金) 00:42:27 ID:R2hJo5a2
あとは石川県が予想外に多く、陸海軍大将を輩出していることが目立ちます。
さすが「加賀百万石」と言ったところでしょうか?

基本的に明治時代は「西日本」が強勢を誇っていましたが、時代が降るにつれて
「東日本」が力を伸ばしていきます。

米内光政、板垣征四郎の「岩手勢」が、陸海軍大臣の地位を同時に占めた
太平洋戦争直前はその象徴でした。すぐ後にヒデキが陸相→首相になりますし。

そして太平洋戦争に突入します。

852 :イナゾウ中佐@悪質な閑話休題 ◆FU/OcfTlfM :2006/02/03(金) 01:02:39 ID:R2hJo5a2
>>832 >>張戎の新作『マオ』によると張作霖爆殺はソ連の陰謀ということらしいが。

『マオ』は書店でかなり山積みになってはいますが、あんまり読む気がしないですw。

そんな暇があったら、本棚の肥やしになっている『蒋介石―マクロヒストリーで読む
蒋介石日記』を読もうかと……。

853 :イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/02/03(金) 01:05:49 ID:R2hJo5a2
>>830 >>文字数が多い板垣などは、私怨あって嫌ってたのかなと連想させます

あれだけ辛い評価をした板垣征四郎が、その後の近衛内閣で陸軍大臣となって
しまうのですから皮肉なものです。

言うまでも無く、板垣も軍政家としてサパーリですw。

854 :えICBM:2006/02/03(金) 03:07:08 ID:???
>>837
もうちと調べてみた。
Wikipediaをだが。
リットン報告書について、きちんと内容も解説してた。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AA%E3%83%83%E3%83%88%E3%83%B3%E8%AA%BF%E6%9F%BB%E5%9B%A3

報告書には、満州の現状報告と紛争の解決に向けた提言が含まれるようだ。
以下コピペ。

>結論
>報告書では、中国・満州の実情を述べた後、下記のように論じている。

>・柳条湖事件及びその後の日本軍の活動は、自衛的行為とは言い難い。
>・満州国は、地元住民の自発的な意志による独立とは言い難く、その存在自体が日本軍に支えられている。
>と、中国側の主張を支持しながらも、中国の日本製品不買運動に触れ、

>満州に日本が持つ権益、居住権、商権は尊重されるべきである。一方が武力を、他方が「不買運動」という
>経済的武力を行使している限り、平和は訪れない。
>との日本への好意的解釈を示している。

>紛争解決に向けた提言
>また、日中両国の紛争解決に向けて、下記のような提言を行っている。

>・「柳条湖事件以前への回復(中国側の主張)」「満州国の承認(日本側の主張)」は、いずれも問題解決とはならない。
>・満州には、中国の主権下に自治政府を樹立する。この自治政権は国際連盟が派遣する外国人顧問の指導の下、
>充分な行政権を持つものとする。
>・満州は非武装地帯とし、国際連盟の助言を受けた特別警察機構が治安の維持を担う。
>・日中両国は「不可侵条約」「通商条約」を結ぶ。ソ連がこれに参加を求めるのであれば、別途三国条約を締結する。

この紛争解決に向けた提言では、蒋介石の立場からは日本で無く列強による満州分断にも映るだろう。
しかし、妥当な提言でもある。

855 :えICBM:2006/02/03(金) 03:09:27 ID:???
まあ、満州は日本の生命線じゃなく、満州は日本のケチの付き始めだな。


856 :前スレ32:2006/02/03(金) 04:19:30 ID:???
>>850
階級は大佐ですけれど、沖縄出身では、親泊朝省が有名かな。

857 :名無し三等兵:2006/02/03(金) 10:52:01 ID:???
日本軍はリットン調査団に一服盛って葬る予定だったって
どっかで見た

858 :イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/02/04(土) 00:17:44 ID:Xvum0hZj
>>830 >>阿南惟幾の評価おもしろいですね 初見での感想は、頭ワルソですw

あれだけ酷評した板垣征四郎が、その直後に陸軍大臣となって上司になるのですから
皮肉なものです。もちろん、この時点でも阿南は人事局長ですw。まあ、近衛首相が
支那事変の拡大を防ぐために、石原莞爾に近い板垣征四郎を抜擢したのですが。

しかし「軍政家としてはサパーリ」だった阿南ですが、その人間的な公明正大さは
指摘しておくべきでしょう。1938年11月、阿南は特設師団の第109師団に自ら
望んで転出します。

この師団は支那事変が勃発してから間もなく、金沢で第9師団管轄の後備兵を招集して
編成された、いわば二流、三流師団です。人事局長の多くが転出に際して、自らに都合の
良い『お手盛り人事』をすることを考えれば、いかにも阿南らしい身の施し方です。

阿南は同時に、自分の一期後輩の今村均(中将)を一級師団の第5師団に推しています。

859 :イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/02/04(土) 00:43:37 ID:???
ちなみに『お手盛り人事』の最強例は、海軍大臣から連合艦隊司令長官に
自ら転任した永野修身ですw。永野も「軍政家としてはサパーリ」でした。

永野修身は「2.26事件」直後に成立した広田弘毅内閣で海軍大臣となりますが、
議会と寺内寿一陸相との間に起きた『腹切り問答』の調停に乗り出して失敗します。

陸軍としては、『腹切り問答』を切っ掛けに広田弘毅内閣を倒して、林銑十郎
内閣を作ろうとしていましたので、永野海相の「押しかけ調停」は迷惑以外の
何物でもなかったのです。

結局、永野海相の動きはピエロに終わり、新任の山本五十六次官は海軍の威信を
救うために、「海相の行動は、永野個人の思いつきに過ぎない」と釈明する羽目に陥ります。

その後の永野は、米内光政・連合艦隊司令長官と交代して海上に出ますが、さすがに
海相をしくじってGF長官に逃げ込むのは何事だ!と非難轟々でしたw。

860 :イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/02/04(土) 01:11:26 ID:Xvum0hZj
>>833 >>黄色火薬300Kgか... 脱線転覆というより列車を宙に舞い上げるほどの量だ。
>>当時人工衛星があれば、金正日暗殺未遂事件の時と同様に“満州某所にてきのこ雲を
>>確認”となったところだろう。

まあ実際、奉天城内のすみずみまで震動が走り、凄まじい爆煙が天冲したと言います。
火薬は長さ20メートルの満鉄陸橋の橋脚(石造)に仕掛けられていましたが、
跡形も無く吹き飛びます。

満鉄軌道はヘシ曲がり、張作霖が乗っていた貴賓車や展望車は、車輪と床だけ残して
消滅しました。張作霖は両手両足を吹き飛ばされて、文字通りの『血達磨』状態。

絶え絶えの虫の息ながら、それでも「日本人がやった」と一声つぶやいたのは
さすがに張作霖と言ったところでしょうか。

むーざん、むざん。

861 :イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/02/04(土) 01:48:42 ID:Xvum0hZj
>>831 >>仮にも一国の正規軍人たるエリートが
>>暗殺計画を実行して>>824ではいくらなんでも杜撰過ぎるような…

まあ謀略とは得てして、そのようなものでしょう。では、その反省を活かした
満州事変がどうだったかというと、以下の通り。

張作霖爆殺の経験をもとに、用意した爆薬は中国製の黄色方形火薬42個。ちなみに
この火薬は、張学良顧問補佐官の今田新太郎大尉が入手しました。

列車を転覆させる『必要最小限』の爆薬を仕掛けたにも関わらず、片側のレールが
80センチ吹っ飛んだだけでした。数分後に急行列車が近付いてきますが、
ガタガタと揺れただけで、『何事も無く』通過していきますw。

その翌日の9月19日昼前、片倉衷大尉(関東軍参謀部付)が本庄繁・関東軍
司令官一行と共に奉天駅に到着すると、今田新太郎大尉が支那側の仕掛けた
証拠として、北大営司令官・王以哲の演習命令書を示します。

862 :イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/02/04(土) 02:02:10 ID:Xvum0hZj
まず片倉大尉が「演習命令書」を見ると、日付が「9月19日付」に
なっています。言うまでもなく『爆破事件の翌日』ですw。

片倉は慌てて今田大尉を連れ出し、「こんな日付のトチ狂ったものを
(本庄)司令官に見せたら、とんでもない事になるぞ!」と詰問すると、
今田大尉もアッ!と気付いて頭を掻き、ライターを取り出して日付部分を
焼き落としてしまいますw。

1932年の春にリットン調査団が来満した際にも、この「演習命令書」と
レールの破片が証拠品として提出されています。日本側は、レールを爆破
した支那兵の一団は200人で、現場にいた河本中尉と6人の兵が撃ち合った
と主張しますが、この不自然な数字にリットンが当然突っ込みを入れました。

863 :イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/02/04(土) 02:12:43 ID:Xvum0hZj
リットンと日本側の「ツッコミ問答」を再現すると、以下の通り。

リ:暗闇でなぜ200人と判ったか?
日:小銃を撃つときの火光で推定した。
リ:200人と距離200メートルで40分撃ち合って、1人も負傷者が出なかったのか?
日:支那兵は射撃が下手なのである。
リ:爆破の証拠はレールの破片だけか?
日:長さは15インチだが、大きい方の破片は別の場所にあるから後で見せる。
リ:レールは修理したのか?
日:満鉄の保線夫が行ってすぐ直した。
リ:10時半着の急行列車はそこを通過できたのか?
日:イエス。警告信号を発したが、そのまま通過した。目撃した兵の話だと、列車は
  片側に傾いたが姿勢を立て直して走り去った。

864 :イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/02/04(土) 02:22:27 ID:Xvum0hZj
ここで大きなトラブルが生じますw。

既に関東軍は「外国人記者団」に対して、『レールが爆破されたのは列車の通過後だ』
と発表していたのです。その一ヵ月後に、リットンへ順序を逆にして説明してしまった
(*>>863 の日本側は島本第二大隊長)ので、日本の外務省にどちらが正しいのか
問い合わせが入ります。

結局、リットンに説明した『島本説』で押し通すように日本側は打ち合わせました。

急行列車が寸断されたレールの上を無事に通過したことは、信じてもらえないだろうと
気を使って話を作り変えたのが裏目に出ました。かえって世界の疑惑の目を深める結果と
なりますw。

まあ、ウソをつき通すために、またウソをつき、つじつまが合わなくなって破綻する
典型的な例です。

865 :ue ◆WomMV0C2P. :2006/02/04(土) 04:09:01 ID:???
武器弾薬の調達に使った大陸浪人から事が露見して、政府にばれたんで
慌てて決行した所為でボロが出たんでしょうな。
尤も、止める為に送り込んだのが建川だったり、当の建川にしても

『君らの事は半分バレた。中央は止めよという。自分の意見はうまくやるならやれ、
駄目なら止めた方がよかろうというものだ』

と、完全に舐め切っています。精々、三月事件同様のクーデターごっこ程度だと思ったのでしょう。
僅か3ヵ月半で満州全土を支配した事を考えると、計画は純軍事的な点では
完璧だったかと思われます。東北軍が弱過ぎな所為かもしれませんが。

そう言えばカンジがこの事変でマスコミを大いに利用していますが、そのときに使ったのが
朝日新聞だったと言うことを考えると、その後の失敗は頷けます。
「朝日の逆を行け」、と言うジンクスは創刊127年間ずっと続いているのですから。

866 :えICBM:2006/02/04(土) 06:06:21 ID:???
細かい配慮をして仕事をこなすのは日本人の真骨頂。
それなのに何故、謀略は下手なのだろうか?
現地軍の暴走はいかんが、やるならもっとしっかりすべきだ。


867 :名無し三等兵:2006/02/04(土) 10:43:18 ID:???
策士策におぼれる。

868 :名無し三等兵:2006/02/04(土) 14:40:11 ID:???
大ざっぱな日本人だっています。細やかな仕事をするのは職人だけ。
また、武力依存が高いと「無理を通せば道理が引っ込む」と考えがちになるのでは?
JFK暗殺もライブドア側近怪死事件も力押しな感じですし。
日本が敗戦しなければ、張作霖爆殺事件は今でも満州某重大事件のままだったかもしれんですよ。

869 :名無し三等兵:2006/02/04(土) 15:08:32 ID:???
そもそも謀略というのが上策ではないわけで。
盧溝橋だって東京は謀略を疑ったぐらいで、客観的には当事者だから真っ先に疑いがかかる。
それでもやっちゃうのは最初から「バレないだろう」という希望的観測に基づいてるわけで、
そうした願望に支配された工作の当事者は、その粗雑さを冷静に認識できないということでは。

870 :名無し三等兵:2006/02/04(土) 15:15:35 ID:???
まあ日本軍の幕僚に「しっかり」謀略工作をし遂げる才能があれば、
太平洋戦争であんなひどい負け方しなかったでしょうねえ。


871 :えICBM:2006/02/04(土) 15:19:51 ID:???
日本人は、大化の改新、本能寺の変、吉良邸討ち入り、桜田門外の変、真珠湾奇襲などの派手な謀略は上手。
それと引き換え、隠蔽が必要な謀略はどれほど成功したのか?
成功したらわからんだろという気もするが、あまりにも数が少ない。


872 :名無し三等兵:2006/02/04(土) 17:21:57 ID:2enHDByx
>>860 張作霖爆殺事件で気になるのは、満鉄の上を横切って交差する張作霖の路線陸橋下に爆薬を仕掛けたようだが、どうやって張作霖の乗っている車両を狙って爆破できたのか?という点。

車両の全長と張作霖の位置がわかっていれば不可能ではないが、確実さを求めるなら徐行させたいところだ。

父の死を知って急遽満州へ戻る途上の張学良は、二次暗殺を恐れて厨房車のコック兵に変装した、と、磯村尚徳に語っていた。

873 :イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/02/04(土) 22:00:34 ID:wM5NTjWX
>>834 >>国が燃えるって漫画に満州事変の際、中国側がわざとあまり抵抗しなかったと書かれている

親玉の張学良が「奉天を留守」だったのも大きいでしょう。満州事変勃発時、国民政府
東北辺防軍総司令官の張学良は、11万の兵を率いて北京に進出していました。

目的は『アヘン中毒』の療養のためですw。

喩えるならヤクザの親分が草津温泉に療養中、残された事務所にカチ込みを
喰らったようなものかと。

奉天の留守は、参謀長の栄臻が14万の兵力で預かっていました。それでも関東軍の
兵力は1万1千余りですから、まともに戦えば危うかった訳です。緒戦の勝利は
関東軍が奉天に密かに持ち込んだ「24センチ攻城砲」の威力が大きかったでしょう。

東北辺防軍の北大営兵舎が、外郭だけ残して跡形もなくケシ飛び、奉天飛行場も
穴だらけとなって使用できなくなります。この点はよく準備がなされた訳です。

874 :イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/02/04(土) 22:23:11 ID:wM5NTjWX
>>872 >>どうやって張作霖の乗っている車両を狙って爆破できたのか?という点

『列車の運行』を簡単にまとめると、以下の通り。

1928年6月1日、北京に『戒厳令』が布かれます。大元帥の張作霖が北京を離れる
前触れとしてです。翌2日に、北京軍政府国務院の国務総理(首相)潘復が
治安維持会などの関係筋に、

『張大元帥は6月3日午前2時、北京を去られる』と宣言します。

本来なら大元帥のスケジュールは極秘ですが、この時は出発時間まで
予告します。国家元首として陸海軍大元帥として、隠れてコソコソではなく
堂々と退去したかったのでしょう。日本の撤退勧告を受け入れて(蒋介石の北伐が
北京に迫っていた)不承不承では、尚更ですw。

北京―奉天を結ぶ『京奉鉄道』で向かいますが、この鉄道はもともと
清国の国有でしたが、張作霖の私有鉄道化していました。

875 :イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/02/04(土) 22:36:14 ID:wM5NTjWX
もちろん、「バカ正直に」予定時刻どおり発車する訳がありません。

●まず6月3日午前0時30分に、18両の先駆列車が出発します。
●ついで護衛兵が乗った18両の列車が発車します。
●更に6月3日午前8時、第五夫人の乗った7両の黄色い急行列車が出ます。

●最後に張作霖が乗る特別列車が北京を発ったのが、6月3日午後2時過ぎです。

北京駅頭では、日本軍の儀仗兵が軍楽を吹奏し捧げ銃で見送ります。駐支公使の芹沢も
見送りに来ています。ハイ、これで張作霖がどの運行列車に乗っているかは、関東軍にも
『モロバレ』になりますねw。

ちなみに北京―奉天間(840キロ)の所要時間は、約15時間半です。満州の入り口、
山海関には約5時間で着きます。

876 :イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/02/04(土) 22:53:53 ID:wM5NTjWX
京奉鉄道で「奉天」に入りますと、まず皇姑屯の小駅があり、次いで
終点の瀋陽駅です。

これら両駅の中間で「京奉鉄道」と「満鉄本線」が上下にクロスする
陸橋があり、ここが事件の『爆破ポイント』です。

張作霖の「特別列車」の構成は、●第一列車(前5両)●第二列車(中央7両)
●第三列車(後8両)に分かれて、それぞれ機関車が付いています。

張作霖は中央の「第二列車」の更に中央、『津浦』と金文字が光る鋼鉄製の
貴賓車にいるはずでした。しかし運命の爆破時間には、一両後ろの展望車で
腹心の呉俊陞と歓談していました。

大爆発が起きると、中央の第二列車7両は吹き飛ばされて転覆します。助かった
前方の第一列車は2キロ東の瀋陽駅に逃げ込み、後方の第三列車は1キロ手前の
皇姑屯駅に引き返しました。

877 :イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/02/04(土) 22:57:10 ID:???
ちなみに、満鉄が走る『陸橋上』は日本側、陸橋下は支那側の警備区域
でした。

何せ黄色火薬300キロですから、狙うも何もアバウトで良いのです、
アバウトで(藁)。

878 :名無し三等兵:2006/02/04(土) 23:01:43 ID:4bciZnkS
広夢くんの可愛いモノならしゃぶれる!!

879 :ue ◆WomMV0C2P. :2006/02/04(土) 23:29:11 ID:???
>>873
反乱や兵器の悪用、盗難を防ぐ為、夜間は銃器を銃器庫に保管し鍵を掛けていたそうです。
お陰で夜襲を受けた時にマトモに反撃出来なかったと言うのがオチ。
まぁ、匪賊や馬賊に毛が生えた程度の連中ですから仕方ありませんが。
で、この一撃で官憲や兵士が我先と逃げて大混乱。抵抗できなかったと言うのが真実でしょう。

880 :イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/02/05(日) 00:45:24 ID:zJkIsDr9
>>832 >>張戎の新作『マオ』によると張作霖爆殺はソ連の陰謀ということらしいが。

少し前に否定的なことを書きましたが、気になってアマゾンの書評を覗いてみたら、
読む価値はありそうですね。優先順位を繰り上げて近々入手したいと思います。

つーか、マジで本を読む時間が捻出できませんw。明日の『東方不敗小町』でも
待ち時間で一生懸命、ペンを片手に消化しているでしょう(核藁)。

ところで支那事変における対共産党ですが、日本側に「共産党」の専門家が
いなかったことが特筆されます。いわゆる「支那通」軍人にも国民党に近い
人間は多々おりましたが、共産党に対しては皆無に近いです。

一応、中村常雄という人が『中国共産軍研究の権威』と言われていましたが、
特務機関の諜報専従員という低い身分です。済南市に生まれて、青島中学校を
卒業後、河南・陝西・綏遠・チャハルなど中国7省を股にかける凄腕なのですが、
士官学校から陸大を出たような「チャキチャキの情報参謀」ではありませんでした。

881 :イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/02/05(日) 01:00:43 ID:zJkIsDr9
その中村氏のメモ曰く、

『私は開戦前後の日本陸軍における共産軍研究の最高権威だった。開戦前、私以外に
 共産軍にたいする諜報専従者は1人もいなかった。

 日本陸軍の第一の仮想敵はソ連赤軍で、中国共産軍と戦うことを予想した軍人は
 いなかった。第二の仮想敵は、蒋介石と彼が統率する中央正規軍であった。

 共産軍は早晩、蒋介石によって始末されると判断し、その存在を重視しなかった。
 そこに日本陸軍の重大な錯誤があった」

日本陸軍は共産軍を嫌う余り、共産党を深く研究することをしませんでした。もちろん
共産党に関する情報を集めなかった訳ではありませんが、どれも断片的なもので
客観的な分析をするには雲をつかむようなものだったでしょう。

882 :イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/02/05(日) 01:14:35 ID:zJkIsDr9
>>共産軍は早晩、蒋介石によって始末されると判断し、その存在を重視しなかった。

念のため日本陸軍を弁護しますと、上記の考え方は非常識でも何でもありません。

1930年代から蒋介石は、共産党に対する攻勢を強めます。具体的には、江西省瑞金を
中心とした「中華ソビエト解放区」の包囲殲滅ですが、第一次〜五次まで行なわれ、
特に第5次では100万人規模の兵力が投入されます。

紆余曲折がありまして、ここで史上初めての中国人同士の近代的な塹壕戦が
発生する訳ですが、詳細は割愛。またどこかでやります。結果は共産党側の
大敗でした。そして1934〜1936年まで、あの流浪の『長征』が始まります。

一発逆転の『西安事件』(1936年)が起きなければ、自分も共産党は消滅していた
と思いますから、あまり日本軍を責めるのも酷な気がします。

883 :名無し三等兵:2006/02/05(日) 06:29:29 ID:???
三笠宮の大問題訓話でもわざわざ中共を持ち上げているのを見ると、現地軍将兵には中共に一目置いている風があったのは否めない。

日本側には中共を理解している者がいなかったというより、特務本来の接触相手とは少々違う接触パイプが必要だったために交渉を持ちかけるのが困難だった、という事になるのだろう。

その反面、中共側には日本留学経験のある周恩来と延安に逃れた日共重鎮の野坂参三がいた。
(野坂参三の辛光洙同務なみの大活躍は驚異的でもある)

華北の中共が阿片⇔中古兵器取引を通じて、日本軍装備を入手していた事は先述したが、華北の中共はある意味“日本式中国軍”(これは蒋介石の理想でもあったのが皮肉だが...)とでも言える存在だったかもしれない。

戦後の話だが、毛沢東も日本語を勉強しようと思っていた(元警護員の回想)そうで、中共にとっての日本は非常に身近な存在だった。


中共が大長征(チベット問題や西南大開発等を通じて現代中国の動向を決定付けてもいる)の後に、文字通り“ボロボロ”の状態で華北に出現した時、蒋介石にとって直近の軍事的脅威とは映っていなかった。
蒋介石は、他の軍閥であればとっくに雲南あたりで壊滅していたであろう状態にありながら、依然として強力な組織を維持している中共の構造そのものに脅威を感じていた。

この感覚は上海クーデターの時から中共に対して持ち続けた“気持ち悪い連中”へのアレルギーであり、このため最も信頼していた張学良を、
“微妙”な距離感のあった西北軍閥の楊虎城の督軍に付けた上で殲滅するという念の入れようだった訳だが、張学良は若く行動的であり愛国心に燃えてもいた。

蒋介石の中共へ対する感覚は、義姉にあたる宋慶齢を通じた情報として中共にももたらされており、西安事件そのものが張学良のクーデターでありながら、
黄浦軍官学校での蒋介石の元同僚(ホーチミンもそのひとり)でもあった周恩来の斡旋によって解決するという奇妙な展開を見せる結果となった。

884 :イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/02/05(日) 22:12:45 ID:nmvKF26D
>>865 >>尤も、止める為に送り込んだのが建川だったり、当の建川にしても
>>『君らの事は半分バレた。中央は止めよという。自分の意見はうまくやるならやれ、
>>駄目なら止めた方がよかろうというものだ』
>>と、完全に舐め切っています。精々、三月事件同様のクーデターごっこ程度だと思ったのでしょう。

満州事変当時、作戦部長だった建川美次ですが、直後の『10月事件』でも放言をしています。
事件の首謀者だった「桜会」の橋本欣五郎中佐は建川に報告に行きますが、そこで建川曰く、

『橋本よ。今回は失敗したが、近くまたやり直そう』

橋本は驚きます。こんな革命的なことが何回もできるものではない。それをとくと
知りながら自分を慰めるつもりかもしれんが、あんな放言をする建川将軍の図々しさには
とても敵わない、と語っていますw。

885 :イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/02/05(日) 22:44:09 ID:nmvKF26D
建川美次は、支那公使館付武官(少将:1928年3月〜1929年8月)もしていますが、
ちょうど『張作霖爆殺事件』(1928年6月4日)の時期と重なります。当時の建川の
「人となり」を解説すると、以下の通り。

身長160センチ弱ぐらいの小太りの体格だが、英国製の背広と帽子にダンヒルの
パイプを手放さない。いわゆるキザな外見です。体裁だけはw。

酒豪だったが日本酒は嫌いで、毎晩オールドパーを傾けて昼食前にもジンを一杯
飲んだ――。時にはスポーツウェアに着替えてテニスコートにも出かける生活を送って
いましたが、問題は建川の中国観です。

中国語が駄目だったせいもありますが、もっぱら英米公使館に出入りして、支那人を
見下す態度が露骨だったと言います。いわば欧米派の秀才に共通したメンタリティです。

当時の第二部長は松井石根で、おそらくは門外漢で「旧来のしがらみ」に囚われない建川を
あえて支那公使館付武官にすることで、新風を吹き込むことを狙ったのでしょうが……w。

886 :名無し三等兵:2006/02/05(日) 22:57:33 ID:syfqouJc
それなんて魚電?

887 :イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/02/05(日) 23:03:06 ID:nmvKF26D
張作霖爆殺事件の首謀者:河本大作大佐は、1928年3月に旅順に立ち寄った
建川美次に「機を見て張作霖を下野させて、息子の学良を立てるつもりだ」と
打ち明けています。

張作霖が特別列車で北京から奉天に向かうとき、建川は、張に同行する儀我誠也
少佐に、「お前は今度ちゃんと軍服で行きたまえ」と注意しています。

『建川メモリアル』(森克巳博士が昭和18年に筆記したもの)には、河本大作が
途中で張を捕らえて下野させるものだと予想していたが、列車ぐるみで爆殺するとは
思わなかったと語っていますが、真相は闇の中です。

満州事変の「止め男」ぶりを考えると、建川がどの程度絡んでいたのか疑わしい限りです。

そんな建川ですが政治的野心も旺盛で、宇垣一成の『四天王』と呼ばれていました
(その他は、杉山元、小磯国昭、二宮治重)。十月事件の責任追及で皇道派が天下を
握ると、建川はジュネーブ軍縮会議全権随員として中央からパージされて転落します。

888 :イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/02/05(日) 23:16:30 ID:nmvKF26D
その後の建川は「鳴かず飛ばず」(それでも第4師団長はやっていますが、
中央には戻れず)で、2.26事件後の『粛軍』で予備役に編入されます。

2.26事件で三島から急遽上京、陸相官邸に乗り込んだ橋本欣五郎大佐が、
「真崎総理大臣、結構! 陸軍大臣・建川美次中将で、このさい一挙に事態を
打開する方策はどうだ?」と持ち出したのが致命的となりましたw。

その後の建川は「松岡洋右人事」で駐ソ大使となりますが、独ソ戦が始まる数日前に
「独ソ開戦はありえず」との見通しを述べて、駐独大使の大島浩に『建川は何を寝ぼけて
いるか!』と憤慨されるなど、その凋落振りは並大抵のものではありませんでした。

しかし既述したように、建川は日露戦争で『敵中横断300里』のモデルにもなった
若きヒーローだったのですね。どこでどう道を誤ったのやら……。

889 :イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/02/05(日) 23:31:15 ID:???
世に『ピーターの法則』なるものがありまして、簡単に言うと

「階層社会では、すべての人は昇進を重ね、各々の無能のレベルに到達する」

としたものです。自分の能力を超える職についた瞬間、一気に無能化する。
建川はその典型例だったかもしれません。

890 :イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/02/05(日) 23:49:55 ID:nmvKF26D
>>883 >>中共はある意味“日本式中国軍”(これは蒋介石の理想でもあったのが
>>皮肉だが...)とでも言える存在だったかもしれない。

それに少し絡んで書評をひとつ…。

『白団――台湾軍をつくった日本軍将校たち』(中村?悦著、東洋経済新報社:
1995年刊、定価2200円)

「白団」は「パイダン」と呼びます。1949年、蒋介石に招かれて台湾に極秘で渡った
日本人の軍事顧問団の話です。蒋介石は日中戦争時の「日本軍の精強さ」を非常に高く
評価し、早い話が『日本式の陸軍大学校』を台湾につくろうとした訳です。

もちろん、後年には「アメリカの軍事顧問団」も台湾に訪れるのですが、蒋介石は日本の
白団の高等教育を重視し、白団の教育を経ることが師団長などの高級将官への登竜門とする
位置づけさえしています。

891 :ue ◆WomMV0C2P. :2006/02/05(日) 23:56:28 ID:???
>>889
近衛は総理大臣をやっている時よりも終戦時の方が何故か冴えている…
近衛上奏文で見せた見識を何故、支那事変の時に見せなかったのか悔やまれる。
まぁ、若過ぎたから無能を発揮するラインをすっ飛ばして総理大臣やったのが拙かったのでしょうかね。

892 :名無し三等兵:2006/02/05(日) 23:58:19 ID:???
ご高説の最中で恐縮なのですが
そろそろ次スレを考えておかないと前スレのようになりませんか?

893 :名無し三等兵:2006/02/05(日) 23:59:41 ID:???
華北で29軍を率いた宋哲元の末路ってどうなったんですか?

894 :イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/02/06(月) 00:01:39 ID:nmvKF26D
無論これには理由がありまして、蒋介石は台湾に落ち延びた今となっては
『アメリカ式』の物量で圧倒するような戦術は不可能であることを非常に
よく理解していたのです。また、いつアメリカの援助が打ち切られるのか
分かったものではありません。

そこで「金も無い、物もない、けれど精強」だった日本軍のエッセンスを
熱心に吸収しようとしたのです。

またアメリカ式の戦術教育では、問題の解答が「選択式」であることも蒋介石は
気に食わなかったようです。日本のように最初から自分で選択肢も捻り出すような
教育を望んでいました。まあ、アメリカの『選択式』というのも、指揮官すら速攻で
大量生産しようというアメリカの価値観が如実に現れていて面白いのですが……。

白団は実に1968年まで台湾での参謀教育を続けるのですが、この本はその活動の
最初から最後までを追った良書と呼べるでしょう。

895 :イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/02/06(月) 00:15:49 ID:xLWXTaSr
こんな人にお勧めです。

●根本博は「白団」ではありませんよ? まったくのイレギュラー分子ですよ。
●白団は実戦に参加した訳ではありませんよ? あくまで教育機関ですよ。
●金門島の戦闘に日本人(根本博)が絡んだというけど、どの程度なの?

自分はこの本を読んで、かなり蒋介石に対するイメージが好意的に変わりました。
白団の『身元保証人』『後見人』だった支那派遣軍総司令官の岡村寧次やその他の白団の
面々が、参加の動機を「蒋介石への報恩のために」と口々に言う理由が分かった気がします。

他にも、終戦時の支那派遣軍の武装解除や、岡村寧次の戦犯無罪の駆け引き、太平洋戦争後の
国共内戦についても簡潔にまとめていますので、これらの点もお勧めです。

残念なのは、アメリカの軍事顧問団の貢献の程度と白団との軋轢があまり語られていない
ことです。あと蒋介石を「これでもか」と褒めちぎっているのと、後半が事実関係を淡々と
述べるにとどまり、少し無味乾燥なところです。まあ、資料として考えれば問題ないのですが。

896 :名無し三等兵:2006/02/06(月) 00:32:11 ID:???
蒋介石はドイツ→アメリカ→日本と3国の軍事顧問と関わってる
どれが一番評価が高いんだろうな


897 :名無し三等兵:2006/02/06(月) 00:34:07 ID:???
↑白団ね。以前、台湾板に白団に参加していた人の息子が書き込んでいて、後期の白団には路線対立があって、嫌気がさして辞める人が多かったとの事。

蒋介石の事を考える時、彼に与えた大日本帝國の影響の大きさと、その大日本帝國が最後まで彼を軍閥首領のひとりとしか見なかった事で崩壊して行く事が歴史の皮肉として見えてくる。

青幇の殺し屋から身を立てて日本とソ連で近代軍人へと成長した蒋介石は、間違いなく天命を受けた人物だった。

だが、その天命は大日本帝國の崩壊と共に終わり、名もない田舎の仏教系インテリで苗族の混血児だった毛沢東へと移ってしまった。

尚、日中国交回復を成し遂げた田中角栄の地元には“元苗(げなえ)”と呼ばれる、渡来した苗族の末裔と言われる被差別部落の人達がいた。

戦前まで新潟の人達は皆知っている言葉だったが、最近では誰も知らない。

898 :名無し三等兵:2006/02/06(月) 00:42:09 ID:???
蒋介石が関わった軍事顧問は、トロツキー時代のソ連赤軍→大日本帝國陸軍→ドイツ国防軍→アメリカ→戦後日本の失業軍人達。

蒋介石が高く評価していたのは大日本帝國陸軍だったが、実際の政治/軍事手法として多用したのはソ連のやり方だった。

むしろ延安時代の毛沢東+周恩来の方が、大日本帝國陸軍の長所をうまく取り入れている。

1945年からの国共内戦は“ソ連式中国軍”である国府軍が米国援助を受けつつ、“日本式中国軍”の中共軍と戦ったものだった。

この構図は後の越南戦争にも引き継がれる事になる。

899 :イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/02/06(月) 00:48:01 ID:???
>>892 >>ご高説の最中で恐縮なのですが
>>そろそろ次スレを考えておかないと前スレのようになりませんか?

このスレは「容量が500KB」を少し超えた辺り(端数あり)で『突然死』します。
今のペースですと、まだ3〜4日持ちそうですが、こればかりは他の方の書き込み
具合にもよりますので、正確には読みようがありません。

基本的に「容量が一杯です!」というような表示が出て、書き込めなくなったら
終了です。大抵は夜にチェックしてますので、次スレは自分が立てるつもりです。
次スレもお付き合い頂ける「奇特な方」は、スレ立てまで少々お時間を下さい。

>>70 >>スレが伸びないな。そもそもスレタイが悪い。被害担当艦なんて
>>書くから誰もよってこない。あやまれ。>>1

次回は「サブタイトル」に失敗しないぞっ、と。雪辱、雪辱(核藁)。
もう案は決めています。

900 :前スレ32:2006/02/06(月) 01:00:33 ID:???
>>898
「世界一強いといわれた日本軍」とは毛首席の言葉ですねえ。


901 :名無し三等兵:2006/02/06(月) 01:58:02 ID:???
このスレ見てると、Hearts of Ironで中国軍閥プレイがしたくなってくる。

902 :名無し三等兵:2006/02/06(月) 20:22:40 ID:???
生き埋めで全住民皆殺しとか?w

903 :名無し三等兵:2006/02/06(月) 21:06:59 ID:???
中国侵略でいえば広田や重光の露骨さには吐き気がする。土肥原の謀略、関東軍の暴走。
天皇や内閣、陸軍すら押し切られた。あの連中は狂ってるよ。

904 :名無し三等兵:2006/02/06(月) 21:58:41 ID:???
あの昭和天皇ですら熱気に煽られて上海から先への侵攻にGoを出してしまった...
時代の空気とは言え、張学良が徹底抗戦していれば なかっただろう暴走なので。

905 :名無し三等兵:2006/02/06(月) 22:06:01 ID:???
向こうは蒋介石の本体と地方軍閥の寄り合いだからね 
徹底抗戦は力を失って張学良自身の破滅になる

906 :名無し三等兵:2006/02/06(月) 22:24:58 ID:???
支配地を失った張学良は、結局軍を引き連れて蒋介石の世話になりつつ 華北から西北へと流転して行った。

最終的には西安事件で軟禁され軍も失ったが、中国史に残る英雄にはなれた。

満州で関東軍と激戦を繰り広げていても、同様に歴史に名は残せただろう。

907 :イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/02/06(月) 22:27:48 ID:PwIMaFxc
>>897 >>蒋介石の事を考える時、大日本帝國が最後まで彼を軍閥首領のひとりとしか
>>見なかった事で崩壊して行く事が歴史の皮肉として見えてくる。

全くご賢察です。日本は支那の『分治工作』(分断統治)を延々と続けてきた訳ですが、
それがようやく改まったのが1937年です。古株の『支那通軍人』ほど、支那に近代的な
統一政権をつくるのは不可能であるとの認識を変えませんでした。

この対支政策の「根本的かつ全面的な転換」を行なったのは、実は『林銑十郎内閣』です
(1937年2月〜1937年6月)。

「食い逃げ解散」「ロボット宰相」「なにもせんじゅうろう内閣」と歴史的評価は散々な
林内閣ですが、この1点だけは根本的改革と評価できます。すなわち、

『我が国、従来の帝国主義的侵寇政策をこの際抜本的に改め、北支もその主権は
 「中央政府」に発するものなる事を確認し、従来の如き「分治合作」の政策を放棄する』

908 :名無し三等兵:2006/02/06(月) 22:32:26 ID:20OsCgDB
>>887
四天王とは誰が言い出したのか知らないが、建川と外の3名が相識るのはかなり後になってから。
ちなみに小磯によれば、杉山二宮に畑を加えた4名は陸大の学生時代から非常に仲がよく
連れ立って遊んでたので、4人組などと呼ぶ人もいたとか。

宇垣は長く陸相をやったので、宇垣派とみなされる人はたくさんいるが、一番の忠臣は
楠公研究で知られる林中将だろう。

909 :イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/02/06(月) 22:43:34 ID:PwIMaFxc
ここに改めて華北もその主権が「中央政府(蒋介石政権)」に発するとした点は、
前年(1936年1月13日)岡田啓介内閣のもとで決定された『北支処理要綱』を
根本から撤回する意味があります。すなわち第一項には、

「北支5省の自治化を進め」云々とあったからです。

さらに日本が古くから続けてきた「分治工作」を否定することで、従来の対支政策の
二重の転換を意味していました。

しかし時すでに遅く、前年1936年12月には「西安事件」が起こり、1937年7月には
「盧溝橋事件」が勃発し、情勢は急展開して元の木阿弥となってしまいますw。

910 :イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/02/06(月) 22:53:56 ID:PwIMaFxc
>>908 >>四天王とは誰が言い出したのか知らないが、建川と外の3名が
>>相識るのはかなり後になってから。

一応元ネタは『昭和史の軍人たち』(秦郁彦著、文藝春秋)です。
1929年8月の人事異動で、

陸軍大臣:宇垣一成、陸軍次官:阿部信行(ついで杉山元)、軍務局長:
小磯国昭、参謀次長:二宮治重、第二部長:建川美次

となったのを指しているのでしょう。建川メモリアルによると、「三月事件も
四天王で謀議が練られた」とありますから、建川が自称で『四天王』と名乗っていた
だけかもしれませんw。

911 :イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/02/06(月) 23:25:15 ID:PwIMaFxc
>>909 の続き。
比較的、時代の新しい『分治工作』の一例として「広東駐在武官」だった和知鷹二(中佐)の
工作を見てみましょう。

和知の工作の相手である胡漢民は、広東に独立政府を樹立し(1931年)、中央政府(国民党)に
対して半独立国家となります。また隣の江西省では、李宋仁・白祟喜が強く根を下ろしており、
強度の民衆軍事訓練を行なっていました。いわゆる『西南派』です。

もちろん国民政府も両省を屈服させようとしていましたが、江西省などは李白の地盤が強固で
難攻し、両省も不承不承中央に妥協するなど、「面従腹背」に近い関係でした。そこに和知が
広東駐在武官として現れたのです。

その頃の広東は「排日感情」が凄まじく、昼間は要人との会見もできない程でした。ちょうど
満州事変が上海に飛火した頃で(1932年初頭)、上海で被害を蒙った民衆が主として広東・江西・
福建の出身者が多かったためです。この頃の和知の活動は、『興中マンの粋』という機関紙によると
以下の通り。

912 :イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/02/06(月) 23:43:44 ID:PwIMaFxc
「和知鷹二中佐は、排日の広東に駐在武官として赴任したが、家を借りる事も
 出来ぬほど甚だしかったので、夫人と2人でホテルに住まい、夫人が書記を
 兼務してタイプを打って報告書を作っていた。こういう空気の中で、胡漢民
 以下の要人達と親密に往来接触し、何時しかこれら頭領を親日に転向させる
 に至った。この努力は将に高く評価さるべきである」

和知中佐は、蒋介石の中央政府に対して敵国に近い観さえあった『江西軍』に対して、
日本兵器の売り込みや軍事顧問団(日本人)の送り込みにも成功しています。

当時、日本兵器の輸出には政府の指導でつくられた『太平組合』(兵頭軍師の本を
参照)が当たっていましたが、既に小銃2万挺、弾薬500万発、山砲8門、軽機関銃
12挺、飛行機4機、通信機材等、多数が売り込まれていました。

また、広東・江西両省の「経済建設資金」として差し当たり300万元ずつ、計600万元を
満鉄から借り受けたいなどの中国側からの要望も来ます。

913 :名無し三等兵:2006/02/06(月) 23:54:15 ID:???
確か林中将の息子が戦後初代統幕長の林敬三氏でしたよね。
敬三氏は第三次近衛内閣の未公表のままに終わった行政機構改革プランに関わってたようですが
これもなかなか興味深い。

914 :イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/02/07(火) 00:03:47 ID:PwIMaFxc
途中で和知中佐は「広東駐在武官」から「支那駐屯軍参謀」に転出して
しまいますが、上記に書いたのは1932年〜1935年の話です。

>>907 で挙げた『対支政策の根本的転換』が1937年の話ですから、いかに
直前まで『分治工作』が行なわれていたかが理解できるでしょう。

昔から「保境安民」と言いますが、旧軍閥の頭領は、蒋介石の中央政府による
支那統一下に置かれるよりも、旧態依然とした地方権力者の地位を守ろうとする
傾向が強かったのです。「鶏頭なるも牛尾となるなかれ」という所でしょうかw。

そのための支援を現地の日本軍人に求めた訳ですが、地方軍閥から提供される情報は
勢い甘言に近く、支那統一に向けた民衆の熱狂的なナショナリズムを図るうえでは
ミスディレクション(誤導)以外の何物でもなかったでしょう。

これらの点が、日本の中枢における支那情勢の判断や政策決定に大きな影響を与えた
事は言うまでもありません。

915 :暫編第一軍:2006/02/07(火) 00:19:31 ID:???
>>893殿
 確か1939年か1940年頃病死していたと記憶します。

 汪兆銘政権軍シリーズも大分間が空いてしまいましたが、現在満州事変に話題
が移っているところでもあり、番外編マイナー軍シリーズとして張学良の東北軍を
特集するのも興味深いと思われます。
 しかしどうもこのスレも後数日以内で容量オーバーになるとのこと。例によって
長文になり容量を食いつぶしてしまいそうなので次スレに移り次第書き込ませて
いただきます。
 では。

 

916 :イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/02/07(火) 00:23:56 ID:???
>>909 >>さらに日本が古くから続けてきた「分治工作」を否定することで、従来の対支政策の
>>二重の転換を意味していました。

まあ結局、日中戦争が始まってしまうと、

●王克敏らの中華民国臨時政府 ●梁鴻志らの中華民国維新政府

さらに上記を吸収して、●汪兆銘の南京国民政府が生まれる訳です。

●蒋介石の重慶の国民政府も合わせて考えれば、依然として『分治工作』
以外の何物でもありませんw。

917 :イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/02/07(火) 00:38:11 ID:???
>>915
どうもでございます。このKBですと、多分明日あたり新スレを立てることに
なると思います。では。

918 :名無し三等兵:2006/02/07(火) 13:04:02 ID:???
しかし軍人って大勢いたんだな
敗戦後は軍人全員が失業 戦後は何の仕事に憑いてたんだろう
731の石井は宿屋の親父だったらしいが俺は絶対泊まりたくないなあ

919 :イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/02/07(火) 22:19:54 ID:aXh4ltSy
>>893 >>華北で29軍を率いた宋哲元の末路ってどうなったんですか?

日中戦争が本格化すると、第1戦区副司令長官兼第1集団軍総司令となりますが、
1938年7月に病気のため辞職します。その後、綿陽で療養しますが、1940年5月に
55歳で死去。国民政府より『陸軍1級上将』を追贈されました。

920 :イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/02/07(火) 22:45:52 ID:aXh4ltSy
まあ、スレ潰しwのためにもう少し補足しますと、以下の通り。

宋哲元は旧軍閥時代、もともと「親ソ派の馮玉祥」の部下でした。馮玉祥の『西北軍』が
蒋介石の国民革命軍に敗れたとき、宋哲元は馮を見捨てて『西北軍』を代わりに率い、
国民政府軍に編入されます。

そして第29軍長となる訳ですが、従来どおり地方の『雑軍』扱いをされて
チャハルと熱河省の辺境守備に回されていましたw。そんな宋哲元の転機と
なったのが、『梅津・何応欽協定』(1935年6月)です。

協定よって国民政府軍が河北省から撤退した後を受けて「北平・天津地区」に進出、
政治と軍事の両権力を握ります。支配地区が豊かなため役得が多く、宋哲元の収入は
膨れ上がり、これ以上ない悠々自適な時代を迎えます。日本軍の存在を除けば、ですがw。

もちろん事変が拡大すれば、この貴重な地盤を失うことになるので、盧溝橋事件でも
何とかして和平解決したかった、というのが宋哲元の偽らざる本音でしょう。

921 :イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/02/07(火) 23:10:24 ID:aXh4ltSy
まあ、>>916 でも述べましたが、日本の問題点というのは、事実上の「中央政府」である
国民政府(蒋介石)との交渉を『二の次』にして、国民政府でさえ相手にしないような
『地方の雑軍の頭領』ばかりと熱心に駆け引きしていた事です。

長らく続いた「分治工作」の呪縛は抜けがたいものがあります。

922 :イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/02/07(火) 23:41:19 ID:aXh4ltSy
>>918 >>しかし軍人って大勢いたんだな
>>敗戦後は軍人全員が失業 戦後は何の仕事に憑いてたんだろう

それはもうピンキリですw。もちろん貧窮に喘いだ軍人が圧倒的でしょうが、
会社の役員などに滑り込んだ軍人も多くいます。

映画『男たちの大和/YAMATO』にちなんで、大和級の艦長を何人か取り上げて
みましょう。

まず「レイテ沖海戦」で大和艦長だった森下信衛です。森下はレイテで米軍の爆・雷撃を
ほぼ全てかわし、一躍乗員から『不沈艦伝説』を巻き起こした人物です。もちろん僚艦の
武蔵が撃沈されたことも背景にはあるでしょう。「森下艦長のためなら死んでも良い!」
という乗員が大量発生したとか…。「森下信衛ファン倶楽部」が出来そうな勢いですw。

その後、森下は第2艦隊参謀長となりますが、乗艦は以前と変わらず『大和』です。そして
沖縄水上特攻を命じられますが、大和は沈み、森下は海中に投げ出され奇跡的に生き延びます。

923 :イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/02/07(火) 23:58:46 ID:aXh4ltSy
森下は戦後の苦しい生活の中で、病魔にも冒されて絶望し、「大和と共に死ぬべき
であった……」と漏らしたと言います。

それと対照的なのが、「武蔵」の艦長を経験した古村啓蔵です。古村もまた第2水雷戦隊
司令官として「沖縄特攻」に赴きますが、辛くも生き延びます。乗艦が撃沈され重油の海を泳ぎ、
やっとの思いで駆逐艦に拾われたところ、「我が闘志なお衰えず。直ちに再度突撃せん」と
叫んだエピソードは有名です。

戦後の古村は、米軍関係の仕事をしていたようですが、家政婦を雇うぐらいには
裕福な暮らしをしていました。旧海軍の集まりにもよく出席し、何かの代表を頼まれれば
二つ返事で引き受けます。年を取ってからも非常に元気で、趣味のゴルフや長唄を満喫。
60歳を過ぎてからは10歳はサバを読んで周囲を唖然とさせ、山本リンダの大ファン
となり、講演会にも入会します。

コンサートにも足を運び、「年寄りは俺だけだったよ」と嬉しそうに語ったとか。
人生勝ち組 古村敬蔵w。

924 :イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/02/08(水) 00:03:29 ID:???
え? 映画に出てきた「有賀幸作(大和艦長)」はどうしたですって?
もちろん、沖縄で大和と共に海中に没しました。

戦後、同郷で幼馴染の古村啓蔵が自ら建設委員長となって、故郷の辰野町に
『有賀幸作の記念碑』を建立してもらったとさ。

お後がよろしいようでw。

925 :ue ◆WomMV0C2P. :2006/02/08(水) 00:12:15 ID:???
閣下、残り2KB。誘導も含めてそろそろかと。

926 :イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/02/08(水) 00:18:40 ID:???
スレが埋まるまで、あと少しが長い…w。

次スレでは「支那の幣制改革」も取り上げたいな〜と。結局、経済問題を触れないと
どうしても片手落ちの気がします。あと、いい加減に戦闘部分も具体的に踏み込みたい
のですが(上海事変などは前スレでやった記憶が…w)、いかんせん資料が足りなくて心配です。

結局、戦史叢書も「支那事変」分は揃える必要があるのか……w。何か一般書籍で
戦闘部分を上手くまとめた本はありませんでしょうか? 各戦記本は「木を見て森を見ず」で
食傷気味です。

何か次スレの要望等がございましたら、余白でどうぞ。

927 :名無し三等兵:2006/02/08(水) 00:31:30 ID:???
イナゾウ中佐に意見愚申するとスリッパで頭を叩かれそうだ

928 :イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/02/08(水) 00:40:38 ID:???
いや、自分が一番迷っているのが、「四季映姫・ヤマザナドゥ」様を
再登場させてもいいかですw。

アレ(>>726〜)で一気に書き込みが減った気がします(核藁)。

一応補足すると『楽園の最高裁判長』で、いわゆる「地獄の閻魔様」です。
ただし緑髪の幼女ですがw。

929 :前スレ32:2006/02/08(水) 00:43:52 ID:???
>>924
松田千秋少将も大和艦長をしていたような気が。
ネット上の情報では発明家として大成功をしたようですが、
自分には反省会での活動が印象的です。

>>926
太平洋戦争期ですと、林三郎大佐の書いた岩波新書がコンパクトで大変便利かと思います。
ただ、イナゾウ中佐も、このスレのみなさんもごぞんじでしょうね。


501 KB
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています

★スマホ版★ 掲示板に戻る 全部 前100 次100 最新50

read.cgi ver 05.04.06 2022/04/29 Walang Kapalit ★
FOX ★